「情報科たるもの、データのればれっじ(活用)はマストじゃわいな。英翔もオンリーワンの男子高校生になろう」

 怪我でダンス部も休まざるを得ないでいたオレに、ついに特大の閃きが降ってきた。
 対戦校のデータ集めて、弱点とかを割り出せば、讃岐高の何十年ぶりの甲子園出場を引き寄せられるんじゃないか?
 甲子園は、今やオレの目標でもある。丈士先輩が夢を叶えられたら、オレも楽しい。

「遠慮するわい」
「なんで!?」

 帰り支度してる英翔には、この素晴らしい計画が伝わらないようだ。

「なんでって、来週月曜からまたテスト前週間じゃろ」

 うぐ。中間と期末の間隔、近過ぎる。次のテストは夏休み明けでいいよな。

「やけど、データ班はがいな(すげえ)仕事じゃ」
「データ集めで土日潰れるんはちょっと」

 オレはこれ見よがしに溜め息を吐いた。つれない悪友より先に教室を出る。

「ふん。別に、野球そこまで詳しゅうないしデータ分析アプリ使うのもはじめてやけん、手伝うてくれたら心強いとか思うとらんもん」
「蒼空くん」
「おわ!?」

 ぶつぶつ文句言ってたら呼び止められて、声が裏返る。

「杏奈ちゃんか、何しょん」

 二組もホームルームが終わったらしい。昇降口は三組のほうだけど、こっちに何か用かな。

「ええと……足の怪我、大丈夫?」

 杏奈ちゃんが、下ろした髪を撫でながら言う。悪友と違って心配してくれたんだ。

「うん。安静四日目やし」
「よかった」
「んじゃ、オレやることあるけん、」
「あの。わたし、データ分析アプリ使うたことあるよ。中学のとき野球部のマネージャーしとったけんルールもひととおりわかるし……わたしでよければ、()っせよか?」

 オレは、バイバイって振ろうとした手を握り込んで、突き上げた。

「まじ? ありがと!」

 救世主、現る。丈士先輩が「やるじゃん」って八重歯を覗かせる未来図が思い浮かんだ。もう計画成功した気でにやければ、杏奈ちゃんもふんわり微笑んだ。


「まず、来週の金曜に抽選会があって、県予選の組み合わせが決まんじゃよ」
「へー。期末テスト直前に、どこと対戦するかわかるんや」

 グラウンド沿いの木陰で、杏奈師匠の説明をせっせとスマホにメモる。

「どの高校もこの時期紅白戦とか練習試合組むけん、土日に偵察回れる思う」
「そういや、先月四国大会偵察したって言いよったっけ。そんとき思いついとったらなあ」

 丈士先輩の言葉を思い出して惜しめば、杏奈ちゃんは声を潜めた。

「実は、野球部関係者は、公式戦で他チームの動画撮ったりデータ取ったりは禁止されとるの。観戦は(かま)んのやけどなぁ」
「えっ、ほーなー(そうなの)? やけど、オレたちは野球部のマネやないけん、」
「うん、セーフってことにしょん(しよう)

 思わせぶりに頷き合う。謎おじさんならぬ、謎高校生になりきるわけだ。頭脳戦、思った以上にドキドキするな。

「何百チームでもデータ集めたる」
「香川はそなん高校ないよ。県予選に出るんは36チーム」
「それもそっか。ちな、大阪とか埼玉は?」
「150チームくらい」
「多!」

 でけえ声出た。香川の四、五倍だ。埼玉代表狙ってた丈士先輩は、オレのデータなくても楽勝かも。穴場だから田舎を選んだんじゃねえよな……?
 前に優姫さんに「こんなところ」って言われたの、時間差で効いてくる。
 いや。先輩はそんなせこい男じゃない。五秒で自己解決して、スマホを握り直す。

「よし。偵察行くまでに、野球の詳しいルールと見方、頭に叩き込む!」

 ちょうど野球部がやってるケースバッティング見ながら、杏奈ちゃんの解説を聞き、データ分析アプリに入力もしてみる。テスト勉強の百倍マジメに取り組む。
 野球部員にはできないってなったら、ほんと重要な役割だし。
 丈士先輩かっけえ、って手が止まらないようにだけ気をつけねえと。

