「おはよーございまーす。」
「あ、コウちゃんおはよう。ごめんね、イツキまだ寝てるの。」
「ほーい。」
トントントントン、小気味良い音を立てて階段を上がる。
この17年間で何度この階段を上ったか。それこそ自分の家と同じくらい。階段だけじゃ無い、この家のどこで目をつぶったって何にもぶつからずに生活できる自信がある。

「イツキー入るぞー」
黒とグレーのストライプのベッドカバーは乱れに乱れ、スラリとした右足がゆるゆるのハーフパンツのせいで太腿まで露わになっている。
「イツキ、起きろー。朝ー。」
もちろん、起きない。
イツキは寝起きがめちゃくちゃ悪くて、これくらいの声掛けでは起きないんだ。……絶対。
「イーツキ。」
もう一度呼びかける。
反応無し。
睫毛長ぇな。腹立つ程綺麗な顔してる。
僅かに涎を垂らした口元さえかわいいなんて、赤ちゃんかイツキくらいだ。
その唇に、そっとキスをする。
ひどく寝起きの悪いイツキがこんな触れるだけのキスで起きるわけもなく、小さな唇は変わらずにすぅすぅと安らかな寝息を立てる。
もう1年はこうして日課のようにキスをして目覚めないんだから、やはり俺はこいつの運命の相手ではないんだろう。と、軽く絶望するのにももう慣れた。

トントン、とつい3分前と同じ音を立てて階段を下る。
「イツキ、起きない?」
「ぜんぜんダメ。」
「ほんっとに困った子。コウちゃんスープ飲んでくでしょ?」
「飲むー。ミウ、おはよ。」
「おはよーコウちゃん。」
イツキの妹のミウはイツキと違って寝起きがすこぶる良い。小学3年生、しっかりもので、毎朝俺がくる時間にはいつもすっかり身支度を整えて食卓についている。
「あれ、そのピン、初めて見る。」
「いいでしょ。リノちゃんとおそろいなの。」
「へぇ。いいな、可愛いよ。」
「ありがとう。」
へへ、と少しはにかんだ表情がイツキとそっくりだ。
「コウちゃんモテるでしょう。」
コーンスープを運んできたイツキの母さんがからかうように言う。
「ぜーんぜん。いただきまーす。」
「はい召し上がれ。」
本当のところ俺は結構モテる方だと思う。
だけど、イツキはそれ以上だ。
昨日だってまたこの前と違う女子と……
いいや、考えるのはやめよう。
せっかくのおばちゃんのコーンスープが冷めちまう。

湯気を立てるスープをゆっくりと腹に収めながらテレビの占いを3人で見て、おばちゃんと一緒に玄関でミウを見送ったらその足でもう一度、階段を上がる。
「起きたー?」
ベッドの上のイツキはさっきとはまた違った寝相で寝転がってうにゃうにゃと不明瞭に何か言っている。 
スウェットはべろんと捲れ上がり、腹部が丸見えだ。引き締まった筋肉と小さなお臍。
「いー加減に起きろ。遅れるぞ。」
イツキは「んんん……」と眉間に皺を寄せると、
「あと5分……」
寝起きが悪い奴の見本みたいなことを言って、ぐしゃぐしゃになった布団を手探りで抱き寄せるとそれを抱き枕のように抱きしめて俺に背を向けた。
今度は背中が丸見えだ。
綺麗。触ったらどんな風なんだろう、陶器みたいにすべすべしてて……つーか腰ほっそ……
「イツキーあと5秒で起きなかったら置いてくからなー。ごーぉ、よーん、さーん、にーぃ、、」
「待った、おきたおきた、起ーきーたー。」
もぞもぞ動く布団の中から声がする。
「だーめ、体起こせ。そのまんまだとお前また寝ちまうだろ。」
「えぇ〜。」
「頑張れ。」
布団からにゅっと両腕が伸びてきた。
「起こして。」
「あーもー、はいはい。ほら、」
両手を掴んで引っ張ってやる。
華奢な掌、指、細い手首。ごつごつした俺のとは、全然違う。
起き上がったイツキの目は半分も開いていない。
「コウ、おはよぉ。」
へにゃりと笑った顔に胸が苦しく熱くなる。これが毎朝なんだから、どうかしてる。
「急げ、遅れるぞ。」
「んん〜眠い。」
イツキは言い、繋いだままの手を離そうとしない。
「今起きたら後ろ乗っけてってやるから。」
「ほんと?」
「ほんと。」
「じゃー起きるー」
「そんかわり30秒で支度しろ。」
「ははっ、海賊よりきびしーな。」
そう言って笑う顔は朝日よりも眩しい。
くしゃくしゃになった猫っ毛、黒目がちな目元、(本人は気にしてるけど)ちょっとなで肩の肩。だるだるのスウェットの首元から覗く綺麗な鎖骨と、そのすぐそばにある小さなほくろ。
だめだ。
本当に、いい加減にしてくれ。