「どうぞこちらへ」
ドアを開けた先は建物の外のようで、暗闇が広がっている。
なにか変だ、と訝しんだ瞬間、背後に回り込んだ藍さんにどんと背中を突き飛ばされた。
あっと私は頭から外の闇に倒れこむ。
起き上がろうとすると、背中にどすんとなにかがのっかってきた。悲鳴をあげようと口を開くと、タオルのようなものを押し込まれる。顔を見ると藍さんではなく、黒いマスクをした若い男だった。
ガムテープのようなものを口にはられかけた時、ピロピロピロという甲高い音が鳴り響いた。防犯ブザーの音だ。
突き飛ばされた瞬間、私は無意識にバッグを引き寄せていた。あとはもう死に物狂いで防犯ブザーを探り当てたのだ。
「早く車に!」
藍さんが怒鳴り、私は両腕を二人に掴まれて引きずられた。なんとかタオルを舌で押し出して、私は叫んだ。
「たぁ、助けて!」
背後で誰かが叫ぶ声がした。
ばたばたと駆けてくる足音がする。
「おい、なにしてんだ!」
「賛歌さん!」
ぱっと右腕が解放されて、私は右肩を地面に強打した。それでも左腕は恐ろしい力で掴まれたままで、ずるずると体は引きずられていく。
だがすぐに左腕も解放されて、私は地面に打ち捨てられた。
「賛歌さん、大丈夫ですか?」
典十さんの声がすぐ近くで聞こえたけれど、私は返事をすることもできなかった。
恐怖で体ががたがた震え、体に受けた衝撃が苦痛を主張しはじめる。
防犯ブザーの音が消されても、私の頭の中ではずっと鳴り続けていた。
*
ひかるちゃんと会えたのは、それから一週間後のことだった。
高校の前で待ち伏せしていると、二時過ぎに彼女は一人で校門から出てきた。私に気づくと軽く頭を下げた。
「よかったら一緒に梅を見に行きませんか?」
まるで待ち合わせしていたみたいに誘うので、いいよと私も頷いた。
歩いて数分のところに神社があって、境内にはたくさんの梅が植えられていた。
まだ梅は咲きはじめたばかりのようだったけれど、そのぶん見物客は少なくて人気がなかった。
「ひかるちゃんの本名、江崎だったんだね」
彼女は白い梅に顔を近づけながら頷いた。
「町野は一緒に暮らしている祖父母の苗字です」
ひかるちゃんは玉乃の娘だった。
私を襲った藍さんは(予知会)の一員で、一緒にいたのは彼女の彼氏だった。
藍さんは玉乃に命じられて、私を連れ去り、(予知会)が所有する別荘に監禁しようとしていたのだ。
あの日、ひかるちゃんは既にその別荘に監禁されていた。
「両親がおかしくなったのって、兄の病気のせいだと思うんです」
ひかるちゃんの五つ年上の兄は覚(まなぶ)さんといって、二年前に十九歳で病死していた。
幼い頃から脳の血管の病気を患っていたらしい。
「両親……特に母のほうは四六時中、兄の体のことを心配していました。自分まで具合悪くなっちゃうんじゃないかってぐらいに。頑張り過ぎて、身も心もへとへとに疲れ切っていた時に、まどかさんに出会ったんです」
ひかるちゃんは切なげに息を吐いた。
「まどかさんが予知ができると知った母は、まどかさんに兄を会わせました。兄が元気でいる未来を予知してもらって、母は号泣するほど喜んだんです。それですっかり、予知にはまってしまった」
玉乃は(予知会)を作り、未来を知りたい人達を募った。
良い未来を教えてもらった人はもちろん喜んだが、悪い未来を知ることになっても、ほとんどの人が感謝した。準備と心構えができるからと。
自分はいいことをしている。そう信じこんだ玉乃はどんどん予知にのめりこんでいった。
「私は最初から予知なんて信じてなかったです。でも兄は違った。母の言うことを真に受けて、(予知会)にも入ってしまったんです。兄の短い人生を台無しにしてしまった母のことが、私はどうしても許せなかった」
そして去年、私の母であるまどかが病を患って(予知会)をやめたことを知った。
「これでやっと終わると思ったんです。それなのに、今度はまどかさんの娘を引き入れようとしていることがわかった。なんとかしなきゃ、と思いました。でないと、私や兄みたいに苦しむ人がまた出てきてしまうから」
