土曜日、私は例の如く図書館に行った。
新しい本を数冊手に取り、図書館で読んでいく本を1冊探した。
読むのは決まって図書館の奥にある3人分の椅子しかないカウンター席。壁を向いて座るから、うっかり本を読んで表情を崩してしまっても誰かに見られる心配は少ない。少し薄暗いから私以外に来る人もいない。
私は特等席とも言えるその場所で、今日も恋愛小説を読んでいた。
女子高生が先輩に恋をする話だ。
少女の方から野球に打ち込む先輩に恋をして告白をするんだけど、先輩は先輩で彼女が演奏するトランペットの音をいつも聞いてパワーをもらっていた。
吹奏楽部の少女が甲子園に出る彼を応援するためにソロパートを勝ち取るなんて、もはや愛でしかない。そしてそんな彼女の応援に力を貰った彼は甲子園でホームランを打ってチームを優勝に導く。
甲子園での活躍によってプロチームに勧誘された彼は大好きな彼女か野球かで悩んだりもするんだけど、彼女は先輩に好きなものを諦めて欲しくなくて別れを切り出す。
彼女のままで先輩の中にいればいつか足を引っ張ることになると思った彼女から別れを切り出したけど、彼女にとっては先輩以上に好きになれる人もいなくて、大学生になっても忘れられなかった。ただ大好きな先輩がどこかで聞いてくれていたらと思って音大に行ってプロ奏者になって、と自分の道を進む。先輩を応援するためだけに音楽を続けていた彼女を先輩も見つけ出してくれて、今度は先輩の方から告白してくれる。
私は母が泣いているのを見た後でも、こんな恋物語を読めばときめいてしまう。恋っていいなと思ってしまう。
こんな恋は小説の中だけかもしれなくても、いろんな恋愛があることが素敵だと思わずにはいられない。
「……ふぅ」
読み終えた本を閉じ、すっかり固まってしまった体をほぐすために腕を天井に向けて伸びをした。
もう一度ふぅと息を吐き出しながら腕を下ろすと、左側に人の姿が見えた。
チラッとほとんど無意識に視線を向けると、そこには見知った顔がこっちを見ていた。
「なんで……」
条件反射でこぼれた声は、静かな図書館では簡単に相手に届いてしまった。
「見かけたから」
それがどうかした? とでも言いたそうな顔で、宇上くんは微笑を浮かべた。こてんと首を傾げるあざとさはいったいどこで学んだんだろう。
制服とは違って私服の宇上くんは、なというか……強そうだった。
黒が基調で青い大ぶりの花柄があるシャツは第3ボタンくらいまで開けられていて、黒いタートルネックのインナーが露わになっている。ダメージ加工がある黒いボトムスからは余ったベルトが垂れている。
胸元に引っかけている丸眼鏡をかけていたら、すぐに宇上くんだとは気づかなかっただろう。
「夕山って私服そんな感じなんだね」
彼は私の服を指さして「似合ってるね」と言う。
私はもう着ないからと母に押し付けられた、白いロング丈のシャツワンピを着ていた。上にカーディガンを羽織っているけど、今はもう11月だと言うのにこの格好で過ごせるんだから今年は随分と暑さが尾を引いている。
「……どうも」
素っ気なく返した私に、彼は本を指さして「何読んでたの?」ときいてきた。
宇上くんとは距離を置きたいと思っているのに、どうしてか私は彼のペースに巻き込まれてしまう。
「恋愛小説」
だからうっかりきかれたことに答えてしまう。
「学校で読んでるのも恋愛もの? 好きなの?」
「そうだけど」
「いいね。俺にもおすすめ教えてよ」
「……私に関わらない方がいいよ」
「夕山は俺と距離を取りたがるよね。なんで? 学校でもあんな風にさ……あんな風に言われるような人じゃないのに」
今日の宇上くんは核心を突くような話し方をしてくる。
少し怒っているようにも見えた。こんなにも不愛想で素っ気ない態度を取られたら、誰だって嫌な気になる。
それなのにいじめられることもなければ、こうやって宇上くんが話かけるのを諦めてくれないことも、きっと私の力のせい。
席を立った私は、本を持ってカウンターから離れた。
「あんな風に言われるような人だよ、私は」
彼に踵を返し、呟くように答えた。
読み終わった小説を本棚に戻す。
「そんなことないでしょ」
持っていた7冊の本の貸出手続きをする間も、図書館から出ても、宇上くんは私についてきた。
