彩と会って、夜月の家でお線香をあげた日の翌日。

 昨日は夜月の家に行った帰りにファミレスによって、それからまた彩と少し話してから解散となった。お昼ご飯を食べて、話していると眠気が襲ってきたので、夕方の四時ごろに私から「もう限界、眠い」と切り出したのだ。元気な時ならば日が暮れるまで遊んでいたところだけど、久しぶりにこんなに人と喋ったから、思った以上に疲れてしまった。

 いや、夜月と話していて疲れることはないから、外出という行為に疲れてしまったのかもしれない。夜月の家に行くということも、美夜さんと話すということも、私にとってはリラックスできるようなイベントではないから。

 家に帰ってからシャワーを浴びて、夕方の六時ごろに寝た。十時間寝て、朝の四時に起きた。
 彩と一緒に外出できたおかげで、狂っていた時間間隔が正常に戻りつつある。

 今日も頑張って夕方近くまで起きていたら、睡眠はしっかりとっているので、このまま昼夜逆転を正せることができるかもしれない。
 朝起きてからは、夜月に応援されながら目を逸らし続けていたスマートフォンの通知に目を向けた。クラスメイト数名、お父さんやお母さんからのメッセージもあった。

 なかでも目立ったのは、宮下のメッセージだ。

 彩と同レベルとは言わないが、それに近いぐらい、宮下は私を心配するメッセージを送ってきてくれていた。彼からの着信は一件のみ。ダメ元で掛けてみたのだろう。

 学校の昼休みの時間に合わせて、私は宮下に『返事してなくてごめん。少し元気になってきた。心配ありがとう』という可愛らしさも何もない文字だけのメッセージを送った。

 そしてスマートフォンを枕の上にポンと置いて、一息を吐く。

 別に嫌いな人にメッセージを送る訳じゃないのに、やけに疲れちゃうな。彩と会って話して、少しずつ元の自分に近づいているとは思っていたのに、やっぱりまだ本調子にはなれそうにないかも。
 それでも、前に進んでいるのはたしかだと思う。のそのそと、カメのようなスピードかもしれないけど。

「亮もな~、俺らとつるんでなきゃ、彼女の一人や二人できていただろうに。顔は悪くないし、性格も良いし」
「なに? 自分のほうがイケメンだって言いたいわけ?」
「実際イケメンだろ?」
「――ふっ」
「鼻で笑うなよ……傷つくぞ」
「冗談冗談、かっこいいかっこいい」
「二回言う奴は信用ならねぇ。それに、無理やり言わせてしまった感じがする」

 拗ねたようにそう言った夜月は、ベッドに腰掛けていた状態から上半身を倒す。そして近くにあったビーズクッションを手に取ろうとして、空振りしていた。ベッドに座ることはできるけど、やはり何かに触れようとすると空振りするらしい。

 悔しそうに呻く夜月を見ていると、本当に夜月そのものを見ているようで、彼がこの先消えていなくなるということが想像しづらかった。

 もしかしたら、夜月はこのまま幽霊の状態で、ずっと存在し続けるんじゃないだろうか。
 いまの夜月は現状を苦しんでいる様子もないし、彼にとってもあの世にいくよりマシなんじゃないだろうか。そう思えてしまった。

「ねぇ夜月……あなたって――」

 ――このままじゃダメなの? 成仏しなくてもいいんじゃないの?
 そう言いかけたところで、スマートフォンが震えた。画面を見てみると、どうやら早くも宮下から返事が来たようだった。

「どうした?」
「……ううん、なんでもない。宮下から返事が来た」

 夜月に返事をしながらメッセージアプリを開いて内容を確認すると、

『いっぱいメッセージ送って悪かった。すこし元気になってきたんだってな。彩が嬉しそうに教えてくれたよ。また落ち着いたら、俺にも顔を見せてほしいな』

 そんな感じの、私を気遣うような優しいメッセージを送ってくれていた。
 先生に保健室で休むことを促されるぐらい自分もつらかったはずなのに、そんな気配は微塵も見せずに。

『ありがとう宮下。学校は……どうしようかな。クラスのみんなはどんな感じなの?』
『気にすんな。クラスのやつらは、やっぱり一週間ぐらいはずっと暗かったよ。ふざける奴も一人もいなくてさ、どんよりしてた。でも徐々にそれも回復してきて、今週からはわりといつも通りだったかな。なんか、俺も変な感じなんだよな。夜月がいなくなったってのに、日常に戻ろうとするこの空気がさ、気持ち悪かった。もしかしたら俺は、みんなずっと暗いままでいて欲しかったのかもしれない。みんなずっと、夜月のことを引きずっていて欲しかったのかもしれない』

