月曜日になれば、私は制服に袖を通して学校へ向かう。
自転車で15分ほどの場所にある公立高校は、制服が可愛くて選んだ。
駐輪場に自転車を置き、下足室で靴を履き替えて教室へ行く。その途中、廊下に教科書をばらまいてしまったらしい女子生徒とすれ違ったけれど、私は彼女に手を差し伸べることができなかった。
少しでも優しくすれば、また私は無意識にも力を使ってしまうことになるから。
私は学校では無表情を決め込み、なるべく誰とも話さずにひとりで過ごしている。
それでもその場にいるだけで多少の力は発動しているようで、視線を感じることは何度もあった。私が塩対応であっても、それがいいと感じる人にはツボなのだろう。
大抵は、私を見ても冷たい人間だとしか感じないと思うけれど、それが学校中に広まっている辺り、何をやっても注目は集めてしまうということなんだろうなと思っている。
学校が楽しいと思ったことはないけれど、自分でも不思議なことに学校に行きたくないと思ったこともない。
2年1組の教室に入り、一直線に自分の席に向かう。
誰にも挨拶をしないし、挨拶をされることもない。
時折視線を感じることもあるけれど、だからと言って私に話しかけてくる人もいない。いじめられているわけでもないけれど、居心地が悪いと感じることは否定できない。
こういうのは気にしないのが一番いいことを私は知っている。スクールバッグがから土曜日に図書館で借りてきたばかりの小説を取り出す。
いつぞや本屋大賞を取ったとかで一時期話題になっていた恋愛小説だ。
書店に並んでいた時は買いたいとは思わなかったけれど、図書館にあるなら話は別だ。恋愛小説なんだし、読みたいに決まっている。
私は心を弾ませながら、だけど顔には出さないようにしながら表紙を捲った。
朝の時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
早く続きを読みたいと思うのに、担任が教室に入ってきてしまった。
「はいおはよう。出席とるぞー。近くにいない生徒がいたら報告!」
「雑いってかがやん!」
どこからか男子生徒の声が聞こえ、教室に笑いがおきる。
加賀山先生は大雑把で適当なところが多い先生だけれど、人望は厚いようで生徒からは「かがやん」と呼ばれ慕われている。教師の間ではどうなのか知らないけれど。
寝ぐせが付いた髪もそのままに学校に来るところは、さすがにもう少し身だしなみに気を付けたらいいのにと思わないでもない。
「よしよし全員いるな。優秀だな俺のクラス」
「かがやーん! あたしの後ろに机が増えてるんですけど!」
後ろから2番目、窓際から3列目に座っている女子生徒が手を上げた。
彼女は自分の後ろの空席を指さした。それは私の右隣にある空席でもあった。
「いいことに気付いたな」
先生の一言で教室がざわついた。
「もしかして? もしかする?」
「もしかするぞ、転校生だ! 入りたまえ転校生くん」
先生がかっこつけて廊下に声をかけると、すぐに教室のドアが開いた。
教室に入ってきたのは、染めたのかと思うほどの黒いマッシュヘアの男子生徒だった。制服が間に合わなかったのか、この学校のものではないものを着ている。
170はあるらしい加賀山先生より背が高かった。顔立ちも整っていて、モデルと言われても頷けるスタイルの良さだ。
「はいじゃあ自己紹介よろしく」
「はい。初めまして、宇上惣太郎です。漢字で書くと……」
宇上くんは白いチョークを手に取り、黒板に縦書きで自分の名前を書いた。
それは先生が書く字よりもきれいだった。
「すご、字きれ。かがやんよりきれい」
「おい誰だ俺よりきれいって言ったの。俺も十分きれいだろうが」
「かがやんはコンディションによるじゃん」
名前を書き終わった宇上くんは、手に付いたチョークの粉を叩き落としながら笑った。
「習字を習っていたことがあるのと、中学は書道部だったので字にはちょっと自信があります。きれいって言ってくれてありがとう。前の学校では『惣』とか『惣ちゃん』って呼ばれてました。気軽に話しかけてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた宇上くんに、クラスのみんなは拍手を送った。もちろん私も控えめに手を叩いた。