「俺には素っ気ないような態度を取っても、アイには優しかった」
「……」
「夕山、本当は優しい人でしょ」
宇上くんは知ったようなことを言う。
足を止めた私は、宇上くんを振り返った。
「そんなんじゃない。私はみんなが言うような冷たい人だよ。誰とも話したくない、宇上くんとも。だからもう私に話しかけないで。アイちゃんの報告もいらないから」
「……なんでそんな思ってもないこと言うの」
決めつけるような言い方に腹が立った。
私が必死に自分も相手も守っているのに、どうしてその努力を無駄にするようなことを言うの。
「宇上くんに何が分かるの」
私は眉間にしわを寄せて静かに彼を睨みつけた。
それでも宇上くんは表情を変えない。真剣な顔で私を見ているだけだった。
何も言わない宇上くんに、これでもう私に話しかけてきたりしないはずだと思って背を向けた。
しかし私の推測は一瞬で外れた。
「待って夕山」
あれだけ冷たく言い放っても宇上くんは意に介さない。
傷ついた顔を見せられても私が困るけど……なんてまた身勝手なことを思ってしまう自分が憎らしい。
腕を掴まれて強制的に振り向かされる。
「うん、やっぱりちゃんと感情あるじゃん」
「はぁ?」
宇上くんはにこにこと笑って突拍子のないことを言う。
私は宇上くんの言いたいことが分からず怪訝に思う顔を隠すことができなかった。
「今怒ってたでしょ? ちゃんと感情があるってことは、やっぱりアイへの優しさも偽物じゃないよ。だから嬉しい」
宇上くんは言葉通り嬉しそうに笑っている。
宇上くんは……変な人だ。
冷たくしてもこんな風に話しかけてくる人なんて彼が初めてだ。他の人はこんな風に心折れずに話しかけてきたことはなかったのに。
「あ、ところでさ。夕山って勉強できる人?」
「いきなり、何?」
「今度クラスの何人かと勉強会しようかって話が出てるんだけど、みんなそこまで頭がいいって程じゃないみたいでさ。今勉強できる人探してて。ほら、そのうち期末試験も始まるし」
「私に関わらない方がいいって言ったでしょ。私がいるとみんな嫌がるよ」
「そうかな……。でも高橋とか夕山のこと好きそう――」
「やめて!」
続きを聞きたくなくて、私は大きな声で彼の声を遮った。
そんなのは偽物の好意だ。
私はそんなものほしくない。
「夕山……?」
私が無視をしても不愛想でも困ったように笑う程度だった宇上くんが、今は分かりやすく戸惑っていた。笑みを浮かべる余裕もなさそうに狼狽えている。
「ご、ごめん」
「……べつに、宇上くんはなにも。でも、そういう話はやめて」
どれだけ望んでも私には何が本物の愛情かなんて分からないんだから。だけど高橋くんの私への好意は確実に偽物だ。私と話をしている宇上くんに嫉妬の視線を向けていた彼は、私に恋なんてしていない。
「……分かった。もうしない。……それで、勉強会って……」
「私は行かない」
「あ、あのさ。諦め悪くてごめんなんだけど……俺と2人だけだったら?」
食い下がってくる彼に、もはや感心する。
どうしてそんなに私に拘るの。
私なんかより愛想がよくて可愛くてノリがいい人なんてクラスにいくらでもいる。
宇上くんの前の席の子も、他のよく彼と話している女子生徒も。うちのクラスに限らなくたって他クラスでも他学年でも、学外でだっていくらでもいる。
それなのにどうしてそんなに私に対して諦めが悪いの。
「学校で俺に話しかけられるのが嫌なんだったら、図書館とかで勉強教えてよ。そしたら教室で話しかけないって約束する。注目を集めるようなことはしない」
私が注目されるのが苦手な人間だと解釈したのか、宇上くんはそんな提案を持ち出した。
私に話しかけないでほしいのは教室の中だけのことじゃないし、できることなら勉強会も諦めて金輪際私に関わらないことを約束してほしいくらいだ。なのに、私を選んでくれていることを嬉しく思ってしまう自分もいる。
宇上くんが私によくしてくれるのは、私の制御できない力のせいかもしれないのに。
「お願い! この通り!」
宇上くんはパンッといい音を鳴らして顔の前で手を合わせた。
断れ、私。いいことなんて何もないんだから。
傷つきたくないなら、宇上くんを傷つけたくないなら、断れ。
「……他に誰もいないなら」
