「賛歌さん、このたびは……」
 彼らから心のこもったお悔やみの言葉をもらい、私は胸がいっぱいになった。上の部屋でこんな気持ちになれなかったことがかなしい。
 典十さんは同じ缶コーヒーを私に買ってくれた。
「さっき着いたら、ここでコーヒーを飲んでた真琴さんと目が合ったんです。もしかして、と思って声をかけてみたら、やっぱり真琴さんでした」
 典十さんの言葉に真琴はこくこく頷く。
「じゃあ、自己紹介はすんでるんだね?」
 私が訊ねると、二人は顔を見合わせて頷いた。
「簡単にね」と真琴。
 私が缶コーヒーを飲んで息をつくと、典十さんが私の顔を覗き込んだ。
「顔色悪いですね。座ったほういいんじゃないですか」
「ほんとに。あっちに椅子あるよ」
 真琴も眉をひそめて私の腕にそっと触れる。
 向こうの壁際にソファがあった。私を挟んで三人で並んで座る。
 人付き合いが苦手な真琴はこの状況に苦戦しているはずなのに、まったく表には出していなかった。おそらく、私に気を使ってくれているのだろう。
「お母さんが発見された時の話、しちゃったけど大丈夫?」
 真琴がちらっと典十さんに視線を向けながら私に訊く。
「どうせ話すつもりだったからいいよ」
「睡眠薬の件、ちょっと気になりますね」
 用心深くそう言う典十さんに、私は頷いた。
「そのことで、いまお父さんと喧嘩みたいになっちゃった」
 自殺ではないかと仄めかされてカッとして、父に言葉を荒げてしまったことを打ち明けた。京子さんにきつい言い方をしてしまったことも。
「頭に来たのはたぶん、心のどこかで不安だったからだと思う。父が言っていることが合ってたらどうしようって」
 母はあの朝、突然死のうと思いたったのではないか。
 睡眠薬は堤防で飲んだのかもしれない。海に身を投げようとして、誤って陸側に落下してしまった。打ちどころが悪くて、そのまま……。
「賛歌はどう思うの? そういう終わり方、お母さんは選んだと思う?」
 真琴は答えを探すように私の目の奥を覗き込む。
「思わない。お母さんはまだしたいことがあったはず。だから自分から終わりにするようなことはないよ」
「だったら、余計なことは考えなくていいんじゃない。誰がなにを言おうと」
 鼻をすする音がして振り返ると、典十さんが涙を両手で拭いていた。真琴もそれに気づいて、少し困惑したような表情になる。
 コーヒーを飲み終えた頃、進さんたちが下りてきた。通夜がはじまるのだ。
 私は親族席に座ったが、父と京子さんは一般参列者の席に着いた。
 通夜は寂しいものだった。ご近所さんがちらほら焼香に来てくれただけで、すぐに参列者は途絶えた。母は元々孤独な人で、知り合いは(予知会)の人がほとんどだったから仕方ない。
 通夜のあとの通夜ぶるまいには、真琴と典十さんも参加してくれた。誘ったものの、てっきり断られると思っていたので意外だった。特に真琴は。
 私の友人だと二人を紹介すると、父や京子さんは意味ありげな視線を私と典十さんに向けた。でも場所が場所なので余計なことは言われなかった。
 二人は親族たちとは離れた席について、黙々とお寿司を食べていた。真琴は水のようにビールを飲んで、隣にいる典十さんを驚かせている。
 食欲がない私はカッパ巻きをもそもそ食べながら、進さんに視線を向けた。
 彼はテーブルの一番端で両親となにか話をしている。彼はいまにも倒れそうに首をふらふらさせていた。顔が赤いのはお酒のせいだろうか。
 気になってじっと見ていると、空いていた私の隣の椅子に誰かが座った。見ると、京子さんだった。
 彼女は神妙な顔つきで私のグラスにビールを注ぐ。私は慌てて頭を下げた。
「さっきはすみませんでした。失礼な言い方をしてしまって……どうかしてました」
「いいのよ。私がよくなかったの」
 私たちに気づいたのか、父もグラスを持って席を移動してきた。
「さっきは無神経な言い方してごめんな」
「ううん、私もごめんなさい」
 お詫びの気持ちもこめて、私は二人のグラスにビールを注いだ。
 安心したように彼らはビールを飲み、お寿司を食べはじめる。
「賛歌、お母さんが亡くなる前に仲直りできてよかったな」
 父の言葉に私は素直に頷く。
「そうだね……」
「ほんとによかったわね。最後に親孝行もできたみたいだし」
 京子さんは微笑み、おいしそうにビールを飲む。
 そんな彼女を私はそっと見つめた。
 さっき京子さんは進さんの母親に、自分のことを父の婚約者だと名乗っていた。
 皿を持つ左手の薬指には、父が昔買ってあげた安物の指輪がはめてある。
「友達を送っていくから、私はこれで」
 私は父と京子さんに断ってから、進さんのところに行った。
「進さん、私はお先に失礼します。あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、いいですか?」
 進さんはぼんやりした目で私を見上げる。私は彼の耳元に口を寄せて、彼にだけ聞こえる声であることを訊ねた。
 進さんは私の目を見て、はっきりと首を横に振る。
「そうですか。ありがとうございます」


9 青空

 翌日の葬儀は十時からはじまった。
 進さんはやはり体調が悪かったらしく、三十九度の高熱が出たとかで葬儀場には現れなかった。
 彼の父親も体調が優れないとかで、ご両親とも欠席。兄夫婦も仕事があるらしくて姿を見せなかった。
 昨日とはうってかわり、親族席には私一人となった。
「いくらなんでも一人じゃ心細いだろう」
 父はそう言って、今日は私の隣に座った。京子さんも並んで腰をおろす。
 葬儀がはじまると、予知で見た光景が再現された。母の棺に、私と父、そして京子さん。
 お通夜よりもさらに参列者の少ないお葬式は泣く人もなく静寂に包まれ、ただ僧侶の読経だけが響き渡った。
 つつがなく葬儀が終わると、京子さんはトイレに行くといって部屋から出ていった。
 私はすぐにそのあとを追う。
 彼女は二階の待合室に向かうと中に入っていった。
 私がドアを開けると、彼女は振り返って笑顔を浮かべた。
「喉が渇いちゃって」
 ピンク色の携帯用魔法瓶をグレーのリュックサックから取り出して飲みはじめる。
「それ、なんですか?」
「ハーブティーよ」
 彼女は携帯用魔法瓶をよく見えるように私に差し出す。
「これね、私が昔デザインしたものなの。テーマは春の花。いまの季節にぴったりでしょ。賛歌さんも飲む? おいしいわよ」
 私は首を横に振ってドアを閉めた。
 彼女はまだ笑っている。
「母にもそう言って飲ませたんですか? 睡眠薬入りのハーブティー」
 京子さんは瞬きをして、ゆっくりと携帯用魔法瓶をリュックサックにしまった。
「そのリュックサック、お気に入りなんですか?」
「ええ。ホワイトデーにもらったの。あなたのお父さんから」
「母を殺した夜に、父からプレゼントをもらって嬉しかったですか?」
 彼女は呆れたように首を横に振った。
「どうしたの、賛歌さん。さっきからなんの話をしてるの?」