今日は高校の同窓会だ。学年全員が集まる大規模なものではなく、上京組で集まって軽く飲もうというだけの小規模かつ非公式の集まり。私も英理香も成人式は小学校の人たちと集まったので、高校のみんなと会うのは卒業以来初めてだ。
「英理香とメグって今一緒に住んでんだっけ?」
「そうそう。社会人になって、お互い学生寮追い出されたタイミングで一緒に住み始めた」
「仲良すぎ。さすが幼馴染」
「幼馴染ってほどのもんじゃないよ。小学校の時はほとんど絡みなかったし」
英理香とは同じ小学校出身ではあるけれど、幼馴染なんて名前がつくような関係ではない。クラスが同じだったのも六年生の一年間だけだ。当時はほとんど話すこともなくて、同じ中高一貫私立の女子校を受験していたことも試験会場で偶然会うまで知らなかった。
だから当然バレンタインデーの日も友チョコ交換をするような間柄ではなかった。けれど、その日私のグループの一人が風邪で学校を休んだ。朝の会が始まる前に、友達同士でチョコを交換して食べた後、一つチョコレートが余った。家に持ち帰ることも考えたが、教室は暖房が効いていたから放課後までに溶けてしまう。仕方がないので自分で食べようかとも思ったが、別の子たちとチョコレートを交換していた英理香と偶然目が合った。
「これ、あげる」
深い意味はなかった。同じ中学に進学する予定だし親睦を深めたって罰は当たらない。英理香も深く考えることはなくチョコレートを受け取って口に入れた。
「うっま! これは神! えっ、やばすぎ。これ、めぐみちゃんが作ったの?」
眼鏡越しに英理香の目が見開いた。私は頷く。
「すごっ! めぐみちゃん天才じゃん。絶対プロになれるって!」
五年生までは私も板チョコを溶かして固めてカラースプレーをかけただけのものを持ってきていた。でも、その年はお菓子作り漫画の影響で凝ったものが作りたかった。刻んだクルミを入れた生チョコをホワイトチョコレートでコーティングした。インターネットでテンパリングとはなんぞやを調べて、本気で作ったトリュフチョコ。
友達も「美味しい」とは言ってくれたけど、「プロになれる」とまで言ってくれたのは英理香だけだった。それが嬉しかった。
だから、中学で料理部に入ったあとも、時々作ったお菓子をプレゼントしたりした。クラスは違ったけれど、話す機会が増えて自然と仲良くなった。
思い出話に花を咲かせるのは楽しい。同窓会はマウンティング合戦なんてどこの誰が言ったのか。同窓会がそんな殺伐としたイベントなら、安月給で働く私は参加できないじゃないか。そういうことをしている人もいるにはいるが、私たちのテーブルは極めて平和に、担任が授業で言った口癖の「つまりですねえ」の最高記録が三十回だった話や二年生の時に洗面所の蛇口が壊れた大事件の話で盛り上がっている。
とはいえ、多少は近況報告をしたり質問を受けることもある。
「英理香は今何やってんの?」
「ん、普通に会社員やってるよ」
英理香は基本的に自分の職業をぼかして答える。
「へー、意外。お姉さんみたいに弁護士になるのかと思ってた」
「ははっ、よく言われる。奈央は何してるの?」
「あたしも普通に会社員」
隣のテーブルでは大手商社や上場企業の名前が飛び交って年収匂わせ勝負をしているけれど、英理香はそんな品のないことはしない。友情を壊す一番の要因は嫉妬だと賢い英理香は知っているからだ。
「あたし今経理やってんだけどさ、会計士の連中がうざいのなんのって。細かいことをネチネチネチネチ」
「うちの旦那も経理なんだけど、同じこと言ってるよー。会計士はみんな性格終わってるって」
奈央の言葉に、出産を機に専業主婦になった歩美が同調する。英理香は特に表情を変えることなく、クイっとカシスオレンジを飲み干した。
公認会計士は企業の出す決算報告書に問題がないか常に疑いの目で見ている関係上、どうしても経理からすると目の上のたんこぶ的存在だ。だから、こういうことを言われるのも慣れっこらしい。会話の流れがこうなってしまうと、今更「実は会計士です」なんて言ったら空気を悪くするから完全に職業は会社員で通すつもりのようだ。
