讃岐高ダンス部は、文化祭とか体育祭、それこそ野球部の応援とか、学校行事での活動がメインだ。
 つまり、ゆるい。部活は一日置きだし、だいたい視聴覚室でK-popとかのダンプラ動画観て、そのまま窓を鏡代わりに練習する。
 部員十人中九人が女子で、夜は道が真っ暗だから、十七時半には終わる。
 今日も夕暮れ前に連れ立って正門に向かっていた。

「日高、あんた男なのになんで異様にトゥワーク巧いんじゃ?」
「これ? そなん難しいムーブやないじゃろ」

 その場で腰振って(トゥワークして)みせる。好きなシンガーのダンスをカバーしたいのにこのムーブに苦戦してる先輩に「うざ」って言われた。まあ二秒後には笑ってるけど。
 なんやかんや女子にちやほやしてもらえるの、ダンス部のいいところ。
 グラウンドの横でもっかい腰振ってきゃいきゃい騒いでたら、「蒼空」とおよそダンス部員じゃない低い声が聞こえた。長い影にすっぽり覆われる。
 振り返ると、練習用ユニ姿の丈士先輩が立っていた。ネット沿いに転がったボール拾いに来たのかな。心臓が一瞬トゥワークする。

「帰んの」
「ハイ。部活終わったんで」

 練習中は闘う男モードなのか、なんかピリッとしてる。ダンス部の面々は一声も発さず、オレ以外で固まって成り行き窺ってるし。

「俺ももうすぐ終わるから待ってて」
「は……ハイ!」

 ――そう快諾して、早一時間。
 もはや真っ暗な中、オレは花壇の縁にちまっと座ってる。春咲きコスモスいい匂~い、じゃなくて。
 もうすぐとは? オレ忘れられてねえよな!?
 ブレザー代わりに羽織ってるジャージの下にスマホ隠して、翼に[夕飯は作り置きあっためて食え]ってLINE入れてたら、グラウンドの照明が点いた。こんな明るいんだ。
 山田部長(前にモブとか言ってスミマセン)が相手バッター役らしく、どんどん打っては部員が守備に動く。
 丈士先輩は部長の横でボールをトスしたり、マウンドに立って守備の動きを確認したり。練習になると、白球以外目に入らない感じだ。
 オレもダンスはもちろん好きだ。ただ、先輩の半分でも情熱を注げるもの、打ち込めるものが欲しいって気持ちが、こみ上げる。讃岐にはないんじゃないかって気がして、いつもはあんまり考えないようにしてるけど。
 日曜に推理したとおり、野球部の練習は十九時過ぎまで続いた。


「蒼空、悪ィ」

 制服に着替えた丈士先輩が小走りで来るけど、「ハイ!」とは言わない。さすがのオレもへそ曲げますよ。
 つーんと顎を反らして、がらんとした駐輪場へ向かう。

「交代」

 先輩が、オレのママチャリのハンドルを掴んだ。
 青白のエナメルバッグを前カゴに押し込み、サドルに座る。小首傾げて一回降りて、サドルをめっちゃ高くして座り直す。どうせオレは股下一メートルもねえし。

「掴まんな」

 待たせたお詫びで漕いでくれる、らしい。結局オレは許しちまうんだ。しずしず後部座席に収まって、先輩の引き締まった腰に手を添える。

「掴まれつってンの」

 先輩はオレの手をベルトの留め具辺りまで引き寄せてから、漕ぎ出した。ひえ。
 また二人乗りできるとは思わなかった。暗いから先生に見咎められずに済んだ、けど。

「あの、日高家あっちです! 讃岐山側!」
「ちゃんと送るって」

 風を切りながら叫ぶ。でも先輩はオレの道案内を聞かず、琴電(「高校前」が終点)に併走する形でぐんぐん加速する。
 速え。オレのチャリ史上、最高スピード出てねえか?
 つい強めにしがみつく。練習後の先輩の身体は熱い。オレの心臓がうるさいのが伝わっちまいそうで、県庁方面に五駅くらい移動する間、ろくにしゃべれなかった。
 どこに連れてかれるんだろう――?
 体感十五時間のような十五秒のような、十五分後。住宅街に入り、洗練された焦茶色の壁の建物の前で停まる。ポーチライトの下に、「鍼灸院」ってスタンド看板が出てる。

「なんて読むんスか」
「しんきゅういん。(はり)だよ。じゃなくてこっち」

 建物の横手に回ると、小さなジューススタンドがあった。二人並んでる。オレはカウンター横のメニューに吸い寄せられた。そういや腹減った……。

「タピオカやないっスか!」

 たちまち声がでかくなる。都会ではとっくにブーム去ってるかもしれないけど、オレとしては高松駅前まで行かないと出会えねえのよ。
 丈士先輩があの真顔に見える笑顔で、オレを見下ろしてくる。

「どれがい? こないだの礼」
「こないだ? ……え、別にええのに、オレがしとうてしたことですけん」

 と言いつつ、オレはメロンミルクティーホイップトッピングタピオカダブルを頼んだ。メロンミルクティーってはじめて見るし、なんか美味そう。
 日曜の苺大福とメンチカツ、先輩の空腹を満たせたみたいで、よかった。

