「さく、や……?」
「ねえ将吾、どうしていつも俺の頭なでて、むぎゅってするのさ。そういうことされると俺、困る」
言いながら、咲哉は俺の体の上にのしかかってきた。自由な右腕を動かしたら、それも片手で押さえつけられる。
俺を見つめるまなざしは、いつものワンコじゃなかった。肉食獣のように鋭い。
どうしたんだ咲哉。
俺は動けなくなっていた。細身の咲哉をはねのけるのは、たぶんできる。だけどそうしたくはなかった。
とりあえず、息のかかりそうなところにある咲哉の顔を見つめ、声をしぼり出した。
「ごめ……嫌だったのか」
「嫌じゃないよ」
「ならなんで」
「嫌じゃないから困るんだ!」
小さく叫ぶ咲哉の目は苦しそうで、泣きそうで。
俺はそんな咲哉から目をそらせない。
「俺、将吾のこと……、」
大好きだから。
肩の上に顔を伏せながら、耳もとにささやかれた。
ぞく。
首筋にしびれが走る。咲哉の背中をつかんでいた手がビクリと動いた。
俺の脚の間にはまっていた咲哉の左ふとももを、すごく感じてしまった。ヤバい。
こんな、だめだ。
俺のその変化はきっと咲哉にもわかってしまったんだ。息をのんだ咲哉がほんの少し顔を上げて目を見開く。そして。
「……っ! さ、くや」
落ちてきた唇に、俺は抵抗できなかった。
そろそろ秋が終わる。
十一月の朝、通学路を行く人々はコートを羽織ったり、気の早い人はマフラーを首に掛けたりしていた。乾いた風に吹かれる落ち葉がカラカラと音を立て、道を転がっていく。
隣を歩く咲哉は厚手のシャツを上着がわりにし、後ろ襟を抜きぎみに着ていた。相変わらずイケメンだ。
こいつは俺の義弟。
そして、内緒の彼氏。
そんなことになるなんて思ってもいなかったのに、どうしてだろうな。
俺の視線で振り向いた咲哉が、少しだけ外用の顔で笑う。
「なあに将吾、俺、どっかおかしい?」
「ちゃんとしてるよ。あ、忘れ物とかは知らないぞ」
「それはだいじょぶ。たぶん」
「たぶんかよ」
笑い交わしながら歩く、咲哉のスクーリングの日。この時間が俺たちは好きだ。
友だちのような、恋人のような、兄弟のような。
俺たちは、そのぜんぶでもあるから。
彼女がいたことない。好きな女の子ができなかった。以前、咲哉はそう言っていた。
それは、嘘じゃない。
「ほんのりいいなって思うのは男の子ばっかりだった」
あの日、勢いでキスしてしまった後でそう白状する咲哉の前で記憶をたどった。俺はどうだったっけ。
かわいいと思った女の子。
すごいなとドキドキした男の子。
どっちも、いる。
「なんだ……将吾ってそういう?」
「えええ、俺そんなつもり」
「まあなんでもいいや。将吾が俺のこと好きなら」
言い切られてめちゃくちゃ照れた。
好き、てさ。
本人から確認されても気まずいよ。出会いからこっち、兄弟のつもりだったのに。
「俺ね、将吾のことは会ってすぐカッコいいと思ったよ。でも兄だから。そういう目で見ないように気をつけてたのに……将吾がやたらかわいがってくるし」
「俺のせいか?」
「ううん。だってすごく、やさしくて。強そうなのに怖くなくて、そう思ったらもう駄目だった」
そう言う咲哉は、たぶん嘘つきじゃない。やわらかいのに切羽詰まった声は、ツンと俺の胸に刺さった。
だから俺もちゃんと言うよ。
「咲哉はかわいくて、でもすごくて。外ヅラいいけど家ではへにゃってしてて、そういうのは他の誰にも見せたくないって思ってた」
「ぐふぅっ……」
心臓を押さえて咲哉がうめいてみせる。
「殺し文句に殺された」
「いや生きろよ」
俺たちは小さく笑い合い、そして黙った。
この気持ちに正直に生きるのは、とてもたいへんだと思う。
俺たちは男同士なうえに兄弟だから。
どうすればいいのかわからない。
どうなるのかわからない。
だけど。
「とにかく、俺と咲哉はもう家族なんだし。堂々と一緒にいられるんだから、それは満喫しような」
開き直って言ってみたら、咲哉は呆気にとられた顔をした。
そして大笑いしてうなずいてくれたんだ。
「お、加賀谷。それと弟くん」
電車に乗ったら森下がいて、寄ってきた。咲哉がいるから俺がいつも乗るのとは違うところを選んだのに。
「いや、前に加賀谷がこの辺で降りるの見たことあるから。もしかして弟といるのかなって」
「無駄に勘がいい」
こいつと咲哉を会わせるのは嫌だったんだけどな。