自分の口を縫い付けてやりたくなった。
新しい本を数冊手に取り、図書館で読んでいく本を1冊探した。
読むのは決まって図書館の奥にある3人分の椅子しかないカウンター席。壁を向いて座るから、うっかり本を読んで表情を崩してしまっても誰かに見られる心配は少ない。少し薄暗いから私以外に来る人もいない。
私は特等席とも言えるその場所で、今日も恋愛小説を読んでいた。
女子高生が先輩に恋をする話だ。
少女の方から野球に打ち込む先輩に恋をして告白をするんだけど、先輩は先輩で彼女が演奏するトランペットの音をいつも聞いてパワーをもらっていた。
吹奏楽部の少女が甲子園に出る彼を応援するためにソロパートを勝ち取るなんて、もはや愛でしかない。そしてそんな彼女の応援に力を貰った彼は甲子園でホームランを打ってチームを優勝に導く。
甲子園での活躍によってプロチームに勧誘された彼は大好きな彼女か野球かで悩んだりもするんだけど、彼女は先輩に好きなものを諦めて欲しくなくて別れを切り出す。
彼女のままで先輩の中にいればいつか足を引っ張ることになると思った彼女から別れを切り出したけど、彼女にとっては先輩以上に好きになれる人もいなくて、大学生になっても忘れられなかった。ただ大好きな先輩がどこかで聞いてくれていたらと思って音大に行ってプロ奏者になって、と自分の道を進む。先輩を応援するためだけに音楽を続けていた彼女を先輩も見つけ出してくれて、今度は先輩の方から告白してくれる。
私は母が泣いているのを見た後でも、こんな恋物語を読めばときめいてしまう。恋っていいなと思ってしまう。
こんな恋は小説の中だけかもしれなくても、いろんな恋愛があることが素敵だと思わずにはいられない。
「……ふぅ」
読み終えた本を閉じ、すっかり固まってしまった体をほぐすために腕を天井に向けて伸びをした。
もう一度ふぅと息を吐き出しながら腕を下ろすと、左側に人の姿が見えた。
チラッとほとんど無意識に視線を向けると、そこには見知った顔がこっちを見ていた。
「なんで……」
条件反射でこぼれた声は、静かな図書館では簡単に相手に届いてしまった。
「見かけたから」
それがどうかした? とでも言いたそうな顔で、宇上くんは微笑を浮かべた。こてんと首を傾げるあざとさはいったいどこで学んだんだろう。
制服とは違って私服の宇上くんは、なというか……強そうだった。
黒が基調で青い大ぶりの花柄があるシャツは第3ボタンくらいまで開けられていて、黒いタートルネックのインナーが露わになっている。ダメージ加工がある黒いボトムスからは余ったベルトが垂れている。
胸元に引っかけている丸眼鏡をかけていたら、すぐに宇上くんだとは気づかなかっただろう。
「夕山って私服そんな感じなんだね」
彼は私の服を指さして「似合ってるね」と言う。
私はもう着ないからと母に押し付けられた、白いロング丈のシャツワンピを着ていた。上にカーディガンを羽織っているけど、今はもう11月だと言うのにこの格好で過ごせるんだから今年は随分と暑さが尾を引いている。
「……どうも」
素っ気なく返した私に、彼は本を指さして「何読んでたの?」ときいてきた。
宇上くんとは距離を置きたいと思っているのに、どうしてか私は彼のペースに巻き込まれてしまう。
「恋愛小説」
だからうっかりきかれたことに答えてしまう。
「学校で読んでるのも恋愛もの? 好きなの?」
「そうだけど」
「いいね。俺にもおすすめ教えてよ」
「……私に関わらない方がいいよ」
「夕山は俺と距離を取りたがるよね。なんで? 学校でもあんな風にさ……あんな風に言われるような人じゃないのに」
今日の宇上くんは核心を突くような話し方をしてくる。
少し怒っているようにも見えた。こんなにも不愛想で素っ気ない態度を取られたら、誰だって嫌な気になる。
それなのにいじめられることもなければ、こうやって宇上くんが話かけるのを諦めてくれないことも、きっと私の力のせい。
席を立った私は、本を持ってカウンターから離れた。
「あんな風に言われるような人だよ、私は」
彼に踵を返し、呟くように答えた。
読み終わった小説を本棚に戻す。
「そんなことないでしょ」
持っていた7冊の本の貸出手続きをする間も、図書館から出ても、宇上くんは私についてきた。
