夜月があの日はまゆう公園で消えてから、数日が経った。
 ぽっかりと、心には穴が空いてしまった。だけど、私はその穴に向かって『頑張るよ』と宣言するように、日々を力強く生きている。

 夜月の誕生日である十月八日にみんなで花栗家を訪ね、それぞれ誕生日プレゼントを買って仏壇にお供えした。といっても、物だと美夜さんたちが困っちゃうだろうから、夜月が好きそうな食べ物をみんなでお金を出し合って。

 試験期間中だったけれど、彩も宮下も私が言い出すまでもなく夜月の家にお邪魔するつもりだったようで、私にはそれがとても嬉しかった。夜月がみんなに愛されていて、心が温かくなった。

 私は学校をサボっていた時期のせいで他の人より勉強することがたくさんあり、正直心が折れそうになることもあった。留年さえしなければ、もう赤点でもいいんじゃない? と思ってしまうぐらい。

 だけど、彩がいじわるな顔で『夜月くんが心配しちゃうかもよ~』なんて言ってくるものだから、それはいけないと死に物狂いで頑張った。桔梗は俺がいなくても大丈夫そうだ――そう思ってもらわないと。

 そして、なんとか試験を乗り切ったあとの土日、彩と宮下と一緒にファミリーレストランで打ち上げをすることになった。
体育祭や文化祭みたいな大きなイベントではなかったけど、私が奮闘していたのを間近で見ていたから、お祝いする気分になってくれたのだと思う。

 そしてその場で、私は夜月のことを話した。

「あのね、笑わないで聞いてほしいの――」

 そんな風に切り出して、私は半透明の姿で現れた、愛しい人の話を。

 もしかしたら、『変なことを言いだしたぞこいつ』と思われてしまうかもしれない。彩や宮下に限ってそんなことはないけれど、確率がゼロとは言い切れなかった。信用が無いとかそういうわけじゃなくて、私を心配するあまり、病気を疑われるかもしれないと思った。

 だけど、二人は私の前に現れた夜月のことを信じてくれた。
 それには信じるに足る、理由があったからだそうで。

「なるほどね~。私はきーちゃんが見た幻覚じゃなくて、夜月くんの幽霊だと思うなぁ。だって夜月くん、こういうの好きそうじゃない? 死んでなお好きな人のもとに現れるなんて、絶対好きだよ」
「たしかにな。あいつならやりかねない」

 そんな風に言いながら、二人はおかしそうに笑う。
 私も彼が私の見る幻覚なのか、それとも幽霊なのかは、最後までわからないままだった。

 私が知らず、夜月だけが知っていてもおかしくない家族の状況を彼は『覚えていない』と言っていたし、死んだときの状況も、私でも知っているようなものばかりで、夜月からもたらせる新しい情報はなかったからだ。

 私が作り出した幻覚でも説明できてしまうような振る舞いを、彼は見せていたのだ。
 だけど、たった一つだけ、彼が幻覚でないからこその反応を見せたことがある。

 あの、南京錠のことだ。
 私が引き出しの中に何があるかもわからない状態で、かなり恥ずかしそうにしていた。それは、幻覚ではありえないことだと思うのだ。

 夜月が消えた翌日に私はそのことに気付いた。だからいまでは、彼は私のために現れてくれた幽霊だったのだと強く思っている。

「幽霊にまでなって出てくるとは、きーちゃんのことがよっぽど心配だったんだね」
「まぁ、その割には色々お願いされたけど」

 私の心を癒すために現れたにしては、やれ友達に会いたいだとか、やれ遺影をみたいとか、やれ学校に行きたいだとか、結構振り回されたような気もする。

 まぁ夜月のお願いを叶えると思えば、苦ではなかったかな。

「実に夜月らしいやり方だよな」

 宮下がそう言うと、彩が「どういうこと?」と首を傾げる。私も宮下の言葉がよく理解できなかったので、同じように首を傾げた。

「あれ? もしかして二人ともわかってない?」
「その言い方むかつくんですけど~」
「もったいぶらないでよ」
「――う、わ、悪かったよ。ちゃんと説明するから、そんな汚いものをみるような目を向けるなって」

 宮下は焦ったように言いながら顔を引きつらせる。
 煽るような言い方をする宮下が悪い。しかも他でもない夜月のことで私にマウントをとろうとするとは――いやまぁ、付き合いは宮下と夜月のほうが長いんだけどさ。

 やっぱり夜月の彼女としては、イラっとしてしまうわけですよ。
 嘆息する私たちに向けて、宮下は「まぁ真実は夜月にみぞ知ることではあるんだけど」と前置きをして話し始めた。

「白百合から聞いた夜月のお願いなんだけどさ、あれ、白百合はひとつひとつ別個に考えてるみたいだったけど、俺には全部通して一つのことなんじゃないかと思うんだ。というか、俺はそう確信してる。夜月っぽいし」

 全部通して一つの願い……?
 でも、はまゆう公園とか遺影とかクラスメイトとか、あんまり繋がりがないように思えるんだけど、宮下にはそう見えていないのだろうか? 私や彩とは別の、何か違うのものが見えてるのだろうか?

「俺から見たその願いは、全部『白百合桔梗を元の生活に戻すため』に見えるぜ」

 宮下が口にした言葉を頭のなかで反芻し、考える。

 私を元の生活に戻すため……?
 はまゆう公園に行くことが、いったいどうして私を元の生活に戻すことに繋がるの?
 ただ、思い出の場所に一緒に行きたかったからじゃないの?

