トラウマ克服のための撮影を手伝うと約束してから半月が過ぎた。
 学校から少し離れたレトロカフェ。草花が風に揺れて、淡く安らぐ草木の香りが漂うテラス席で、今日も幸詩にカメラを向けていた。

「やっぱり、怖いなあ……」
 幸詩が消え入りそうな声でこぼす。飲みかけのコーヒーが入った、シンプルな白いマグカップの取っ手を握る幸詩。無意識に力が入った手は微かに震えていた。

「腕だけだから、本日3回目撮るよ~」
 幸歌の肘辺りまでを画角に納め、スマートフォンの撮影ボタンを指先で軽くタップした。電子音のシャッター音と共に、撮れた画像は今日初めてブレていない写真だった。

「お! ブレてない!」
 幸詩が心の準備と言い訳をして先延ばしにするの5回。
 合計8回目のリテイクの末、ようやくだった。

 幸詩は「ほ、本当?」と言いながら、俺の手元にある幸詩のスマートフォンの画面を覗き込む。
 アンティークテーブルとマグカップのコーヒー。画面の中に、幸詩の腕が綺麗に切り取られていた。

「目標達成! がんばったな!」

「な、長かった……ありがとう、晴富」
 疲れたのか、ぐったりとテーブルの上で脱力する幸詩は、ぐたりと椅子の背もたれによりかかる。古い椅子だからぎいっと軋む木の音が聞こえた。
 喉も乾いたのだろう、冷めたコーヒーを一口飲み、「こんなにこれ、苦かったんだ」と初めて気付いたらしい。
 先ほども飲んでいたけれど、今の様子的に味がわからなくなるほど、緊張していたようだ。

 俺はカフェラテを飲み干す。温くなっていたが、ザラメのまろやかな甘みと、コクのあるミルクが苦みを包み込んでいる。
 おまけのビスコッティは、ざくざくの甘い生地にくるみが入っている自家製もの。追加で頼みたいが、(ふところ)が寂しいので今日は我慢した。
 
「次の目標は、身体半分か」
 幸詩の呟きに、俺はカフェラテから幸詩へと視線を向ける。スマートフォンの画面を見ながら困った顔をする幸詩。
 多分、画面には俺たちが考えた『トラウマ克服するぞ目標』が写し出されているのだろう。写真から動画へとステップアップしていく目標を二人で考えて、少しずつ達成していっている最中なのだ。

「そうだね、明日は手伝えないから、明後日になるけど」
「ボランティア部の活動だっけ?」
「そう、地域の掃除ボランティア」
 明日は部活動のため五限までの水曜日。
 基本的にボランティア部は活動はないのだが、珍しくミーティングと校外ボランティアとしてゴミ拾いをする日なのだ。

「幸詩は、軽音部……明日は行けそう?」

「……迷ってる、かな」
 幸詩は小さく背中を丸めて、ギターに視線を落とす。
 トラウマ克服のこともあり、ほとんどの放課後を幸詩と過ごしている。勿論、本来幸詩が軽音部に参加しているはずの水曜日もだ。

 実は一度部活にちゃんと参加しよう頑張ったけど、相も変わらず隣のクラスの女子人気が凄く、断念したのだ。
 更に彼女はベースボーカルで、どうやらバンドではベースがかなり需要が高いらしく、熱量に拍車がかかっているようだ。
 そんな熱気の中、ただでさえギターボーカルというライバルだらけのポジションの幸詩は、引っ込み思案な性格もあって誰とも仲良くなれていない。

 結果、俺と怠惰な寄り道しつつ、トラウマ克服チャレンジに挑み続けて過ごしているのだ。

「喉の調子はどう? まだ、駄目そう?」
「うん、やっと痛みはなくなっけど……ね」
 そして、不運な事に出会った時の風邪が尾を引いていて、満足に歌えないよう。余計に軽音部でアピール出来ないのだ。
 俺も幸詩の歌とギターを聴きたかったが、体調が良くなってからお願いしようとおもっている。

「文化祭、このままだとソロ?」
「全員参加だからね」
 文化祭での軽音部の演目は、例年同様全員参加ライブらしい。部員ならば、たとえソロでも一曲は披露しなければならない。

「……ソロとかより、動画撮られる事のが怖い」
 幸詩曰く、ソロよりも向けられるスマートフォンのレンズのが恐ろしいようで、疲れた顔をしながらため息を吐いた。

「そのためにも、頑張って特訓しような」
 俺は怯えた幸詩を落ち着かせるように優しく声をかけつつ、ゆっくりと席から立ち上がる。
 もうそろそろ今いるレトロカフェが、オシャレなレトロバーに変わるので、学生の俺たちは店から出ないといけない。

「ほら、幸詩、暗くなるし帰るよ」
 俺を見上げる幸詩は、寂しそうに眉を下げた後、唇をつんっと尖らせた。

「帰りたくない」

「だぁめ」
「もう少しだけ一緒じゃ……だめ」
 出会ってまだ期間が短いとは言え、それなりに打ち解けたからか、いつも帰る時になると幸詩はこのように「帰りたくない」と駄々をこねるようになった。
 しかし、ちゃんと断れば、とても残念そうにしつつも「分かった」と受け入れてくれる。
 寂しがり屋なのかもしれないし、甘えてくれるほど俺のこと気に入っているのだなと、暢気に嬉しかった。勿論ダメなものはダメなので、断るけれど。

「ボランティアってさ、部員だけなの?」
「ううん、俺たちがやっぱ主導だけど、明日の清掃とか実は部員外もできるよ」
「そうなんだ。わかった、ありがとう」
 まさかボランティア部の事を、聞かれるとは思いつつ、ちゃんと応える。幸詩も納得したように、一回頷いた。


 そして、話していた翌日の水曜日の放課後。

「あのぅ白石、その後ろのデカいのは?」
 ボランティア部の部長が、俺の背中側に向かって指す。先にミーティングのために借りた教室にいた高田と松下も、俺の背後に視線を向けて唖然としていた。

「えーっと、ボランティア参加したいそうです」
「高等部一年四組の望月幸詩です。今日はお願いします」
 いつもとは違いギターを背負っていない幸詩が、何故か俺と一緒にボランティア部にやってきたのだ。