「俺には素っ気ないような態度を取っても、アイには優しかった」
「……」
「夕山、本当は優しい人でしょ」
宇上くんは知ったようなことを言う。
足を止めた私は、宇上くんを振り返った。
「そんなんじゃない。私はみんなが言うような冷たい人だよ。誰とも話したくない、宇上くんとも。だからもう私に話しかけないで。アイちゃんの報告もいらないから」
「……なんでそんな思ってもないこと言うの」
決めつけるような言い方に腹が立った。
私が必死に自分も相手も守っているのに、どうしてその努力を無駄にするようなことを言うの。
「宇上くんに何が分かるの」
私は眉間にしわを寄せて静かに彼を睨みつけた。
それでも宇上くんは表情を変えない。真剣な顔で私を見ているだけだった。
何も言わない宇上くんに、これでもう私に話しかけてきたりしないはずだと思って背を向けた。
しかし私の推測は一瞬で外れた。
「待って夕山」
あれだけ冷たく言い放っても宇上くんは意に介さない。
傷ついた顔を見せられても私が困るけど……なんてまた身勝手なことを思ってしまう自分が憎らしい。
腕を掴まれて強制的に振り向かされる。
「うん、やっぱりちゃんと感情あるじゃん」
「はぁ?」
宇上くんはにこにこと笑って突拍子のないことを言う。
私は宇上くんの言いたいことが分からず怪訝に思う顔を隠すことができなかった。
「今怒ってたでしょ? ちゃんと感情があるってことは、やっぱりアイへの優しさも偽物じゃないよ。だから嬉しい」
宇上くんは言葉通り嬉しそうに笑っている。
宇上くんは……変な人だ。
冷たくしてもこんな風に話しかけてくる人なんて彼が初めてだ。他の人はこんな風に心折れずに話しかけてきたことはなかったのに。
「あ、ところでさ。夕山って勉強できる人?」
「いきなり、何?」
「今度クラスの何人かと勉強会しようかって話が出てるんだけど、みんなそこまで頭がいいって程じゃないみたいでさ。今勉強できる人探してて。ほら、そのうち期末試験も始まるし」
「私に関わらない方がいいって言ったでしょ。私がいるとみんな嫌がるよ」
「そうかな……。でも高橋とか夕山のこと好きそう――」
「やめて!」
続きを聞きたくなくて、私は大きな声で彼の声を遮った。
そんなのは偽物の好意だ。
私はそんなものほしくない。
「夕山……?」
私が無視をしても不愛想でも困ったように笑う程度だった宇上くんが、今は分かりやすく戸惑っていた。笑みを浮かべる余裕もなさそうに狼狽えている。
「ご、ごめん」
「……べつに、宇上くんはなにも。でも、そういう話はやめて」
どれだけ望んでも私には何が本物の愛情かなんて分からないんだから。だけど高橋くんの私への好意は確実に偽物だ。私と話をしている宇上くんに嫉妬の視線を向けていた彼は、私に恋なんてしていない。
「……分かった。もうしない。……それで、勉強会って……」
「私は行かない」
「あ、あのさ。諦め悪くてごめんなんだけど……俺と2人だけだったら?」
食い下がってくる彼に、もはや感心する。
どうしてそんなに私に拘るの。
私なんかより愛想がよくて可愛くてノリがいい人なんてクラスにいくらでもいる。
宇上くんの前の席の子も、他のよく彼と話している女子生徒も。うちのクラスに限らなくたって他クラスでも他学年でも、学外でだっていくらでもいる。
それなのにどうしてそんなに私に対して諦めが悪いの。
「学校で俺に話しかけられるのが嫌なんだったら、図書館とかで勉強教えてよ。そしたら教室で話しかけないって約束する。注目を集めるようなことはしない」
私が注目されるのが苦手な人間だと解釈したのか、宇上くんはそんな提案を持ち出した。
私に話しかけないでほしいのは教室の中だけのことじゃないし、できることなら勉強会も諦めて金輪際私に関わらないことを約束してほしいくらいだ。なのに、私を選んでくれていることを嬉しく思ってしまう自分もいる。
宇上くんが私によくしてくれるのは、私の制御できない力のせいかもしれないのに。
「お願い! この通り!」
宇上くんはパンッといい音を鳴らして顔の前で手を合わせた。
断れ、私。いいことなんて何もないんだから。
傷つきたくないなら、宇上くんを傷つけたくないなら、断れ。
「……他に誰もいないなら」
自分の口を縫い付けてやりたくなった。