六月第三土曜、讃岐高体育祭。

「ん」

 開会式に並んでたら、もはや定位置みたいにオレの旋毛に顎乗せた丈士先輩が、青い鉢巻きを目の前にかざしてきた。端っこに名前が書いてある。あの達筆の漢字で。

「交換してくれるんスか!」

 憧れのやつだ。オレは先生の諸注意もろくに聞かず、嬉々として自分の鉢巻きをほどく。ネクタイみたいに首に垂らしてたんだ。女子は手首とかポニテとかに巻いてる。

「あ、昨日クラスでデコっちもうたんスすけど」
「別にい……」

 先輩は「別にいい」って言いかけて固まった。
 ラメマジックで名前書くついでに、うどんどんの絵とかかっけえ四字熟語とか書いた。先輩と交換できるってわかってたら、中学生じみたことは控えたのに……。

「これ意味知ってる?」
「いや」
「そ」

 先輩が固まったのは一瞬で、オレの鉢巻きをかっ攫う。先輩が持つとすげえギャップ。
 ポンポンッと、始まりを告げる音花火が鳴った。


 空は快晴だけど、オレは生徒席でどんより脱力する。

「偏差値そこそこの男子高校生が、金比羅(こんぴら)宮の神様の名前なんか知るか……」

 全員参加の○×クイズで一問目に敗退して、午前中はただの観客になっちまった。
 せめて丈士先輩からご利益もらおうと、隣のテントを見やる。席の位置はチェック済みだ。

「うん、寝よる」

 ぱっと見、思慮深く腕組んで俯いてるけど、あれは寝ています。椅子から投げ出した長い足に力が入ってない。先輩も午前中はもう出番なしだ。
 綱引きに出ない二年女子がこっそりスマホカメラ向けても、ぜんぜん起きない。
 首に掛けた鉢巻きの「不知不覺」「一見鍾情」ってオレの字(人と被りたくなくて、四字熟語がひたすら載ってるサイトから選んだ)が、丈士先輩の超うどん級フェイスとセットで、知らない先輩のスマホに保存されていく。なんかくすぐったい。

「オレは後でツーショ撮ってもらお」

 先輩には体育祭楽しんで、讃岐に来てよかったって思ってほしい。出番はなくても非公式の会長活動がある、と意気込む。

「そななんより、うどん玉入れの応援や。『讃岐の華華ちゃん』が出るぞ」
「ちょい待ち。華華さまはそうそうおらんわい。どれ?」

 それを邪魔するかのごとく、英翔がオレのTシャツを引っ張った。普段ならはいはいって流されてやるけど、いろいろと聞き捨てならねえ。

「食いつきええな、蒼空」
「う、人並みじゃろ」

 華華さまが推しってばれたか? 声を上擦らせつつ、英翔が指差すほうに身を乗り出す。
 うどん玉入れは、グラウンドにロープで格子つくって、各区画に白玉(うどん)・緑玉(ネギ)・赤玉(かまぼこ)を投げ入れる。三種揃えた「丼」の数を競う、斬新な種目だ。
 離れた位置から狙うのはけっこう難しいみたいで、きゃあきゃあ白熱してる。
 そのうどん職人の中に、華華さまがいるって? 本当ならとっくに目が行ってるはずだけど。――うむ。

「英翔。単に背が高うて髪長い先輩を、華華さまと呼ぶなや」
「いや俺が言い出したんやないし。てか、『讃岐の井上和ちゃん』だって単に目が大きゅうて髪長い子やったわいな」

 オレの何様な感想を、英翔がドライに切り返してくる。
 確かに中学時代のオレだったら、体育祭の雰囲気バフも相まって「讃岐の華華さま」認定して、何なら恋したかもしれない。
 でも、今のオレは超うどん級イケメンの存在を知っちまったからな。

「誰見てるん」
「ひょあ!?」

 まさに頭に浮かんだ人の声がして、椅子から落ちかけた。
 いつの間に目覚めてテントを移ってきたのか、丈士先輩がオレの旋毛にのしっと腕乗せて、グラウンドを凝視してる。もしかして。

