それは、1991年12月のソ連邦崩壊にまで(さかのぼ)る。
 その時点で多くの核兵器はロシア領内にあったが、一部はウクライナやベラルーシ、カザフスタンで保管されており、それをどうするかが問題になったのだ。
 ロシアの対応は一貫していた。
 その5か月前に『第一次戦略兵器削減条約』に調印していたソ連邦の後継国であるロシアは、3か国に対して核兵器のロシアへの移管か破棄かを強く求めたのだ。
 対して3か国は核兵器を放棄することへの抵抗がありながらも、最終的に合意することになる。
 その調印が為されたのが1992年5月であり、調印場所に(ちな)んで『リスボン議定書』と呼ばれている。
 その後、カザフスタンが1995年の5月までに、ウクライナとベラルーシが1996年の年末までにロシアに引き渡し終え、3か国から核兵器は無くなった。
 
「もしウクライナが核兵器を保有していたら、プーチンは脅しをかけることができなかったはずだ」
「そうですね。モスクワに核兵器を打ち込まれる可能性があれば迂闊(うかつ)に核の脅しを使うことはできませんからね」
「だから、北朝鮮は核開発を止めない」
「止めないばかりか、加速させていくのではないでしょうか」
「だろうな」
 首席補佐官はやるせなさそうに首を振った。