「いい感じじゃない! 裕樹、めちゃくちゃ浴衣似合ってるわよ」

 着付けが終わった俺の背中を、母さんが勢いよく叩いた。それだけでバランスを崩してしまいそうになるくらいには、浴衣に慣れていない。

「それにしても、浴衣で夏祭りに行きたいなんて裕樹が言い出した時は驚いたわよ。面倒くさがりな裕樹が浴衣なんてねぇ」

 この話はもう、10回以上された気がする。母さんにとってはよっぽど衝撃的なことだったんだろうな。

「本当、雅人くんに感謝ね。浴衣を着たりするのって、生活を豊かにするためには大事なんだから」

 昔から、俺の母はやたらと雅人を気に入っている。顔よし、家柄よし、性格よしの完璧な男で、おまけに息子である俺をかなり大事に扱っているわけだから、当たり前と言えば当たり前だ。
 雅人と夏祭りに行きたいから浴衣を着たい、と言った時も、驚かれはしたものの、怪しまれることはなかった。
 俺と雅人が付き合っているだなんて、想像すらしなかったのだろう。

 着崩れしないように気をつけつつソファーに座ったところで、インターフォンが鳴った。母親に促されて玄関へ向かう。
 玄関の扉を開けると、浴衣姿の雅人が立っていた。

「裕ちゃん!」

 浴衣姿の俺を見て、雅人は分かりやすく瞳を輝かせた。綺麗だと褒めてこないのは、俺の後ろにいる母親を気にしているからだろう。

 雅人に褒められないことに違和感を持つようになるなんてな。

 付き合い始めたから、雅人はことあるごとに俺を褒めてくる。綺麗だとか可愛いだとか。男に向けるような言葉ではないだろうが、恋人に向ける言葉としては模範的かもしれない。

「浴衣、似合ってるね」
「ありがとな」

 今日のために新しく用意した浴衣は、シンプルな黒地のものだ。雅人は白と水色が混ざった、涼しそうな色の浴衣を着ている。

「行こうか、裕ちゃん」
「おう」





 俺たちが毎年行っている夏祭りは、近所の商店街で開催される祭りだ。花火が打ち上げられるような大きな祭りではないけれど、商店街中にいろんな出店が並ぶ。
 人混み嫌いの俺にとってはちょうどいい規模の祭りである。

「なに食べる? 焼きそば? イカ焼き?」
「そうだな……」

 俺たちの夏祭りといえば、とにかく食事だ。屋台が割高なことにもそこまで美味しくないことにもとっくに気づいているけれど、やっぱりいつも満腹になるまで食べたくなる。

「とりあえず焼きそばとたこ焼き買って、半分ずつ食べようぜ」
「裕ちゃん、去年も最初にそう言ってた」
「マジで? てか、よく覚えてるな」
「忘れないよ。裕ちゃんのことなら」

 俺を見つめながら、雅人が柔らかく微笑む。甘い笑みがくすぐったくて、ちょっとだけ目を逸らしてしまった。





「じゃあ、次は甘い物でも食べる? かき氷とか、りんご飴とか?」

 空になった焼きそばとたこ焼きの容器をビニール袋にまとめ、雅人が立ち上がった。道端にしゃがんで食べていたせいで、腰が痛い。

 祭りって本当、落ち着ける場所ないよな。

 考えれば考えるほど快適さなんて皆無なのに、それでも毎年祭りにきてしまう。たぶん来年も、当たり前のような顔で祭りにくるんだろう。

「雅人。お前何食べたい?」
「そうだなぁ。かき氷は?」
「そうするか」

 りんご飴も魅力的だが、丸々一つ食べるのはなかなかに大変だ。それに確か、去年も食べた気がする。

「本当、すごい人だよね」

 周囲を見回して、雅人がしみじみと呟いた。いつもはあまり人がいない商店街なのに、今日だけは賑やかだ。
 家族連れもいれば、友人同士できている人たちもいる。もちろん、手を繋いで歩いているカップルだって多い。

「……ねえ、裕ちゃん」
「なに?」
「人多いし、はぐれたらまずいし……手繋がない? とか言ったら、困る?」

 雅人の声は震えていた。慌てて雅人の顔を見つめると、泣きそうな顔で俺を見ている。

 俺がそういう顔に弱いってこと、自覚してんのかな、こいつ。

「いやあのさ、こんなに人多いから男同士で繋いでても目立たないかなとか思って。あっ、でも近所の人とかもいるかもだし、そもそも気持ち悪いよね」

 早口でまくしたてて、雅人が歩き出してしまった。慌てて追いかけて、雅人の手をぎゅっと握る。

「はぐれるだろ」

 人が多いとはいえ、男同士で手を繋いでいればそれなりに目立つかもしれない。雅人が言った通り、近所の人に見られる可能性もある。
 だけどそんな状況でも言ってきたってことは、雅人がかなり手を繋ぎたがっているってことだ。

 付き合っていることは周りには内緒にしよう、と言ってきた時も、裕ちゃんが変な目で見られたら嫌だから、と雅人は言っていた。
 こいつはいつも、俺のことばかりを気にしている。

「つーか、恋人なんだから手ぐらい繋ぐって」

 ぎゅ、と雅人の手を強く握る。いつの間に、こいつの手はこんなに大きくなっていたんだろう。

「いいの?」
「いいから。ほら、行くぞ」
「ありがとう、裕ちゃん」

 雅人がそっと俺の手を握り返してきた。懐かしいけれど、違和感はある。それでも雅人がこんな風に笑ってくれるなら、手を繋ぐのも悪くないと思えた。