森下本人はすごくいい奴なんだ。咲哉の名前も仕事もわかったうえで、「弟くん」と呼んでくれている。
でもこいつからは、困った話を持ち込まれているのだった。
「なあ弟くーん、お兄さんの好みの女の子ってどんな?」
「は? なんですか」
ほら。俺は目を閉じてため息をついた。
「あのさあ、おまえエイミちゃんに使われすぎ!」
「だって、せっかくあいつが勉強にやる気出してんだぞ。これは親からの命令でもあるんだよっ」
「ちょっと何。どうしたのさ将吾」
わけがわからない顔の咲哉に対して後ろめたくて、俺はもごもごした。そしたら森下がしれっと暴露する。
「エイミがね、加賀谷のこと追っかけてウチの高校受けるって言い出したんだ」
「へ?」
「きっぱりと弟くんを守った男らしさに憧れたんだってよ」
そう、らしい。
俺はすごく嫌な顔をしてみせた。
「そんなの困るって言ってんだろ」
「別につき合ってくれなくていいよー! あいつポチャだしかわいげないし。ただ受験のモチベになってくれれば」
「いや言うほどポチャでもないし、ちゃんとした子だとは思うけど」
「マジか未来の弟よ」
「やめろ……」
げんなりした俺を見て、咲哉は吹き出した。ヒーヒーいって笑うのを森下は片手で拝んでみせる。
「な、だから加賀谷の好みの感じを教えてくれよ」
「そうですねえ、へにゃ、とかわいく笑う子とか?」
「おいこら、変なこと言うな」
それは、おまえのこと。
意地悪くにっこりした咲哉に、森下はニヤリとした。
「兄弟仲いいんだな。まだ半年とかのつき合いじゃないの?」
「いえいえ、そんなに仲いいとかないですよ。俺、別に兄さんのこと好きじゃないし」
「おい!」
しれっと言われるうちに俺の降りる駅に着く。八分間なんて短いんだ。
俺は咲哉を不機嫌ににらんでやった。
「帰ったら覚えてろよ」
「忘れておくよーだ」
降りていく俺を見送る咲哉の目はいたずらっぽく光る。
閉まったドアを振り返り、咲哉を見送り返す俺の目だって、きっとやさしいんだろう。
〈兄さん〉なんか好きじゃない。
でも将吾のことは、好きだよ。
そう言われた気がした。
咲哉は本当に本当に嘘つきで……。
そして、俺にだけは嘘をつかない。
〈了〉
「ねえ将吾、どうしていつも俺の頭なでて、むぎゅってするのさ。そういうことされると俺、困る」
言いながら、咲哉は俺の体の上にのしかかってきた。自由な右腕を動かしたら、それも片手で押さえつけられる。
俺を見つめるまなざしは、いつものワンコじゃなかった。肉食獣のように鋭い。
どうしたんだ咲哉。
俺は動けなくなっていた。細身の咲哉をはねのけるのは、たぶんできる。だけどそうしたくはなかった。
とりあえず、息のかかりそうなところにある咲哉の顔を見つめ、声をしぼり出した。
「ごめ……嫌だったのか」
「嫌じゃないよ」
「ならなんで」
「嫌じゃないから困るんだ!」
小さく叫ぶ咲哉の目は苦しそうで、泣きそうで。
俺はそんな咲哉から目をそらせない。
「俺、将吾のこと……、」
大好きだから。
肩の上に顔を伏せながら、耳もとにささやかれた。
ぞく。
首筋にしびれが走る。咲哉の背中をつかんでいた手がビクリと動いた。
俺の脚の間にはまっていた咲哉の左ふとももを、すごく感じてしまった。ヤバい。
こんな、だめだ。
俺のその変化はきっと咲哉にもわかってしまったんだ。息をのんだ咲哉がほんの少し顔を上げて目を見開く。そして。
「……っ! さ、くや」
落ちてきた唇に、俺は抵抗できなかった。
そろそろ秋が終わる。
十一月の朝、通学路を行く人々はコートを羽織ったり、気の早い人はマフラーを首に掛けたりしていた。乾いた風に吹かれる落ち葉がカラカラと音を立て、道を転がっていく。
隣を歩く咲哉は厚手のシャツを上着がわりにし、後ろ襟を抜きぎみに着ていた。相変わらずイケメンだ。
こいつは俺の義弟。
そして、内緒の彼氏。
そんなことになるなんて思ってもいなかったのに、どうしてだろうな。
俺の視線で振り向いた咲哉が、少しだけ外用の顔で笑う。
「なあに将吾、俺、どっかおかしい?」
「ちゃんとしてるよ。あ、忘れ物とかは知らないぞ」
「それはだいじょぶ。たぶん」
「たぶんかよ」
笑い交わしながら歩く、咲哉のスクーリングの日。この時間が俺たちは好きだ。
友だちのような、恋人のような、兄弟のような。
俺たちは、そのぜんぶでもあるから。
