江の島の海は、こんな季節でも人がいる。
北海道に行きたかったけれど、今後の自分を考えると、旅費を出すのは控えようという気持ちになった。近場で気分転換できそうなところは……と考えていると、テレビのお天気コーナーが江の島カメラを映していた。つまりはそういうことだ。
「夏やないのに、人が多いんやね」
「さすがは神奈川屈指の観光地」
川崎から江の島までは、藤沢で小田急江ノ島線に乗り換えれば、あっという間だった。
「あの駅の竜宮城みたいなん、アニメで見たわ」
「私も。随分前のやつでしょ」
「そうそう。江の島で釣りをして世界を救うような、そんな話やった」
高校生の友情のストーリーだったような記憶がある。当時SNSのフォロワーさんがハマっていて、たくさんイラストが流れてきていたのを思い出す。
島の入り口には長い橋がかかり、そこを渡りきれば江の島本島となる。結構遠い。
「ここを、日本のモン・サン=ミシェルと言う人もいるみたいよ」
「……確かに信仰の島やったからねぇ。うん……。賛同はできへんけど、納得は──うん、納得は」
「無理に納得しなくても良いとおもう」
橋の最初は砂地で、その先が海になっている。ここが、潮の満ち引きで海面の位置が変わるのだろう。橋がなかった頃には、干潮で歩いて渡れていた時代もあったらしい。そうなると、確かにモン・サン=ミシェルのようなのかもしれない。
こんもりとした島を見ながら、今からこの中に入るのか、と思うと、少しワクワクした。
「ここの坂道が参道やんな」
島に入ってすぐに青銅の大きな鳥居が見える。その左右には土産物屋が並び、しかもその様子が──
「昭和っぽいね」
「私もそう思った。子どもの頃、こういう土産物屋たくさん見たわ」
まだ十時を過ぎたばかりだというのに、人が多い。
観光地然とした参道の中に、小さな郵便局とポストがあった。ここで生活する人の、息遣いを感じた気がする。
「あ! すっごい人だかり」
「なんやろう」
近付くと、クラゲせんべいと書かれてあった。
「テレビで見たことある。有名なんだって」
しかし、列がすごい。随分と並んでいるので、私たちは横目で見ながら通り過ぎることにした。
そこから少し歩くと、参道が終わる。
「この階段、登るの嫌やな……」
参道の終わりに現れた階段。赤い鳥居のあるそこは、江島神社一つ目の社殿辺津宮への入り口だ。良くテレビなどで見る江島神社の絵でもある。そこそこ急な階段が続き、途中で左右に綴れ折れているそれを、うんざりとした目で見てしまった。
「時に春香クン」
「なんだねホームズ君」
突然探偵にされてしまった。
「あそこにエスカー乗り場というものがあってだね」
「へぇ。もしかして、上まで?」
「らしいよ。チケットも売ってる」
とりあえず近付いて確認することにした。
辺津宮の赤い鳥居手前で左へ。上り坂と階段を少しあがると、そのエスカー乗り場だ。
「なんでこの階段の下から、乗り場を作らへんかったのやろ」
「この数段で設置価格が大きく異なったんだろうね」
地味に辛いと感じる数段を登り、近くに立っている係員さんに聞いてみる。どうやら、江島神社には三つの社があり、その社を結ぶ乗り物──エスカーがあるそうだ。なお、有料。
有料でも良い。楽ができるなら。
すぐに受付で一番上までのチケットを購入する。早速乗るか、と乗り場へ向かう。
「あ、かわええ」
「本当だ。この子は飼い猫なんですか?」
チケット確認の係の人の足元に、キジトラの猫がいた。顔が別嬪さんだ。
「野良猫なんですよ。でも慣れてるので撫でても平気です。さすってあげてください」
喉首に触れれば、にゃあと目を細める。「お前さん、かわええなぁ」と嬉しそうに春香が言うから、こっそり写真を撮ってやった。
「なに撮ってるんや」
猫に夢中だから気付いていないと思ったのだが、ばれていた。でも、なかなか良い写真が撮れた気がする。
後ろから客が続いたので、名残惜しいがその場を去ることにした。すぐ奥にエスカーがある。
「……エスカーって、エスカレーターの略やったのか」
「それは、本当にそう」
「もっとこう、ゴンドラ的な……」
「わかる」
私の目の前に広がるエスカーは、期待に反してただのエスカレーターだった。一度乗り継ぎがある。
「あっという間にここまで来られるんか。便利やな」
登り切った先は、先ほどの綴れ織りの階段の先。江島神社一の宮である辺津宮のある高台だ。目の前には手水場。お参りという意味では若干ズルをした気分にはなるけど、便利なのは良い。楽ちんだ。
「平日のこんな時間やのに、混んどるなぁ」
すでに階段の方まで列が続いている。並ぶとなると、せっかくエスカーで上がってきたのに、また少し階段を降りねばならない。
「この先にあと二回社殿があるみたいよ。そっちでお参りしない?」
「合計三つあるんか。それならどっかですればええな」