 未だ困惑気味の私に、宮下は「一から俺の考えを説明していくぞ」と言った。

「はまゆう公園に行く前とあとで、何が変わった?」
「何が変わったって言われても――何か変わったっけ? まぁ、思い出を振り返ることはできたけど。それぐらいじゃない?」
「家族と話すようになっただろ」

 宮下は探偵が推理を披露するかのように、ドヤ顔で言ってくる。

「……まぁ、たしかにそうだけど。夜月が『星が見たい』、『一人じゃ危ない』って言うから仕方なく」

 そんな私の言い分を伝えてみるが、宮下は取り合わずに話を進めた。

「次はわかりやすいよな、友達の状況が知りたいってやつ。これをきっかけにして、白百合は目を逸らしていたスマートフォンの電源を入れたみたいだし、赤石と連絡を取り始めた」
「……うん」

 それも、夜月の願いを叶えるためには必要なことだったから。

「次は電話の声が聞こえないからって、赤石を会ったよな。実際に聞こえてたか聞こえなかったかわからないけど、直接会う必要があった。遺影を見に行くためには、外出する必要があった。クラスメイトに会うためには、学校に行く必要があるよな?」
「そう……だけど。それが全部、私のためだってことなの?」
「まぁ全部が全部そうなのかは俺もわからないけど、白百合も夜月のお願いだから頑張れたってのもあるんじゃないか? 単純に『家族と頑張って話せ』、『頑張って学校に行け』って言われるよりさ」
「…………なる、ほど」

 ……それが本当だとしたら、なんて遠まわしなやり方なんだろう。キザなやつだ。
 あくまで『自分のお願い』というていで話をしておきながら、それが私のためだったなんて。
 つまり夜月は自分の願いを叶えるためじゃなくて、私を助けるために半透明の体で私の前に現れたってことだよね。

 てっきり彼自身の未練を無くすためだと思っていたけれど――いや、私を残して死んでしまったことが未練だったとしたら、絶望の淵にいた私を見て成仏なんてできるはずもないのかも。

「……はぁああああ、そう言われてみれば、夜月っぽいよ。宮下の言う通り」
「だろ?」
「私より先に宮下が気付いたのが悔しい」
「ははっ、まぁ第三者のほうがわかりやすかったのかもな」
「ちょっと! 私も第三者なんですけ!」
「あ、ごめん。彩のこと忘れてた」
「ぶっ飛ばすよ!?」

 そんな風にじゃれ合う二人を見ながら、私は頬にツゥっと一滴の涙を流していた。
 私は涙が流れたことに気付いていなかったけど、隣に座る彩が私の頬をハンカチで拭ってくれたことで『あぁ、涙が流れたんだ』と気付いた。

「私も、亮くんの話を聞いて納得した。たぶん――いや、絶対そうだよ! 夜月くんはきーちゃんを助けるためなら、幽霊ぐらいなっちゃいそうだもん」
「やっぱりそうなのかなぁ」

 まぁ幻覚にしては、床から足が離れなかったり、ベッドに座れたり、電話の声が聞こえなかったり、変なルールのようなものがたくさん――ん?

 ふと、おかしなことに気付いた。

 夜月、電話の声は聞こえないって言ってたよね? 意思がないと聞こえないとかなんとか――そんなことを言っていた気がするけど、それよりも前にテレビのニュースは普通に見てたし、キャスターさんの言葉にも反応してたよね?

 テレビは聞こえて、電話の声が聞こえない――そんなことはないだろう。
 つまり、夜月は電話の声が聞こえているのに、私に『聞こえない』と言ったわけだよね。
 その理由はきっと――先ほど宮下が推理してくれた通りなのだろう。

 全ては、私のために。

「宮下と彩の言う通りかも。キザな男だよね、夜月」
「わかる。夜月はかっこつけたがり」
「亮くんも人のこと言えたもんじゃないけどねー」
「そ、そんなことないですけど!?」
「――ふっ、あははっ」

 彩と宮下のやり取りが面白くて、思わず笑ってしまった。
 彩が拭いてくれたほうとは逆側の目じりに溜まった涙を人差し指で拭い、私は気合を入れるように「よし!」と口にしながらメニュー表を手に取る。

 もうすでにデザートは食べたし、ドリンクバーも各自二杯ずつは飲んだ。お腹は七分か八分ほど。
 だから私の行動を見て、二人は同時に顔を引きつらせていた。

「なぁ彩。俺は今すごく嫌な予感がしてるんだが」
「き、奇遇だね亮くん。私もなんだか寒気がするよ。そしてお腹がぐるぐるしてる。助っ人に洋くん呼んでもいいかなぁ」
「是非そうしてくれ」

 そんなことを言う二人を無視して、私は呼び出しボタンを押す。

 それぞれ二人に視線を向けると、彼らは勘弁してくださいとでも言うような視線を返してくる。そんなに心配しなくても、私は一人で全部食べる気だからね。前回頼んだ時に、もうボリュームは把握しているのだ。

 まぁ、どうしても無理だったら手伝ってもらうけど。
 でも、宮下も夜月のせいで二キロ痩せてしまったと言っていたし、彩だって夜月が死んでから三日も休んでいるというのだから、体重が減ってしまっていてもおかしくない。

 そして私自身も、少しずつ食べる量も増えて、体重も増えてきているのだけど、まだ元の体重には戻り切れていない。筋肉もつけないといけないから、今の私にはお肉が必要だ。

 このままじゃ、夜月がまた私を心配してしまうかもしれない。私たちを心配してしまうかもしれない。
 それじゃあダメなのだ。

 私は大丈夫。私は強くなったよ。あなたに甘えなくても、生きていけるよ。
 そう宣言するように、私はやってきた店員さんに向かって、

「トリプルハンバーグください」

 そう言ったのだった。




【その想いは『一生』を超えて】        ~了~