桜が咲き誇る春。青口学園では、入学式とオリエンテーションが終わったばかりだ。今日は金曜日、明日は待ちに待った休日が訪れる。
購買部の窓から差し込む夕日の暖かいオレンジ色の光が、床に長く影を落としている。校庭からは、運動部の元気な掛け声やボールの弾む音が遠くに響いていた。
あと少しで閉店時間の18時になるため、購買のおばちゃんは閉店準備を始めており、外のベンチには数人の生徒がたむろしている。
その中で、俺こと高校新一年生の白石晴富は、今の状況にどうするべきかと一人悩んでいた。
(俺も、パン、買いたいんだけどなあ……)
寄り道がてら、何かパンを食べて帰ろうと思って並んだのだが、自分の前の男子生徒が先程から何分も黙りこくったままショーケースの前に立っていた。商品の上に視線を彷徨わせており、ずっと迷いつづけているようだった。
校則ギリギリの長め黒髪、顔を覆い尽くす白いマスク、平均より高い背丈は見覚えもない。
しっかりとした張り感のある新品のネイビーのブレザーや新品艶やかな通学鞄から、多分外部から入ってきた新入生なのだろう。
対して、自分のブレザーは使い込んだ皺が刻まれ柔らかくなっていた。また、鞄も落書きだらけで、今までの三年間を感じる仕上がりだ。
唯一彼と同じく新品なのは、白地にブルーラインの上履きと、高等部の証しであるダークグリーンのネクタイだけだ。
さて、そんな目の前の同級生は、突っ立ったまま商品を見下ろしている。
早く店仕舞いしたいおばちゃんは、静々と片付けながら、早く決まってほしそうな様子で俺と彼を交互に見ている。
俺の髪色は日本人には珍しい生まれつきの金茶なため、おばちゃんからよく覚えもよいし普段から交流もあるため、視線だけですぐに察してしまった。
(一体、何悩んでるんだろう?)
俺は仕方ないと、自分の後ろに誰も並んでいないのを確認してから、彼の真後ろから横へと少しずれる。
余っているモノは、学生の財布には痛い、全て百五十円以上の高いパンのみ。今は閉店間際とあって、全て五十円引きされている。
焼きそばパン、唐揚げと玉子のサンドイッチ、コロッケパンに、ハムカツサンド。
売れ残った惣菜パンゾーンから、菓子パンゾーンへと視線を移動していく。
そして、残っていた菓子パンを見て、俺はようやく彼が何に悩んでいるのか分かった。
「もしかして、三角パンって何? ってなってる?」
下から覗き込むように声をかけると、彼はビクッと身体を震わせると、僕の方に勢いよく視線を向ける。長い前髪の隙間から、少し重ための一重の目が大きく開かれた。
数秒の沈黙の後、俺の問い掛けに戸惑い視線を逸らしつつも、遠慮がちに小さく頷いた。
確かに、値札の三角パンって名前だけでは、どんなパンなのか分からない。実際に見た目も三角の形をしたパンということだけしか、情報は無い。
惣菜パンと比べようにも、難しかったのだろう。
「このパン、俺のオススメでさ、本当に美味しいんだよ」
それならばと、俺は三角パンを勧める。
こんがりと濃い目の柴犬色に焼かれた三角パンは、購買の名物のパンだ。
近所にある老舗のパン屋から仕入れているもので、お店ではすぐ売り切れてしまうし、購買でも売り切れてしまうことがほとんど。
今日は珍しく二つ残っており、これは是非食べてもらいたいと、食いしん坊の俺の血が騒いだ。
「ふわふわの食パンの周りを、ソフトなクッキー生地で包むことで、サクッとふんわりしているんだ」
何度だって食してきたパンだからか、美味しそうに伝えるのは朝飯前。彼は未だ一言も発していないが、逃げる気配なく、話し始めた俺の目を見ながらじっと聞いている。
「なにより、中のクリームが特別なんだ、パンの甘さと凄くマッチしててさぁ。どうかな」
このパンの一番の売りである中のクリームは、食べてからのお楽しみにしていてほしく、敢えてココではぼかす。彼は俺と三角パンを交互に何回か見た後、遂に小さく頷いた。
「じゃあ……これ、一つ」
本当に微かな声。がさがさと枯らしており、喉を痛めているのかと思うほど。
パンを示す指先も、力が入りづらいのか関節が伸びきっていない上に、目も少し赤く潤んでいる。
まるで病み上がりで、今もあまり体調も良さそうではなさそうだ。
これでは、たしかに喋るのも辛いかもしれない。
(どっかで、倒れたら危ないよな)
ちょっと傍にいた方が良いかもと、せめて駅までは送ってあげようなんて、お節介にも考えてしまった。
友人たちが知ったら、世話焼きすぎだとまた呆れられそうだが、流石に体調悪い人にはどうしても心配になってしまうのは仕方ない。
彼は小さな赤いがま口財布から小銭をつまみ上げる。そして、俺も同じくポケットから小銭を取り出した。
おばちゃんは、「三角パン、一つ百円だね。ありがとうね」と僕たちから小銭を預かった後、三角パンをそれぞれに渡した。
彼は俺に頭を下げて帰ろうと、後ろを振り返った。しかし、その動作に身体が追いつかなかったのだろう。ぐらりとバランスを崩した
危ない。
咄嗟に、俺は彼の大きな身体を支える。
その体温は驚くほど熱く、余計に心配になってしまった。
「良ければ、近いベンチ知っているから、少し休みながら一緒に食べようよ」
脊髄からでた俺の急かつお節介な申し出に、彼は驚きながらも、また小さく頭を縦に振った。