ひかるちゃんは隣の梅の木に顔を向けた。黒っぽい赤色の梅が咲いている。
「だから確かめようとしたんです。賛歌さんがどうするつもりなのか。親しくなって、本心を確かめようと思いました。藍ちゃんは兄と同い年で、すごく仲がよかったんです。だから事情を説明して、協力してもらうことにしました」
ひかるちゃんは私が映画好きだと知ると、藍さんに(ガッビアーノ)で働くように頼んだ。
二人で力を合わせて、なるべく自然に私に近づいた。私がもし(予知会)に興味を抱いているようなら、考えを変えてもらうように説得しようと思っていた。
「でも、賛歌さんも(予知会)を嫌っていることがわかった。だから藍ちゃんに言ったんです。もう賛歌さんのことは放っておこうって」
ひかるちゃんは自分の両手首を見下ろした。そこには何かできつく締められたような跡が残っている。
「彼女、私の前ではずっと(予知会)のことを批判してたけど、実際は、兄に誘われて(予知会)に入ってしまってたんです。だから私が話した情報は、すべて母に流れてました」
藍さんは最初から玉乃とつながってたんだ。
「あの日、藍ちゃんに会いに映画館に行った時、母の姿を見かけたんです。あとをつけたら、裏口で二人が賛歌さんを拉致する話をしはじめたんです。びっくりしました」
それで、ひかるちゃんは私にすぐ電話した。気を付けるようにと。
でも、電話が通じないまま、玉乃たちに気づかれて連れ去られてしまった。
実際に彼女を拉致したのはサノという(予知会)の一員の男だった。私を襲ってきた男と同一人物で、藍さんの恋人でもあるらしい。
ひかるちゃんが監禁されていたのは、隣県にある玉乃夫婦の別荘だった。人里離れた場所にあり、人目につく恐れはまずない。
玉乃は私もそこに連れて行って、考えが変わるまで閉じ込めておくつもりだったらしい。
でも私は助かった。
防犯ブザーの音に気づいた典十さんと瀬野さんが駆けつけてくれたからだ。
あの夜、典十さんたちは藍さんの嘘で裏の倉庫にいた。一緒に備品を運んで欲しいと頼まれ、倉庫に入った途端に、外から鍵をかけられてしまったのだ。
閉じ込められたと気づいて、彼らはすぐに同僚に電話で助けを求めた。倉庫から出て藍さんを捜している時に、けたたましい防犯ブザーの音が聞こえてきた。駆けつけると私が襲われていた、というわけだ。
藍さんはすぐに取り押さえられて、警察に引き渡された。サノは車で逃走したが、数時間後には玉乃夫婦の自宅にいるところを発見され、夫婦もろとも逮捕された。別荘に監禁されていたひかるちゃんも、無事に助け出された。
「怪我、大丈夫ですか?」
ひかるちゃんに訊かれて、私は頷いた。
倒れた時に顔や手に擦り傷を負ったけれど、それはすぐに治った。
「ひかるちゃんは?」
「私も大丈夫です」
私たちはほとんど花をつけていない梅の木を見ながら、ゆっくりと境内を一周した。
鳥居をくぐって外に出ると、ひかるちゃんは丁寧に頭を下げた。
ドアを開けた先は建物の外のようで、暗闇が広がっている。
なにか変だ、と訝しんだ瞬間、背後に回り込んだ藍さんにどんと背中を突き飛ばされた。
あっと私は頭から外の闇に倒れこむ。
起き上がろうとすると、背中にどすんとなにかがのっかってきた。悲鳴をあげようと口を開くと、タオルのようなものを押し込まれる。顔を見ると藍さんではなく、黒いマスクをした若い男だった。
ガムテープのようなものを口にはられかけた時、ピロピロピロという甲高い音が鳴り響いた。防犯ブザーの音だ。
突き飛ばされた瞬間、私は無意識にバッグを引き寄せていた。あとはもう死に物狂いで防犯ブザーを探り当てたのだ。
「早く車に!」
藍さんが怒鳴り、私は両腕を二人に掴まれて引きずられた。なんとかタオルを舌で押し出して、私は叫んだ。
「たぁ、助けて!」
背後で誰かが叫ぶ声がした。
ばたばたと駆けてくる足音がする。
「おい、なにしてんだ!」
「賛歌さん!」
ぱっと右腕が解放されて、私は右肩を地面に強打した。それでも左腕は恐ろしい力で掴まれたままで、ずるずると体は引きずられていく。
