勉強会は試験前の1週間だけにとどまらず、試験期間に入っても続いていた。
いつもの特等席で翌日の試験科目の勉強をしていた。
私が苦手な科目は宇上くんが教えてくれることもあったし、もちろん宇上くんが分からないと言った問題は私が教えた。
そうやって臨んだ期末試験は、過去一番の成績だった。
それは宇上くんも同じだったようで、2人して自分の成績に驚いた。
その時に私はひとつ大きな失敗をした。
驚きと同時に湧き上がってきた喜びに、うっかり彼の前で笑ってしまったのだ。
初めて彼の頬が赤らんだのを見た。
失敗したと思った。確かに彼は今まで私の前でそんな素振りを見せたことはなかったけれど、彼に私の力が及んでいないとは限らないのだから。
もっと警戒をするべきだった。
だけど彼は何かを言ってくることもなく、それ以来素っ気ない態度を徹底していれば彼が赤くなるようなこともなかった。
ただ、宇上くんは相変わらず私といる時間を望んだ。
今度は冬休みの宿題を一緒にやろうと提案してきた。
確かに教室では一切話しかけてこなくなったけれど、外で話している分前よりも関わることが多くなっていることは事実だ。
週に1回なんていう頻度ではないくらいに外で会っているのだから。
私が土曜日に図書館に入り浸っていることに気が付いた宇上くんは、気が付けば私が読書している隣で本を読んでいるようなことが増えた。
土曜日に確実にいると教えたわけではないし、私も毎週土曜日に行くわけでもない。けれど私が行くといつもいる。きっと毎週土曜日になると図書館に来ているんじゃないかと思うくらいに。いや、冬休みに入ってから土曜日以外に行っても見かけるからほとんど毎日いるのかもしれない。
どうしてそこまで私に拘るのだろう。
以前にも浮かんだ疑問がよみがえってきた。
「宇上くんさ、どうしてそうまでして私と話したがるの?」
「クラスメイトだし、隣の席だし。仲良くしたいじゃん」
隣で本を読んでいる彼に問いかければ、そこまで集中して本を読んでいなかったのか、すぐに答えが返ってきた。
「べつに無理して仲良くする必要ないでしょ」
そう言えば、宇上くんは本から顔を上げて私を見た。
その目は真剣で、私の視線を掴んで離さないという意志を感じた。
「なんていうか、夕山ってほっとけない」
「ほっといてくれていいよ」
「できないんだって」
「それは……」
それは、私の力のせい? なんて、宇上くんにきけるわけがない。
宇上くんに知られてはいけない。
「それは、何?」
「……なんでもない」
不思議そうな顔で首を傾げた宇上くんに、私は首を横に振って強引に彼に固定されていた視線を外した。
不思議に思っているのは私の方なのに。
こうやって一緒にいるくらいなのだから、宇上くんに嫌われていると言うようなことはないと思う。
けれど恋愛感情を持たれているかというと、それはないような気がする。
それこそ、本当に友達のような関係。
それが心地よくて、私はこの関係を壊したくないと願ってしまう。
そりゃあ私が憧れているのは恋愛事だし、もしも私の恋人になってくれるなら宇上くんが……と考えたことがないわけじゃない。
だけど、これ以上は望んじゃいけないと頭が警告を出してくる。
分かっている。今の関係だけで充分だから。これ以上を望んだりはしないし、私から行動を起こしたりもしない。
私は私自信に絶対を誓った。
ーー
「ねぇ涼心、聞いて!」
その日、仕事からご機嫌な様子で帰ってきた母は、リビングに入ってくるなり早々に背後から私に抱きついてきた。
「何?」
続く言葉を察していながら、私はお米を研ぎながらきいた。
「実はね、お母さんね……ふふ、新しい彼氏ができたの~!」
案の定、母は新しい恋を見つけてきた。
また母を傷つけるような相手かもしれないのに。
「そっか、おめでとう」
私は素性の知れない相手への警戒を自分の中だけに押し込めて、母に笑いかけた。
私のせいで最愛だったはずの父と別れて、母だって淋しい思いをしているんじゃないのかなと思っていた。私は母の恋人ではないから、どう頑張っても父の代わりなんてできやしない。母の恋人の座は他人でないと奪えない。
だけど娘は私だけだから。母を一番近くで心配する権利はあってもいいと思う。だけど、母を一番に応援する権利も持っていたい。
欲張りな私は、母に嫌われなさそうな権利を選んでしまう。
