余命後に蘇った彼女と僕の日々、あるいはその音楽について

 涙を流したわけでもないのに頬に冷たく濡れる感覚があって空を見上げた。
 いつのまにかすっかり晴れていた午前の太陽は予報通りこの場所に来るまでにすでに隠れてしまったようだ。
 僕は手元の真っ黒な傘を握り、天に向けて翳した。
 たちまち、ふわり、ふわりとまるで誰かの遣いのようにそれは頭上から舞い降りて、あっというまに世界は一変した。
 
 足元の地面があっというまに水を含んで靴まで濡らす。
 僕は木々の狭間に打ちつける雪の音を聴く。
 そしてその敷地に近づいていく。
 ときどき僕は同じように傘を差した人たちとすれ違った。
 僕は一定速度で傘を差しながら足を運び、すれ違う彼らはどんな人なのだろうかと妄想を広げる。

 僕と同じだろうか。
 僕と同じ、大切な人を失った人だろうか。
 
 僕はたくさんの墓石が並んで小道のように続いていく道をいつかのように時折右に、また時折左に曲がる。そしてときに真っ直ぐに進んでいく。
 濡れた墓石は色が濃くなって、やがて世界はいとも容易く白に染まっていく。
 
 雪はちっとも止まない。
 でも心の奥では、こんな冬の景色も本当は快く感じていたりもする。
 穏やかで、澄んでいて、この雪の音以外に何も聞こえなくて静かで。
 まるで彼女のピアノのように懐かしくて。

 教会の麓に併設された葬儀場からは雪に逆らって空に吸い込まれるように煙が立ち昇っている。
 僕は一瞬立ち止まってその煙を眺める。
 最期のときになれば一緒になれるのかもしれないな、僕はそんなことを思う。
 この身体が、心が、魂が。

 やがて最期のときに至って、あんなふうに僕も燃やされてしまえば、僕も君もやがて埃の匂いで満たされたこの雪風の空気に。
 この星のひとつの大気に混ざり合って。
 ようやく僕と君は一緒になれるのかな。

 いつのまにか僕は墓石に辿り着いていた。
 僕はそこに刻まれた降り出した雪に埋もれつつある名前をみて、思わず口に出さずに語りかけていた。

 ねえ、あなたはどう思いますか?

 結局のところ、君の選択は正しかったのだろうか。
 君の選択、僕の選択、あるいは僕らの選択?
 僕は片方の手で持つ傘をぎゅっと握りしめる。
 どちらでもよいか。

 誰がどう思ってどんな選択をしようが、君は今ここにはいない。
 僕たちはともに同じ人生を最後まで歩むことはなかった。
 それが現実だ。そう、それが現実。
 君も僕も誰も間違いを犯してはいない。

 ねえ、そうだよね? 

 目の前の墓石は僕に何も語りかけない。
 君も僕も誰も間違いなんて犯していない。
 けれど君は今僕の隣にいないし、僕は君の隣にいない。

 それって一体何の罰だよ。

 僕は傘を放り投げて、全身に白を浴びる。
 一粒一粒、この服にひんやりとした冬の悲しみが舞い降りて溶け込んでいく。

 冷たいな。

 なにも聴こえない。ただ悲しみが地面に落ちていく音だけが聞こえる。
 しんしん、さらさら、と。
 音楽みたいだ。

 そう、鍵盤に触れるように。
 君の笑い声と共に。
1.
 どこから思い出そうかな。
 あるいはもっと前の方から思い出すこともできるだろう。
 あるいはもっと後ろの方から思い出すこともできるだろう。
 でも、まずはやっぱり君が死ぬ少し前から思い出し始めようか。
 残響のような君の命の響きが消え去る、その少し前から。

