「わかるなあ、弟くんの気持ち! うん、激しく同意!」

 月がお弁当箱を膝から落としそうな勢いで頷いた。

「本当にさ、過干渉の親に愛されるって悲劇以外の何ものでもないと思う」

 穏やかな日差しの中庭のベンチではそんな毒親トークはなかなか不似合いだけど、月と遥介は同じような境遇だから、月の気持ちを聞いて遥介を理解できることもある。

 ただ、そんな遥介と一緒に育ってきた私は小さいころこそ拗ねていたけど、今は清々している、と月には話していた。確かにそれも本音だけど、そんな単純ではない想いを抱えていることは、なんだか子どもっぽく感じて彼女には話せなかった。

「けど、やっぱり週末に何かあるでしょ? 今日もスッキリした顔しているんだよね、実莉。いつもは今週も始まったってウンザリモードが伝わってくるんだけど」

「あはは、確かに毎週そう思っていたかも」

 月に琉斗君の話をしようか少し迷ったけど、琉斗君のバイト先に行きたかったから思い切って、もらったお店のカードを出した。

「あのさ、ここに付き合ってくれない?」

「ん? 今度は幻想珈琲館じゃないのね。あ、土曜日には行けたの? この前は見つけられなかったけど」

「うん、行けた。道はまだ覚えられたわけじゃないんだけどね。で、ここはまた違うお店」

 月がカードを見ながら首をかしげた。

「山咲駅? どこだろ?」

 私と同じ疑問を持ったようだ。月もこの辺りは詳しくないのかもしれない。

「ルナも知らない? そんなに遠くはないみたいだけど」

「そうなの? じゃ、帰りに調べて行ってみよう。で、なに? ここは何のお店なの?」

 箸を休めることなく、ご飯を口に放り込みながら月は私を横目で見た。私は思わず目をそらして、隙間の増えてきたお弁当箱の中からウインナーを選んで箸で転がした。

「えっとね、ケーキが美味しんだって。ここでバイトしている子に教えてもらったの」

 なんとなく歯切れの悪い私の言い方に月が何かを察知したようで、ニヤニヤと顔を覗いてきた。

「へーえ、バイトしている子って男の子?」

「えっ? うん、性別は男子だね」

「なになに? この学校の子? イケメン?」

「ううん、この学校じゃない。イケメンかどうかは……私は意外と好きな顔だけど」

 おっと、なんか余計なことを口走ったかも。そう気が付くとウインナーを口に放り込んで喋れない状態をつくった。

「ふうん、そうなんだあ。放課後が楽しみだなあ」

 相変らずニヤニヤとしているけど、それ以上は追及して来なかった。きっとお店に行って、直接本人を見てから色々と追及されるのだろう。




「やっぱり、山咲駅なんてないよね。プリントミスじゃない?」

「そうかなあ? じゃあ、住所と店名で検索してみよう」

 放課後、私と月は森の丘学園高校のある駅のベンチに座ってお店のカードを見ながら検索をしていた。

「〝coco(ココ)〟ってケーキ屋さんね。同じ名前のカフェとかレストランとか出てくるけど、この辺りでは無いなぁ」

「えー、本当? おかしいなあ……」

 私も自分で何度も検索するけど、それらしいケーキ屋さんは出て来ない。

「この前から、なんか騙されているんじゃない? 実莉。大丈夫?」

「この前って……幻想珈琲館は土曜日に行けたし、琉斗君だって騙して得するようなことはひとつも無いよ」

「ふうん、琉斗君っていうのね」

 月がまたニヤリと笑って、茶化すように私の顔を覗き込んだ。

「その琉斗君は何て言って誘って来たの?」

「別に、ただケーキが好きって話になって、ケーキ屋でバイトしているから食べに来たら? って。普通の会話だよ」

「ふうん。どこの学校行っているの? 高校生? 大学生?」

「ひとつ年上の高二だよ。えっと……何とか学院って進学校らしい男子校だって」

 そう言えば、そこも聞いたことがない学校だったな。

「今度、もう一度聞いておく」

 別に騙されているとは思わないけど、幻想珈琲館にしても琉斗君のバイト先にしても、見つけられないなんて不可解なことが多い。



 夜、ベッドの上で琉斗君にメールをしようとスマホを出した。

『琉斗君のバイト先に行こうとしたけど、やっぱり〝山咲駅〟なんてないし、〝coco〟ってケーキ屋さんで検索しても出て来なかったよ』

 なんか、文句みたいで可愛げないかな?