「メグは今何してんの?」
「私はパティシエール! 時が丘駅の近くの「ル・メイヤー・アミ」ってとこで毎日ケーキ焼いてる」
「すっごーい!」
「そうなんだよ。天才なんだよ、メグは」
なぜか私より英理香が得意げだ。悪い気はしないけれど。
「えっ、じゃあキャラケーキとかも作れるの? うちの子ね、『ドラゴンマン』が大好きなんだけどもうすぐ誕生日なの」
歩美が身を乗り出して質問してきた。アニメなどのキャラクターをかたどったケーキはよくSNSでバズっているし、一定の需要はあるが著作権的にグレーなものも多く、うちの店では取り扱っていない。
「ごめん、うちの店ではやってないんだ。最近は著作権とか色々厳しいから」
「そうそう! 著作権は大事! 守ろう、クリエイターの人権。守ろう、コンテンツの未来!」
顔には出ていないが、英理香はだいぶ酔っ払っている。奈央と歩美が苦笑している。
「うん知ってる。キャラクター商品で勝手にお金儲けするとよくないんでしょ? でも、お金のやり取りなしで個人の範疇で楽しむ分には問題ないんだよね?」
歩美がぎらついた目を向けて来る。
「ほら、誕生日はこの先何回もあるけど、三歳の誕生日って一生に一度じゃない? だから、素敵な思い出にしてあげたくて」
「版権物はやってないけど、クマちゃんとかネコちゃんの形のやつなら、受注生産やってるよ。フルーツのカスタマイズとかちょっと融通できると思うけど、息子さん何が好き?」
「そうじゃなくてね、うちの子は『ドラゴンマン』が好きだから、お店とかじゃなくてメグに個人的にお願いしたくて。ほら、商売じゃなければ別に言わなければ誰にも怒られないでしょ?」
酔いがすっとさめた。要するに「タダで作ってよ」と言いたいのだろう。
菓子職人をやっているとたまにある。技術の搾取。友達には何かしてあげたいと思う気持ちがないわけではないけれど、一方的にタダでお菓子を作れと言われるのはすごく嫌だ。
英理香が公認会計士を名乗らない理由も、自慢に思われたくないとか経理のヘイトが嫌だと言うのはほとんど後付けのようなものだという。英理香も昔、善意の搾取の被害に遭った。英理香がカードゲームサークルをやめたのは、会計業務を資格持ちならさも当然かのように押し付けられて嫌気がさしたからだという。大体そういう人たちはやってもらって当然で、たいして感謝もしないとぼやいていた。
私の方がそういう被害に遭いやすい職種なのに、何の警戒もなくパティシエールだと言ってしまった。こういう時、断ると「ケチだ」と言われ友達をなくすし、引き受けるとモヤモヤをかかえることになる。私は馬鹿だ。英理香と違って先見の明がない。
「うちのメグはそんなに安くないんですけどぉ!」
英理香が突然大声で叫んだ。場が静まり返る。そのまま私の肩に両腕を回して冷たい目で歩美を見る。
「費用の計上漏れとか見逃せないんだよねえ、ごめんね職業病でえ」
専門用語を使って威嚇している。要するに、「ちゃんと対価を払え」ということを会計用語を使って言っているが、歩美は意味が分かっておらず気圧された様子で苦笑いしている。隣のテーブルのみんなも私たちを見ている。
歩美が完全に静かになると、英理香は全体重を私にかけてなだれかかってくる。
「メーグー、酔ったー。頭痛い。吐きそう。一人じゃ帰れないから運んでー」
呂律が回っていない。
「えっと、私たちもう帰るね」
幹事に二人分のお金を渡して席を立つ。英理香はうなだれて今にも寝落ちしそうな状態だ。英理香を抱え上げるように立たせて、肩を貸したままゆっくり一歩ずつ進んで店を出た。
店の自動ドアが閉まるや否や、英理香は私の肩から手を離し、鞄からてきぱきと財布を取り出す。
「ああ、ごめん。今細かいのないわ。お釣りある? なかったら家帰ってからでもいいけど」