 悪事を独白するかのように、謝罪するかのように、宮下は語った。文字を見るだけでも、いま宮下がどんな表情を浮かべているのか、なんとなく伝わってくる。

「……暗いままでいて欲しかった――か」

 宮下が語ったその言葉を小さく声にして反芻する。私は彼の言いたいことが、十二分に理解することができた。自分の中にもやもや渦巻いていた感情を彼がわかりやすく言語化してくれたような感じがして、スッキリしたような気もする。

 そう、きっと私はもっと夜月のことでみんなに悲しんでほしいのだ。私に『可哀想な人』とレッテルを張って眺める余裕なんて無くしてしまうぐらいに。

 そう、思うのだけど。
 でもそれと同時に、このままじゃいけないという思いもたしかにある。

 宮下の言っているような思いもあると同時に、立ち直ることは正しいことだ――そういう理性的な面も、私の中にはたしかに存在している。

『宮下の気持ちは、私もわかるよ』
『そっか。でも、いつまでもだらだらしてたら、きっと夜月は「俺の存在がでかいせいだな、悪い悪い」なんて言って笑ってくるぜ。それはちょっとムカつく』
「――ふふっ」

 言いそうだなぁ。夜月。
 そんな風にナルシストのような振る舞いを見せてきちゃうから、私も夜月のことを素直に褒めづらいんだよ。そこのところ、夜月は気付いてるのかな。

「なになに、亮のやつ何言ったの?」
「夜月が自意識過剰だって」
「む……そこは自信家といってほしいな」

 ほら、こういうことを言う。でも夜月のこういうところも、私は好きなんだ。彼のこのポジティブなところは、私が持っていない部分だから。ないものねだりをしているだけなのかもしれないけど、私にはまぶしく見える。

 鼻をツンと上に逸らしながら堂々と言う夜月を見て再度笑ってから、宮下に『そうだね』と返事をする。
 メッセージを返すのが、だんだん億劫じゃなくなっている。通知が届くことが、脅迫ではなくなっている。

 それはつまり、私もみんなと一緒で夜月の死を忘れようとしているということなのだろうか。そう思うと、自分が薄情な人間にも思えるけれど、いま本人が隣にいるから、私はまたみんなとは少し違う感じなんだろうな。

 死んだ最愛の人が傍にいる生活というのは、ネットの海を探したら前例とかないのだろうか。もしあるのなら、ぜひ参考にさせてもらいたいし、共感もしたい。

『いまちょうど彩と話してたんだけど、明日外に出てこれたりする? またファミレスで話さねぇ? 今度は俺も加えてさ』
「明日……土曜日か」

 学校とまでは言わないけれど、休日に外出するとなればそれなりにたくさんの人とすれ違うことになるだろう。そして、その中に同じ高校の生徒がいないとも限らない。
 特定の誰かならまだいいけれど、不特定多数から変な視線は浴びたくないな……。

「どうしたの?」

 スマートフォンの画面を眺めながら固まっていると、寝転がっていた夜月が体を起こす。

 画面を覗き見ようとしてきたので、とっさに隠した。別に、後ろめたいことはないけど。なんとなく。
 しかし夜月はそんな私の行動を疑問視することもなく、視線を私に向ける。そして再度「どうしたの?」と問いかけてきた。

「えっと、明日、彩と宮下がファミレスに行かないかって」
「え!? いいじゃん、行こうぜ! それなら俺も今の亮を見れるし! あいつ、俺の机の花瓶の水を入れ替えてくれてるんだろ? なでなでしてやるかぁ~」
「絶対嫌がられると思う、それと、そもそも夜月は宮下のこと触れないでしょ」
「気分だけでもな」
「いつかチクってやる」

 そんなバカみたいなやり取りをすると、なんだか視線のことは気にしなくてもいいかと思えてきた。夜月が言ったように、見たいものだけ見ておけばいいかと、楽観的になることができた。

