期末試験も近くなった頃、宇上くんとの約束通り勉強会が開かれた。もちろん私と宇上くんの2人だけで。
 図書館の自習室は人が多いからという理由で、いつもの私の特等席で並んで勉強することになった。
 私のわがままにも宇上くんは嫌な顔ひとつせず了承してくれた。
「夕山はいつも一週間前からちゃんと勉強する?」
「一応。宇上くんもするんだね」
「俺は勉強というか、ワークとか進めてないと前日に寝る余裕がないくらい提出物がたまるんだよ。それでちょっとずつでも早いうちから進めてるってわけ」
 それって別に私がいなくてもいいことなんじゃ……。
「クラスの勉強会の時にやればいいじゃん」
「……あれね、うん」
「何?」
「勉強会という名のお遊び会になってるんだよね」
 宇上くんが遠い目をして言った。
「勉強会じゃなかったの」
「そのつもりで毎回放課後の教室でやってるんだけど、みんなすぐ集中切れるんだよ」
「へぇ」
「あ、ちょっと興味ある?」
「ない」
 むしろ今のは興味ないと思われるような返事だったと思うんだけど。
 実際クラスの勉強会に興味はない。友達と集まって勉強というシチュエーションには憧れないでもないけど、そもそも私には友達がいない。クラスメイトたちの勉強会に混ざったところで、それは友達との勉強会とは言えない。
「ほら、早くワークやらないと前日寝れなくなるよ」
「怖いこと言わないでよ……」
 彼のワークを突いて急かせば、宇上くんは不満そうに唇を尖らせてペンを動かし始めた。
 少し子どもっぽいその仕草が可愛く見えて、彼に気付かれないように小さく笑った。

 時々宇上くんが分からないと言った問題の解き方を教えながらも、しばらくは集中してワークを進めていた。
 先に宇上くんの集中が切れた。ペンを投げだして、後方に背中を逸らして伸びをしていた。
「お腹空かない?」
「ワークは終わったの?」
「このくらい終わらせておけばたぶん大丈夫」
「そう。じゃあもう帰ろうか」
 私も解いていたワークを閉じて筆記用具を片付けていると、隣から不服そうな視線を感じた。
「……何?」
「今のは、じゃあご飯食べて帰る? っていうところでしょ」
「知らないよ」
「友達とそんな会話するでしょ?」
「嫌味なの? 私に友達がいると本気で思ってるの?」
「……中学の友達とか。小学生の頃の友達とか。近所に幼馴染がいるとか」
 彼が思いつく友達がいそうなところを言うたびに、私は無言で首を横に振った。
 どこにも友達なんているわけがない。
「じゃあもしかして俺が初めての友達?」
「……宇上くんはクラスメイトでしょ」
 私は思い出したように片付ける手を動かしながら素っ気なく返した。
「もはや意地だね。友達っていいものだよ?」
「そうかもね。でも、私には無理だよ」
 友達になるより先に恋愛感情を向けられてしまうんだから。
 そこに男子も女子も関係ない。幼稚園児でもお年寄りでも、簡単に私に顔を赤らめる。
「……夕山――」
「ご飯食べに行くならひとりで行ってね。一緒には行かないから」
 何かを言いかけた宇上くんの言葉を遮り、私は席を立ってスクールバッグを肩にかけた。
「あ、待って俺も帰るから。ご飯は冗談としても途中までは送るって」
「一人で帰れる」
「でももう暗いから。送らせて。俺がそうしたい」
 相変わらず引かない彼に、私は諦めて頷いてしまった。
 もしかして私って押しに弱いタイプだろうかと今更ながらに思う。
 いや、これは宇上くんが強情なせいだ。断る方が面倒くさいから頷いてしまうだけで……。
 そこまで考えて、それってやっぱり押しに弱いってことだなと認めざるを得なかった。
「いやぁ、やっぱりこっちの勉強会の方が捗るね」
 すっかり暗くなった道を歩きながら宇上くんが満足そうに言った。歩きながら固まった体を伸ばしている。
「遊んでるよりはそうでしょうね」
「勉強したいなんてただの口実だよね。その実みんなで遊びたいだけだよ。この学校ってクラス会とかないの? クラスのみんなで集まって遊びに行ったりしない感じ?」
 宇上くんは伸ばしていた腕を下ろし、鞄を抱えなおしながらきいてきた。
「私が知る限り、ない」
 学校行事としてのクラス会はない。個人的に友達を誘って大勢で遊びにっていることがあったとしても、それは私の知るところではないし。
「そうなんだ。俺が前いた高校はあったんだけどな、クラス会。去年は家庭科室の使用許可貰って、夏休みとかにたこ焼きパーティーしたり。今年の夏休みは中庭で流しそうめんやったんだけど、楽しかったよ」