母の味方である娘の座は抑えているから、母が傷つけばまた私が慰める。
……私が母にこんな感情を向けるのは、母の力に当てられているせいなのだろうか。
自分の感情ですら曖昧に思う。私が自ら持っている感情なのか、それとも母の「人を魅了する力」によって持たされた感情なのか。
それって、私の本物の感情はどこにあるのだろう。
自分に対しても思うことを、私は私の力が及ぶ相手に思ってしまう。
もしも私が母のように結婚をして子どもを授かって「人を魅了する力」が弱まったなら、母のように男運の悪さが露わになるのではないかとも考えてしまう。
結局私は自分が一番大事なのかもしれない。
相手に傷ついてほしくないことも事実だけど、結局は我が身が一番かわいい。
「ねぇ、お母さん」
私は半透明に濁った水を捨てながら母に声をかける。
私の腰に腕を回して体を左右に揺らしていた母は、その動きを止めて「なぁに?」とまだ夢うつつにいるような声できいた。
「お母さんは、自分の力で、相手を魅了して恋人を作ってるの?」
「……」
母が黙り込んだ。怒らせてしまっただろうか。
不安になりながら水を捨てきって、次の水を出せないまま時間が経つ。
母が私の背中から離れ、隣に並んでシンクにもたれるようにして私の顔を覗き込んできた。
その顔に怒りはなく、むしろ優しく微笑んでいた。まるで私の言いたいことを分かっているとでも言いたそうな顔だった。
「涼心も知っての通り、この力の制御の仕方は分からない。べつに、狙って男の人を落としているわけじゃないのよ。お母さんに男運がないのは、恋愛体質なのがいけないのよ。ちょっと優しくされただけでときめいてしまう。自分で分かっていても、止められない」
お母さんは言いながらそんな自分を呆れたように笑った。
「もしもお母さんにこの力がなかったら、きっとこんなに上手くいっていないわ。だから昔から言っているように、しっかり相手を見極めないとダメ。だけど、やっぱりお母さんは恋が楽しくて、このときめきが心地よくてやめられない。力がなくても、それはきっと変わらないんじゃないかな」
自分の性格を分かったうえで、それが良くないと理解したうえで、母は自分の考えを認めているようだった。
それを後悔してもいない。
「あのね。傷つくことがあって、涼心にたくさん迷惑をかけているかもしれないけど、やっぱり恋って楽しいの」
「うん。楽しそうなの見てるから知ってるよ」
そう答えれば、母はふふと笑って私の髪を優しくなでた。
「相手を魅了させて落としているんじゃないけれど、恋を楽しんでいる私がこの力を便利に思っていることは否定できないわ。どうせ捨てられない力だもの。使えるものは使った方がいいじゃない? あぁもちろんお母さんの考えを、涼心に押し付けようとは思っていないわよ? 涼心がこの力で嫌な思いをしたことがあるのをお母さんはちゃんと知ってる」
「うん」
母が知ってくれているように、私も母がこの力を疎ましく思っていないことを知っている。
母が新しくできた彼氏に傷つけられたってまた新しい恋を探すだろうことも分かっている。
「……お母さんは、昔からこの力を嫌っていなかった?」
「……正直に言えば、さすがに誰彼構わず恋心を向けられることにいい気はしていなかったわ。お母さん、面食いだしね」
母はいたずらっぽく笑った。
面食いというだけでなくても、母の恋愛対象が異性であることも含めて言っているのだろう。
「この力がなかったらもしかしたら見向きもされなかったかもって、考えたことある?」
「あるわ。それを悔しく思ったこともある。でも、この力がきっかけだとしても、私を見てくれているって思うのは嬉しかったりしたの。もちろん私が好きな相手に、だけど」
分かっている、と頷けば母は話を続けた。
「この力含めて私なの。……この力を含めて、涼心なのよ」
母はこつんと私の額に自分の額をあてた。
「……ねぇ、この力にあてられない人って、いるのかな?」
「どうかしら。世界は広いし、実際この力を持つお母さんと涼心がいるんだし。……もしかしたら、どこかにいるかもしれないわね」
ふふ、と笑った母は、私から離れて行った。
もしも宇上くんがこの力にあてられない人だったなら。私は……。
「私は、どうするんだろう……」
「はぁ、お腹空いたぁ。晩ご飯の支度しないとね。あ、お米セット出来たらキッチン変わってねぇ」