 夜月がこうして現れてくれなかったら、今頃私はどうしていたんだろう。
 たぶん、部屋にこもって家族との会話も挨拶だけ、スマートフォンの電源は付けずに、外に出るなんて論外――そんな生活を、今も続けていたんだろうなぁ。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 翌日。
 待ち合わせ場所に着き、顔を合わせるなり宮下は私を見ながら苦しそうな表情を浮かべた。親しくない人だったら『そんな目でみないでほしい』と思っていただろうけど、彼なら『心配かけちゃったな』と思える。

 私は苦々しい顔つきの宮下に対し、こちらは笑みを加えて苦笑しながら「久しぶり」と言った。

「……ちゃんとメシ食ってるか?」
「その言葉、会う人みんなに言われるんだけど」
「いや、口にせずにはいられないというか……その、すまん」
「でもきーちゃん、おとといよりふっくらしてる気がするよ! その調子でぶくぶくに太らなきゃ!」
「ぶくぶくに太りたくはないかなぁ」

 私がそう言うと、後ろから「太った桔梗か……想像できないな」と聞こえてくる。
 勝手に私を想像の中で太らせないで!

 心の中で夜月に怒りを伝えると、すぐさま「ごめんごめん」と返事がくる。
 二回言う奴は信用ならねぇとか言ってなかったかな。このばかは。反省しなさい。

 宮下は私や彩と最寄り駅は違うけれど、わざわざこちらに足を運んでくれた。
 ベージュのパンツに、白の長袖シャツ。その上にアーガイル柄のニットベストを身に着けている。ベストは茶色とオレンジなどの秋らしい色合いで、彼の柔らかい雰囲気とよく似合っている。秋が似合う男子だ。

 そして彩は、薄い色のデニムのパンツに、控えめに柄が入った白のTシャツ。まだ夏を引きずっているような、これまた彼女らしい私服姿だった。

 私は濃いグレーのパンツに、モスグリーンのセーター。無意識に服を選んでいると、自然に暗い組み合わせになってしまった。別に気分が暗いというわけじゃなくて、明るい服に手が伸びなかったという理由である。

 暗いものにしたかったわけじゃない、明るいものを避けた結果、こうなった。
 まぁ別に、この組み合わせが嫌いなわけじゃない。夜月も似合っていると言ってくれたし、去年だって同じ服を着ていた。早い話、私がこういうところに敏感になってしまっているだけなのだ。

 昼の二時に駅で待ち合わせをして、そこから歩いて行ける場所にあるファミリーレストランにやってきた。みんな昼食を済ませてきたから、食事というよりも、本当にただ話をしにきただけ。

 どうやら、この時間に待ち合わせを設定したのは、彩が私の昼夜逆転を戻そうとしているかららしい。宮下がこそっと私に教えてくれた。

 店内に入り、四人席に案内される。私と彩が隣、向かいには宮下が座った。ちなみに宮下の隣には、しれっと夜月も座っている。やはり私以外には触れられないようで、宮下の頭を撫でようと頑張っていた。何やってんだか。

「きーちゃん、これ食べたら? トリプルハンバーグ!」
「重たい重たい……ドリンクバーとデザートだけでいいよ」
「白百合……ちゃんと食べてるよな?」

 私と彩のふざけたやりとりを聞いていた宮下が、心配そうな表情を浮かべて聞いてくる。何回言っても答えは変わらな――あぁ、さっきはちゃんと答えてなかったか。

「食べてるよ。いきなり増やすって感じじゃないけど、ちょっとずつ増えてるから」
「そ、そっか。ならいいんだけど」
「じゃあ宮下がこのトリプルハンバーグ食べなよ。体大きいんだし、食べられるでしょ?」
「いや、俺は昼飯にラーメンとチャーハン食ったからドリンクバーとデザートでいい」
「私と一緒じゃん! 私もお昼ご飯食べてきたから入らないの!」

 思わずツッコみを入れると、三人とも周りに迷惑じゃないかってぐらい笑っていた。笑わせるつもりで言ったわけじゃないから、ちょっと恥ずかしい。夜月は周りに声が聞こえないことを良いことに、ゲラゲラと笑っていた。

 宮下は笑いながら目じりを指で拭い、「でも、よかったよ」と口にする。

「やっぱりさ、つらいことがあったあとだし、白百合はずっと家にいただろ? 人と喋ることもすくなかったみたいだけど、案外しっかり声が出るじゃん」
「まぁ……自分でも意外に声が出たなとは思った――でも、周りに迷惑だから宮下も彩も笑いすぎないでよ」