一万円札を渡された。さっきまで酔いつぶれていたのが嘘のようにけろっとしてすたすたと歩きだした。私がぽかんとして立ち止まっていると、英理香は振り返って笑った。
「君は私の演技も見破れないのかい? 探偵失格だよ、ワトソン君」
英理香がいたずらっ子のように舌を出す。
「お酒ブシャーってケーキ大好き英理香様がカシオレ一杯で酔うわけないだろ馬鹿め」
また雑な説明が入る。サヴァランの話をしているのだろう。ブリオッシュに度数43パーセントのブランデーとシロップをたっぷりしみこませた大人のケーキだ。
「サヴァランね」
「そう、それ。めっちゃうまいやつ」
いつもと同じテンションで英理香が笑った。
「飲み足りないし、メグもおなかすいてるっしょ? もう一軒行かない?」
何事もなかったかのように、駅と反対方向にある串カツ屋を指さす。
英理香は私を守るために、上手に連れ出してくれたことはわかっている。英理香は息をするように誰かを守る人だ。
英理香は昔から正しい人だった。昔からずっとそうで、弱い者いじめも体育の授業における反則も、とにかく間違ったことが許せない人だった。
まっすぐな英理香が眩しかった。オタクが今ほど市民権を得ていなかった時代に、「好きな物を好きだと言えないなんて間違ってる!」と自分の「好き」を貫く英理香はかっこよかった。そんな英理香はみんなの人気者だった。「いじめゼロの北小」をスローガンに掲げて児童会長に立候補したときから、英理香はずっと変わっていない。
「勇者になりたい」「主人公になりたい」
そんな中二病めいたセリフも英理香が言うと、いつか何かを成し遂げそうに聞こえた。
「違法アップロードするクズとか全員死ぬべきでしょ」
漫画やアニメの違法アップロードが社会問題になったとき、英理香は憤慨していた。発言は時折過激だったけれど、英理香の言うことはいつも正しかった。
英理香は私のヒーローだった。自分の「好き」に正直な英理香があの日、「プロになれる」と言ってくれたから、私はパティシエールになりたいと願った。
「専門学校行きたいって言ったら、お母さんに反対されちゃった」
英理香に相談すると、英理香は紙に大きく「嘆願書」と書いて、「才原めぐみさんの製菓専門学校への進学を許可してください」から始まる長文を書き始めた。私のお菓子がいかに美味しいかを書き綴り、最後に署名した。
「これ、お母さんに渡しな。メグが夢を叶えられない世界なんて間違ってる」
英理香が私の夢を「正しい」と肯定してくれたから、私は母に自分の思いをぶつける勇気を持てた。英理香の嘆願書を見せて交渉して、なんとか許可を勝ち取った。だから、専門学校への入学が決まった日には感謝を込めて、初めて渡したのと同じナッツ入りの生チョコレートを渡した。
私に夢をくれたのも、夢を叶えてくれたのも、そして夢を叶えた私を守ってくれたのも、英理香だ。
「ありがと、英理香」
声が震えてしまった。泣きそうなのは歩美に軽んじられて悔しいからじゃない。英理香が私を尊重してくれて嬉しかったからだ。でも、悔しいから泣きたくない。
「いいってことですよ。さて、ゲテモノ討伐と行きますか。串カツと言えばゲテモノよ。サソリ、ワニ、カエル、なんでもどんとこーい!」
英理香はそういう気持ちも全部汲んでくれて、髪の毛をぐしゃぐしゃにするように私の頭を撫でまわした。発言が突拍子もなくて、なんだか笑えた。
「大阪じゃないんだからさすがにそこまでのゲテモノはないっしょ」
入った串カツ屋は案の定ごく普通の品ぞろえだった。豚肉、牛肉、野菜、海老。定番の串カツを自由気ままに注文していく。二人だけでパーティーのやり直しだ。
「今度『勇者クロニクル』の新作出るんだって」
「へー。いつ頃?」
「六月」
普段、家での食事中はスマホをいじることはない英理香も串や箸休めのキャベツを片手にSNSのタイムラインを見ながら他愛もない話題を振ってくる。
「ちょっと! なんでメグがアマリリス先生と相互フォローになってんの!」
和やかに話していたはずが、いきなり英理香が立ち上がって大声を上げた。周りの客何人かがこちらを見てきて恥ずかしかった。
