「SNSトラブル、って言ってなかったっけ」
 待機列を前に詰めつつ、俺は確認した。
 トラウマの理由は、動画撮影の協力をお願いされた際に、薄らではあるが聞いた。たしか、理由はSNSでの動画トラブルだったはずだ。
 しかし、確かにその時は深くは突っ込まず、どんなトラブルかは知らなかった。転校した同級生のように、家族か誰かが「飲食店でのイタズラ」みたいなものを上げたのかと思った。
 聞き返した俺に、幸詩の頭が頷いた。

「……中学二年の頃、勝手に撮られて投稿されたんだ、俺の演奏動画」
「勝手にって、それ犯罪じゃん」
 まさかの盗撮からの無断アップロード。これだけでもトラウマになって、カメラが怖くなってしまってもおかしくない。

「当時の彼女に歌ったんだけど……」
 しかも彼女に向けてのラブソング。たしかに中二ぐらいならやりたくなるロマンチックな行動だが、この後の展開に予想がつくせいで、酷く胸が痛くなる。

「それを、彼女の友達がこっそり撮ってて……」
 幸詩は視線を落とし、言いづらそうに説明をし、小さく息を吐いた。話すたびに、幸詩の手がわずかに震えているのが見える。

「ええええ……」
 しかも、彼女の友達にだなんて、思い出すのも辛いだろう。

「しかも、最悪なことにさ、凄いバズッてしまって」
「バズッて……大丈夫だったの?」
 幸詩の演奏力は高いから、一気に拡散されてしまってもおかしくはない。生憎、俺はSNSを殆どしないので知らなかったけれど、桜井さんのように幸詩の存在を知っている人も居るのだろう。

()()()()、名前は出てなかったけど、制服とか顔とかギターとか映ってて」
「そんなの、調べたらすぐ分かっちゃうじゃん」
 全然幸いでも、なんでもない。インターネットで検索したら、一発で学校や名前が特定できてしまう時代に、殆ど個人情報を晒したようなものだ。

「そう、それをさ、()忌引()()()()に知って……」
 幸詩の言葉に、俺は思わず言葉を失う。

「その時には、学校中知れ渡ってて……」
 しかも、なんと時期が悪いのか。親が亡くなったら、SNSを確認する余裕がなくてもおかしくない。その間に知らず知らずに自分が拡散されてしまっていたということになる。

「父さんが死んでさ、本当に精神的にも参ってるのに……皆が、顔も見たことない先輩とかも次々声を掛けてきてさ……」
 何を聞かれたかは分からないが、声がわかりやすく震え始めたので、余程怖かったのだろう。

「元動画はどうにか消してもらったけど、地元じゃ知れ渡っててさ。見つけたからって、勝手に盗撮してくる人もいたし。クラスメイトからも撮らせてとか言われてさ」

「……それは、トラウマにもなるよね」
「うん。この時のこと、今も夢見るし」
 幸詩の背中を撫でる俺に、幸詩はぴったりと身体を寄せる。夏だからかかなり暑苦しくはあるが、丁度良く店の中に入れた。
 冷房の風が首筋にあたり、汗がスッと引いていくのを感じつつ、食べている人達の後ろに並ぶ。すでに着席しているサラリーマンや大学生の人たちは、無駄な会話はせず一心不乱に山盛りの油そばをがっついている。彼らの後ろ姿はなんとも戦士のように勇ましい。また、店員は忙しそうにカウンターや厨房を回り、ひっきりなしにラーメンの調理や、清掃、呪文(コール)を受けていた。
 また、風と共にやってくるにんにく、背脂、がつんとした醤油豚骨の香りも凄い。これは、なんとも食欲をかき立てる風だ。
 幸詩は一息つくと、また言葉を続けた。

「彼女とも別れたし、付き合いは短かったけど、どうしてもダメージがね」
「そうだよね」
 今までの話の経緯から考えると、別れてしまってもおかしくはない。けれど、別れたからといって、全てがチャラになるわけでもない。

「地元から少しでも離れたくてさ……唯一味方だった幼馴染みからも背中を押されて、どうせ離れるならって、父さんたちが通った青口学園を選んだんだ」
 トラウマは、青口学園を選んだ理由にもなっていたのか。俺は幸詩の方へ顔を向けた。

「幸詩、頑張ったんだね。言葉、上手く思いつかないけど、本当に凄いよ」
 俺は幸詩の肩に手を乗せる。
「……ありがとう。けど、今までがあったから、晴富に出会えた。それだけで、幸せだよ」
 ちんけな言葉しか言えない俺に対し、あまりにも甘い言葉を述べる幸詩は、俺を真似して肩に手を乗せ返した。思わず、笑い合う俺らだったが、大事なことを一つ忘れていた。

「……えぇと、あのお客さん方、食券、お預かりしてもいいですか」
 ここは、油そばを売るラーメン屋。声をかけてきた店員さんを見ると、非常に気まずそうに苦笑いをしていた。

「すみません!」「ごめんなさい!」
 気付かなかった俺たちは、慌てて食券を差し出す。店員は「大丈夫ですよ」と軽く頷きながらそれを受け取り、無言で奥へと運んでいった。