彼女がいたことない。好きな女の子ができなかった。以前、咲哉はそう言っていた。
それは、嘘じゃない。
「ほんのりいいなって思うのは男の子ばっかりだった」
あの日、勢いでキスしてしまった後でそう白状する咲哉の前で記憶をたどった。俺はどうだったっけ。
かわいいと思った女の子。
すごいなとドキドキした男の子。
どっちも、いる。
「なんだ……将吾ってそういう?」
「えええ、俺そんなつもり」
「まあなんでもいいや。将吾が俺のこと好きなら」
言い切られてめちゃくちゃ照れた。
好き、てさ。
本人から確認されても気まずいよ。出会いからこっち、兄弟のつもりだったのに。
「俺ね、将吾のことは会ってすぐカッコいいと思ったよ。でも兄だから。そういう目で見ないように気をつけてたのに……将吾がやたらかわいがってくるし」
「俺のせいか?」
「ううん。だってすごく、やさしくて。強そうなのに怖くなくて、そう思ったらもう駄目だった」
そう言う咲哉は、たぶん嘘つきじゃない。やわらかいのに切羽詰まった声は、ツンと俺の胸に刺さった。
だから俺もちゃんと言うよ。
「咲哉はかわいくて、でもすごくて。外ヅラいいけど家ではへにゃってしてて、そういうのは他の誰にも見せたくないって思ってた」
「ぐふぅっ……」
心臓を押さえて咲哉がうめいてみせる。
「殺し文句に殺された」
「いや生きろよ」
俺たちは小さく笑い合い、そして黙った。
この気持ちに正直に生きるのは、とてもたいへんだと思う。
俺たちは男同士なうえに兄弟だから。
どうすればいいのかわからない。
どうなるのかわからない。
だけど。
「とにかく、俺と咲哉はもう家族なんだし。堂々と一緒にいられるんだから、それは満喫しような」
開き直って言ってみたら、咲哉は呆気にとられた顔をした。
そして大笑いしてうなずいてくれたんだ。
「お、加賀谷。それと弟くん」
電車に乗ったら森下がいて、寄ってきた。咲哉がいるから俺がいつも乗るのとは違うところを選んだのに。
「いや、前に加賀谷がこの辺で降りるの見たことあるから。もしかして弟といるのかなって」
「無駄に勘がいい」
こいつと咲哉を会わせるのは嫌だったんだけどな。
森下本人はすごくいい奴なんだ。咲哉の名前も仕事もわかったうえで、「弟くん」と呼んでくれている。
でもこいつからは、困った話を持ち込まれているのだった。
「なあ弟くーん、お兄さんの好みの女の子ってどんな?」
「は? なんですか」
ほら。俺は目を閉じてため息をついた。
「あのさあ、おまえエイミちゃんに使われすぎ!」
「だって、せっかくあいつが勉強にやる気出してんだぞ。これは親からの命令でもあるんだよっ」
「ちょっと何。どうしたのさ将吾」
わけがわからない顔の咲哉に対して後ろめたくて、俺はもごもごした。そしたら森下がしれっと暴露する。
「エイミがね、加賀谷のこと追っかけてウチの高校受けるって言い出したんだ」
「へ?」
「きっぱりと弟くんを守った男らしさに憧れたんだってよ」
そう、らしい。
俺はすごく嫌な顔をしてみせた。
「そんなの困るって言ってんだろ」
「別につき合ってくれなくていいよー! あいつポチャだしかわいげないし。ただ受験のモチベになってくれれば」
「いや言うほどポチャでもないし、ちゃんとした子だとは思うけど」
「マジか未来の弟よ」
「やめろ……」
げんなりした俺を見て、咲哉は吹き出した。ヒーヒーいって笑うのを森下は片手で拝んでみせる。
「な、だから加賀谷の好みの感じを教えてくれよ」
「そうですねえ、へにゃ、とかわいく笑う子とか?」
「おいこら、変なこと言うな」
それは、おまえのこと。
意地悪くにっこりした咲哉に、森下はニヤリとした。
「兄弟仲いいんだな。まだ半年とかのつき合いじゃないの?」
「いえいえ、そんなに仲いいとかないですよ。俺、別に兄さんのこと好きじゃないし」
「おい!」
しれっと言われるうちに俺の降りる駅に着く。八分間なんて短いんだ。
俺は咲哉を不機嫌ににらんでやった。
「帰ったら覚えてろよ」
「忘れておくよーだ」
降りていく俺を見送る咲哉の目はいたずらっぽく光る。
閉まったドアを振り返り、咲哉を見送り返す俺の目だって、きっとやさしいんだろう。
〈兄さん〉なんか好きじゃない。
でも将吾のことは、好きだよ。
そう言われた気がした。
咲哉は本当に本当に嘘つきで……。
そして、俺にだけは嘘をつかない。
〈了〉