                     ✴︎✴︎✴︎

「ねえ、奏、起きて、そろそろ始まるよ」
 暗闇から声がして、ゆっくりと瞼を開けて光を取り戻す。
 まだ日は沈んでないというのに部屋は薄暗い。
 そうだ、その日は曇りだった。
 僕は彼女の声に応えるように身を起こす。
 空調と入院患者の退屈しのぎのテレビの音が徐々に僕を目覚めた世界に馴染ませていく。
 僕はゆっくりと世界を把握していく。
 いつのまにか心地よく設定された空調設備の風に包まれるように丸椅子のうえで眠りこけてしまっていたらしい。
「なんの夢を見ていたの?」
「べつになんにも」
「ふーん」
 美月はつまらなさそうにベッドの上のリモコンを棚のテレビモニターに向けた。パッとデジタル式の薄型テレビが明滅して次々と世界が切り替わっていく。くだらないお笑いコンビがくだらないテレビコマーシャルの言葉を喋っていた。
 目的の番組は五分後からでまだ放送は始まっていなかった。
 お笑いコンビは「《O・J》、《O・J》」としきりに連呼して、相方が「《O・J》ってなんやねん」というと、「そら《オレンジ・ジュース》やなあ」ともう一人の相方が答える、よくわからない不条理なコントをやっていた。
「パパ、来ないねえ」
 美月が不満そうに、というか不安そうにテレビを観ながらいった。
 今日は土曜日の休診日で診察もないはずだった。
 大方急ぎの仕事かなにかなのだろう。
 もっとも休診日とはいえ、休みの日というわけではないのだろうから、いくら家族とはいえそんなに簡単に仕事を抜けられないのかもしれない。大人の世界の”仕事”というやつはまだ高校生の僕らにはちっともその実情がわからない。
「呼んでこようか?」
 美月の父なら自分も知らない関係ではないから、許されそうな気がした。
「いいよ」
 美月はそういって僕の申し出を断った。
 薄暗い室内で場違いに騒ぐテレビをぼうっと見る横顔を見ていると、なんだか美月も大人になったなと自然とそんなことを考えている自分に僕は気づいた。でも、それがいいことなのかそうでないのか自分にはわからなかった。
 美月はもう一年近く学校に行っていなかった。
 僕と美月は長い付き合いだけど、最近はどこか達観しているというか、いつものように子どもっぽいことを言ったとしても、それはどこか演技めいているというか、変わらない自分を演出しているように思えた。
 何かを諦めたり、受け入れたりする美月を見るとその度に自分の内側に感じるこの感じはなんだろう。
 それはある意味とても悲しくて、寂しくて、そしてこの身近な少女が大人のようにみえてきて悔しさとともに少しドキりとさせられてしまう。
 こんな状況でも美月の心が穏やかであるならば、それはいいことだ。
 でもやっぱり、今の状況に慣れてきたり、受け入れていてほしくもない。
 わからない。僕は彼女にどんな心持ちでいて欲しいんだろう。だんだんそんなふうに考えているとわからなくなる。こんなふうに自分の身近な誰かがゆっくりと死の方向に引っ張られていくのを自分ははじめて経験している。わからないのはある意味あたりまえなのかもしれない。それはそう、あたりまえなのかもしれないけど。
 カーテンの外の暗い世界では雨が降り続いている。
 どこか遠くの雲のうえでは、誰かが騒いでいるのかときどき雷が光って、その音が微かに聞こえてくる。
 二人の話し声と場違いなテレビの音以外、物音ひとつしない静かな病室。
 こんな時間が一番自分には泣きたいような気がするのはどうしてなんだろう。
「あ、始まったよ!」
 美月がなぜか心配そうに枕を両腕で抱きしめてテレビを覗き込む。
 夕方過ぎの情報番組。いつもは流行りの他愛もないJ-POPのランキングを、他愛もない女性アイドルがお笑い芸人と紹介しているだけなのに、今日はプロデューサーのなんの気まぐれか、小さな特集コーナーでピアニスト特集をやるのだという。
 国内国外で配信ランキング一位を独占している映画音楽家やらいま台湾で活躍する若いイケメンピアニスト。それから最後は、ヨーロッパの世界的権威ある国際コンクールで入賞の快挙を果たした天才女子中学生ピアニスト。
「ほらほら、奏、ちゃんと顔映ってるよ!」
 テレビの女子中学生ピアニストは特別にウィーンの音楽大学から招待されていた。
 中継はどこかのヨーロッパの音楽大学の音楽室の前からだった。