 残念なことに、このラーメン屋のルールとして、行列がある場合は空いた席にどんどん入れる方式だった。
 なので、運悪く幸詩と俺はかなり遠い位置のカウンターに案内されてしまい、姿も確認できない。辛うじて、幸詩の呪文(コール)が聞こえたが、店員の元気な挨拶にかき消されてしまった。

 出された油そばは、思ったよりもどっさりとしたもやし野菜に、まさにげんこつのようなチャーシューがゴロンと乗っかっている。また、麺に絡むような、細かく切られたチャーシューも山盛り。卵黄と海苔、刻みニンニク、刻みタマネギ。
 こんがり色づいた魚粉も乗っていた。

 カウンターの目の前には食べ方のオススメが書かれており、油そば用のお酢とラー油をかけてきっちり混ぜるのが良いとのことだ。
 ただ、俺はそのものの味を楽しみたい。
 うどんのような極太麺を、割り箸で持ち上げて、野菜の上に載せた。何度も皿の底に溜まったタレと麺や卵黄等を絡める。

 度混ざったと思ったら、ズズズッと麺を啜った。
 たしかに、上手い。ガツンッとした醤油ベースのタレ、魚粉の風味と卵黄が混ざることで、なんとも複雑なキレもありつつ、まろやかさを醸し出している。チャーシューも肉々しく、ブリッとした脂と染みこんだ味が口の中で踊るよう。

 麺とチャーシュー、そして、お口直しの野菜。

 ジャンキーだが、常に飽きない味が続く。
 ただ残念なのは、隣に幸詩が居ない寂しさだ。
 幸詩が美味しそうに食べているところを見るのが、俺はとても好きなのだ。
 うんうんと頷きながら、幸せそうに咀嚼する幸詩を頭で想像する。

 俺は寂しいなと思いつつ、店のオススメの食べ方らしい油そばにお酢とラー油を一回しした。
 そして、また啜る。なぜか爽やかなった油そば、その美味しさを後で幸詩に伝えねばと心の中に書き留めた。
 かなりのボリュームであったが無事に最後まで美味しく啜った俺は、店のお願いの通りに、カウンター上に器を上げてすぐに店を出た。

 外は既に辺りは暗くなっており、昼間とは違ったジメッとした暑さだ。
 店前のガードレールには先に退店していた幸詩が、スマートフォンを眺めながら待っていた。

「幸詩……お待たせ……いつもよりも、食べるの早くない?」
 はち切れんばかりの胃を抑えている俺とは対照的に、幸詩は涼しげな表情である。
「俺も出たばかりだよ。晴富、美味しかった?」
 本当に余裕そう。俺よりも量を頼んでいたはずなのに、何故だ。身体の大きさか。

「美味しかったよ。野菜のゆで加減も良い感じのシャキシャキ感と、くたくたなやつの割合がいいし、タレも甘辛醤油ベースで、卵黄との相性が凄かった……! でも、お腹が苦しい! 当分は大丈夫かな……」

 幸詩に尋ねられて、俺は苦しい中でもつらつらと油そばの感想を語る。美味しかった気持ちはある。しかし、やはり量は見誤った。次はもっと少ない量で十分だ。

「わかる、美味しかった。でも、お腹も苦しい」
 幸詩は数回頷いた後、「全マシはやり過ぎたかも」と困ったように笑った。しかし、俺のように苦しさが少しも滲み出ていない。
 本当にこちらは、胃もはち切れんばかり、まさに満腹を超えた先である。落ち着け落ち着けと、膨れたお腹を優しく摩ることしか俺はできない。

「なあ、晴富」
「んぅ?」
「駅近く歩いて、ゆっくり風、当たろう」
 なんと腹の中身を減らすのに、丁度良い提案だろうかと、俺は勿論賛成した。
 この辺りは大きな駅ビルと飲食店が並ぶくらいだが、駅ビルの周りは軽く散歩が出来る道がある。ぐるりと回ればそれなりの時間がかかる道だ。

「思えばさ、桜井さんのこと、断ったのって、動画を知ってたから?」
 歩きながら、また思いついた質問をする。かなり突っ込んでいる気もするが、どうしても気になってしまった。

「いや……それもあるけど……え、気付いてないの?」
 幸詩は不思議そうに、俺の顔を覗き込む。急な動きだったため、軽く俺と幸詩の鼻が少しぶつかった。

「いたっ! ……幸詩、大丈夫? 止まれなかった」
「いや、俺が悪い、ごめん。それにしても、本当に気付いてないの?」
「えっ、な、何が?」
 俺は鼻をさすりながら、尋ね返す。気付くもなにも、心当たりが無い。必死に捻り出そうとしても、何も思い浮かばず首を傾げる。

 幸詩は一瞬だけ呆けた顔をした後、ふと顔を上げ、目尻に涙をためたまま笑い出した。
「晴富って、天然?」

「て、天然!?」
「本当に最高だわ」
 笑いながら肩をすくめた幸詩は、俺の肩に手を乗せる。何故笑われているのだ俺と、今度は俺が呆気にとられてしまった。

 後日、その理由が分かるとは思っていなかった。