「はきはきとした自己紹介ありがとう。でも字は俺の方がきれい!」
「かがやん諦め悪いって」
「やかましい! あ、惣ちゃんの席はあの一番後ろの空席な。夕山の隣だ」
先生は私の隣の席を指さした。先生から私の名前が出た途端、教室は一気に静まり返った。
宇上くんはそれに気が付いて少し首を傾げたが、迷いのない足取りで私の隣の席まで来た。
「夕山、これからよろしく」
宇上くんは人好きがするような笑みを浮かべていた。
私はそれに笑い返したりはせず、冷たいと言われる無表情のまま何も答えず正面に顔を戻した。
私の印象は最悪だろう。私だって心が痛まないわけじゃない。だけど、相手も自分も守るにはこれが一番いいのだから仕方がない。
もう慣れた。こんなのはいつものことだ。
「そんじゃあ1時間目の準備しとけよ」
先生は軽い調子で言い残して教室を出て行った。
1時間目が終わった途端、宇上くんはクラスメイトに囲まれていた。
隣の私ですら彼の姿が見えないくらいに埋め尽くされている。転校生はいつだって珍しいものだし、仕方ないのかもいれないけれど。
どこから来たの、書道部って大人っぽくてかっこいいね、部活は決めたの、決めてないならここも書道部あるよ、あえて美術部なんてどう、それなら吹奏楽部、運動部もおすすめ、ここのサッカー部は強いよ……。
一方的とも言える話題のボールに、宇上くんがそうなんだ、へぇ、すごいねと言ったシンプルな相槌を返している声が聞こえる。
圧倒されて困惑しているようでもあるし、本当にそう思っての相槌のようでもあった。
どの言葉にも短いながらにも返事をしている辺り、律儀な性格なのかもしれない。
私は小説の続きを読みたかったけれど、隣が騒がしくてどうにも集中できなかった。かといって何もしないまま教室にいる気にもなれず、とりあえずトイレに避難することにした。
席を立って彼の後ろを通っていけば、宇上くんの周りが一瞬だけ静かになった。その中でぼそりと、彼の前の席の女子生徒の声が宇上くんにアドバイスをするのが聞こえた。
「夕山さんには近づかない方がいいよ。あの子、冷たくて薄情な人だから。涼しい心そのまんま」
これもよく言われるアドバイスだ。
私は表情をピクリとも動かさずに教室を出た。
大丈夫、このくらい。実際それで人が近づいてこないなら私の方こそやりやすい。
そう自分に言い聞かせて用もないのにトイレにこもった。
ーー
3日が経って宇上くんの制服がうちのものに変われば、彼への注目は少し落ち着いた。
ノリが良くて話しやすい彼は、すっかりクラスに馴染んでいた。
初対面で素っ気ない態度を取った私にも、朝と帰りには声をかけてくれる。そのたびに私は彼を無視して心を痛めた。
見ている限り宇上くんは私に声をかけるときに顔を赤らめたりしない。冷たくされて喜ぶタイプではないとは分かるけれど、もしも私が返事をしたら彼はどんな態度を取るんだろう。
顔を赤らめて嬉しそうに笑ったりするのだろうか。
そんな宇上くんを見たくはない。
クラスの誰にも態度を変えることなく分け隔てなく笑いかける彼が、私だけを特別に見る姿は見たくない。
そう思う反面、これ以上不愛想で居続けて彼が私にだけ声をかけてくれなくなるのも淋しいなんて自分勝手なことも思ってしまう。
私から距離を取っておいてなんて身勝手なんだろう。自分が心底嫌になる。
「おはよう、夕山」
宇上くんは今日も私に挨拶をしてくれた。
私は何の感情も表に出さず、冷たい目で彼を見てすぐに視線を逸らした。
こんな力がなければ、私は彼に「おはよう」を返せていただろうに。
私が恋も友達もできないのはこんな力のせいだ。こんな力がなければよかった。誰からも好かれたいなんて私は望んでいないのに。
右隣から苦く笑うような吐息が聞こえ、心臓が締め付けられた。
私に無視をされた宇上くんが私の心臓を握りつぶそうとしているみたいだった。