「アマリリス? ああ、朋佳ちゃん? うちのバイトの子だよ」
「嘘、神がこんなに身近なところにいるなんて……世間狭すぎだよ」
何事かと思えば、ただ共通の知り合いがいたというだけの話だった。
「逆に英理香は朋佳ちゃんと何繋がりなの?」
「繋がってないよ。タイムラインに流れてきた絵に一目ぼれして一方的にフォローしてるだけ」
ここでようやく謎が解けた。
「それ、私がリポストしたから、朋佳ちゃんの絵が英理香のタイムラインに流れたんじゃないの? 時系列が逆よ、逆」
「あーね」
人のリポストがタイムラインに流れて来るのはよくあることだ。だから、誰が何をリポストしたかなんていちいち覚えていなくてもおかしくない。
「朋佳ちゃんのファンなら、会いに来る? 紹介してあげよっか?」
「バカバカ。絵師様のプライベートにずけずけ乗り込んでいくとかファンとしてマナ悪だから」
「じゃあ、うちの同居人がファンになったって伝えるのもマナ悪?」
「それはぜひ伝えていただけると……。文字数制限で感想伝えきれないし、ダイレクトメッセージも迷惑かもしれないし」
「ファンからのメッセージ迷惑がるような子じゃないよ、朋佳ちゃんは」
「あー、ていうか、意図せずアマリリス先生の本名知ってしまった。なんかプライバシーの侵害してるみたいで申し訳ないかもー」
「考えすぎ。イラストをタダで要求するような真似したら怒るかもしれないけど」
「それはギルティだわ。アマリリス先生にそんな不埒な真似する輩いたら殴るわ」
本当に英理香は「アマリリス先生」が大好きなのだろう。私のリポストが朋佳ちゃんの熱烈なファンを増やすきっかけになったのならば、応援リポストのやりがいもあるというものだ。
結局閉店までアマリリス先生の絵が素晴らしいという話で盛り上がった。素敵なものの話をしていると食が進む。串入れの筒が満杯になったのは初めてだ。
メニューにはバウムクーヘンやオレオ、アイスのフライなどのスイーツを揚げたものやデザートのコーヒーゼリーもあったけれど英理香は結局一切注文しなかった。
「英理香とメグって今一緒に住んでんだっけ?」
「そうそう。社会人になって、お互い学生寮追い出されたタイミングで一緒に住み始めた」
「仲良すぎ。さすが幼馴染」
「幼馴染ってほどのもんじゃないよ。小学校の時はほとんど絡みなかったし」
英理香とは同じ小学校出身ではあるけれど、幼馴染なんて名前がつくような関係ではない。クラスが同じだったのも六年生の一年間だけだ。当時はほとんど話すこともなくて、同じ中高一貫私立の女子校を受験していたことも試験会場で偶然会うまで知らなかった。
だから当然バレンタインデーの日も友チョコ交換をするような間柄ではなかった。けれど、その日私のグループの一人が風邪で学校を休んだ。朝の会が始まる前に、友達同士でチョコを交換して食べた後、一つチョコレートが余った。家に持ち帰ることも考えたが、教室は暖房が効いていたから放課後までに溶けてしまう。仕方がないので自分で食べようかとも思ったが、別の子たちとチョコレートを交換していた英理香と偶然目が合った。
「これ、あげる」
深い意味はなかった。同じ中学に進学する予定だし親睦を深めたって罰は当たらない。英理香も深く考えることはなくチョコレートを受け取って口に入れた。
「うっま! これは神! えっ、やばすぎ。これ、めぐみちゃんが作ったの?」
眼鏡越しに英理香の目が見開いた。私は頷く。
「すごっ! めぐみちゃん天才じゃん。絶対プロになれるって!」
五年生までは私も板チョコを溶かして固めてカラースプレーをかけただけのものを持ってきていた。でも、その年はお菓子作り漫画の影響で凝ったものが作りたかった。刻んだクルミを入れた生チョコをホワイトチョコレートでコーティングした。インターネットでテンパリングとはなんぞやを調べて、本気で作ったトリュフチョコ。
