[俺、実は雨男だから]
ほーなー(そーなん)スか?]

 六月最後の土日は雨風が強く(丈士先輩が招いたみてえな言いぶり)、データ取りに行けなかった。
 おとなしく期末テストと闘う。
 週明け、野球部全員赤点なしで練習再開するとともに、オレは改めて高松まで出向いた。
 香川の高校の半分は高松にあるんだ。県予選初戦の相手もそう。

「オレ、中学生に見える?」
「見える見える」

 あえて芋くした私服を披露すれば、待ち合わせた杏奈ちゃんが頷く。複雑だけど、部活見学の中学生になりきれたならよしとしよう。
 はじめてのデータ班活動は、首尾よく果たせた。

「んじゃ、分析アプリでわかんねえとこあったらLINEするわい」
「あ……、うん」

 都会に来たからってタピオカとかに寄り道しない。夜も居間の扇風機前を陣取って、ひたすらデータと睨めっこした。


「お納めつかさい!」

 そして日曜。練習前に、できたてほやほやの分析レポートを山田部長に手渡す。

「ありがとう。早速練習に取り入れさせてもらうわ」
「何? おっ、相手ピッチャー丸裸やー」

 粟野先輩始め他の部員も集まってきて、熱心にレポートを読んでくれる。

「相手、昨日紅白戦やっとったんスよ。やけん実戦に近いデータや思います」

 ふふん、と寝不足の目を擦る。丈士先輩、喜んでくれるかな。
 きょろきょろ探せば、目を丸くしてる。見たことねえ表情でかわいい。
 それも束の間、手首を強い力で引き寄せられた。おっとと。

「昨日偵察行ってたん?」
「ハイ」
「誰かと?」
「杏奈ちゃんとです。データ収集と分析手伝うてもろうたけん。や、手伝い越えとるな。ほぼ共同レポートや!」

 なのに二歩隣で控えめにしてる杏奈ちゃんも労ってほしくて、声高に言う。

「そなん、わたしは、なんちゃ」

 先輩たちは杏奈ちゃんへの感謝を口にした。でも丈士先輩はオレへの尋問をやめない。

「やっぱデートじゃん」
「? データです。バッターのデータもありますよ」

 レポート指差すけど、丈士先輩は「別に」って感じでブルペンに行っちまう。
 その背中が陽炎に揺らめいた。まぶしくて、少し隔たりを感じる。
 先輩の実力なら、分析初心者のレポートなんて必要なかったかな。
 思ってたのと違う反応だ。さみしくないって言ったらウソになる。ただオレが勝手に始めたことだし、もうちょっと続けよう。


「こうして、こう。映った!」

 終業式までは、パソコン利用技術検定とかの資格試験対策メインな上、四時間授業になる。
 部活がっつりできるってことで、動画解析アプリも導入してみた。
 相手の攻略に留まらず、味方のレベルアップにもつながったらって、やってみてる。
 実際、大西先輩が動画でバッティングフォーム確認した結果、微調整できて長打率が上がった。数字で成果が見えると、手応えも楽しさもひとしおだ。
 ……でも。肝心の丈士先輩は、自分の感覚だけを頼りに、もくもくと投げてる。

「外角低め、十球行こか」

 キャッチャーの山田部長の指示に、黙って頷く。部長はオレがレポートに書いた、相手打線の苦手コース参考にしてくれてるっぽいけど。
 丈士先輩はいつにも増して、白球しか目に入ってない。一年生の中でいちばん話し掛けられるオレですら、入り込めない。
 それでもいい。その姿を見せてもらえさえすれば。そう誓ったろ? 半ば自分に言い聞かせて、汗を拭う。
 讃岐高の初戦は、七月十三日。今週の土曜だ。
 一回戦は四試合きりで、うちも相手も二回戦から登場する。
 野球部の練習は、日ごと濃さを増していく。
 ただし、いやな張り詰め方じゃない。春より成長した姿を早くお披露目したいって、わくわく感が大きい。手の内明かさないために練習試合もしてないんだ。
 香川は都会と比べたら穴場かもだけど、普通の県立高校にとっててっぺんへの道のりは途方もない。でも、甲子園を口だけじゃなく本気で目指してる。
 そんな空気をもたらしたのは、間違いなく丈士先輩だ。
 白球がキャッチャーミットに吸い込まれる、気持ちのいい音が響く。
 ……やば。また見惚れちまった。だって野球してるときの先輩がいちばんかっけえんだよ。