「蒼空」

 なんて自分に言い聞かせてたら、まさに順番待ちの丈士先輩がネット沿いにやってきた。
 先輩ばっか見るな。データが欠けたら、分析の正確性も落ちちまう。

「足、ヘーキ?」
「ハイ。さっきも(・・・・)言うたやないスか」

 目線は先輩の肩の後ろに向けたまま答える。マルチタスク、意外とできそうだ。

「……。何してんの」
「デー、」

 素直に答えかけて、口を噤む。まだ練習段階だけど、期末明けにめっちゃ役立つデータ渡して、サプライズで喜ばせたい。

「内緒っス」

 ね、と杏奈ちゃんに目で合図すれば、空気読んで黙っててくれた。
 先輩は不服げな真顔で部員の列に戻っていく。まあ楽しみにしててくださいよ。



 杏奈師匠とつきっきりで修行するようになって、三日目の昼休み。

「リクエストのたこ判、ホットケーキ型使うて猫の形にしてみ」
「来週なんだけど」

 いつもの場所で、丈士先輩がオレの話を遮って切り出した。オレは大判焼きサイズのたこ焼きにソースで描いた猫ひげを、自画自賛しそびれる。

「また見張り役やって」
「あ、ハイ!」

 テス勉の見張り役、今度は直接頼まれた。中間の赤点回避、ちょっとはオレのおかげって思ってくれてるみてえ。ふふん、と家庭教師面で訊く。

「今月はちゃんとノート取りました?」
「ん。大西が」

 ずっこけた。赤点は取らないって妙な自信があるっぽい。女子の先輩にノート借りるつもりじゃないのは、嬉しいけど。


 週明け、部活禁止期間になった。
 ただし県予選を目前に控えた野球部に限り、特別に一時間だけ練習が認められてる。

「蒼空、教室で待ってて」

 丈士先輩は一組の入口で一言言い置き、小走りでグラウンドに出ていく。一秒でも無駄にしたくないって感じだ。
 三年生さえも、練習中はテスト忘れて集中してるのが伝わってくる。
 カーテン揺らす風の手触り、もう完全に夏だもん。先輩たちにとっては集大成の季節だ。
 待つ間に自分のテス勉進めようと思ったけど、オレもついグラウンド見ちまう。
 丈士先輩のしなやかな動き、短くとも的確な掛け声、真剣な横顔――。

「蒼空くん、野球部の練習見よるの?」

 いつの間にか、杏奈ちゃんが横に立っていた。スクバの持ち手をぎゅっと握り締めてる。一組に入るの緊張したのかな。前の席の椅子を勧めながら答える。

「うん。センパイが野球しよるとこ見るの、好きなんや」
「……今日も解説、したろうか」
「えっ、ええの? 杏奈ちゃんテス勉は?」
「お互い様じゃわ」

 それはそう。ひとしきり笑い合い、視線を屋外に戻す。

「端でネットに向かって打っとるのは、フリーバッティング。内角とか低めとか、苦手なコースを打つ練習」
「ふむ。逆に相手ピッチャーの得意なコースわかれば、攻略に使えるな」

 データを活用するアイディアが湧いた。データ班、閃きで始めたけど、おもしれえ。

「真ん中ではシートノックやな。守備の練習」
「丈士センパイは?」
「ブルペンで……球種増やす練習かな」

 杏奈ちゃんが腕を組む。野球好きな謎の高校生を演じるのに必須のポーズだ。オレも真似して、ブルペン――ピッチャーの投球練習エリアを見やる。

「そういやセンパイって変化球何投げれんじゃろ。大谷翔平は十種類くらいじゃわいな」

 これ、最近朝のスポーツニュース見るようになって仕入れた情報。

「それで言うと、一種類?」
「たったのひとつ!?」

 つい声がでかくなった。丈士先輩がこっち向いた気がして、咄嗟にカーテンに隠れる。

「うん。ストレートと、チェンジアップ言うて同じフォームで投げる遅いストレートで、緩急つける感じ」
「まっすぐだけで勝負かあ。センパイらしゅうてかっけえ」
「スライダーとかの変化球は肘に負担掛かるけど、一個は持っとってもええとわたしは思うな」