 天才女子中学生ピアニストはピアノを弾くには用意できる最高のその環境で、ソナタやトロイメライを優雅にカメラに向かって弾きこなしていく。
「陽菜、上手くなったなあ」
 美月がその言葉をどんな気持ちで呟いているのか、僕にはわからなかった。
「美月だって、退院したらまた練習を始めたらいい」
 この言葉は正解だったのだろうか。
 ときどき自分の言葉がひどく美月を傷つけていないか不安になる。
 励ましているつもりでも、寄り添っているつもりでも、その逆をしているんじゃないかって不安になる。
 テレビで呑気にもタレントがピアノを弾き終えたピアニストに質問を投げかけている。
──いつから、ピアノを?
──きっかけはなんだったの?
 天才女子中学生ピアニストは答える。
──幼稚園のときからで、きっかけはお姉ちゃんが弾いていたのがかっこよくて……。
 その答えを聞いて、美月はこちらに露骨にニヤッと笑った。
「ふふ、奏もお姉ちゃんの偉大さがこれでわかったか。妹は姉の背中を見て育つのだよ」
「はいはい、そうでございますね、偉大なピアニストさま」
「陽菜からこんなことが聞けるなんてね、もう思い残すことはないね」
 僕は美月の軽口に何も答えられない。
 動揺を隠そうとすぐに何か言葉を探したけど結局見つからなかった。
 静かな病室でテレビの音だけが響き続ける。
「ごめん……」
 美月の声が病室にぽつりと落ちた。
 どうせだったら、今ここに雷でも落ちて全部燃やしてくれれば良いのに。
「何か飲み物を買ってくるよ」
 僕は結局耐えきれなくなって部屋を出た。
 病室の扉を閉めると、部屋と同じで節電のために明るさを抑えられた薄暗い廊下に出た。
 それから耐えきれず壁を背に屈み込んだ。
 病室からは彼女の声は何も聞こえない。
 ため息も、嗚咽の涙も、ただ何度も触れた気まずい静寂だけが聴こえる。
 馬鹿馬鹿しくて腹の立つテレビタレントの声がテレビからやけに大きく響いた。
──ご家族も著名なピアニストなんですよね。
──はい、もともと母もピアニストで。
 一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 どうしてこうなった?
 誰が悪い?
 美月が一体何をしたっていうんだ?
 ただ無邪気に家族とピアノが大好きなだけの女の子がどうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ?
 こんなことはもしかしたら、ある意味世界ではありふれた悲劇の一つなのかもしれない。
 でもこんな辛くて、苦しいことが世界のなかでありふれた悲劇であるなら、この世界はなぜこんなに残酷なのだろう。
「頼むよ、神さま」
 本当は神様こそが残酷だ。
 僕はそれを知っている。それでも僕はそう祈らずにいられなかった。
 残酷で、イタズラ好きで、救いもなければ慈悲もない。
 きっとそれが僕らの世界の神さまだ。
 きっとそのことが一番残酷なんだ。
 残酷なのは耐え難い痛みや過酷な現実ではなく、それが存在しながら、でもそこから救われるような奇跡を神さまは与えないということ。奇跡なんて信じても無駄だ。けれど、僕らは僕ら自身でどうにかできるほどの強さも与えられていない。
 だから、それでも僕らは祈らずにいられない。
 奇跡を願って、それを求めずにはいられない。
 絶対にそれは与えられないとしても、それでもやっぱりそれを与えることができるのは神さまだけなのだから。
 どうか奇跡を。
 もし叶うのなら、自分はなんだって捧げたって良いと思った。
 この指先でも、目でも、耳でも、心でも、魂でも、ただ美月に恩寵が与えられるなら、自分の人生の全てを、神さま、あなたに渡すよ。
 ただ自分は美月とこの世界で一緒に存在していたいだけなんだ。
 そのためだったら、なんだって捧げる。
2.
 同じ中学から僕と同じ高校に入った美月は、部活こそ入部せず日々開催されるピアノコンクールのために毎日レッスンを日々続けていた。
 だが、必ずしもその実情は文化系だったというわけではなかった。
 美月は身体を動かせば運動も大好きなわかりやすい元気いっぱいなやつだった。美月は人望も厚くて、中学時代は帰宅部だったからよく人数の足りない運動部に頼まれてソフトボールだとかハンドボールだとかに出ていたのを覚えている。
 帰宅部とはいえ、美月だって放課後にはピアノのレッスンがあったはずだったから、そんなに暇だったわけじゃないはずだが、それでも頼まれると断れない人の良さというかお人好しで時間をとって美月は運動部のそんな頼みをきいていた。
 僕は美月とは正反対の人間で人のなかにいるのが苦手なタイプ。べつにどこかのタイミングでイジメに遭ったとか無視されたとかそんな経験はないのだが、自然と振る舞っていると人の輪の外側に立っているようなタイプだった。
 対して美月はほっといてもいつのまにか人の中心にいるような人間だった。
 特技はピアノで、スポーツは得意。まあ流石に漫画のキャラクラーじゃないから、そのうえ勉強も得意で生徒会長とまではいかなかったが、それでも穏やかで天然なくせに、筋が通っていて芯の強い流されない性格は教師からの信頼も厚くていつも人を惹きつけた。
 美月とその周りにできている人の輪を見ていると、結局人を惹きつけるのは見た目や必ずしも優秀であるかではなくて、屈託のない純真さのようなものなのだなと思った。
 でも僕が美月にそういう屈託のなさを感じていたのは、同じピアニストとしてのプレイというかやはりその演奏の響きだった。
 僕はもう長いことコンクールや演奏会に出たりといった本格的な活動はやっておらずほとんどただの一般人状態だったとはいえ、美月の演奏を聴くたびに僕と美月は全く違うプレイヤーであることを感じさせられた。
 ある意味では美月の演奏はとてもわかりやすくてシンプルだ。
 その響きはまっすぐでどこまでいっても清潔なものだった。
 起伏がわかりやすく情熱的で、何よりもそれは他人を喜ばせたり、ときに切なくさせたり、人を楽しませることこそが美月のピアノの本質だ。
 それは美月の人間性と一直線につながっている。
 美月は何よりも人がリラックスしたり笑顔を見せているのが好きだし、それが一番嬉しい人間なのだ。
 美月の演奏は観客に媚をうっているというわけでは決してなく、興味深いことにそれが彼女の本質なのだ。
 複雑な理論の楽理や必ずしも超絶な技巧というわけではなく、真っ直ぐに自分自身と向き合って演奏することが一番人の心に直接訴えかける演奏になる。
 ある意味王道で最も強いタイプの演奏家だった。
 一度、僕は美月に演奏中にどんなことを考えているか尋ねたことがある。
 美月は、僕の質問に、──考えているというか、大事にしていることは……、と前置きをして、それは「記憶」だと答えたことがある。
 曲には必ず、それを作曲した人の記憶が描き込まれている。自分はその作曲者ではないから、その記憶の感情を完全に感じることはできないし、その記憶の風景を見ることもできない。けれども、やっぱり演奏をしていると演奏者として誰よりも伝わってくるものはある。というか、私は何よりもそれを感じ取りたいし受け取りたいって思う、美月は僕の質問にそう答えた。
──うまく弾くよりも?