自転車で15分ほどの場所にある公立高校は、制服が可愛くて選んだ。
駐輪場に自転車を置き、下足室で靴を履き替えて教室へ行く。その途中、廊下に教科書をばらまいてしまったらしい女子生徒とすれ違ったけれど、私は彼女に手を差し伸べることができなかった。
少しでも優しくすれば、また私は無意識にも力を使ってしまうことになるから。
私は学校では無表情を決め込み、なるべく誰とも話さずにひとりで過ごしている。
それでもその場にいるだけで多少の力は発動しているようで、視線を感じることは何度もあった。私が塩対応であっても、それがいいと感じる人にはツボなのだろう。
大抵は、私を見ても冷たい人間だとしか感じないと思うけれど、それが学校中に広まっている辺り、何をやっても注目は集めてしまうということなんだろうなと思っている。
学校が楽しいと思ったことはないけれど、自分でも不思議なことに学校に行きたくないと思ったこともない。
2年1組の教室に入り、一直線に自分の席に向かう。
誰にも挨拶をしないし、挨拶をされることもない。
時折視線を感じることもあるけれど、だからと言って私に話しかけてくる人もいない。いじめられているわけでもないけれど、居心地が悪いと感じることは否定できない。
こういうのは気にしないのが一番いいことを私は知っている。スクールバッグがから土曜日に図書館で借りてきたばかりの小説を取り出す。
いつぞや本屋大賞を取ったとかで一時期話題になっていた恋愛小説だ。
書店に並んでいた時は買いたいとは思わなかったけれど、図書館にあるなら話は別だ。恋愛小説なんだし、読みたいに決まっている。
私は心を弾ませながら、だけど顔には出さないようにしながら表紙を捲った。
朝の時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
早く続きを読みたいと思うのに、担任が教室に入ってきてしまった。
「はいおはよう。出席とるぞー。近くにいない生徒がいたら報告!」
「雑いってかがやん!」
どこからか男子生徒の声が聞こえ、教室に笑いがおきる。
加賀山先生は大雑把で適当なところが多い先生だけれど、人望は厚いようで生徒からは「かがやん」と呼ばれ慕われている。教師の間ではどうなのか知らないけれど。
寝ぐせが付いた髪もそのままに学校に来るところは、さすがにもう少し身だしなみに気を付けたらいいのにと思わないでもない。
「よしよし全員いるな。優秀だな俺のクラス」
「かがやーん! あたしの後ろに机が増えてるんですけど!」
後ろから2番目、窓際から3列目に座っている女子生徒が手を上げた。
彼女は自分の後ろの空席を指さした。それは私の右隣にある空席でもあった。
「いいことに気付いたな」
先生の一言で教室がざわついた。
「もしかして? もしかする?」
「もしかするぞ、転校生だ! 入りたまえ転校生くん」
先生がかっこつけて廊下に声をかけると、すぐに教室のドアが開いた。
教室に入ってきたのは、染めたのかと思うほどの黒いマッシュヘアの男子生徒だった。制服が間に合わなかったのか、この学校のものではないものを着ている。
170はあるらしい加賀山先生より背が高かった。顔立ちも整っていて、モデルと言われても頷けるスタイルの良さだ。
「はいじゃあ自己紹介よろしく」
「はい。初めまして、宇上惣太郎です。漢字で書くと……」
宇上くんは白いチョークを手に取り、黒板に縦書きで自分の名前を書いた。
それは先生が書く字よりもきれいだった。
「すご、字きれ。かがやんよりきれい」
「おい誰だ俺よりきれいって言ったの。俺も十分きれいだろうが」
「かがやんはコンディションによるじゃん」
名前を書き終わった宇上くんは、手に付いたチョークの粉を叩き落としながら笑った。
「習字を習っていたことがあるのと、中学は書道部だったので字にはちょっと自信があります。きれいって言ってくれてありがとう。前の学校では『惣』とか『惣ちゃん』って呼ばれてました。気軽に話しかけてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた宇上くんに、クラスのみんなは拍手を送った。もちろん私も控えめに手を叩いた。
