「ちょっと裕樹。いい加減起きなさいってば!」

 母親のうるさい声で、俺はようやく目を覚ました。でもベッドが気持ちよくて、なかなか起き上がる気にはなれない。

「これ以上寝てたら遅刻よ、遅刻!」
「……え?」
「ほら、時計見なさい!」

 顔だけを動かし、時計を確認する。あと十分で家を出なければ遅刻だ。

「なんでもっと早く起こしてくれなかったわけ?」
「裕樹が起きなかったんでしょ!」
「……てか、雅人は?」
「あれ? 裕樹、何も聞いてないの? 今日は生徒会の仕事で早く行くから迎えにいけない、って連絡きてるけど」

 そういえばそうだったわ、と話を合わせる。昨日から雅人と連絡がとれていないなんて言えば、絶対に根掘り葉掘り事情を聞こうとするだろうから。

 っていうか、俺のメッセージには既読すらつけないくせに、なんで母さんにはちゃんと連絡入れてるんだよ、あいつ。

 昨日、家に帰ってからも、何度も雅人と連絡をとろうとした。メッセージを大量に送ったし、電話だってかけた。にも関わらず、雅人は一切反応してくれなかった。
 その上、今日は俺を起こしにこなかった。

 あいつ、そんなに怒ってるのか。

 雅人と喧嘩したことは何回かある。でも毎回、雅人が先に謝ってくれた。悪いのはほとんどが俺だったのにも関わらずだ。
 それに喧嘩した時だって、ちゃんと朝は迎えにきてくれていた。
 間違いなく、これは異常事態だ。





「おはよ、裕樹。ギリギリな上に寝癖酷いけど、寝坊か?」

 教室に入るなり、智哉に笑われてしまった。智哉は毎朝ダンス部の朝練があるため、いつも朝から汗をかいている。
 今日は俺も、駅から走ってきたせいで大量の汗をかいてしまった。

「……まあ、そんなとこ」
「マジ? 雅人がいながら?」
「……」
「なんだよその顔。まさか、雅人と喧嘩でもしたか?」

 無言で智哉を見つめると、マジで!? と大声で騒がれた。おかげで、教室中の視線を集めてしまう。

「あの雅人を怒らせるとか、お前なにしたんだよ」
「……雅人だって怒る時くらいあるわ」
「いやいや、お前がよっぽどのことしたんだろ。雅人、お前にだけ激甘なんだから」
「そう見えるか?」
「そう見えるかじゃなくて、事実だろ。お前は雅人に甘やかされ過ぎ」

 言い返したいものの、言い返す気力がない。雅人に甘やかされていたのは事実だし。

「早いとこ謝れよ。お前、雅人がいないとなんもできないんだしな」

 ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴って、智哉は自分の席に座った。俺も慌てて着席し、持ってきた教科書を机の中に詰める。

 ……あ。
 今日の3限は体育だったのに、体操服忘れた。





「なあ、雅人呼んでほしいんだけど」

 一組の教室に行って、渉に声をかけた。分かった、と言ってすぐ雅人のところへ行ってくれたのに、雅人は席から一歩も動こうとしない。
 そして戻ってきた渉が、気まずそうな顔で言った。

「……なんか今、お前と話したくないって」
「はあ?」
「俺に怒るなって。しょうがないだろ、雅人がそう言ってんだから」

 雅人は自分の席に座ったまま、俺の方を見ようともしない。あまりにもあからさまな態度に腹が立ってきた。

 そりゃあ勝手に手紙を見た俺が悪かったけど、だからって、ずっとこんな態度とる気なわけ?
 ていうかマジで俺に見られたくないなら、鍵を俺の誕生日になんてするなよ。

「お前ら、喧嘩したんならさっさと仲直りしろよ。で、原因はなんなんだ?」

 きらきらと瞳を輝かせながら、渉が顔を覗き込んできた。

「言わないし。それより、体操服持ってる? 体育だから貸してほしいんだけど」
「あー、あるけど、昨日使ったやつだわ。それでいい?」
「……お前の汗がしみついてると思うと微妙だな」
「そんな言い方するなら貸さないぞ」

 渉が着て、しかもそのまま一日が経過した体操服なんて着たくない。でも、他に借りられそうな相手もいないし、体操服を忘れたからと見学するのも嫌だ。何回か見学をしてしまうと、補講を受けなきゃいけないから。

「悪い。それでいいから貸してくれ」
「分かった。明後日までに洗って返してくれたらいい。それか、今日使い終わったら返してくれ」
「分かった」

 とってくる、と渉が教室に戻った瞬間、雅人が席から立ち上がった。そのままこっちにくるかと思いきや、渉のところへ行ってしまう。

 俺とは話さないくせに、渉とは話すのかよ。

 なんていらいらしていたら、体操服袋を持った雅人が廊下にやってきた。

「裕ちゃん」

 いつもより低い声に、冷たい眼差し。
 やっぱり雅人の怒りは継続中らしい。

「これ。体操服、俺に借りにきたんでしょ」
「あ、うん。でも渉に借りるって言ったけど……」
「裕ちゃん、他人が着た服とか嫌でしょ。これ、洗濯してあるから」
 
 ほら、と押しつけるように体操服袋を渡される。ありがとう、伝えるよりも先に、雅人は教室の中へ戻っていった。

 なんだ? 話はしたくないけど、体操服は貸してくれるのか?
 ……もしかして、他の奴から借りてほしくないとか、そういうやつ?

 思い返してみれば、昔から雅人は他の奴が俺の世話を焼こうとするのを嫌がっていた気がする。
 さすがに雅人に頼り過ぎていると反省して他の奴に宿題を教えてもらおうとした時も、かなり不機嫌になっていた。

 雅人、俺のこと好き過ぎるだろ。
 そんなに好きなのに、なんで俺のこと無視するんだ。

 このまま時間が経てば、前のように戻れるだろうか。いや、たぶん、それは無理だ。

「雅人!」

 大声で雅人の名前を呼ぶ。さすがに雅人も俺に視線を向けた。

「話があるから、昼休み待っとけよ!」

 なにより俺が、雅人とこんな状態のままいたくない。