──奏もわかってるくせに。
 美月はそのときそんなふうに笑っていた。
──本番で演奏しているときは、ここをうまく弾いてやろうとかそんなことを考えてる余裕なんてないじゃん。どっちかっていうとほんとに音楽に身体が持っていかれるというか、もう目の前で起きてることに身を任せるしかないじゃん。指先も、気持ちも、自分の意識も、弾いてるときは自分では究極どうしようもないよ、ただ曲から溢れ出してくる記憶を自分の人生で感じた瞬間の記憶に重ねて思い出して精一杯感じる。
 美月は眼は閉じて、口元を少し微笑ませた。いつもの演奏をするときの緊張とある種の悦びが混じったような表情だった。
──そうしたら、どういうわけかはわからないけど会場というか、音が自然と大きくなっていくような、音の届く範囲が広がるというか、音が聴こえる限りその響きが自分になってるって感じがするよ。
 これはもしかしたらピアノに限らないかもしれないけど、表現者というのはいつだって自分を曝け出した者がなんだかんだで一番強い、もちろんそれにしたってある程度の理論や技術はどこまでもついて回るけど、人の心を掴む演奏がしたければ最終的に一番大事な力はそういうものなんだ。そういって憚らない者がピアニストのなかにはしばしばいる。
 もしかしたら、美月の言ってることはそれと関係があるのかもしれなかった。
 僕と美月の出会ったのは中学の二年からだったけど、美月の演奏はある意味出会ったときから今日まで変わらない。
 もちろん美月は才能だけじゃなくて、毎日ニコニコ笑いながらとんでもなく練習をしていたから、出会ったときと比べて技術や技巧は当時とは全然違う。
 けれども、彼女のなかの演奏の本質、その芯の強さ、そしてある意味頑固さはずっと変わらなかった。
3.
 美月が初めて病院に行ったのはちょうど僕たちが高校に入って一年が経った春休みに入る前の時季だった。
 美月は相変わらず頼まれた部活の助っ人やクラス活動なんかをしつつも、相変わらずピアノに没頭し続けていた。
 春休みの終わりには結構大きめのコンクールがあったし、二年に進級したら本格的に音大進学に向けてのレッスンが始まるようだった。
 一緒に初詣に行ったときも隣りでずいぶん真剣に神頼みをしていたけれど、多分美月はこのときの正月くらいに自分の人生を本気で音楽にしようと決めたのだと思う。
 もちろん小さいときから音楽をしていた美月にとってそれはずっと最初からぼんやりとでも思い描いていたことだろうし、自然なことだったと思う。
 それでも高校生活も一年くらい経って新しい生活にも慣れ、だんだんと将来についてより具体的に思い至ることも増えていたのだろう。
 正月が過ぎて三学期が始まるとより一心不乱に美月はピアノの時間を増やした。
 そしてそれに伴い一月が終わり二月が始まった頃に美月は肩の痛みを訴えるようになっていた。
 ピアニストにとって肩こりはある意味宿命のようなものだ。
 美月とて例外ではなく、女子高生ながら湿布やら肩こりに効くサポーターをつけているようだった。
 それでも美月に言わせれば、いつもの肩こりと微妙に違うらしかった。
 これまでも背中や首まで痛くなることはよくあることだったが、今回は頭痛まで感じられてなかなか辛いのだという。
 僕はあまりその手の愚痴をこぼさない美月にしては珍しいなとどちらかというとのんびりと思っていたのだが、どうにも演奏にも支障が出てきているとのことだった。
──音が頭に響いちゃってるのかな、集中して弾き過ぎているとときどき急に頭が痛くなっちゃうんだよね。うーん、でもこんなこと今までなかったのに。
 僕は放課後に美月と駅まで歩きながら、話を聞いた。
──演奏しているときだけ? たんに頭が痛いとかなら寒いし風邪とかなのかなって思うけど。
──いや、演奏しているときだけなんだよね。うーん、というか、もしかしたら肩こりとかじゃなくて普通に頭がダイレクトに痛いのかも。なんか、演奏している感じもいつもと違うんだよね。
──というと?
──いつもは曲の感情とか、なんか自分のなかで曲と共鳴している感じが頭に来るんだけど、なんか頭が痛くなってくるとそれがいつもと違う感じ。
──曲想が掴めなくなっちゃうってこと?
──うーん、掴めなくなるっていうか、出力が不安定になる感じ? 奏のいうみたいにいきなり頭のなかでブツって音源が切れるときもあれば、逆にボリュームが上がりっぱなしになって止まらなくなることもあるというか、曲の感じの蛇口がバカになってドバドバ出続けて演奏どころじゃなくなるというか。
 演奏家にとって一番怖いのは曲想が途切れることだ。
 もちろん美月ほどの経験者になれば曲想が途切れても、ある程度手癖や冷静な頭で曲を型通りに続けることはできるだろう。
 でもはっきりいってそれは演奏家としては満足に演奏しているということにならない。
 自分とは関係ない他人の指先が機械的にただ鍵盤を押しているだけ。
 それはピアノを弾いているとは言えない。
 僕だって悪い意味で演奏中に頭が真っ白になってしまって、そんな感覚になるというのはわからないでもなかった。
 でも美月は他方で、曲想がむしろ過剰に溢れて、止まらなくなってむしろ演奏に支障をきたすのだともいう。
 もちろん、それとて演奏家としてのある種のランナーズハイみたいな状態としてわからないこともない。
 でも演奏に支障がきたすほどなんて……。
 プロに至るまでのピアニストとして、それは誰しもが通る通過点なのだろうか。美月はもしかしたら、プロのピアニストとして重要な感覚を掴みつつあるのかもしれない。僕はそのとき間抜けにもそんなふうに考えていた。
──うーん、まあ普通に練習のしすぎなんじゃない。正月休んだからって、一月はそれ以降全然休まなかったろ。先生もいつも身体や指先を壊したら元も子もないって言ってるだろ、そのとおりだ。休め!
──まいったなあ。春のコンクールまでもうそんなにないのに。
──それこそ、身体を壊して出れなくなったら元も子もないだろ。それに美月サン、あなた冬休み前の期末の成績ずいぶん悪うござったのじゃなかったのでしたっけ?
──ドキーん。オホホ、音楽は数学などではけして割り切れない、神秘的な世界ですことよ。
──まあ、数学は見てやるから、そのあいだ一週間だけでも休んだら?
──ありがとう。うーん、まあ数学は奏サマのありがたい名講義を受けさせてもらうとして、練習はちょっと先生に相談してみるよ。春のコンクールはなんだかんだ音大受験の試金石になると思うし、ベストなコンディションで出れるように調整しなきゃね。
 そのときは雪が降っていた。僕たちは毛糸のニット帽を被っていたが、僕は自分の帽子を脱いで、美月の被っているニット帽の上にさらに被せた。
──ほんとにちゃんと休めよ。
──ありがとう、じゃあさ、再来週の私のレッスンが終わったら日曜日どっかに行こうよ。
──え、なんで?
──……奏サン、あなたの頭もポンコツですネ。
──へ?
──バレンタインでしょ!
──あ……。
──バカバカバカバカバカ。
 美月は僕が被せたニット帽を両手でグッと引っ張って恥ずかしそうに顔を隠していった。
──君は……、わたしのマネージャーじゃなくて、その……、
 美月はそこで言葉を切って、恥ずかしそうに続けた。
──もっと大事な人でしょ。