「できることはやった。明日はいつもどおりの野球をしよう」

 金曜の練習を、山田部長が落ち着いた口調で締めくくる。
 オレもこの半月分のデータを部長に送って、試合前の仕事、完了だ。
 公式戦のベンチにはスマホを持ち込めない。見学集団改めサポートチームのボスが記録員(マネージャー)としてベンチ入りすることになったけど、スタンドで取ったデータをリアルタイムで伝えるのも禁止。試合が始まったらガチの野球勝負ってわけ。

「杏奈師匠、期末前から付き合うてくれてありがと」
「そなん、師匠やなんて。明日も頑張ろや」

 杏奈ちゃん、どこまでも親切だ。明日も三回戦のためにデータは取る。気合を入れ直す。

「蒼空」

 そこに、丈士先輩が小走りでやってきた。もう制服に着替えてる。

「駅までチャリ乗せて」
「駅って、琴電のですか? すぐそこの?」
「ん」

 体力温存か? 徒歩五分ですが。首傾げつつ、スクバを背負う。
 最近は杏奈ちゃんを家まで送ってたけど、この季節は練習終わりでも真っ暗じゃねえし、いいか。
 先輩がちらりと杏奈ちゃんを見やる。話し掛けはしない。

「余裕やなー、うちのエース様は」

 駐輪場へ向かってたら、粟野先輩がキャッチボールしながら茶化してきた。
 他の部員も素振りしたりしてる。やり残しがあって不安とかじゃなく、逸って空回りしないよう抑えてる感じ。

「センパイは、キャッチボールせんでええんスか?」
「ん。蒼空と帰りたいから」

 そう言いつつ、さっき杏奈ちゃん見たときけっこうピリッとしてた。山田部長も丈士先輩の球受けたげにうろうろしてる。オレがいなかったら投げてあげたよな。
 ――もしかして、オレ、野球の邪魔だったりする?
 一緒に帰れる嬉しさを、そんな懸念が上回った。



 いよいよ二回戦当日。県営球場に制服で乗り込む。

『日高、本番も踊らんの?』
『やりたいことあるけん。チアは足るわいな』

 体育祭で野球部員が活躍したおかげで、「県予選でチアガールやりたい」って女子がダンス部を訪ねてきた。期末テスト明け、振りつけ教えてあげたって聞いた。
 一方のオレは捻挫とデータ班活動とで、ほとんど参加してない。だったら本番の応援も任せたほうがいい。
 チアボーイやってなまじ目立っちまったら、データ班として暗躍できないし。

「せーの! かっ飛ばせー、林!」

 ……なんだけど、いざ試合が始まったらうずうずする。でかい声で丈士先輩応援してえ。
 いや、先輩にとってはオレの声援なんてあってもなくても同じか?
 実際、ヒット打ってランナーを生還させる。攻守交替したら、涼しい顔でマウンドに立つ。

「蒼空くん、今のチェンジアップじゃわい。遅いストレートのほう」
「はっ」

 つい考え込んじまって、先輩が投げた球、二種類しかないのに間違えた。隣に座る杏奈ちゃんが指摘してくれて、慌てて入力し直す。
 目標は、甲子園出場。オレの片想いは後回し。そう再確認する。
 オレがポンコツでも、讃岐高はコールド勝ちを収めた。
 部員同士でミーティングするだろうし、オレも今日取ったデータ整理したいし、丈士先輩がクールダウンを終える前に帰路に就く。

[蒼空どこ]
[応援団バス乗っとります。お疲れ様でした!][(から)のうどんどんスタンプ]

 LINE来たけど、邪魔になりたくなくて長文は我慢した。
 月曜午後の、三回戦の相手が決まる試合も、野球部とは離れて偵察する。関係者って思われたらいけない。

[蒼空どこ]
[電車乗っとります。明日データ渡しますね!][空のうどんどんスタンプ]