 私が声を出せているのは、夜月とずっと話していたからだろう。もちろん彩とかお父さんお母さんの影響もあるけど、ここ最近で一番会話をしているのは夜月だから。

「きーちゃんが笑わせるのが悪いんじゃん」
「もとはと言えば宮下のせいでしょ!」

 私のツッコミに再び笑いだす三人にため息を吐いた。夜月の死というイベントを終えて、日常に戻ってきた感覚になった。彼のいない日常を、私たちは日常と認識し始めてしまっている。少なくとも、彩と宮下は。

 目の前に夜月が見えてしまう私は、いったいいつになったら、彼のいなくなった世界を受け入れることができるのだろうか。



 私は抹茶パフェ、彩はパンケーキ、宮下はチョコレートケーキ。そしてそれぞれドリンクバーを頼んで、ゆっくりと飲み食いしながら話をする。

 食べる量が増えてきたからなのか、体に活力が戻り始めていて、いまなら五時間ぐらいぶっ通しで話せる気がする。毎日夜月とたくさん話しているおかげでもあるから、食事のみが要因ってわけじゃないけど。

 やっぱり、ご飯って食べないとだめなんだなぁ。

 食べ物が喉を通って胃にたどり着いてくれるだけでも、ありがたいことなのだと実感する。よく健康は失ってからありがたみに気付くと言うけれど、まさにそんな感じ。当たり前すぎて、それがなくなることが想像できないのだ。

「真面目な話さ、きーちゃん学校はどうするの? 先生に聞いたら、年間三十日以上休んだらかなりヤバいみたい。まだきーちゃん十日ぐらいしか休んでないから、平気と言えば平気なんだけど」

 彩がコップに刺したストローに下唇をくっつけたまま、声を掛けてくる。

「え? それだけしか休んでないかな? もっといっぱい休んでる気がしたんだけど」

 正確な日数は数えていない。
 でも逆算すれば――えっと、夜月の命日が九月十二日で、今日が九月二十八日だから、もっと休んでることにならないかな?

「土日があるし、九月の後半には敬老の日と秋分の日があったからな。そもそも学校がいつもより少なかったってのもある」
「あぁ、祝日もあったね、そういえば」

 部屋に引きこもって外の情報をシャットダウンしていた私には、祝日はおろか曜日すらよくわかっていなかったからなぁ。
 じゃあ私は、自分で思っていたよりも学校を休んでいなかったんだ。

 スマートフォンのカレンダーを見ながら平日の日数を指をさして数えてみると、ぴったり十日しか休んでいないことになっていた。本当だ、思っていたよりも休んでない。

「きーちゃん。学校行くの、つらい?」

 彩が不安そうに聞いてくる。夜月も宮下も、私に同じような目を向けていた。

 つらいかつらくないかで言えば……どうなんだろう。もう、行くことはできる気がする。
 全てがどうでもよくなって、自ら命を絶つことすら考えていたあの頃を思い出したら、もう今の私は平常運転に戻ったと言っても過言ではないぐらいだ。

 それぐらい、心が戻ってきている。
 死んだはずの夜月が見えているというこの状況で、心の傷が塞がっているというのは正しい治療の仕方ではないから、単純な話じゃないんだけど。

 まるで心が壊れるのを阻止するために、防衛本能が働いたみたいだ。
 そう考えると、幽霊の可能性が高いと思っていたこの夜月は、私が作り出した幻覚であるという可能性も上昇する。

 だとしたら、心が回復しているとは言いづらいかも。
 まぁ、そこのところを抜きにして考えてみると、

「つらくはない……けど、みんなにどんな目で見られるのかが、ちょっと怖いかも。痩せちゃったし」

 私がいま不安に思っているところは、そんなところ。

 白百合の彼氏、死んだらしいよ。
 うわっ、可哀想~。
 メンタル病んでるんじゃない?
 そんな風に陰で言われることを考えると、億劫であることはたしかだ。

 悪気があってそんな風に話す人はいないと思う――思いたい。でも、野次馬のように私を見て楽しむ人はどうしても生まれてしまう気がした。そして今の私の姿――みんなに『ちゃんと食べてる?』と言われるようなこの姿じゃ、余計に心配だ。

 でもこれはあくまで、私が我慢すればいいだけの話だ。
 夜月の死のショックとはまた別物。すなわち、ため息を吐けるような問題ではあるのだ。
 本当につらかったらため息なんて吐くことができないと、私は知っている。

