放課後、柔らかい日差しが差し込む旧校舎の部室で、いつものように仁が窓辺でのベンチで昼寝をしている。それを横目に蒼は中央の机に座りパソコンで写真のデータの整理をしていた。いつもと違うのは、蒼の隣にクラスメイトの結城という男子生徒がいることだ。彼は蒼にアルバムの作り方を教わるためにやってきた。
「このツールを使えばそれなりのものはできるはずだよ。こだわるのならこっちかな。でもこれは値段が高くなるし」
 蒼がひとつひとつ説明するのを、彼は熱心に聞いていた。
 今日の午後、教室で声をかけられたのである。学園際の写真係だった彼は、当日に撮った写真をアルバムにしなくてはならないのだという。けれどパソコンがあまり得意ではない。蒼が写真に詳しいと知って助けを求めたというわけだ。
『嫌じゃなければ、いろいろ教えてほしいんだけど……』
 そう声をかけてきた時に、必要以上に遠慮がちだったのは、蒼がカメラをやっていると知ったきっかけが美希たちの事件だったからだろう。心底申し訳なさそうでありながら、それでも頼むしかないという様子を見て蒼は引き受けることにした。
 そしてさっそくパソコンがある写真部で作業することになったのである。
 もちろん事前に仁の了承は得ている。いや本来彼は写真部でもなんでもなのだから、了承などいらないのだが、念のためである。
「じゃあこっちのソフトにしようかな。実行委員から許可をもらっている予算とも合うし」
 結城が決めたソフトを蒼はクリックした。
「了解。はじめは全部のデータをアップロードすれば大体は振り分けてくれるから。その後、微調整すればいい」
 蒼の説明に結城はため息をついた。
「微調整か……これが難しいんだよな。誰と誰が写ってるとか、写ってないとか後でいろいろ言われないようにしないと」
 肩を落とす結城に蒼は同情的な気持ちになった。確かにいろいろ難しそうだ。
「じゃあ、このソフトを使って一応全員均等に割り振られるようにしてみたら」
 そう提案すると、彼は助かったという表情になった。
「そんなのあるの? それいいね」
「もちろん完璧じゃないけどね。手動でやるよりは断然いいはず。何パターンか作って担任と実行委員と共有したら?」
 そんなやり取りをしているうちに少しずつアルバムができあがる。
 結城が身体を伸ばしながら嬉しそうにした。
「あー助かった! ありがとう、阿佐美くん。もっと早く相談すればよかった。この借りは必ず返すから!」
「いいよ、このくらい。たいしたことじゃないし」 
 写真部の蒼としてはなんてことない作業だ。
「いや本当に助かったからさ。そりゃ、阿佐美にとってはたいしたことないと思うけど、俺こういうの苦手だから。それなのに実行委員にはせっつかれるし」
 本当に困っていたのだろう。本心からそう言っているようだった。
「阿佐美くんって話してみると意外と普通なんだな」
 その言葉に蒼はドキッとする。美希たちの事件を思い出すような言葉だ。
「いや、変な言い方して悪い。嫌な意味じゃなくて、入学してからずっと誰とも話したくないオーラ出してたじゃん? それなのに話しかけてみれば優しいじゃんって意味。面倒くさいって断られるかと思ってたからさ」
 彼がそう思うのは当然だ。誰とも関わりたくないと、蒼が周囲とのかかわりを拒否していたのは事実なのだから。
「説明もわかりやすかったし、これからはもっと普通に話そって思った」
 にかっと笑って結城が言った。
「あ、でも迷惑か?」
 くったくのない笑顔に蒼は思わず笑みを浮かべた。
「いや、大丈夫」
 自然とそんな言葉が出た。
「おーやった!」
 結城がそう言って蒼の肩を抱いた。
 ——その時。
 バンッという音がしてふたりは動きを止めて音のする方を見る。窓辺の仁のそばにある資料が崩れたようだ。寝ているはずの仁が肘をついてこちらを見ていた。
「あ、うるさかったですか?」
 話し声がうるさくて眠れなかったのだろうかと蒼は思う。
「いや大丈夫だよ」
 そう言って仁は起き上がりベンチに座る。そして窓枠に肘をついて蒼の隣の結城をじっと見た。
 するとどうしてか、結城が居心地悪そうにそわそわとする。なにかを思い出したように声をあげた。
「あ! えーっと、の、残りはうちでやろうかな……。このサイトにアクセスすればどこからでもできるんだよな」
 あと少しで完成するというのに、そんなことを言う。蒼は首を傾げた。