友達も「美味しい」とは言ってくれたけど、「プロになれる」とまで言ってくれたのは英理香だけだった。それが嬉しかった。
だから、中学で料理部に入ったあとも、時々作ったお菓子をプレゼントしたりした。クラスは違ったけれど、話す機会が増えて自然と仲良くなった。
思い出話に花を咲かせるのは楽しい。同窓会はマウンティング合戦なんてどこの誰が言ったのか。同窓会がそんな殺伐としたイベントなら、安月給で働く私は参加できないじゃないか。そういうことをしている人もいるにはいるが、私たちのテーブルは極めて平和に、担任が授業で言った口癖の「つまりですねえ」の最高記録が三十回だった話や二年生の時に洗面所の蛇口が壊れた大事件の話で盛り上がっている。
とはいえ、多少は近況報告をしたり質問を受けることもある。
「英理香は今何やってんの?」
「ん、普通に会社員やってるよ」
英理香は基本的に自分の職業をぼかして答える。
「へー、意外。お姉さんみたいに弁護士になるのかと思ってた」
「ははっ、よく言われる。奈央は何してるの?」
「あたしも普通に会社員」
隣のテーブルでは大手商社や上場企業の名前が飛び交って年収匂わせ勝負をしているけれど、英理香はそんな品のないことはしない。友情を壊す一番の要因は嫉妬だと賢い英理香は知っているからだ。
「あたし今経理やってんだけどさ、会計士の連中がうざいのなんのって。細かいことをネチネチネチネチ」
「うちの旦那も経理なんだけど、同じこと言ってるよー。会計士はみんな性格終わってるって」
奈央の言葉に、出産を機に専業主婦になった歩美が同調する。英理香は特に表情を変えることなく、クイっとカシスオレンジを飲み干した。
公認会計士は企業の出す決算報告書に問題がないか常に疑いの目で見ている関係上、どうしても経理からすると目の上のたんこぶ的存在だ。だから、こういうことを言われるのも慣れっこらしい。会話の流れがこうなってしまうと、今更「実は会計士です」なんて言ったら空気を悪くするから完全に職業は会社員で通すつもりのようだ。
「メグは今何してんの?」
「私はパティシエール! 時が丘駅の近くの「ル・メイヤー・アミ」ってとこで毎日ケーキ焼いてる」
「すっごーい!」
「そうなんだよ。天才なんだよ、メグは」
なぜか私より英理香が得意げだ。悪い気はしないけれど。
「えっ、じゃあキャラケーキとかも作れるの? うちの子ね、『ドラゴンマン』が大好きなんだけどもうすぐ誕生日なの」
歩美が身を乗り出して質問してきた。アニメなどのキャラクターをかたどったケーキはよくSNSでバズっているし、一定の需要はあるが著作権的にグレーなものも多く、うちの店では取り扱っていない。
「ごめん、うちの店ではやってないんだ。最近は著作権とか色々厳しいから」
「そうそう! 著作権は大事! 守ろう、クリエイターの人権。守ろう、コンテンツの未来!」
顔には出ていないが、英理香はだいぶ酔っ払っている。奈央と歩美が苦笑している。
「うん知ってる。キャラクター商品で勝手にお金儲けするとよくないんでしょ? でも、お金のやり取りなしで個人の範疇で楽しむ分には問題ないんだよね?」
歩美がぎらついた目を向けて来る。
「ほら、誕生日はこの先何回もあるけど、三歳の誕生日って一生に一度じゃない? だから、素敵な思い出にしてあげたくて」
「版権物はやってないけど、クマちゃんとかネコちゃんの形のやつなら、受注生産やってるよ。フルーツのカスタマイズとかちょっと融通できると思うけど、息子さん何が好き?」
「そうじゃなくてね、うちの子は『ドラゴンマン』が好きだから、お店とかじゃなくてメグに個人的にお願いしたくて。ほら、商売じゃなければ別に言わなければ誰にも怒られないでしょ?」
酔いがすっとさめた。要するに「タダで作ってよ」と言いたいのだろう。
菓子職人をやっているとたまにある。技術の搾取。友達には何かしてあげたいと思う気持ちがないわけではないけれど、一方的にタダでお菓子を作れと言われるのはすごく嫌だ。