その行列を後ろにすると、小道に出る。目の前には秋の色を纏った桜の木が、その腕を空へとのばしていた。
「秋だねぇ」
桜木の紅葉に目を細める。
「桜は春って思ってしまうけど、秋の桜もええもんやな」
どのくらいぼんやりと立っていたのだろう。長いような、短いような。にゃあ、という声で我に返る。声の方を辿れば、斜め後ろの池に猫がいた。長さが一メートル半程度のひょうたん型の池には、亀がやたらといた。全部で……嘘でしょ? 八匹はいるんだけど。その亀を睨むように、猫が佇んでいた。あまりにも亀に真剣な猫に、私たちも思わず見守ってしまう。
しばらく見ていたけれど、猫も亀も微動だにしないので、移動することにした。
すぐ近くに、さらに上へ向かうエスカー乗り場があった。その先には階段と、坂も。勿論エスカーに乗る。今度は、乗り継ぎなしで外に出られた。
次の社は二の宮、中津宮。書かれている謂れには『市寸島比賣命』を祀っているとあった。
「あ! ここええわ。灯、見てみて」
社を背にすると階段が。
さわ、と風が通る。階段を上がってくる団体の観光客を避けて、見晴らしの良い灯篭脇へと立つ。眼下には江の島のヨットハーバーが見渡せた。
風が走る。その度に、海の上の小さな小さな船は、その帆を翻す。
微かに見える向こうには、鎌倉まで続く浜辺が。空は青く、秋の突き抜けた色を見せていた。
「気持ちいいねぇ」
「うん」
冷たい風なのに、寒く感じない。頬を冷やすそれは、私のモヤモヤしていた気持ちを少しずつそぎ落としていってくれる。
「ここはお参りできそうやな」
辺津宮の行列はなんだったのか。皆上までは来ないのか、来るまでにバラけるから混まないのか。ほんの三人の列の後ろに並ぶ。
お参りのあとはまたしてもエスカー。今度は乗り換えはなかった。
「あれ」
「どしたん?」
「予想ではここに、三番目のお宮があると思ったんだけど、ないかと思って」
「確かに! 今までの流れやったら、ここにあるはずやなぁ」
きょろり、と見渡すがそれらしいものはない。
「まあええわ。そのうち出てくるやろ」
「そうだね。せっかくの観光だし、ふらふらしよ」
目の前が開けた広場になっており、少し先には大道芸人が準備をしている。もう少ししたら、何かが始まるのかもしれない。
その奥にあるのが、サムエル・コッキング苑。中に遺構のようなものが見える。入園までは無料らしいので入ってみた。
「ねね、春香。日本で最初のフレンチトースト専門店ってあるよ」
「それは入らんとあかんやろう」
北海道に行きたかったけれど、今後の自分を考えると、旅費を出すのは控えようという気持ちになった。近場で気分転換できそうなところは……と考えていると、テレビのお天気コーナーが江の島カメラを映していた。つまりはそういうことだ。
「夏やないのに、人が多いんやね」
「さすがは神奈川屈指の観光地」
川崎から江の島までは、藤沢で小田急江ノ島線に乗り換えれば、あっという間だった。
「あの駅の竜宮城みたいなん、アニメで見たわ」
「私も。随分前のやつでしょ」
「そうそう。江の島で釣りをして世界を救うような、そんな話やった」
高校生の友情のストーリーだったような記憶がある。当時SNSのフォロワーさんがハマっていて、たくさんイラストが流れてきていたのを思い出す。
島の入り口には長い橋がかかり、そこを渡りきれば江の島本島となる。結構遠い。
「ここを、日本のモン・サン=ミシェルと言う人もいるみたいよ」
「……確かに信仰の島やったからねぇ。うん……。賛同はできへんけど、納得は──うん、納得は」
「無理に納得しなくても良いとおもう」
橋の最初は砂地で、その先が海になっている。ここが、潮の満ち引きで海面の位置が変わるのだろう。橋がなかった頃には、干潮で歩いて渡れていた時代もあったらしい。そうなると、確かにモン・サン=ミシェルのようなのかもしれない。
こんもりとした島を見ながら、今からこの中に入るのか、と思うと、少しワクワクした。
「ここの坂道が参道やんな」
島に入ってすぐに青銅の大きな鳥居が見える。その左右には土産物屋が並び、しかもその様子が──
「昭和っぽいね」
「私もそう思った。子どもの頃、こういう土産物屋たくさん見たわ」
まだ十時を過ぎたばかりだというのに、人が多い。
観光地然とした参道の中に、小さな郵便局とポストがあった。ここで生活する人の、息遣いを感じた気がする。
「あ! すっごい人だかり」
「なんやろう」
近付くと、クラゲせんべいと書かれてあった。
「テレビで見たことある。有名なんだって」
しかし、列がすごい。随分と並んでいるので、私たちは横目で見ながら通り過ぎることにした。
そこから少し歩くと、参道が終わる。
「この階段、登るの嫌やな……」
参道の終わりに現れた階段。赤い鳥居のあるそこは、江島神社一つ目の社殿辺津宮への入り口だ。良くテレビなどで見る江島神社の絵でもある。そこそこ急な階段が続き、途中で左右に綴れ折れているそれを、うんざりとした目で見てしまった。