「ああ、まあ。さっき設定したパスワードで入れるはず。でもあとちょっとだからやっていけばいいのに」
「いや! もう大丈夫。これ以上は邪魔に……いや、阿佐美くんの写真部の活動もあるだろうし」
 蒼の活動がある言いながら、なぜか彼は仁をちらちらと見ている。急にどうしたのだろうと蒼は不思議には思うが、かといって無理に引き留める理由もない。うなずいてサイトから出た。
「じゃ、じゃあね」
 そう言って部屋を出ようとする結城を、仁が呼び止める。
「あ、結城くん」
 結城がぎくっと動きを止めて振り返った。
「……はい」
「これからも蒼のことよろしく」
 怖いくらいににっこり笑って仁が言った。
「はい、こちらこそよろしくお願いします……」
 なぜか少しテンションがさがった様子で結城は部屋を出ていった。
 ドアが静かに閉まるのを待ってから蒼は仁の方を振り返った。
「よろしくって、なんか俺、子供みたいじゃないですか」
 友だちになれそうな相手によろしくと挨拶するなんて、これじゃまるで仁は蒼の保護者みたいだ。
「そんなことしてもらわなくても自分で自分の付き合う相手くらい決めますよ」
 仁が肩をすくめた。
「念のためだ」
「念のため?」
 意味がわからなくて首を傾げると、仁がはーっとため息をついた。
「蒼、お前、抜けてるだけじゃなくて鈍いんだな」
「鈍い?」
 なにを言っているのかさっぱりわからなかった。 
 すると仁が立ち上がり蒼のところへやってくる。鋭い視線で蒼を見ながら、パソコンが置いてある大きな机に蒼を取り囲むように両手をついた。背の高い仁の腕に小柄な蒼はすっぽりと収まった。
 いきなりの急接近とどこか不穏な彼の様子に蒼の胸がドキッとした。
「お前さ、しょっちゅう、今どういう状況かを忘れるよな」
 少し茶色い綺麗な瞳が蒼を見つめている。
「どういう状況って……」
「俺はお前を好きだって言ってんの。目の前で他の男といちゃいちゃされて、黙っていられるわけないだろ」
「いっ……ちゃいちゃなんてしてません!」
 思いがけない仁の言葉に、蒼は目を剥く。まさか彼がそんな風に自分たちを見ているとは思わなかった。けれどそれを聞くとさっきのやり取りの意味がわかる。
 つまりは仁は結城を牽制したということか。だから結城はあんなに焦っていたというわけだ。
「た、ただのクラスメイトですよ。今日はじめて話したくらいなのに」
「でも向こうはずいぶん嬉しそうだったぜ。蒼ってマスクを取るとかわいいだけじゃなくて、話してみるといいやつなんだ。普段とのギャップにやられるんだよ」
 仁がぶつぶつと不機嫌に言いながら手を伸ばす。あごを掴まれて、蒼は目を見開いた。
「せんぱ……」
「蒼、俺はお前の答えが出るまで待つつもりだけど、その間、よそ見をするのは禁止だ。俺のことだけ考えてろ」
 仁らしい一方的な言葉に、蒼の背中がぞくりとする。剥き出しの独占欲に蒼の身体が熱くなった。
「クラスのやつらと話しをするのはいいけど、お前が今見てていいのは俺だけだ。わかったか?」
「……はい」
 火照る頬を持て余しながら蒼が素直にうなずくと、彼は満足そうにニッっと笑った。
「よし」
 その笑みに蒼の心は惹きつけられる。
 一方で、あることが頭に浮かんで蒼の胸がもやっとした。昼間に女子と楽しそうに話をしていた彼の姿だ。上目遣いにじっと見ると顎を掴んだまま、彼は首を傾げた。
「なんだよ」
「先輩だって他の人と楽しく話をしているじゃないですか。最近は俺以外の人の前でも、そんなに猫をかぶっていないでしょう」
 ぷいっと横を向いて昼間のことを思い出しながらそう言うと、顎を掴んでいた手をそのままに仁が意外そうに瞬きをした。
「前よりも話しやすくて、ますます好きになったってクラスの女子が言ってました。俺の前でだけ、素顔でいられるって言ってたくせに」
 自分でも気がついていなかったけれど、結構気にしていたようだ。口に出してみると止まらなくなっていく。 
「他の人の前でだってそのままでいられるなら。俺が特別だっていうのもあやしくないですか。空気清浄器だって言ってたのに……」
 もやもやする気持ちをそのまま口に出していると、仁がぷっと噴き出した。そのまま嬉しそうに笑っている。
 蒼は口を閉じて首を傾げた。
 こっちは苦情をいっているのに、なにがそんなにおかしいのだろう?