「よし、じゃあ俺が痩せるか」

 唐突に、宮下がそう言って私のほうに半分だけ食べたチョコケーキをスライドさせてきた。意味が分からないんだけど。

 食べかたは綺麗だけど、女子ならまだしも男子の食べかけには手をつけたくない。汚いとかは思ってないけど、夜月にも他の女子とそういうことしてほしくないし。

「何言ってんの? ばかなの?」

 私の代わりに彩がツッコんでくれるが、それを物ともせずに宮下は自信満々に言葉を並べてくる。

「赤石こそ何を言ってるんだ。俺だってショックで飯が食えなくて二キロ落ちたんだぞ。それに、俺は夜月のことを一番の友達――親友だと自負している。だったら俺がショックでやせ細ってもおかしくないはずだ。そして俺が白百合以上に痩せてしまえば、俺がみんなの視線を独り占めだ」

「ばかなの?」

 あまりにも脳筋すぎる考えを披露してくるものだから、私もつい彩と同じツッコミをしてしまった。宮下の隣では夜月が「お前天才かよ」なんてばかなことを言っているし……同類だなぁ。だからこそ、仲が良いのかこの二人は。

 呆れてため息を吐きながら、私はこちらに寄せられたチョコケーキを宮下の前に押し返す。これはいただけません。
 しかし彼は、そんな私の行動を視界に入れながらも視線は真っすぐと私の目を見ていた。

「真面目に言ってる。別に俺は、人の視線とか気にしないし」
「そういう問題じゃなくてさ……たぶん宮下がいまの私以上に痩せるってなったら、十キロ以上落とさないといけないんじゃない? もともと宮下って筋肉質だし。それにそんな病的な痩せ方したら、学校に来れないでしょ。たぶん倒れちゃうよ」

 ジト目を向けながら正論パンチをかますと、宮下は腕を組んでうなる。彩は再び宮下に向かって「ばかなの?」と言っていた。いちおう進学校だし、宮下の成績は悪くないはずなんだけど。

 はぁ、なんで私なんかのために、そこまでしてくれるんだろう。
 彩は学校サボっちゃうし、宮下は不健康に痩せようとするし。

 ため息を吐きながら、私は店員を呼びだすためのボタンを押した。
 そして、頭にハテナを浮かべている三人を無視して、私はやや好戦的な口調で店員に言ってやった。

「トリプルハンバーグください」

 ここまでしてくれる友達に向かって、『私は大丈夫だ』――そう宣言するように。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ファミレスから帰ってから、家での夕食は外で食べたということでパスをして、お風呂に入って、休日らしい休日を過ごした。家族とも話をするようになったし、夜は一緒にテレビを見たし、本当に、日常に戻ってきた感じがする。

「いやー、あの時の桔梗は、俺の中でトップスリーに入るぐらい輝いてたね。そしてあの時の亮と彩の顔がな――くくっ、最高だったなぁ。俺の中で名言入りだぜ。『トリプルハンバーグください』は」
「うっ、うるさい。私だって、ちょっと暴走しちゃった自覚はあるよ」
「桔梗にしては珍しい行動だったかもなぁ」
「だって、あんなに私のために身を粉にしてくれてるんだもん、私が何もしないなんて、できないよ」

 まぁ、食べている途中でめちゃくちゃ後悔したよね。自分に向かって『ばかなの?』って言いたくなった。平常時でもこんな量の食事を食べられるわけがないのに、何を考えているんだとツッコみたくなった。

 注文したからには限界まで食べてやろうと思ったけれど、私の胃袋では一個半が限界だった。吐くまではなかったけど、しばらく席から動けないぐらいお腹が苦しくなった。

 半分は彩が食べてくれて、もう一つは宮下が食べてくれた。そして申し訳ないことに、宮下が「こういうこと、やってみたかったんだよね」といつの間にか会計を済ませてくれており、私と彩はありがたく奢られることになってしまった。

 私も彩も、宮下に紙幣を押し付けようとしたけど、おにごっこでもしているかのように走って逃げられた。胃袋がはち切れそうな私には、到底追いつけないような速度で。

「それにしても、やっぱり亮はいい男だと思わねぇ? あんなに性格のいいやつ、俺は知らないね」
「……ふーん」

 私はそうは思えなかった。だって私の一番は、ずっと夜月のままだから。
 だけどそれを口にするのは恥ずかしかったし、言えば絶対に調子に乗ることが目に見えているので、心の中だけにとどめておく。

