(ゆう)ちゃん、起きて。朝だよ、朝」

 俺の一日は、カーテンの隙間から差し込む温かな陽光でもなく、うるさく騒ぎ立てる目覚まし時計でもなく、こいつの声で始まる。

「ねえ、起きて。遅刻するよ」

 昔と比べたらずいぶんと声は低くなったけれど、でも、ずっと変わらない優しい声。

「……あと10分は寝れる時間だろ」

 うっすらと目を開け、壁際の時計に視線を向ける。現在の時刻は7時ちょうど。7時30分に最寄り駅に到着していればいいから、まだ余裕はある。

「いや、それじゃ遅刻ぎりぎりだから」

 ぎりぎりでも間に合うならいいじゃん、と言う暇もなく、掛け布団をはぎとられてしまった。抗議するように軽く睨みつけると、朝から爽やかな笑顔を向けられる。

「おはよう、裕ちゃん」

 堀田雅人(ほったまさと)。高校二年生、俺の幼馴染。
 成績は常に学年トップクラスで、その上生徒会長として教師からの信頼が厚い。おまけに両親が医者というエリート。
 そしてなにより、眼鏡がよく似合う、理知的で整った顔立ち。
 まるで少女漫画から飛び出してきたみたいに、高スペックな男だ。

「……おはよ、雅人」
「あ、今日も寝癖ついてる」
「別にいいって」

 乱暴に髪を整えると、全然だめ、と雅人に溜息を吐かれた。もっとちゃんと……と文句を言い続ける雅人を無視し、ベッドを下りる。
 放っておいたってどうせ、朝食を食べている間にこいつが整えてくれるのだ。





「裕ちゃん。ネクタイ曲がってる」
「そうか?」
「本当にもう、全然上達しないんだから」

 呆れたように言いながら、雅人が俺のネクタイを結びなおす。ネクタイがちょっと乱れていたからって、先生に怒られるわけでもないのに。

「いつもありがとう。本当裕樹は、雅人くんがいないと駄目だわ」

 朝食の食器を片付けながら、母親がしみじみと雅人に礼を言う。

裕樹(ゆうき)も。ちょっとは自分でやらなきゃ駄目よ」
「別に俺、やってるけど」
「何言ってるの。毎日毎日、雅人くんに起こしてもらってるくせに」

 それに……と母親の小言が始まったから、俺は慌てて雅人の手を引っ張った。

「行くぞ、雅人。遅れる」





「今日も暑いね」

 家を出た瞬間、生温い空気に全身を包まれた。夏休みが近づいてきているのは嬉しいけれど、日を追うごとに気温が高くなっていくのはきつい。

「裕ちゃん、ちゃんと日焼け止め塗った?」
「あー、塗ってないかも」
「ちょっと」

 俺を木陰に引っ張って、慌てて雅人は鞄から日焼け止めを取り出した。雅人がいつも持ち歩いている物だ。

「裕ちゃんは日差しに弱いんだから、ちゃんと気をつけてって言ってるのに」

 ほら、と日焼け止めを渡される。確かに雅人の言う通り、俺は昔から日差しに弱い。日に焼けるとすぐに肌が赤くなってひりひりしてしまう。
 それに加えてかなりインドアだから、不健康なほど肌は白い。

「そういえば裕ちゃん、髪伸びた?」
「え? あー、最近切ってないからな。美容院、面倒だし」
「長いのも似合うけど、夏は暑いでしょ。結んだら?」
「結ぶ? いや、なんかそれ、男子としてどう?」
「別にいいと思うけど。それに、裕ちゃんなら似合うでしょ。綺麗な顔してるんだから」

 いきなりの褒め言葉にも慣れているけれど、だからといって気にならないわけじゃない。

「お前そういうこと、他の奴に言ったら絶対勘違いされるぞ。特に女子」
「言わないって。お世辞とか得意じゃないの、裕ちゃんも知ってるでしょ」
「……そりゃあ、まあ

 俺が綺麗な顔をしている、というのは幼馴染の贔屓目ではなく事実だ。自分で言うのもなんだが、周りから散々言われてきたのだから間違いない。
 正統派イケメンの雅人とは違って、俺は中性的な美人だと褒められることが多い。高校に入学してすぐの頃は、やたらと女子に連絡先を聞かれた。

 まあ、すぐに俺の面倒くさがりな性格とかがバレて、顔以外にいいところがない! なんて失礼なことを言われまくったわけだが。

 そんな俺に比べて、雅人の株は日々上昇中だ。二年生になり、生徒会長になってからは、同級生以外からも慕われている。

「日焼け止め、塗れた?」
「うん」
「じゃあ、行こっか」
「おう」

 駅に向かって歩き出す。暑い中満員電車に乗ることを想像するだけで憂鬱だ。
 雅人が迎えにきてくれていなかったら、夏の間は学校をサボってしまっていたかもしれない。
 まあ、雅人が俺を迎えにこないなんてこと、あり得ないんだけど。