 仁が大きな手で蒼の頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「わっ! ちょっと……なんですか急に」
 目を丸くして頭を押さえて見上げると、心底嬉しそうに仁が口を開く。
「お前、ほんと可愛いなぁ。俺が他のやつの前でも素顔でいるのがおもしろくないんだ。でもなんで?」
 その問いかけに蒼はようやく自分が口にしたことの意味に思い当たる。これではまるで自分が彼の周りの人間にやきもちを焼いているみたいだ。
 いや"みたい"ではなく実際そうなのだろう。
 彼が自分以外の人にも自分にしか見せなかった部分を見せていることをおもしろく思っていないのだから。
「えーっと、その……」
 彼の告白を保留にしているくせに言うべきことではない。
 仁の方はそんな蒼の内心などお見通しかのように余裕の態度である。
「ほら、なんでか言えって」
「その……」
 顔が熱くなるのを感じながら口ごもり目を伏せた。
 しばらくの沈黙の後、仁が声を和らげた。
「……まあ、いいか。急かすつもりはないし」
 その言葉に蒼の鼓動はトクンとなった。
 蒼の気持ちなどもうとっくにわかっているはずなのに、急かさないところが仁らしい。こんなところに蒼は強く惹かれたのだ。
 自分を見つめる優しい目に、どこか甘えるような気持ちになって思わず蒼は問いかける。
「先輩」
「ん?」
「その……。俺のどこがいいんですか?」
 意外な問いかけだったのか、仁が瞬きをして止まった。
「先輩が自然体でいられる相手が俺だっていうのは聞きました。でもそれってたまたま俺がルームメイトになったからですよね。それ以外になんかあるのかなって考えたら……」
 そこまで言って蒼はうつむく。"なにもないような気がする"とはさすがに言えなかった。けれどそう思っているのは事実だ。今だって自分の気持ちを言うか言わないかすら決められないのだから。
 蒼からの問いかけに、仁がしばらく考えてからふっと笑った。
「お前、俺のこと馬鹿にしてる?」
「……へ?」
「たまたまルームメイトになったからお前を特別に想うようになったって、そんなわけないじゃん」
「で……でも」
 戸惑いながら彼を見ると、仁がはーっとため息をついて、蒼の隣にドカッと座る。そして、切ない色を帯びた視線で蒼を見た。
「お前だからに決まってるだろ。お前だから俺は素の自分を見せられた。他のやつじゃダメだった」
「先輩……」
「確かにきっかけはルームメイトになったからだけど。他のやつでもよかったなんてそんなわけねーだろ」
 意外な答えに蒼が目を見開くと、彼の手が蒼の頬に触れた。
「なんでお前なのかなんかわかんねーし、どこがいいかなんて答えられねーけど。俺はお前が好きなんだ」
 頬を包む大きな手のその感触に、蒼はぴくんと反応してしまう。ほんの少し触れただけでこんなにも反応してしまうのは、仁だからだ。そこに理由なんてない。
「前に言っただろ。俺にとって大事なのは、蒼か蒼以外の人間かだって。俺はお前が蒼だから好きなんだ。たまたまなんかじゃねえよ」
「俺が俺だから……」
 呟くと、蒼の中でパズルのピースがパチリとハマる音が音がした。誰かを好きになるのに、理由なんか必要ない。相手が相手だから好きなのだ。
「ああ。お前が蒼である限り、俺の気持ちは変わらない。だから、マジで焦ったいけど、待ってやるよ」
 仁が蒼の頭をぐしゃっと撫でて、ニッと笑った。
 ——本当はもう気づいている。彼の想いが本物であることを。自分と同じ種類のものだということを。
 言い訳をして逃げているのはただ自分に自信がないだけなのだ。
 太陽のような存在の彼と、ずっと日陰を歩いてきた自分では釣り合わない。いつか彼が離れて行くのではないかとおびえているだけなのだ。
 蒼が蒼である限り気持ちは変わらないと言ってくれる彼の言葉を信じられる、その強さが自分にあったらいいのにと蒼は思った。