 僕と美月があるく歩道の隣で静かなアスファルトの雪道を一台のトラックが横切った。
 トラックの後ろには、僕らの歩いてきた足跡と並んで雪の轍ができていた。
 僕は景色のなかに溶かし込まれていく白い響きにこっそり紛れさすように呟いた。
──受け取るよりは与えるほうが幸いである。
──へー? 奏サンはそのお言葉はどういう意味かお知りで?。
──さあね、神様の言葉だから、きっと間違いないんだろ。
──ふーん敬虔深いことですネ、ところでホワイトデーのお返しなんだけど。
──え! まだボク、貰うべきものを貰ってすらいないんですが、もうホワイトデーの話デスカ。
──受け取るよりは与えるほうが幸いである。
──美月は真面目くさった顔で僕の言葉を繰り返した。
──お、おう……。
 これが去年の二月くらいの話だ。
 結局、美月はレッスンをやっぱりほとんど休まなかった。
 そして美月はその年の春のコンクールに出ることは結果的に叶わなかった。
4.
──せっかくの花の女子高生の春休みなのにさ、練習もできなければ、出かけにも行けないなんて……。
 美月はその日、病院のベッドでぐずぐずと文句を垂れていた。
 もう三月にとっくになっていて、朝はまだ寒かったけど昼になれば過ごしやすく、春の花が開くより先に鳥たちの声が聞こえ始めてきていた。
──まあそう言うなって、別にずっとってわけじゃないんだし、検査の結果が出たら退院だって言われてるんだろ? そうしたら、思う存分コンクールにむけて練習したらいいし、遊びにも行ったらいいじゃん。
 二月ごろから訴えていた美月が時折感じていた頭痛はそのあともあまりよくなっていかなかった。
 ちょうど先週の一年生の修了式のあとに、美月が父親にそれとなく漏らしたら、あれよあれよというまにあっというまに検査入院ということになってしまったらしい。
──あーあ、パパなんかにうっかり言うんじゃなかった。
 美月は不貞腐れたときにいつもみせる細めた目で不平を口にした。
 どうやら身体の不調のことは黙っていたらしく、父親にバレて若干小言を言われたらしい。
──父親が医者だと、やっぱりいろいろ敏感になるもんだなあ。でも結局、美月も全然休まなかったんだから、自業自得といば自業自得だね。
──あーん、そんな冷たいこといわないで、あーあ、パパの権力でちゃっちゃっと退院させてくれないかな。やっぱり弾いてないとそのぶん演奏が戻っちゃうんだよねえ。
──どっちかというとパパの権力でこのタイミングに入院を捩じ込まれたんだろ。それこそパパの口利きがなかったら、入院、もうちょいずれ込んでコンクールと被ったかもしれないから、よかったじゃん。
──まあ、それはそうかもしんないんだけどさあ。
 美月の父親は医者だった。
 パパの権力なんていってるが、ふだんの美月にいわせれば、そこらのサラリーマンとほとんどかわらない国立大学病院勤めの医者で娘にピアノのレッスンに通わせるくらいの収入はあるみたいだが、それこそ漫画やドラマでみるような高い謎の酒を片手に謎のゴルフクラブを謎の布で謎にふきふきするような謎の生活とは縁遠いとのことだった。
──それにしても検査入院って一週間もかかるもんなの?
 不満タラタラの美月は僕が見舞いの献上品のつもりで買ってきたコンビニの杏仁豆腐を二つも食べながら言った。
──さあ、こっちは医者じゃないからなんともわからんね。
 確かに検査入院で一週間もかかるのはかなり長い気がした。そういう目にあったことはないのでわからないが、こういうのはだいたい一日か二日くらいのものではないだろうか。
──検査って何やってるの?
──うーん、最初はいろいろ。なんか学校の定期検診みたいなやつ。
 おそらく美月の言う、それは体重を測ったり、血液検査や心電図をとるような一般的なものを言っているのだろう。
──あと、やっぱり頭に異常がないかとかやっぱり重点的にみられているみたい。
──というと?
──まっすぐ歩けるか毎日測られたり、右半身と左半身の動きがおかしくないかとか、あと変な紙を咥えさせられて味覚検査とか、注射を打たれて匂いをいつまで感じるかとか。
──注射で? 直接嗅ぐんじゃなくて?
──うん。
──へえ、いろんな検査があるんだな。でも、そんなんだったら日帰りで良さそうなもんに思えるけどな。
──うーん、やっぱり脳波をすごい頻繁に測らされているから、それかなあ、朝と昼でも、何かあるごとに丸いパッドみたいなやつを頭に貼り付けられるんだ。夜寝る前も絶対につけさせられるし、一日ごとの変化もそうだけど、なんか一週間の生活リズムでどう変化するか調べたいんだって。
──いやあ、まるで実験動物ダネ。まあ美月サンのおつむは大変貴重なサンプルなんでしょうナ。
──奏サン、それはどういう意味ですかネ。
──深い意味はないですヨ。
──キー、バカにしてくれちゃってェ!
──おやおや、実験動物が感情的反応を示している。落ち着かせるために水を与えなくてはいけないナァ。
 僕はそんなふうに美月との他愛ないじゃれあいを切り上げて飲み物を買いにいくために病室を出た。
 それからナースステーションの隣のプレイルームの自販機で二人分の飲み物を買おうとしていると後ろから声をかけられた。
 聞き覚えのある声だった。
 振り返ると、少しくたびれた白衣を着た背の高い男が立っていた。
 丸い眼鏡をかけているがその奥の瞳は美月によく似ていて、威圧感というより柔和な印象を与える。 
──奏くん、久しぶりだね、最後に会ったのは入学式のとき以来だっけ。
──去年の夏休みのまえにも一度お会いしていますよ。
──そうだったっけ。あ、そっか思い出した。美月と一泊どこかに遊びにいくからってわざわざ事前に挨拶に来てくれたんだ。あのときは二人はどこに行ったんだっけ?
──群馬ですね、草津温泉です。
──そうだったね、高校生なのに温泉ってずいぶん渋いなあって話をしたよね。
 男は美月の父親だった。
 首からぶら下げているネームプレートに顔写真と脳神経外科藤咲俊明と印字されていた。
 俊明さんと最初に会ったのは中学の時だった。
 中学の高校受験の頃までは美月が遅くまでレッスンがある日は家まで送り届けていた。それは美月と中学のときに出会ってから程なく始まった習慣だったが、ある日も坂を上がった美月の家まで歩くと、美月に玄関扉の前で待つように言われたのだった。
 少しソワソワして待っているとやがて玄関扉が開き、美月の隣に立っていたのが俊明さんと美月の妹の陽菜だった。
 そのあと立ち話もなんだからと家の中にまで招かれて、ジュースとお菓子を食べさせられた。母親はいなかった。俊明さんは美月によく似て穏やかな雰囲気だったが、そのときはどうにもかしこまった様子で、母親がいないぶん、娘二人に負担や寂しい思いをさせないようにしているつもりだが、どうしても医者という仕事柄そうはいかないときも多いと言っていた。
 俊明さんはあのとき居間のソファに座りながら初めて会ったしかもまだ中学生だった自分に深々と頭を下げた。
 美月をどうかよろしく、と。
 それから俊明さんは自分のことを家族同然に家に遊びに行くたびに邪険にせずに迎えてくれた。美月の穏やかさや人に対する接し方は俊明さんから受け継いだものだというのは父親をみていたら自然とわかることだった。
──奢るよ、なにか甘い炭酸系のものがいいかな。
 俊明さんは自販機に向き直って、人差し指でボタンを押そうとした。
──ありがとうございます。すみません、それじゃあ、アイスコーヒーにしてもらえますか。
 俊明さんはその言葉を聞いて、少し意外そうな顔をしたが、その後すぐ、了解とうなづいた。それから、美月は何がいいかなと考え込んだ。僕は美月もアイスコーヒーでいいと思いますと伝えた。
──そっか。美月ももう子供じゃないもんな。
 俊明さんはそう笑って、アイスコーヒーのボタンを押した。
 ガコンっ。
 三つのアイスコーヒー缶が落ちる音がした。
──奏くん、今から時間あるかな。
 俊明さんは缶を一つ自分に手渡すと言った。
──大丈夫ですけど?
──このあとね、医者として美月に話さないといけないことがあるんだ。できたら、君も一緒にその場にいてやってほしい。でも、美月に話す前に先に聞いておいてほしいんだ。ごめんね、これは僕の美月の父親としてのお願いなんだ。
──わかりました。
 そういうしかなかった。
 それ以外に自分にどんな答えがあのときあったのだろう。
 僕は今でもそんなことを考える。
 でも生々しく思い出すのはそのとき俊明さんの手から受け取ったアイスコーヒーの缶が少し震えていたことだけだった。
 僕はそのとき渡された缶の冷たさを今でもずっと忘れられていない。

