「頭でも打った?」
あまりにも突然失礼な言葉が聞こえてきて、わたしは読んでいた雑誌から勢いよく顔を上げた。
「はい?」
果たしてそれはどのような意味なのだろうか。眉間に皺を寄せながら真衣の顔をじっと見ると、「やめてよその顔」と笑いながら、トートバッグの中からビニールに入ったままの黒いうちわを取り出した。
「なんか、あまりにもおとなくして気味が悪いなって」
「ああ……」
曲がりなりにも友達なはずだけど、失礼な言動はいったん無視することにしておいて、わたしはまた雑誌に目を落とす。ミニアルバム発売についての5人による座談会が繰り広げられていて、ちょうど読んでいたのは佑の作詞についてだった。
「いつも通りのつもりなんだけどね」
平井さんにも心配され、真衣にも言われるなんて以前までのわたしはどれほどうるさかったのだろう。相当深い愛を松永佑に注いでいたのだろうか。
ドームコンサートの当落が発表され、大学生の長い夏休みもそろそろ終わろうかというころ。10月に始まるMerakのツアーで使ううちわを作るために、真衣はわたしの家に遊びに来ていた。来るなり早速、デビューツアーの復習と言い出してDVDを流し始めた。
「これ見てるのに、えらく落ち着いてるじゃん」
「もう何回も見たからさすがにね」
「ふぅん」
真衣が来るから、あのツーショット写真は片付けた。それが他人にばれていいものじゃないくらい、さすがにわたしもわかる。
読み終わった雑誌を片づけて、わたしも買ってきたうちわを取り出す。机にカッティングシートを取りに立ち上がったとき、松永佑の顔がカメラに抜かれた。
「もしかして冷めた?」
「Merakを? ……ないない」
まさか言えるわけがない。
なぜかこの間起きたら、どうやら松永佑を推していたことを忘れていたみたいで。そんな非現実的なことを口にしてしまえば、さすがの真衣でもわたしのことを気味悪がるだろう。
でも、わたしはまたMerakのことを少しずつ好きになっている。
義務感で買い始めた雑誌も、家にある解体した雑誌もコンサートのDVDも一通り見た。少しずつ、少しずつMerakについて知っていっている。そのなかで、わたしはまた松永佑のことを好きになっている。
「なんかさ、ちょっと信じられないよね」
「なにが?」
「会えるんだよね、この人たちに」
画面越しでしかない人たちが、近くで歌って踊っている姿を見ることができる。きっと何度も行っているのだろうけど、”わたし”ははじめてだから、そんなところが想像できない。
「ほんと、変なの。もう何回も会ってるよ」
真衣はそう笑うと、うちわのビニールを破り始めた。
『また必ずここに戻ってこれるよう、がんばります。これからも引き続き、応援よろしくお願いします』
みんながそれぞれの言葉を紡いでいくなか、わたしは佑を追っていた。
最後の曲が終わって、5人が後ろを向いた。惜しみない歓声と声のない曲が後ろで鳴るなか、佑の背中が映る。
その背中が、やけに小さく見えた。
「あ、巴音はさみ持ってる?」
「ん、あるよ」
真衣にはさみを渡しながら、画面を見る。
ふと思う。
松永佑の背中って、こんなに小さかったかな。
……消えそうだった。吹いたら呆気なく消えてしまうろうそくの灯火のように、落ちかかった線香花火のきらめきのように、いまにもすぐに消えてしまいそうだった。
その姿を見ていると、鼻の奥がツンとした。
……あんな思いは、もうしたくない。
「……え?」
「なに、どしたの?」
なんでいま、そう思ったんだろう。
まるで、経験しているみたいな。
「……ごめん、なんでもない」
「マジで巴音変だよ、大丈夫?」
「ほ、ほんと! どうしたんだろうね」
なんとか笑って誤魔化した。
本当に、自分でもおかしい。
「さ、うちわ作ろうよ。間に合わなくなっちゃうし」
「だね。やろっか」