 火曜の終業式は、校長先生直々に野球部激励の言葉があった。終業式まで勝ち残ってるの、久々らしい。
 体育館のステージに並ばされてる丈士先輩、日に焼けてかっけえ。

 ――蒼空。

 なんて眺めてたら、先輩に口パクで呼ばれた。

 ――○☆※、▲◇ある。

 さすがに遠くて解読できねえ。とりあえず頷いといた。


 七月二十日、三回戦。4対1で勝利。

「後逸から一点取られたの、春の準決勝と同じパターンでようないなぁ」
「後逸って、キャッチャーがボール捕りきれんでこぼしちまうエラー、だっけ」
「そう。林先輩は球が速いぶん、制球乱れると山田先輩が受け止めきれんの。ミットが追いつかんでも、身体に当てて前に落としたいんやけど」
「それ、データで何とかなる?」
「ならんかな、短期間では」

 杏奈ちゃんがシビアに解説する。
 言われてみれば、スタンドに挨拶来る前も後も、山田部長は丈士先輩に謝る仕草してた。
 ただ、先輩はずっと首振って、部長のせいじゃないって言いたげでもある。

「それだけ丈士センパイの球がすげえってことじゃろ。失点以上に得点すりゃええわい!」

 ですよね、丈士先輩。
 七月二十二日、準々決勝。5対0で勝利。

「よっし!」

 今日はエラーもなかった。県予選は負けたら終わりだけど、まだまだ終わるつもりはない。

「次当たる私立の打線データ……ん?」

 杏奈ちゃんとスマホ見ながら話してたら、LINE通知が来た。

[蒼空どこ]

 丈士先輩だ。もはやbotみたいな四文字。

[応援団バス乗るとこです]
[乗んな。話あるって言ったじゃん]
「えっ?」

 めずらしくリアルタイムの返信に、でかい声が出る。終業式の口パク、それだった?
 話って何だろ。先輩の部屋で予告されたときは楽しみだったけど、今は少し胸騒ぎがする。野球に集中したい、って話な可能性もあるよな。こっから先はいっときもよそ見できない勝負になる。
 [駐車場におります]って、かろうじて返した。
 新しいチアの子とか、知らないおじさんまでもが、丈士先輩を絶賛しながら横を通り過ぎてく。先輩を好きな人はオレ以外にもいっぱいいるんだ。
 告白より、思いっきり野球に打ち込んでくださいって言うべきじゃないか……?

「蒼空くん」

 顔に出ちまってたらしく、杏奈ちゃんが心配そうに寄り添ってくれる。オレは笑顔つくって、先帰っててって言おうとした。
 でも、頬をぽつりと水滴が打つ。
 さっきまで晴れてたのが、濃い雨雲に覆われてる。ゲリラ豪雨だ!

「おわ、わっ、走ろ」

 みんなバスや自家用車に避難する。オレと杏奈ちゃんは近くの木陰に駆け込んだ。

「杏奈ちゃん、スマホ無事!? 髪も濡れてもうてる」

 オレはスクバからタオル引っ張り出したものの、渡せない。観戦中オレの汗拭いたし。
 溜め息を吐いて空を見る。でも杏奈ちゃんはなぜかオレを見てる。

「あの、蒼空くん。話、変わるんやけど……」
「うん」
「明後日の、讃岐のお祭り、一緒に……行かん?」

 オレは目を見開いた。明後日って準決勝の日だよ、とはとても言えない。
 杏奈ちゃんの声は雨音に掻き消されそうで、目なんて潤んでる。この一言を言うのにどれだけ勇気を振り絞ったか、わかる。わかっちまう。

「わたし、こまいことでも見つけて認めてくれる蒼空くんが、好きじゃ」

 生まれてはじめて、告白された。
 トッ、と音がする。オレの心臓の音、じゃない。
 硬球が、濡れたアスファルトを転がってくる。その方向をたどれば、丈士先輩が何とも言えない真顔で立ち尽くしていた。