 読み返してみて首をかしげた。でも、変にかわい子ぶっても気持ち悪いよね……? 
 とりあえず、これで送っちゃおう。

 紙飛行機のアイコンを押すと、画面がぐるぐると回って「送信完了しました」と表示された。LINEと違って既読が分からないから、メールだと返信を待つしかないんだよね。

 思わず画面を見つめてしまって、ずっと待つのは辛いよ、なんて自分の心に突っ込みながらスマホをテーブルの上に置いてお風呂に入ることにした。


 お風呂から上がって寝る支度をしても、琉斗君からの返信は無かった。

 先週は私からのメールがなくても琉斗君は三回もメールをくれていた。私も土曜日までめげずにメールしよう。

 そんなことを考えながらベッドの中に潜り込んだ。



 そのまま琉斗君からのメールは来ないまま、また土曜日になってしまった。

 週に一度会うだけの関係なのに、私は毎日のように琉斗君のことを考えているような気がしていた。今週はずっと琉斗君のバイト先を探し続けて、近場のケーキ屋さん巡りまでしたけど、それらしいお店は見つけられなかった。

 それに最寄り駅の西口側にあるのは、やっぱり「大和台中学校」だった。琉斗君の出身校だという「大和桜中学校」というものは存在しない。だけど、自分の出身校をわざわざ言い直して間違えるって有り得ない気がするのだけど……。

 何だか噛み合わないことが多くて、琉斗君への謎が深まる。

 とはいえ、会ってしまうと琉斗君と話していて可笑しなところはない。それどころか、今まで会った誰よりも分かり合えるような、そんな感覚さえあるのに。


 私は幻想珈琲館へ行こうと、また大通りを大型家電量販店の見える辺りまで歩いてきて辺りを見回した。

 やっぱりポプラ並木は見当たらない。あんなに背の高いポプラの木が並んでいるのだから、遠目でも分かっても良さそうなんだけど……。

 だけど、絶対にあの家電量販店の看板より手前のはず。

 私は立ち止まって夜空を見上げた。今日は曇り空で星も月も見えず、冷たい夜風が頬に当たるのを感じた。暫くの間、ただ空を見つめて視界を空だけでいっぱいにした。

 そして再び前を向くと、私はあのポプラ並木のあるオレンジ色のレンガの細い道の上に立っていた。

 どういう原理かは分からないけど、どの道からどう繋がっているのかも知らないけど、とにかくあの大通りのあの地点あたりからここに通じていて、少し視線を外すと辿り着くことが出来る、ということだけは分かったような気がする。

 とにかく、今日も上手い具合に幻想珈琲館に辿り着けたから、深く考えるのはやめにしよう。

 白いドアを押すと、いつもの鈴の音が綺麗に鳴り響いて、マスターが「いらっしゃい」と微笑んだ。

 いつもの壁際の席に目を向けると、今日は琉斗君が先に来ていて笑顔で片手を挙げた。

「よう、一週間ぶり」

「ねえ、やっぱり私のメールは届いてないの?」

「えっ? それはこっちの台詞なんだけど。おまえもくれてたの?」

 琉斗君が二つ折りの携帯を出したから、私も自分のスマホをバッグから取り出した。すると、この前と同じように五件のメールが受信された。開いてみると、全て琉斗君からだった。

「おっと、今になって来たよ、実莉からのメール」

「私の方も今届いた」

 お互いにメールをその場で読んだ。琉斗君は相変わらず他愛のない話しかけるようなメールをくれていた。リアルタイムでこのメールに何気なく返していく、そんなやり取りをしたかったな、なんて思うと心がうずく。