 うちの高校にクラス会があったとしても、私は絶対に理由を付けて参加しない。自由参加なら断るのはまだ楽だけど、もしも強制参加だったら面倒だ。体育祭や文化祭だって、欠席するために母に毎回学校に連絡を入れてもらっているのに。これ以上面倒を増やさないでほしい。
「クラス会、提案したら乗ってくれるかな。そしたら夕山は……ごめん、睨まないで」
 面倒を増やさないで欲しいと考えているときになんてことを言い出すんだ。
 宇上くんはもう一度「ごめん」と謝った。
「夕山さ、なんでそんなに人付き合いを嫌がるの?」
 宇上くんは純粋な疑問を口にしただけだろう。責めるような口調ではなかった。
 だけど心臓がきゅうっと締め付けられるように感じた私は、足を止めてしまった。
 宇上くんは数歩先で足を止めて私を振り返った。
 真面目に答えたって信じてはもらえないだろう。どうせ自意識過剰だとか言われるような話だ。
「……」
「……」
 暗に回答拒否の意味を込めて黙っていたけれど、宇上くんも私が答えるまで話題を変える気はなさそうだった。
「……宇上くんにはわかんない理由だよ」
 いたたまれなくなって、視線を逸らす。嘘ではない言い方で、彼の問いに答えることへの拒否を示した。
「……そっか」
 街灯に照らされた宇上くんは、淋しそうな顔をしていた。
 いっそ全部話してしまえたら楽だろう。だけどそのあとの反応を想像すれば、簡単に話してしまうわけにはいかなかった。
 母だって恋人に自分の力のことは話さない。父には仕方なく話したそうだけど、本当は最後まで話すつもりはなかったと言っていたくらいだ。
 母にできることを私ができないのに、母がしないことを私がしない方がいいに決まっている。
 ここまで私に気を遣ってくれている宇上くんにどこまでも冷たくしないといけないことが嫌になる。だけど、この力なんかで強引に恋愛感情を私に向けさせたくはないんだ。
「……ごめん」
「夕山が謝ることないよ」
 そう言ってくれた宇上くんの小さな声は、心臓が切なくなるほど優しいものだった。

「ここまででいいよ」
 次の角を曲がれば突き当りにあるアパートに着く。宇上くんの家がどこにあるのか知らないけれど、少しでも手前で別れる方がいいだろう。
「分かった。気を付けて」
「ありがとう」
「こっちこそ、勉強教えてくれてありがとう。また明日」
「……また、明日」
 宇上くんの『また明日』にぎこちなく返せば、彼は満足そうに頷いて私に背を向けた。
 歩いてきた道を戻っていく彼に、やっぱりここで別れて正解だったと思った。
 家が反対なのか、通り過ぎただけなのか。夜道が危ないことに男も女も関係ない。せめてここから少しでも近い場所に家があることを願って、私もアパートに足を向けた。
 家に帰ると、満面の笑みを浮かべた母がリビングから飛び出してきた。
「おかえりなさい! 今日は帰りが遅かったわね!」
「……なんで娘の帰りの遅さを喜んでるの」
「だって、お友達と遊んで帰ってきた可能性が高いってことでしょ?」
 母は今にも飛び跳ねて喜びそうなくらいにテンション高く言った。興奮しすぎて高くなりすぎた声が時々消えている。
「ひとりでいたかも」
「涼心が図書館に行くのはいつも土曜日でしょ? どこか寄り道して買い物をしていたとしても、真っ暗になるまで帰ってこないことって滅多にないと思うの。それに今日は荷物も持っていないみたいだし? どう? お母さんの推理、当たってるでしょ?」
 母の推理に敗北した私は、苦笑いを零した。
「うん。でもただのクラスメイトだよ。それにいたのは図書館だし。してたのは読書じゃなくて勉強だけどね」
 訂正をしながらこれなら引き分けだな、と思った。母の推理が外れていることろも多い。
「一緒に勉強ができるお友達がいるのね!」
「クラスメイトだってば」
「そうね、クラスメイトね、ふふ」
 含み笑いをした母は、「すぐにご飯にするから着替えてらっしゃい」と言って廊下を開けてくれた。
 やっぱり勉強会は断るべきだったかなと思ったが、今更断れるわけもない。
 帰りが遅くなると連絡を入れてはいたけれど、まさかあんな推測をして待っているとは思っていなかった。
 だけど今まで私の力でたくさん迷惑をかけていた分、私の帰りが少し遅くなっただけであんなに喜んでくれる母を見られてちょっと嬉しかった。
 ありがとう、宇上くん。直接本人に言えるお礼ではないけれど……。
 明日もまた図書館で勉強をしてくると言えば、母はどんな反応を見せるだろう。