ずっとカリカリと扉をひっかいている音に私が耐え兼ねて、あの子たちを入れてあげてとお願いすれば、不服そうにしながらも渋々もふもふ天国を返してくれた。
「いいかアイ、サラ、モフ。涼心は俺のだからな」
 誰も惣太郎くんの話を聞いていない。みんな私に体を擦りつけてくる。
「涼心、力の行使はよくない!」
「わざとじゃないよ。それに、私の方が魅了されてるんだもん。この子たち可愛い」
「涼心……」
 惣太郎くんは捨て猫のような目で私を見ていた。さすがにちょっと揶揄いすぎたかな。
「ほら、惣太郎くんも天国を堪能しようよ。あと写真撮っていい?」
「それはいいけど。ついでに俺も撮って」
「うん」
 猫と戯れながら、私はずっと気になっていたことを惣太郎くんに聞いた。
「惣太郎くんは、進路決めた?」
「……え?」
 絨毯に寝転んでいた惣太郎くんは、不思議そうに首を傾げた。
 お腹の上で顔を洗うモフちゃんの邪魔をしないように、その背中を撫でている。
「春休みが終わったら3年生になるし。周りは進学か就職かくらいは決めてるみたいだし……。惣太郎くんももう決めてたりするのかなと思って」
「俺は進学するよ」
 惣太郎くんは迷いなく答えた。
 ずっと前から決めていたかのような答えに、私は目を丸くした。
「え、そんなに驚く? だって、涼心もそうでしょ? あれ、違った?」
 惣太郎くんは何の疑いもなくそう言った。
「どうして私が進学だって思ったの?」
「あ、ごめん……。俺、勝手に涼心は司書になるんだと思ってた。よく図書館に行ってるし、本もいっぱい読んでるし、好きそうだし。でもちゃんとは聞いたことなかったね」
 司書……。
 私が恋愛小説を読んでいたのは、ずっと恋に憧れがあったからで。もちろん恋愛小説ばっかりじゃ飽きるから他のジャンルを読むこともあったけれど。文芸部にいるのも部室の本を好きに読めるからだったし、1年の間にほとんど読み切ってから部室に行くことも随分と減っていたし。
 本が好きという理由は特になかった。
 もちろん本は嫌いじゃない。
 私の代わりに主人公たちが憧れを叶えてくれるから、物語は好きだ。
 でも司書か……。
「それは考えたことなかった」
 なかったけれど、惣太郎くんに言われてそれもいいなと思った。
 だけど、読み聞かせ会とかあることを思うと、人と関わる仕事と言えるだろう。本探しを手伝ったり、どうしても人との会話を避けられない場面がある。
「涼心は就職するつもりなの?」
「……分からない。まだ決めてない。家を出たいとは考えてたけど……」
「え、そうなの?」
「でも、それも考え直してみようかなって思ってる」
 もう少しあの家にいていいなら、私はまだ、もう少し母と一緒にいたい。
 シングルマザーで私を育ててくれた母の傍にいて、母が彼氏と別れたときに慰めてあげられる距離にいたい。別れる前提で考えているのは申し訳ないけど……。
「そうなんだ。俺、もしかしなくても涼心の何も知らないね」
 顔を洗い終わったモフちゃんが惣太郎くんのお腹から下りると、惣太郎くんは体を起こした。
「そんなことないよ。私、自分が本が好きって思ったことなかったけど、今のでちょっと図書館司書もいいなって思った」
「え、好きじゃなかったの?」
「物語は好きだけど、本が、って思ったことはなかったね」
「でも、涼心にとって対人が必須な仕事って難しいのかな。だったら俺、勝手なこと言った」
「否定はしないけど、惣太郎くんが謝ることないよ。周りから見れば、私はそういう可能性があるように見えるんだって思えるから」
 力がなかったら、私がどんな職業でも選択できたなら、きっと図書館司書になるという選択肢もあっただろう。
「でも、司書の資格を取るかどうかは私の自由だよね」
 働けるかどうかは別として。
 司書の勉強をするかどうかは私の意思で決められる。せっかく大学に行くのなら、少しでも興味のあることを勉強してみたい。
「ねぇ、他にはどんなことしてそう?」
「涼心は、本に関わっていそう。書店とか。涼心におすすめされたらどんな本でも買う」
「ホラー小説でも?」
「俺ホラーは平気だよ」
「じゃあ惣太郎くんが風邪引いた時にはホラー映画貸してあげる」
「え、何その嫌がらせ」
「うちではいつもそうだよ」
「えぇ……」
 惣太郎くんはちょっと引いていた。
「ふふ」
 これが当然の反応だろうなと思う。