5.
──人の記憶って不思議なものだよね。
 プレイルームのソファに横並びで座りながら俊明さんはそんなふうに話し始めた。途中で看護師がもうお見舞いの方はお帰りになる時間ですがと告げにきたが、俊明さんはこの人は大丈夫です、と返した。
──そう、記憶だ。
 奏くん、君は自分の最も古い記憶を思い出そうとするとそれは何になる? そのときの感情は思い出せるかな? それとも逆にいままでいちばん嬉しかったこと、悲しかったこと、そこから思い出すことはできるかな。
 俊明さんは開けたまま、まだ一口もつけていなかった缶コーヒーをようやく口に含んだ。
──これを見てごらん。
 俊明さんは僕に一枚の茶封筒を渡した。なかにはびっしりと書かれたカルテや、白黒のMRI写真や波形グラフが書かれた書類が入っていた。
──結論からいうと今回の検査では美月の脳のどの部位の所見にも異常は見られなかった。脳梗塞もなければ、脳出血も見られない綺麗な脳だよ。まして脳腫瘍もなかったし、若年性アルツハイマーで見られるような脳全体の萎縮もなかった。その他専門家として考えられる脳の異常を一つずつチェックしていったが、なにも異常はなかった。そう、何もなかったんだ。
 僕は俊明さんの話に口を挟むこともできず、黙って缶コーヒーを口元に運んだ。
 味はまるで感じなかった。いや、もしかすると、緊張で脳のどこかの働きが鈍っているのかもしれない。こんなふうに味覚が消えていく感覚も、脳のせいなのだろうか。
 僕は俊明さんの話を聞きながら、どこか他人事のように感じる自分を見つけていた。
──ただし異常が見つからなかったというのはMRIなどの画像診断をはじめとする器質的な面においてという意味だ。
 そこにはMRI画像だけでなく、美月の脳波図も含まれているね。MRIは脳の器質的な状態、つまり脳そのものをを観察するためのものだが、脳波図は神経活動の生理的な状態、つまり脳の活動を反映するものだ。
 美月の脳波は、特にシータ波とガンマ波の活動が一般的な人とは明らかに異なっている。
 通常、シータ波はリラックスや浅い睡眠時に多く観測されるが、美月の場合、覚醒時にもシータ波が強く出現し、一方で集中時や高度な認知活動の際に生じやすいといわれているガンマ波がどういうわけか睡眠中にその活動が異常なレベルで高まっている傾向が見られるんだ。
 俊明さんは噛んで含めるように説明を要約してくれた。
──つまり通常であれば観測されるはずのない脳の活動が観測されているということさ。それも一番活動が落ち着くはずの睡眠中にこそ美月の脳は最も活発な活動を示している。
 俊明さんが指し示した美月の脳波図はまるで五線譜のうえを流れていくメロディのようだった。
──美月の脳ではなにか異常なことが現象として起こっているのは間違いない。
 間違いないが、しかしそれを示すMRI所見が脳内にまるで見つからないんだ。並行して脳以外の全身も念の為くまなく調べてもらったが、やはり器質的な異常は一切見られない。
 僕はこのとき美月の検査入院が長期に亘っていることに思い至った。美月は血液検査なんかもされている言っていたことを僕は思い出した。
 俊明さんは続ける。
 ──脳波の異常は従来の波形そのものだけではない。脳波は通常の人間では、おおよそ五種類に分類されるが、美月の脳波図からは通常観測されない世界的にも数例しか報告されていない非常に特殊な波形を観測した。いわば第六の波形だ。
 まるで五線譜に紛れ込んだ調和を乱すような一つの不協和音。