英理香が公認会計士を名乗らない理由も、自慢に思われたくないとか経理のヘイトが嫌だと言うのはほとんど後付けのようなものだという。英理香も昔、善意の搾取の被害に遭った。英理香がカードゲームサークルをやめたのは、会計業務を資格持ちならさも当然かのように押し付けられて嫌気がさしたからだという。大体そういう人たちはやってもらって当然で、たいして感謝もしないとぼやいていた。
私の方がそういう被害に遭いやすい職種なのに、何の警戒もなくパティシエールだと言ってしまった。こういう時、断ると「ケチだ」と言われ友達をなくすし、引き受けるとモヤモヤをかかえることになる。私は馬鹿だ。英理香と違って先見の明がない。
「うちのメグはそんなに安くないんですけどぉ!」
英理香が突然大声で叫んだ。場が静まり返る。そのまま私の肩に両腕を回して冷たい目で歩美を見る。
「費用の計上漏れとか見逃せないんだよねえ、ごめんね職業病でえ」
専門用語を使って威嚇している。要するに、「ちゃんと対価を払え」ということを会計用語を使って言っているが、歩美は意味が分かっておらず気圧された様子で苦笑いしている。隣のテーブルのみんなも私たちを見ている。
歩美が完全に静かになると、英理香は全体重を私にかけてなだれかかってくる。
「メーグー、酔ったー。頭痛い。吐きそう。一人じゃ帰れないから運んでー」
呂律が回っていない。
「えっと、私たちもう帰るね」
幹事に二人分のお金を渡して席を立つ。英理香はうなだれて今にも寝落ちしそうな状態だ。英理香を抱え上げるように立たせて、肩を貸したままゆっくり一歩ずつ進んで店を出た。
店の自動ドアが閉まるや否や、英理香は私の肩から手を離し、鞄からてきぱきと財布を取り出す。
「ああ、ごめん。今細かいのないわ。お釣りある? なかったら家帰ってからでもいいけど」
一万円札を渡された。さっきまで酔いつぶれていたのが嘘のようにけろっとしてすたすたと歩きだした。私がぽかんとして立ち止まっていると、英理香は振り返って笑った。
「君は私の演技も見破れないのかい? 探偵失格だよ、ワトソン君」
英理香がいたずらっ子のように舌を出す。
「お酒ブシャーってケーキ大好き英理香様がカシオレ一杯で酔うわけないだろ馬鹿め」
また雑な説明が入る。サヴァランの話をしているのだろう。ブリオッシュに度数43パーセントのブランデーとシロップをたっぷりしみこませた大人のケーキだ。
「サヴァランね」
「そう、それ。めっちゃうまいやつ」
いつもと同じテンションで英理香が笑った。
「飲み足りないし、メグもおなかすいてるっしょ? もう一軒行かない?」
何事もなかったかのように、駅と反対方向にある串カツ屋を指さす。
英理香は私を守るために、上手に連れ出してくれたことはわかっている。英理香は息をするように誰かを守る人だ。
英理香は昔から正しい人だった。昔からずっとそうで、弱い者いじめも体育の授業における反則も、とにかく間違ったことが許せない人だった。
まっすぐな英理香が眩しかった。オタクが今ほど市民権を得ていなかった時代に、「好きな物を好きだと言えないなんて間違ってる!」と自分の「好き」を貫く英理香はかっこよかった。そんな英理香はみんなの人気者だった。「いじめゼロの北小」をスローガンに掲げて児童会長に立候補したときから、英理香はずっと変わっていない。
「勇者になりたい」「主人公になりたい」
そんな中二病めいたセリフも英理香が言うと、いつか何かを成し遂げそうに聞こえた。
「違法アップロードするクズとか全員死ぬべきでしょ」
漫画やアニメの違法アップロードが社会問題になったとき、英理香は憤慨していた。発言は時折過激だったけれど、英理香の言うことはいつも正しかった。
英理香は私のヒーローだった。自分の「好き」に正直な英理香があの日、「プロになれる」と言ってくれたから、私はパティシエールになりたいと願った。
「専門学校行きたいって言ったら、お母さんに反対されちゃった」