「やっぱ優姫さんとか華華さまがタイプなんや……」
「は?」

 茶毛で小柄なオレの真逆。ちょっと落ち込んで、ぶつぶつ言う。
 先輩は聞こえなかったのか、オレが巻いてる鉢巻きの立ち耳(・・・)を引っ張った。

「てか何これ」
「猫耳です。さっきつくり方()っせてもろうたんスよ」

 そう言えばかわいくしたんだった、と顔を上げる。鉢巻きの真ん中に三角型の結び目を二個つくれば完成で、オレでもできた。

「誰に?」

 でも先輩は何のコメントもなく、斜め上の追及をしてくる。

「杏奈ちゃんです。一緒に野球部サポしよる」
「……ふーん」

 聞くだけ聞いて、玉入れが終わるまで猫耳を弄り続けた。下からでわかりにくいけど、ゆるみそうでゆるまない真顔。犬派なのに猫に浮気してる人みてえ。


 昼休み。にぎやかな本部テント前で得点表を見上げ、口を尖らせる。

「借り物競走でセンパイが阻止せなんだら、ぜってえ青チームが一位折り返しやったっスよ!」

 午前の四種目を終えて、オレたち青チームは緑チームに次いで二位だ。でも悔しい。
 英翔がめずらしく気を利かせ、丈士先輩に隣の椅子譲ったのはいい。ただ、借り物競走でオレを借りにきた参加者を、先輩がことごとく却下したんだ。

『「声の大きい人」、日高くん来まい!』
『ダメ。コイツ白チームじゃん』
『っス』
『蒼空、「ダンス」部じゃわいな?』
『ダメ。部員他にもいるだろ』
『え、やけど青チーム同士ですよ』
『日高蒼空くんじゃな、「空と関係あるものor人」!』
『ダメ』
『青チームの人ですって! それに当てはまるのオレくらいやないスか!?』
『……よけいにダメ』

 丈士先輩が断固オレの旋毛に腕乗せてるせいで、応じてあげられなかった。

「午後の騎馬戦で勝ちゃいいじゃん」

 先輩はしれっとしてる。確かに点差は大きくない。もしや、劇的な逆転を演出するための仕込みか? そういう体育祭の楽しみ方だって、先に教えてくれたらよかったのに。
 先輩とオレの騎馬は、誰にも負けないし。

「そっスね! あ、オレそろそろ着替えな」

 早く戦いたいけど、その前に応援合戦だ。合戦って銘打ってるものの実質ハーフタイムショーみたいな位置づけで、他の生徒が弁当食ってる間に踊る。
 んじゃ、と校舎に向かおうとしたオレの手首を、先輩が掴んだ。

「スカート穿かないよな?」

 ははあ。二回も訊くほど期待してくれてるらしい。目力増し増し真顔の先輩と裏腹に、にんまり笑う。

「昼飯早めに食い終わっといたほうがええスよ」


 てわけで。白いミニワンピース着て、グラウンド脇にスタンバイする。
 「an9el」の曲使うんだ。だから衣装も天使モチーフにした。ネットで買ったファーの羽根を背負ってる。
 ワンピはベルト締めて古代ローマっぽい感じで、チアガール姿より羞恥心はない。それにほら、オレってミニスカ似合うし。うどん肌の足もつるつるにしてきたし。うどんだけに。
 スピーカーからイントロが流れる。陽射しの降り注ぐ中央へ走っていく。

「フレーフレー、さ・ぬ・き!」

 一年一組のテントが、「ソラエル(・・・・)~!」って沸いてくれる。へへ、嬉しい。
 待て。本部テント真ん前の特等席で胡坐掻いてるの、丈士先輩じゃね?
 しかもスマホじゃなく、ご両親のらしき一眼カメラ構えてる。先輩の活躍記録用では。
 SDカードの容量がもったいない気がしたものの、レンズでオレを追う先輩の口角が上がってるのに気づいて、遠慮はやめた。
 先輩にはそのまま、体育祭マジックってやつに掛かってもらおう。

「フレフレ、」

 セ・ン・パ・イ。サビで口パクしながら指差ししてあげる。確定ファンサです。
 二週間みっちり練習してきたけど、本番ってあっという間だ。
 流れる汗も構わず、ラストのポーズを決める。歓声と拍手の中、丈士先輩と目が合う。むしろ先輩しか見えなかった。