「時に春香クン」
「なんだねホームズ君」
突然探偵にされてしまった。
「あそこにエスカー乗り場というものがあってだね」
「へぇ。もしかして、上まで?」
「らしいよ。チケットも売ってる」
とりあえず近付いて確認することにした。
辺津宮の赤い鳥居手前で左へ。上り坂と階段を少しあがると、そのエスカー乗り場だ。
「なんでこの階段の下から、乗り場を作らへんかったのやろ」
「この数段で設置価格が大きく異なったんだろうね」
地味に辛いと感じる数段を登り、近くに立っている係員さんに聞いてみる。どうやら、江島神社には三つの社があり、その社を結ぶ乗り物──エスカーがあるそうだ。なお、有料。
有料でも良い。楽ができるなら。
すぐに受付で一番上までのチケットを購入する。早速乗るか、と乗り場へ向かう。
「あ、かわええ」
「本当だ。この子は飼い猫なんですか?」
チケット確認の係の人の足元に、キジトラの猫がいた。顔が別嬪さんだ。
「野良猫なんですよ。でも慣れてるので撫でても平気です。さすってあげてください」
喉首に触れれば、にゃあと目を細める。「お前さん、かわええなぁ」と嬉しそうに春香が言うから、こっそり写真を撮ってやった。
「なに撮ってるんや」
猫に夢中だから気付いていないと思ったのだが、ばれていた。でも、なかなか良い写真が撮れた気がする。
後ろから客が続いたので、名残惜しいがその場を去ることにした。すぐ奥にエスカーがある。
「……エスカーって、エスカレーターの略やったのか」
「それは、本当にそう」
「もっとこう、ゴンドラ的な……」
「わかる」
私の目の前に広がるエスカーは、期待に反してただのエスカレーターだった。一度乗り継ぎがある。
「あっという間にここまで来られるんか。便利やな」
登り切った先は、先ほどの綴れ織りの階段の先。江島神社一の宮である辺津宮のある高台だ。目の前には手水場。お参りという意味では若干ズルをした気分にはなるけど、便利なのは良い。楽ちんだ。
「平日のこんな時間やのに、混んどるなぁ」
すでに階段の方まで列が続いている。並ぶとなると、せっかくエスカーで上がってきたのに、また少し階段を降りねばならない。
「この先にあと二回社殿があるみたいよ。そっちでお参りしない?」
「合計三つあるんか。それならどっかですればええな」
その行列を後ろにすると、小道に出る。目の前には秋の色を纏った桜の木が、その腕を空へとのばしていた。
「秋だねぇ」
桜木の紅葉に目を細める。
「桜は春って思ってしまうけど、秋の桜もええもんやな」
どのくらいぼんやりと立っていたのだろう。長いような、短いような。にゃあ、という声で我に返る。声の方を辿れば、斜め後ろの池に猫がいた。長さが一メートル半程度のひょうたん型の池には、亀がやたらといた。全部で……嘘でしょ? 八匹はいるんだけど。その亀を睨むように、猫が佇んでいた。あまりにも亀に真剣な猫に、私たちも思わず見守ってしまう。
しばらく見ていたけれど、猫も亀も微動だにしないので、移動することにした。
すぐ近くに、さらに上へ向かうエスカー乗り場があった。その先には階段と、坂も。勿論エスカーに乗る。今度は、乗り継ぎなしで外に出られた。
次の社は二の宮、中津宮。書かれている謂れには『市寸島比賣命』を祀っているとあった。
「あ! ここええわ。灯、見てみて」
社を背にすると階段が。
さわ、と風が通る。階段を上がってくる団体の観光客を避けて、見晴らしの良い灯篭脇へと立つ。眼下には江の島のヨットハーバーが見渡せた。
風が走る。その度に、海の上の小さな小さな船は、その帆を翻す。
微かに見える向こうには、鎌倉まで続く浜辺が。空は青く、秋の突き抜けた色を見せていた。
「気持ちいいねぇ」
「うん」
冷たい風なのに、寒く感じない。頬を冷やすそれは、私のモヤモヤしていた気持ちを少しずつそぎ落としていってくれる。
「ここはお参りできそうやな」
辺津宮の行列はなんだったのか。皆上までは来ないのか、来るまでにバラけるから混まないのか。ほんの三人の列の後ろに並ぶ。
お参りのあとはまたしてもエスカー。今度は乗り換えはなかった。
「あれ」
「どしたん?」
「予想ではここに、三番目のお宮があると思ったんだけど、ないかと思って」
「確かに! 今までの流れやったら、ここにあるはずやなぁ」
きょろり、と見渡すがそれらしいものはない。
「まあええわ。そのうち出てくるやろ」
「そうだね。せっかくの観光だし、ふらふらしよ」
目の前が開けた広場になっており、少し先には大道芸人が準備をしている。もう少ししたら、何かが始まるのかもしれない。
その奥にあるのが、サムエル・コッキング苑。中に遺構のようなものが見える。入園までは無料らしいので入ってみた。
「ねね、春香。日本で最初のフレンチトースト専門店ってあるよ」
「それは入らんとあかんやろう」