 私が夜月に『私にとっては、夜月が一番だよ』と言ったとして、照れながら『ありがとう』とか、『そうかなぁ』と謙虚な返事をくれるのならいいのだけど、彼はきっと『だよな!』とか『やっぱり桔梗は俺のことが大好きだなぁ』みたいなことを言いだしちゃうから、言いづらいのである。

 もう。もっと気軽に言わせてくれるような態度をしてほしい。私だって、気持ちを伝えたくないわけじゃないのに。

「ねぇ、なんで立ってるの?」
「そういう気分なんだよ」
「座ったらいいのに……」

 全てがいい方向に向かっているような気がするのに、夜月がいつものようにベッドに座っていないといだけで、私の心はチクチクと針で刺されるかのように傷んだ。
 なんて脆い心なのだろう。

 最近はずっと、私の隣で話を聞いてくれていたのに、今は窓の傍に立って、足をクロスさせて、ぼんやりと月を眺めている。たぶん、他の男子が同じような行動を取っていたら、『自分に酔ってるのかな』と思ってしまいそうだけど、夜月に対してはそう思わない。

 彼は、月を見るのが好きなのだ。私はそれを、よく知っているから。
 私がベッドで寝ている時も、あんな風に月を見ていたりする。

「もしかして、私が宮下といっぱい喋ったから拗ねてる?」

 私がからかうようにそう言うと、夜月は鼻で笑った。なんだか負けた気がする。

「亮相手に拗ねたりしねぇよ」

 私が全く宮下に対して恋愛感情を抱いていないことがわかっているからなのだろう。もしくは、いつものポジティブ精神で宮下より自分のほうが良い男であると考えているのか。

 どちらにせよ、夜月のその考えは正しいので、私は何も言い返すことができなかった。

「学校、行けそうか? 桔梗が大丈夫そうなら、俺も久しぶりに行ってみたいんだけど」

 会話が途切れたと判断したのか、夜月はそう言って話題を変えてくる。

「ほら、亮は俺のために花の水を変えてくれてるって言うし、その花を俺が見ないわけにはいかないじゃん? それにさ、みんながどんな風にいま過ごしているのか、できれば見てみたいし」

 まぁ、自分のためにお供えされたお花を一度も見ていないというのは――たしかにちょっとモヤモヤしてしまいそうだ。
 私は死者ではないので夜月の気持ちを百パーセント理解することはできないけれど、納得することはできる。

「いちおう、月曜日から行くつもり。行くとしたら、彩と一緒にだけど。一人じゃ心細いし」

 普段は彩と別々に登校していた。
 同じ駅を利用してはいるけれど、中学校が違うぐらい距離は離れているし、私はいつも夜月と一緒に登校していたから。だからわりと、私と夜月というペアは、登下校の時間が被る生徒には認知されている。たまに駅で彩と会って、そこから一緒に登校することはあったけど。

 それにしても、学校か……きっと私が想像している以上に、みんな普通にしているんだろうな。でもみんなが私に向ける目は、普通じゃないんだろうなぁ。
 一人だったら、視線に耐えきれないかもしれない。

「おいおい、俺もいるんだぜ? 心細いなんてことはないだろ」

 私が弱気になっているのを見透かしたかのようなタイミングで、夜月が口の端を釣り上げ、かっこつけたように言ってくる。

「わかってるよ。頼りにしてるけど、周りに人がいるときはあまり積極的に話しかけてこないでよ? つい反応しちゃいそうになるから」

 ぶつぶつと横を見ながら独り言を呟く女子高生というだけでも怪しさ満点だというのに、それが人込みの中、しかも誰かと会話中に、この場にいない誰かと話をしていたら間違いなくヤバい人認定を受けてしまうだろう。それだけは絶対に避けなければならない。

「もちろん。俺を誰だと思ってるんだ。花栗夜月だぜ」

「なんの説得力もないんだけど」

 私の知る花栗夜月なら、『やべっ、ごめん』でなんでもやってしまいそうな気がするんだよね。そして悪びれた様子もなく『たぶん大丈夫だろ』なんて言っちゃいそう。致命的なミスをしたときは、土下座の勢いで謝ったりすることもあるんだけどね。
まぁ今回ぐらい、彼の言うことを信じて見ることにしようかな。