母の声で我に返った私は、さっさと米を研ぐために水を出した。
いつもの特等席で翌日の試験科目の勉強をしていた。
私が苦手な科目は宇上くんが教えてくれることもあったし、もちろん宇上くんが分からないと言った問題は私が教えた。
そうやって臨んだ期末試験は、過去一番の成績だった。
それは宇上くんも同じだったようで、2人して自分の成績に驚いた。
その時に私はひとつ大きな失敗をした。
驚きと同時に湧き上がってきた喜びに、うっかり彼の前で笑ってしまったのだ。
初めて彼の頬が赤らんだのを見た。
失敗したと思った。確かに彼は今まで私の前でそんな素振りを見せたことはなかったけれど、彼に私の力が及んでいないとは限らないのだから。
もっと警戒をするべきだった。
だけど彼は何かを言ってくることもなく、それ以来素っ気ない態度を徹底していれば彼が赤くなるようなこともなかった。
ただ、宇上くんは相変わらず私といる時間を望んだ。
今度は冬休みの宿題を一緒にやろうと提案してきた。
確かに教室では一切話しかけてこなくなったけれど、外で話している分前よりも関わることが多くなっていることは事実だ。
週に1回なんていう頻度ではないくらいに外で会っているのだから。
私が土曜日に図書館に入り浸っていることに気が付いた宇上くんは、気が付けば私が読書している隣で本を読んでいるようなことが増えた。
土曜日に確実にいると教えたわけではないし、私も毎週土曜日に行くわけでもない。けれど私が行くといつもいる。きっと毎週土曜日になると図書館に来ているんじゃないかと思うくらいに。いや、冬休みに入ってから土曜日以外に行っても見かけるからほとんど毎日いるのかもしれない。
どうしてそこまで私に拘るのだろう。
以前にも浮かんだ疑問がよみがえってきた。
「宇上くんさ、どうしてそうまでして私と話したがるの?」
「クラスメイトだし、隣の席だし。仲良くしたいじゃん」
隣で本を読んでいる彼に問いかければ、そこまで集中して本を読んでいなかったのか、すぐに答えが返ってきた。
「べつに無理して仲良くする必要ないでしょ」
そう言えば、宇上くんは本から顔を上げて私を見た。
その目は真剣で、私の視線を掴んで離さないという意志を感じた。
「なんていうか、夕山ってほっとけない」
「ほっといてくれていいよ」
「できないんだって」
「それは……」
それは、私の力のせい? なんて、宇上くんにきけるわけがない。
宇上くんに知られてはいけない。
「それは、何?」
「……なんでもない」
不思議そうな顔で首を傾げた宇上くんに、私は首を横に振って強引に彼に固定されていた視線を外した。
不思議に思っているのは私の方なのに。
こうやって一緒にいるくらいなのだから、宇上くんに嫌われていると言うようなことはないと思う。
けれど恋愛感情を持たれているかというと、それはないような気がする。
それこそ、本当に友達のような関係。
それが心地よくて、私はこの関係を壊したくないと願ってしまう。
そりゃあ私が憧れているのは恋愛事だし、もしも私の恋人になってくれるなら宇上くんが……と考えたことがないわけじゃない。
だけど、これ以上は望んじゃいけないと頭が警告を出してくる。
分かっている。今の関係だけで充分だから。これ以上を望んだりはしないし、私から行動を起こしたりもしない。
私は私自信に絶対を誓った。
ーー
「ねぇ涼心、聞いて!」
その日、仕事からご機嫌な様子で帰ってきた母は、リビングに入ってくるなり早々に背後から私に抱きついてきた。
「何?」
続く言葉を察していながら、私はお米を研ぎながらきいた。
「実はね、お母さんね……ふふ、新しい彼氏ができたの~!」
案の定、母は新しい恋を見つけてきた。
また母を傷つけるような相手かもしれないのに。
「そっか、おめでとう」
私は素性の知れない相手への警戒を自分の中だけに押し込めて、母に笑いかけた。
私のせいで最愛だったはずの父と別れて、母だって淋しい思いをしているんじゃないのかなと思っていた。私は母の恋人ではないから、どう頑張っても父の代わりなんてできやしない。母の恋人の座は他人でないと奪えない。
だけど娘は私だけだから。母を一番近くで心配する権利はあってもいいと思う。だけど、母を一番に応援する権利も持っていたい。
欲張りな私は、母に嫌われなさそうな権利を選んでしまう。
母の味方である娘の座は抑えているから、母が傷つけばまた私が慰める。