「はきはきとした自己紹介ありがとう。でも字は俺の方がきれい!」
「かがやん諦め悪いって」
「やかましい! あ、惣ちゃんの席はあの一番後ろの空席な。夕山の隣だ」
先生は私の隣の席を指さした。先生から私の名前が出た途端、教室は一気に静まり返った。
宇上くんはそれに気が付いて少し首を傾げたが、迷いのない足取りで私の隣の席まで来た。
「夕山、これからよろしく」
宇上くんは人好きがするような笑みを浮かべていた。
私はそれに笑い返したりはせず、冷たいと言われる無表情のまま何も答えず正面に顔を戻した。
私の印象は最悪だろう。私だって心が痛まないわけじゃない。だけど、相手も自分も守るにはこれが一番いいのだから仕方がない。
もう慣れた。こんなのはいつものことだ。
「そんじゃあ1時間目の準備しとけよ」
先生は軽い調子で言い残して教室を出て行った。
1時間目が終わった途端、宇上くんはクラスメイトに囲まれていた。
隣の私ですら彼の姿が見えないくらいに埋め尽くされている。転校生はいつだって珍しいものだし、仕方ないのかもいれないけれど。
どこから来たの、書道部って大人っぽくてかっこいいね、部活は決めたの、決めてないならここも書道部あるよ、あえて美術部なんてどう、それなら吹奏楽部、運動部もおすすめ、ここのサッカー部は強いよ……。
一方的とも言える話題のボールに、宇上くんがそうなんだ、へぇ、すごいねと言ったシンプルな相槌を返している声が聞こえる。
圧倒されて困惑しているようでもあるし、本当にそう思っての相槌のようでもあった。
どの言葉にも短いながらにも返事をしている辺り、律儀な性格なのかもしれない。
私は小説の続きを読みたかったけれど、隣が騒がしくてどうにも集中できなかった。かといって何もしないまま教室にいる気にもなれず、とりあえずトイレに避難することにした。
席を立って彼の後ろを通っていけば、宇上くんの周りが一瞬だけ静かになった。その中でぼそりと、彼の前の席の女子生徒の声が宇上くんにアドバイスをするのが聞こえた。
「夕山さんには近づかない方がいいよ。あの子、冷たくて薄情な人だから。涼しい心そのまんま」
これもよく言われるアドバイスだ。
私は表情をピクリとも動かさずに教室を出た。
大丈夫、このくらい。実際それで人が近づいてこないなら私の方こそやりやすい。
そう自分に言い聞かせて用もないのにトイレにこもった。
ーー
3日が経って宇上くんの制服がうちのものに変われば、彼への注目は少し落ち着いた。
ノリが良くて話しやすい彼は、すっかりクラスに馴染んでいた。
初対面で素っ気ない態度を取った私にも、朝と帰りには声をかけてくれる。そのたびに私は彼を無視して心を痛めた。
見ている限り宇上くんは私に声をかけるときに顔を赤らめたりしない。冷たくされて喜ぶタイプではないとは分かるけれど、もしも私が返事をしたら彼はどんな態度を取るんだろう。
顔を赤らめて嬉しそうに笑ったりするのだろうか。
そんな宇上くんを見たくはない。
クラスの誰にも態度を変えることなく分け隔てなく笑いかける彼が、私だけを特別に見る姿は見たくない。
そう思う反面、これ以上不愛想で居続けて彼が私にだけ声をかけてくれなくなるのも淋しいなんて自分勝手なことも思ってしまう。
私から距離を取っておいてなんて身勝手なんだろう。自分が心底嫌になる。
「おはよう、夕山」
宇上くんは今日も私に挨拶をしてくれた。
私は何の感情も表に出さず、冷たい目で彼を見てすぐに視線を逸らした。
こんな力がなければ、私は彼に「おはよう」を返せていただろうに。
私が恋も友達もできないのはこんな力のせいだ。こんな力がなければよかった。誰からも好かれたいなんて私は望んでいないのに。
右隣から苦く笑うような吐息が聞こえ、心臓が締め付けられた。
私に無視をされた宇上くんが私の心臓を握りつぶそうとしているみたいだった。