──それはどんな波形なんですか?
 
 俊明さんはこちらを見つめた。

 それからさっきまでのトーンと声の響きを少し変化させて言った。

──専門的なことは省くよ。いいかい? これから話すことはいささかショッキングなことだ。美月を大切な存在として思ってくれている君にとっても、父親であるわたしにとっても、そしてなによりも本人にとっても。
 さきほども言ったとおり、このいわば第六の波形は非常に稀な現象でまだ世界でも数例しか報告がない。
 それゆえデータも有効といえるほどのものでもないし、それがゆえに内科的な治療法もなければ、MRIで確認できるような脳の異常所見もないゆえに外科的な治療法もない。はっきりいえばなにもわかってないということなんだ。

 だから今から話すことに過度に悲観的にならないでほしい、いいね。

 俊明さんの長い話はどうやらようやく一つの結論に辿り着いたらしい。

──この脳波形の存在については医療の世界でははっきりしたことはなにもわかっていない。
 ただね、この第六の脳波形が観測された報告例では、そのすべての患者が一年ほどで亡くなっているんだ。

6.
 これがだいたい一年前のこと。
 僕は美月の病室にいることが耐えられなくなって、またあの日の美月の長期入院が決まった日に俊明さんに話を聞かされたプレイルームに飲み物を買いに来ていた。

 自販機は業者が変わったのか、缶ではなく病院なんかによくあるタイプのカップが注がれるタイプのものに変わっていた。今日はもう三月の終わりだというのに寒い。
 僕はホットコーヒーのボタンを押した。
 カップにコーヒーが注がれるのを待つあいだ手持ち無沙汰に僕はプレイルームのソファを眺めた。僕の頭の中にあの日の記憶が黒い液体のように充たされていく。僕は俊明さんに美月の脳について聞かされたことを否応なしに思い出させられていた。

 あの日もこんなふうに雨が降っていったっけ?

 僕は記憶をさらって、思い出す。

 いいや、降ってない。
 それどころか気の早い桜がすでに開花してしまうほど暑かったはずだ。

                     ✳︎✳︎✳︎

 僕はあの日結局飲み干せなかったアイスコーヒーの缶と美月の缶を二つ持って俊明さんと美月の病室に戻った。
 美月は俊明さんと二人で戻ってきた僕を見て少し驚いた様子だったが、言葉は少なかった。僕たちの二人の表情から美月はすぐに何かを感じ取ったのだろう。
 それから俊明さんは美月にどんなふうに入院のことを話した?
 その症状のことをどんなふうに話した?
 美月はそれをどんなふうに聞いた?
 自分の脳から検出された脳波をもった人間が例外なく一年ほどで死んでいるという事実を聞かされたとき、美月はどんな顔をしていただろう?
 あまり……、あまり上手く思い出せない。
 不愉快な記憶や辛い記憶は脳が思い出すことは拒むのだろうか。
 それでもあの日感じた悲痛さはずっと消えない気がする。むしろあまりに辛いことや悲しいことは忘れることができずに残り続けるのだろうか。
 いったい僕たちは何もかも忘れてしまうのか。
 それとも何もかも忘れることができないのか。僕にはわからない。
 僕はプレイルームのベランダガラスから見える雨風に煽られる木を見る。
 あの日は美月は俊明さんの話を聞いても泣きはしなかった。
 確かにそうだ。
 でもだからこそ、あの日は美月の動揺が、恐怖が、困惑が、そして何よりも悲痛さが伝わってきたような気がした。
 何度も瞬きされた彼女の瞳に。右手で手持ち無沙汰に左手を掴んで話を聞く姿に、不安を隠すようにむしろ髪を何度もかきあげる姿に。

──でも、私のそのヘンテコな脳波が出る症例で死んだ人ってまだ世界で三人しかいないんでしょ? それじゃあ、まだなんにもわかんないでしょ。
 美月はあの日、俊明さんが説明を終えるとそんなふうに言ったはずだ。
 俊明さんは美月のその気丈な言葉を聞いて驚いたけど、それでも最終的に微笑んだ。
 きっと自分たちが暗い表情をしているのが、娘にとっていちばん辛くて耐えがたく、なによりも不安になるのだと気づいたからだろう。

──ああ、そうだ、美月のいうとおりだよ。君の症例は本当に世界でも稀なものだ。だから、前例があるとはいえ、そのとおりに病状が進むとは必ずしも言えない。もしかしたらただずっとこのまま突発的な頭痛症状が出続けるだけかもしれない。あるいはまたなんにもなかったように元通りになるかもしれない。いずれにせよ医学的に確立された他の病気ほど確かなことはまだ言えないよ。