英理香に相談すると、英理香は紙に大きく「嘆願書」と書いて、「才原めぐみさんの製菓専門学校への進学を許可してください」から始まる長文を書き始めた。私のお菓子がいかに美味しいかを書き綴り、最後に署名した。
「これ、お母さんに渡しな。メグが夢を叶えられない世界なんて間違ってる」
英理香が私の夢を「正しい」と肯定してくれたから、私は母に自分の思いをぶつける勇気を持てた。英理香の嘆願書を見せて交渉して、なんとか許可を勝ち取った。だから、専門学校への入学が決まった日には感謝を込めて、初めて渡したのと同じナッツ入りの生チョコレートを渡した。
私に夢をくれたのも、夢を叶えてくれたのも、そして夢を叶えた私を守ってくれたのも、英理香だ。
「ありがと、英理香」
声が震えてしまった。泣きそうなのは歩美に軽んじられて悔しいからじゃない。英理香が私を尊重してくれて嬉しかったからだ。でも、悔しいから泣きたくない。
「いいってことですよ。さて、ゲテモノ討伐と行きますか。串カツと言えばゲテモノよ。サソリ、ワニ、カエル、なんでもどんとこーい!」
英理香はそういう気持ちも全部汲んでくれて、髪の毛をぐしゃぐしゃにするように私の頭を撫でまわした。発言が突拍子もなくて、なんだか笑えた。
「大阪じゃないんだからさすがにそこまでのゲテモノはないっしょ」
入った串カツ屋は案の定ごく普通の品ぞろえだった。豚肉、牛肉、野菜、海老。定番の串カツを自由気ままに注文していく。二人だけでパーティーのやり直しだ。
「今度『勇者クロニクル』の新作出るんだって」
「へー。いつ頃?」
「六月」
普段、家での食事中はスマホをいじることはない英理香も串や箸休めのキャベツを片手にSNSのタイムラインを見ながら他愛もない話題を振ってくる。
「ちょっと! なんでメグがアマリリス先生と相互フォローになってんの!」
和やかに話していたはずが、いきなり英理香が立ち上がって大声を上げた。周りの客何人かがこちらを見てきて恥ずかしかった。
「アマリリス? ああ、朋佳ちゃん? うちのバイトの子だよ」
「嘘、神がこんなに身近なところにいるなんて……世間狭すぎだよ」
何事かと思えば、ただ共通の知り合いがいたというだけの話だった。
「逆に英理香は朋佳ちゃんと何繋がりなの?」
「繋がってないよ。タイムラインに流れてきた絵に一目ぼれして一方的にフォローしてるだけ」
ここでようやく謎が解けた。
「それ、私がリポストしたから、朋佳ちゃんの絵が英理香のタイムラインに流れたんじゃないの? 時系列が逆よ、逆」
「あーね」
人のリポストがタイムラインに流れて来るのはよくあることだ。だから、誰が何をリポストしたかなんていちいち覚えていなくてもおかしくない。
「朋佳ちゃんのファンなら、会いに来る? 紹介してあげよっか?」
「バカバカ。絵師様のプライベートにずけずけ乗り込んでいくとかファンとしてマナ悪だから」
「じゃあ、うちの同居人がファンになったって伝えるのもマナ悪?」
「それはぜひ伝えていただけると……。文字数制限で感想伝えきれないし、ダイレクトメッセージも迷惑かもしれないし」
「ファンからのメッセージ迷惑がるような子じゃないよ、朋佳ちゃんは」
「あー、ていうか、意図せずアマリリス先生の本名知ってしまった。なんかプライバシーの侵害してるみたいで申し訳ないかもー」
「考えすぎ。イラストをタダで要求するような真似したら怒るかもしれないけど」
「それはギルティだわ。アマリリス先生にそんな不埒な真似する輩いたら殴るわ」
本当に英理香は「アマリリス先生」が大好きなのだろう。私のリポストが朋佳ちゃんの熱烈なファンを増やすきっかけになったのならば、応援リポストのやりがいもあるというものだ。
結局閉店までアマリリス先生の絵が素晴らしいという話で盛り上がった。素敵なものの話をしていると食が進む。串入れの筒が満杯になったのは初めてだ。
メニューにはバウムクーヘンやオレオ、アイスのフライなどのスイーツを揚げたものやデザートのコーヒーゼリーもあったけれど英理香は結局一切注文しなかった。