 惣太郎くんは無理に私に好かれようとするんじゃなくて、こうやって自然体な反応をしてくれることが多いから嬉しい。素の彼を見れていると思うと、彼にはほんとに私の力なんて効いていないんじゃないかと思える。もしかして、私は何の力も持っていない普通の女子高生なんじゃないかと錯覚していまう。
 その状態で外で笑顔を振りまけば、周りから一斉に視線を集めることになるから逆に危ないんだけど。
「ね、他には?」
「編集者とか? いろんな小説知ってるから、こう、小説家のアドバイスとか……いや、編集者の仕事なんて全然知らないんだけど俺」
「できたてほやほやの原稿を一番に読めるっていいね。ちょっと憧れる」
「注目集めるとしたらアイドルとか? でもガチ恋勢が増えすぎて修羅場になってそう。やっぱなし。あと涼心は俺の」
 いきなり覗かせた惣太郎くんの独占欲に心臓が跳ねる。
 こんな不意打ちはずるい。
「それか……俺のお嫁さん?」
「えっ……!」
 絶対に今間抜けな顔になっている。
 開いた口が塞がらないとはこういうことを言うんじゃないか。
「お、お嫁、さん?」
「うん。それなら涼心を独り占めできる。あ、そんな不安そうな顔しないで。たぶんこれ涼心の力のせいじゃないから」
 父のことがあるからか、どうにも囲われそうになるのは抵抗がある。
「独り占めはともかくとして……。涼心は俺のお嫁さんになる気、ある?」
「お嫁さん……」
 それはつまり、結婚ということだよね。
 私は今彼にプロポーズをされているんだろうか。
「そ、そういうのはまだ早いと思う……」
「まだ早いってことは、お嫁さんになるのは嫌じゃないってことだよね」
「……それは、まぁ。はい」
「よっしゃ。じゃあまたちゃんとしたプロポーズするから。それまで待ってて」
 プロポーズの約束をされてしまった。
「い、いや、今は進路の話だし……」
「そうだね。プロポーズ受けてくれるんだったら、俺早く稼ごうかな。高卒で就職。その間涼心は大学で勉強しながら俺のプロポーズ待っててくれてもいいよ?」
 たぶん冗談も混ざっている。だけど、惣太郎くんはそれが現実になってもいいと思って言ってる。
「惣太郎くんは、それでいいの? 進学って決めてたんでしょ」
「あー、あれは涼心と同じ大学に行けるかなって思って言っただけ。勝手に涼心は進学だって思ってたから」
 惣太郎くんと同じ大学に通えるかもしれない未来。
 最近の惣太郎くんはめきめきと成績を上げている。もしかしたら私より偏差値の高い学校に行けるんじゃないと思うくらいに。
「惣太郎くんとキャンパスライフ……」
「え、いい響き」
 惣太郎くんは私のことになるとチョロすぎる節がある。
 たぶん私もあんまり人のこと言えないんだろうけど、もう少し惣太郎くんには自分を優先してほしい。私のことなんて後回しでいいんだから。
「惣太郎くんは、大学で勉強したいことあるの? 将来したい仕事とか」
「特にないんだよね。涼心を養えるくらいの給料が入る仕事だったら。大学でしたい勉強かぁ……涼心と勉強したいな。科目はなんでもいい」
「……法学部でも? 医学部でも?」
「涼心ってときどきぶっ飛んだこと言うよね」
 惣太郎くんは真顔で突っ込んでから、堪えきれないと言うように噴き出した。
「はははっ、これは学校の誰も知らない一面だよね。俺だけが知ってる涼心。ふ、最高! ははっ」
 惣太郎くんが身をよじりながら笑っていた。
 何がツボに入ったのか分からないけど、楽しそうだ。
「冗談は置いといてさ……」
「俺は冗談のつもりないよ。そんな選択があっても全然いい」
「冗談は置いといてさ! 惣太郎くんが私のこと、気にしないで将来決めていいからね」
「それは……ちょっと、冷たいよ」
「べつに別れるつもりはないからいいでしょ」
 惣太郎くんの顔を直視できないまま言えば、視界の端で惣太郎くんが目を丸くしているのが見えた。
 チラッと目を向けると、惣太郎くんは緩みそうな頬を何とか耐えたような顔で私を見ていた。
「それほんと? 絶対?」
「うん。安心して海外留学してもいいよ」
「しないけどね! 俺ってば愛されてる」
 そうだね、ともうん、とも声に出しては返せなかった。
 とりあえず、私がどんな進路を選んでも、惣太郎くんは反対しなさそうだ。
 けど図書館司書か……。今一番その資格を取ってみたいかもしれない。