──もう、二人ともまるで葬送行進曲の10時間無限耐久でも聴かされたあとみたいな顔で入ってきたから、びっくりしちゃった。奏なんて演奏会で頭がまっしろになって暗譜が全部飛んじゃったみたいな顔じゃん。
 自分はそのときはどんな顔をしていたのだろう。
 それだけはどれだけ記憶をさらってイメージしてみてもわかることはなかった。
 結局、美月はそのあと自宅に長期入院の支度をするためにほんの少し退院したあとにすぐに本格的な入院生活に入った。
 コンクールの出場はできなかった。元気だから、全然弾けるし問題ないと、美月は俊明さんに少しだけ抵抗したようだったが、俊明さんは頭痛が演奏中に最もよく起きることとコンクールのように非常に注目されて緊張度の高い脳に過負荷を与えるような状況はできるだけ避けてほしいと告げられて、断念したようだった。
 あるいは美月はそのときはまだどこかで自分の症状について受け入れきっていなかったのかもしれない。
 だからむしろ、三月のコンクールは諦めて、本格的に病院に入って安静にしていれば、また一ヶ月もしないうちに元に戻れると、現実を見ないように、そう願うように、祈るように思っていたのかもしれない。
 美月が症状のことをいつどこで受け入れたかは僕にはわからない。
 ひょっとしたら、まだ受け入れていないのかもしれない。
 いや、それは僕の方かもしれない。突然大きな氷河に口を開けたクレバスのような美月の未来を僕だって、どこまでいま受け入れているのだろう。
 わからない。
 受け入れるってなんだ。それは諦めることなのか? それともまた違う何かだろうか? 受け入れるって何を? それは何を? 美月がピアニストになる将来を諦める? 僕ら二人の未来を諦める? それとも命?
 わからない。
 僕は何も考えていない。何も考え尽くしていない。
 でも、もしかしたら、それは美月も同じだったのかもしれない。ひょっとしてでもなんでもなくて、きっと僕以上に。
 結局、三月が終わり、四月になっても、五月になっても、六月になっても、美月は病院から抜け出すことは許されなかった。
 そして、夏が始まる前に、美月のその症状は「進行」していると俊明さんは僕らに告げた。
 数少ない美月と同じ亡くなった三人の症例の経過と同じ身体の変化が起きていると俊明さんは言った。
──脳そのものの形態や組織、つまり器質的な異常は相変わらず見られない。それは本当に不気味なほどにね。けれど各臓器の不随意活動、それらの身体全体の能力は明らかに落ちてきている。逆に感覚機能に関してははっきりいって理解できないほど日によってバラツキが出ている。
 ただこれも確かに三例の症例と同じなんだ。突然、嗅覚が異常なまでに鋭くなったかと思えば、次の日にはほとんど何にも感じなくなっている。 
 それはやはりMRIではわからないが、脳内の神経伝達が乱れることで、各臓器を制御する自律神経系の働きが低下して、対称的に感覚機能については日によって大きな変動が起きているんだ。これは感覚器官そのものの異常ではなく、脳内での感覚情報の処理に異変が生じている可能性が高い。
 俊明さんは美月になにか感じることに変化はないか? と尋ねた。

──食べ物の味が日によって全然違ったりする。それから音も。いまならいつもと全然違う演奏ができそう。

 俊明さんはうなづいた。

──そういうことだ。ある意味では、少なくともこれは病と名付けるべきなのかも正直わからない。美月、君の大脳はいま嵐のなかで揺れ動く小舟のようなものだ。

 脳機能を詳しく調べるPET検査では、君の脳内の神経信号伝達における神経伝達物質、例えばドーパミンやセロトニンなどが、通常の何倍もの量で急激に放出されたり、逆に一切分泌されなくなったりしていることがわかった。

 その結果、脳内の情報伝達や感覚処理が混乱し、諸感覚に大きな影響を与えているんだろう。それは病という何かの衰えというよりも変化といった方が適切なのかもしれない。

 俊明さんは慎重に言葉を選びながら話しているのかもしれない。しかしそれでもはっきりと告げる。

──ただ最終的には、君の小脳のほうはそれについていけなくなる。症例をみていくと、患者は末期に向かって、大脳機能を中心とする感覚だけが異常な変化をみせていく、逆にそれに反比例するかのように小脳の生命維持活動機能が運動機能とともに減退していく。
 
 美月は俊明さんの話を聞きながら、両手を開き、そしてまた一本一本丁寧に指を閉じていく。僕はその指先をずっと見続けた。
 俊明さんは説明を続けた。

──過去の症例はいずれも君より年上の成人のものだ。未成年でこの症例は君が初めてだ。だから、症例の進行は他のケースよりも早いのかもしれない。遅いのかもしれない。それはわからない。
 やがて夏が来た。
 美月の体力は周囲にもそして本人にもはっきりわかるほど変化しているのがわかった。
 食事も明らかに以前と比べて減ってきていた。
 本人曰くどうしても食べる気になれないのだという。
 徐々に、徐々にではあるが、美月は院内を歩いていても疲れやすくなっていた。
 それでも美月は少しでも食事を摂ろうと努力をしたし、院内のリハビリステーションにも可能な日は通うようにしていた。
 そして繰り返される検査のあいだに夏はいつのまにか終わり、秋が訪れていた。
 美月の造血能力がここひと月で急激な低下を始めていた。

──過去の症例よりもおそらく進行は早い。
 俊明さんは美月のいないところで僕に悔しそうにそう言った。
 そして年が明けて冬が過ぎた。
 俊明さんは正月の明けに僕に美月のこれからのことはわからないと告げた。
 それは、最初の頃にいったような、もしかしたら回復するかもしれないという意味ではない「わからない」だと僕にはわかった。
 明日のことはわからない。きっとそういうことなんだろう。
 美月の造血能力はすでに一年前の半分ほどになっていた。
 血液の不足は、食欲の不振をさらに加速させ、そしてまたせっかく摂った栄養を効率よく身体に回さなかった。
 美月は立っていたり、歩いたりすることも困難になり、もはやリハビリステーションに通うのは中止されていた。
 僕は今一歩一歩美月の病室に戻ろうとしている。
 僕は美月の症状が進行するにつれて、病院に通う頻度を増やした。
 僕に会うことで少しでも気が紛れて、気力が維持されるのなら、少しでも美月の側にいたかった。
 でも僕はいつの頃からか、病室の扉を開けることが怖かった。
 少しづつ、少しづつ、美月の病室は音が消えていくような、静けさが降り積もっていった。
 小さいときに無響室という響きのない空間に入れられたことがあるが、そこに入ったときの緊張感と同じようなものを感じた。
 この扉を開いたら、もう音は消えてなくなるんじゃないか。
 そう、この世界から綺麗さっぱり音は無くなって、僕は無音の世界に生きることになるんじゃないか、そんな不安を感じた。

                     ✳︎✳︎✳︎

 僕は今美月の病室の扉に戻ってきた。
 中からは部屋を出る前に二人で見ていたテレビの音が相変わらず聴こえてきた。
 けれど、静かだった。
 そう、その日はとても静かだった。
 雨が止んだのだと勘違いしてしまうくらい。
 静かだった。
 とても、とても静かだった。
 静けさが耳から離れなかった。