「なんだよ、バイト先に来てくれようとしていたんだ? けど、山咲駅が無いってどういうこと?」

「検索したけど、駅もそのケーキ屋さんも出て来なかったよ」

「マジか。スマホ出せよ」

 スマホを差し出すと、琉斗君は〝coco〟〝山咲駅前〟と打ち込んで検索した。
 すると、簡単に琉斗君のバイト先であろうお店のHPが出て来たのだ。

「あれえ? 出た。なんで? 一週間何をやっても出なかったのに」

「検索の仕方じゃねえの? とりあえず、それ登録しておけよ」

 私はブックマーク登録しながら「でも、山咲駅が分からなかった」と口を尖らせた。

「おまえの学校、なんて駅にあるって?」

「〝森の丘学園駅〟って学校名そのまんまだよ」

「…………知らねえな。けど、乗換案内で調べたらあるだろ?」

 琉斗君が私のスマホで乗換案内を出して検索した。すると、森の丘学園駅から山咲駅までの行き方が表示された。途中で「硫黄(いおう)」というやっぱり知らない駅での乗り換えもあったけど、所要時間も18分とそれほど遠くなかった。

「どうして出なかったのかな? 何度も検索したのに」

「ハハッ。何かバグってたんじゃねえの?」

 そのとき、マスターがニコニコしながらカフェラテとココアを運んで来た。

「世の中には不思議なことが沢山あるよね」

「ねえ、マスター。それってこのお店のことじゃないの?」

 私は思わずマスターの黒いカフェエプロンを引っ張った。

「どういうことかな?」

「だって、ここに来る道を未だに分からないんだけどね、ここに来る方法は分かったの。いつもの大通りを歩いていて、大通りから目をそらすとこのお店の前のポプラ並木に繋がるの」

「マジで?」

 琉斗君が驚いて目を見開いた。

「俺もここまでの道が分かってねえんだけど、いつも歩いている道から何故か辿り着くんだよな。今日は白い子猫に視線をやった途端に辿り着いたし」

「あ、それ私も先週そうだった」

 私たちは同時にマスターの顔を見上げた。マスターは相変わらず穏やかに微笑んでいた。

「私はそこに関与はしていないけどね。不思議なことが多いのは確かだね」

 まるで何でも知っていると言っているような口調で、マスターはそのままカウンターへ戻って行った。

「マジで謎だよな、ここの店もマスターも」

「うん。私としては琉斗君も謎だけど。そうだ、琉斗君の学校は何て名前だった?」

「だから、湊学院だって。それも検索してみれば出るから見てみろよ」

 今度は自分でスマホを開いて検索してみた。すると、普通にHPが出てきた。

「本当だ。なかなかの進学校なんだね」

「おう、おまえの学校もそうだな。全然知らねえ名前だったけど」

 琉斗君も森の丘学園のHPを出して見ていた。

「そうだ、駅の東口に〝雪之橋〟なんて橋は見つからなかったぜ」

「そうなの? この辺だったら有名な橋みたいだけどね。大通りから少し入ったところだよ。ここからも近いし」

「へえ、じゃあ朝に店を出たら、一緒に行ってみてもいい?」

「えっ? うん、いいけど」

 その橋を渡ったら、もう何軒か先ですぐ家だから、少し躊躇《ちゅうちょ》する気持ちはあった。でも、日曜の朝に誰かに会う可能性は低いはず。

 それにしても、同じ地域に住んでいるのに全く地元トークが通じなかったから不思議だったけど、確かに琉斗君がこの辺りに住んでいるんだと思ったら嬉しくなった。

「じゃ、来週はバイト先に食べに行くね」

「おう、おまえの好きなココアもそれなりに美味いと思うよ」

「ケーキと一緒なら、紅茶がいいな」

「んじゃ、ケーキが甘いヤツだろ? ガトーショコラとかマンゴータルトとか」

 あっ、両方とも好きかも知れない。だけど、確かに甘そうだな。
 なんて、頭の中がケーキ一色になって真剣に考えていたら、それもバレたようで琉斗君にケラケラと笑われた。