……私が母にこんな感情を向けるのは、母の力に当てられているせいなのだろうか。
自分の感情ですら曖昧に思う。私が自ら持っている感情なのか、それとも母の「人を魅了する力」によって持たされた感情なのか。
それって、私の本物の感情はどこにあるのだろう。
自分に対しても思うことを、私は私の力が及ぶ相手に思ってしまう。
もしも私が母のように結婚をして子どもを授かって「人を魅了する力」が弱まったなら、母のように男運の悪さが露わになるのではないかとも考えてしまう。
結局私は自分が一番大事なのかもしれない。
相手に傷ついてほしくないことも事実だけど、結局は我が身が一番かわいい。
「ねぇ、お母さん」
私は半透明に濁った水を捨てながら母に声をかける。
私の腰に腕を回して体を左右に揺らしていた母は、その動きを止めて「なぁに?」とまだ夢うつつにいるような声できいた。
「お母さんは、自分の力で、相手を魅了して恋人を作ってるの?」
「……」
母が黙り込んだ。怒らせてしまっただろうか。
不安になりながら水を捨てきって、次の水を出せないまま時間が経つ。
母が私の背中から離れ、隣に並んでシンクにもたれるようにして私の顔を覗き込んできた。
その顔に怒りはなく、むしろ優しく微笑んでいた。まるで私の言いたいことを分かっているとでも言いたそうな顔だった。
「涼心も知っての通り、この力の制御の仕方は分からない。べつに、狙って男の人を落としているわけじゃないのよ。お母さんに男運がないのは、恋愛体質なのがいけないのよ。ちょっと優しくされただけでときめいてしまう。自分で分かっていても、止められない」
お母さんは言いながらそんな自分を呆れたように笑った。
「もしもお母さんにこの力がなかったら、きっとこんなに上手くいっていないわ。だから昔から言っているように、しっかり相手を見極めないとダメ。だけど、やっぱりお母さんは恋が楽しくて、このときめきが心地よくてやめられない。力がなくても、それはきっと変わらないんじゃないかな」
自分の性格を分かったうえで、それが良くないと理解したうえで、母は自分の考えを認めているようだった。
それを後悔してもいない。
「あのね。傷つくことがあって、涼心にたくさん迷惑をかけているかもしれないけど、やっぱり恋って楽しいの」
「うん。楽しそうなの見てるから知ってるよ」
そう答えれば、母はふふと笑って私の髪を優しくなでた。
「相手を魅了させて落としているんじゃないけれど、恋を楽しんでいる私がこの力を便利に思っていることは否定できないわ。どうせ捨てられない力だもの。使えるものは使った方がいいじゃない? あぁもちろんお母さんの考えを、涼心に押し付けようとは思っていないわよ? 涼心がこの力で嫌な思いをしたことがあるのをお母さんはちゃんと知ってる」
「うん」
母が知ってくれているように、私も母がこの力を疎ましく思っていないことを知っている。
母が新しくできた彼氏に傷つけられたってまた新しい恋を探すだろうことも分かっている。
「……お母さんは、昔からこの力を嫌っていなかった?」
「……正直に言えば、さすがに誰彼構わず恋心を向けられることにいい気はしていなかったわ。お母さん、面食いだしね」
母はいたずらっぽく笑った。
面食いというだけでなくても、母の恋愛対象が異性であることも含めて言っているのだろう。
「この力がなかったらもしかしたら見向きもされなかったかもって、考えたことある?」
「あるわ。それを悔しく思ったこともある。でも、この力がきっかけだとしても、私を見てくれているって思うのは嬉しかったりしたの。もちろん私が好きな相手に、だけど」
分かっている、と頷けば母は話を続けた。
「この力含めて私なの。……この力を含めて、涼心なのよ」
母はこつんと私の額に自分の額をあてた。
「……ねぇ、この力にあてられない人って、いるのかな?」
「どうかしら。世界は広いし、実際この力を持つお母さんと涼心がいるんだし。……もしかしたら、どこかにいるかもしれないわね」
ふふ、と笑った母は、私から離れて行った。
もしも宇上くんがこの力にあてられない人だったなら。私は……。
「私は、どうするんだろう……」
「はぁ、お腹空いたぁ。晩ご飯の支度しないとね。あ、お米セット出来たらキッチン変わってねぇ」
母の声で我に返った私は、さっさと米を研ぐために水を出した。