 う。師匠と意見が割れた。呑気に見惚れてられない。
 確かに、遅いストレートにタイミング合わされちまったとき、もうひとつ選択肢があれば、配球のバリエーションが広がる。
 うどんも素うどんが至高だけど、いろんなアレンジあったほうが飽きないもんな。


 練習を終えた丈士先輩と合流する。杏奈ちゃんは入れ違いに教室を出ていった。
 その後ろ姿を、丈士先輩が食い入るように見つめる。

「あれ誰」
「二組の杏奈ちゃんです。一緒に野球部サポしよる」

 この会話、二回目だ。先輩ってば杏奈ちゃんに興味あんのかないのか、どっちなんだ。

「あんま一緒にいんなよ」

 低く鋭い声。まさかまた命じられると思わなくて、オレは先輩を二度見した。

「センパイのためですけど」
「は?」
「や、なんちゃでないっス~。それより、最終下校までしっかりテス勉せな」

 データ班として修行してるの、まだ内緒だった。笑ってごまかすも、先輩はますます眉を顰める。

「優姫よりあーいうののが気掛かりって気づいたわ」
「あーいうのって? 杏奈ちゃんは純粋に野球が好きな子ですよ!」

 サポートを下心あるみたいに言われて、思わず反論する。
 オレにも刺さったんだ。ほんとに力になりたくて、見返りは求めてない。
 せっかく熱中できるもの、見つけたのに。
 への字口のオレを、丈士先輩がじっと見下ろしてくる。

「……鈍感」
「誰がっスか!」

 なんか同情じみた声色で言われたの、なんで?
 オレの気も知らないのはそっちでしょって思いつつ、オレの手首掴んで階段を上がってく先輩を追い掛けた。



「――ってわけでして。今日の抽選結果見て、土日にデータ取り行っても(かま)んですか」

 金曜の休み時間、オレと杏奈ちゃんで山田部長を訪ねた。三年生の教室、身の置き場がないけど、二人なら大丈夫。

「そりゃありがたい。顧問の先生には僕から言うとくわ。ただ、君らのテスト勉強妨げんか?」

 山田部長はぱっと顔を輝かせた。でもすぐ、気遣わしげに窺ってくる。

「…………ハイ」

 返事、だいぶ溜めちまった。
 万年平均点のオレが赤点取ろうと、ダンス部はゆるいし、母ちゃんもぎゃあぎゃあ言わない。とはいえ赤点と引き換えのデータじゃ、野球部の皆さんは気持ちよく使えねえよな。

「蒼空くん、テスト勉強も一緒にする?」

 唸ってたら、杏奈ちゃんが提案してくれる。どこまで救世主なんだ。

「お願いしマスっ」

 丈士先輩には「一緒にいんな」って言われたけど……杏奈ちゃんは下心で行動してないって証明もできるしな。
 放課後、杏奈ちゃんと連れ立って二年一組に向かう。

「センパイ。テス勉、三人でもええですか?」
「ダメ」

 丈士先輩は目の動きだけで杏奈ちゃんを見て、却下の判定を下した。まあ、だめって言われても引き下がりませんが。

「この数Ⅰの練習問題、なんべんやっても答え合わん」

 先輩の隣の席借りて、タブレットを起動する。

「使う公式がちゃん(違う)やないかな」

 杏奈ちゃんが頭を寄せてきた。オレたち情報科と違って商業科だけど、基本五教科の範囲は同じ。しかも数学得意っぽくて、足踏みしてたところがさくっと解けた。おお。

「蒼空」

 杏奈ちゃんの逆隣から先輩が手を伸ばしてくる。オレの開襟シャツの袖をくいっとつまんだ。甘えたな仕草だ。

「眠いんスか」
「じゃなくて。俺に訊けばいいじゃん」
「んじゃ、この問題の解き方()っせてつかさい」
「…………」
「それは、プリント配られなんだ?」

 険しい表情で画面を睨む先輩を見兼ねて、またしても杏奈ちゃんがサポートしてくれる。数学に勘は通用しない。

「せっかく見張ってんのに」
「ハイ?」

 先輩はオレにだけ聞こえる声量で、何やら口走る。その肩越しに見えた空模様は、何だか台風が来そうだった。