「センパイは何にしたんですか?」
「蒼空から一口もらう」
「へへ、そっスか」

 洒落たスチールベンチで、ぱたぱた脚を揺らしながら待つ。

「はいお待たせ。これ、特別サービスよ」

 黒髪ゆるウェーブロングの美女店員さんが顔を出した。
 マクドのLサイズはあるカップにパステルグリーンのメロンミルクティーがなみなみ注がれ、ホイップはソフトクリーム並み、底のタピオカもいっぱいだ。その上、パイナップルケーキとやらまでつけてくれる。「ええんスか?」と言いつつ、しっかりもらう。

「お先、いただきまーす」

 ズゴゴゴ、ちゅるるる。腹減ってたのもあって、太いストローを思いきり吸う。

「うっっっま!」

 素直な感想を口にしたら、隣に座ってた先輩が横向いて手で口を押さえた。声でか過ぎたかな。でもほんとに美味い。カップを横から下からしげしげ見る。

「先輩も早う飲んでつかさい、メロンとミルクティーめっちゃ合います。つかタピオカっスよ、歯ごたえあって、ちょい(ぬく)うて甘い。前に高松で飲んだのとなんちゃちゃん(ぜんぜんちがう)
「そ。俺はいつでも来れるから、蒼空がぜんぶ飲みな」

 さすが丈士先輩、余裕でいい店を知っている。

「地元にこの時間までやっとる、最高なタピオカスタンドあるって知らんやったです。何て店っスか?」
「俺ん家。今週から夜も開けてンだわ」
「オレンチ? 何語ですか」
「日本語だよ」

 丈士先輩の声が震える。おれんち。俺ん家……?

「ここ、丈士センパイの家!?」

 思わず立ち上がった。予想外過ぎ。先輩はぶふっと吹き出す。

「んじゃ、さっきの美女店員さんはセンパイのお姉さん?」
「阿母? 母親だけど」
「イケメンの、お母さまって、美女なんや」

 オレは遺伝子の奇跡に感心するあまり、五七五を読んでしまった。
 先輩は言われ慣れてるのか、普通に受け流す。

「一階で父親が鍼、母親がピラティスやってて、予約ないときは飲みもん出してんの」
「ほむほむ」

 長方形のパイナップルケーキも頬張りながら、頭に叩き込む。プログラミングとか情報デザインの授業内容は忘れても、ぜったい忘れねえ。これは一時間以上待った甲斐がある。
 はー、先輩の家で、先輩のお母さまがつくったドリンクいただいちまうとは……。

「蒼空、ついてる」
「ハイ、すげえツイてます!」
「じゃなくて」

 丈士先輩の指が伸びてくる。ほっぺたじゃなく、唇の端を優しく撫でる。先輩の顔まで近づいてきた。
 うわわわ、わ。ぎゅっと目を瞑る。静寂。
 手が両方塞がってて動けない。まだ静寂……。ん?
 そーっと目を開けると、先輩がパイナップルケーキの欠片を自分の口に放り込んだところだった。
 深々と息を吐く。口に食いかけがついてる、って意味か。
 先輩の何気ない行動で、また心臓が止まりかけた。先輩がこう、一歳しか違わないのに大人っぽいっていうか、えろいのが悪い。
 ……いや、えろいって何だよ!?
 オレって実はそっちもいけるのかな。幼稚園のとき好きだった担任の先生も、中学のとき好きだった「讃岐の井上和ちゃん」も、異性だったけど。
 今思うと、どっちも「恋」ってより「ファン」みたいな「好き」だったかもしれない。
 丈士先輩に対しての「好き」こそ、「ファン」みたいなもんか……?
 先輩が好きか嫌いかで言ったら、好きだ。つか、世界征服できるレベルのイケメンで野球に真剣で優しい男を、嫌いなやついる?
 ただ、彼女いない歴=年齢のオレには、そもそも「恋」がよくわからない。
 丈士先輩は長い脚を組んで、じっとオレを見守ってる。オレはとにかくタピオカを吸い逃さないことに集中した。


「家まで送る」
「いえ、琴電の高校前駅までで」

 先輩はそう言い張ったけど、オレも言い張った。先輩に早く夕飯食ってほしいもん。
 日高家までの道を知らない先輩が、しぶしぶ折れた。
 普段の二時間遅れで帰宅する。男子和室の二段ベッドから、翼がひょいっと顔を覗かせた。

「彼女できた?」
「ちげえわ」

 そうだったらいいんだけどな。よかったんだけど、な? せっかくのアドバイスもらえる機会もふいにする。
 夕飯を済ませ、丈士先輩に[今日はご馳走様でした!]ってLINEしてみた。御礼だけだし既読スルーかと思いきや、十五分後に[ん]って返ってきた。
 たった一文字。でもその一文字が嬉しくて、オレはその夜スマホを抱いて寝た。