だがすぐに左腕も解放されて、私は地面に打ち捨てられた。
「賛歌さん、大丈夫ですか?」
典十さんの声がすぐ近くで聞こえたけれど、私は返事をすることもできなかった。
恐怖で体ががたがた震え、体に受けた衝撃が苦痛を主張しはじめる。
防犯ブザーの音が消されても、私の頭の中ではずっと鳴り続けていた。
*
ひかるちゃんと会えたのは、それから一週間後のことだった。
高校の前で待ち伏せしていると、二時過ぎに彼女は一人で校門から出てきた。私に気づくと軽く頭を下げた。
「よかったら一緒に梅を見に行きませんか?」
まるで待ち合わせしていたみたいに誘うので、いいよと私も頷いた。
歩いて数分のところに神社があって、境内にはたくさんの梅が植えられていた。
まだ梅は咲きはじめたばかりのようだったけれど、そのぶん見物客は少なくて人気がなかった。
「ひかるちゃんの本名、江崎だったんだね」
彼女は白い梅に顔を近づけながら頷いた。
「町野は一緒に暮らしている祖父母の苗字です」
ひかるちゃんは玉乃の娘だった。
私を襲った藍さんは(予知会)の一員で、一緒にいたのは彼女の彼氏だった。
藍さんは玉乃に命じられて、私を連れ去り、(予知会)が所有する別荘に監禁しようとしていたのだ。
あの日、ひかるちゃんは既にその別荘に監禁されていた。
「両親がおかしくなったのって、兄の病気のせいだと思うんです」
ひかるちゃんの五つ年上の兄は覚(まなぶ)さんといって、二年前に十九歳で病死していた。
幼い頃から脳の血管の病気を患っていたらしい。
「両親……特に母のほうは四六時中、兄の体のことを心配していました。自分まで具合悪くなっちゃうんじゃないかってぐらいに。頑張り過ぎて、身も心もへとへとに疲れ切っていた時に、まどかさんに出会ったんです」
ひかるちゃんは切なげに息を吐いた。
「まどかさんが予知ができると知った母は、まどかさんに兄を会わせました。兄が元気でいる未来を予知してもらって、母は号泣するほど喜んだんです。それですっかり、予知にはまってしまった」
玉乃は(予知会)を作り、未来を知りたい人達を募った。
良い未来を教えてもらった人はもちろん喜んだが、悪い未来を知ることになっても、ほとんどの人が感謝した。準備と心構えができるからと。
自分はいいことをしている。そう信じこんだ玉乃はどんどん予知にのめりこんでいった。
「私は最初から予知なんて信じてなかったです。でも兄は違った。母の言うことを真に受けて、(予知会)にも入ってしまったんです。兄の短い人生を台無しにしてしまった母のことが、私はどうしても許せなかった」
そして去年、私の母であるまどかが病を患って(予知会)をやめたことを知った。
「これでやっと終わると思ったんです。それなのに、今度はまどかさんの娘を引き入れようとしていることがわかった。なんとかしなきゃ、と思いました。でないと、私や兄みたいに苦しむ人がまた出てきてしまうから」
ひかるちゃんは隣の梅の木に顔を向けた。黒っぽい赤色の梅が咲いている。
「だから確かめようとしたんです。賛歌さんがどうするつもりなのか。親しくなって、本心を確かめようと思いました。藍ちゃんは兄と同い年で、すごく仲がよかったんです。だから事情を説明して、協力してもらうことにしました」
ひかるちゃんは私が映画好きだと知ると、藍さんに(ガッビアーノ)で働くように頼んだ。
二人で力を合わせて、なるべく自然に私に近づいた。私がもし(予知会)に興味を抱いているようなら、考えを変えてもらうように説得しようと思っていた。
「でも、賛歌さんも(予知会)を嫌っていることがわかった。だから藍ちゃんに言ったんです。もう賛歌さんのことは放っておこうって」
ひかるちゃんは自分の両手首を見下ろした。そこには何かできつく締められたような跡が残っている。
「彼女、私の前ではずっと(予知会)のことを批判してたけど、実際は、兄に誘われて(予知会)に入ってしまってたんです。だから私が話した情報は、すべて母に流れてました」
藍さんは最初から玉乃とつながってたんだ。
「あの日、藍ちゃんに会いに映画館に行った時、母の姿を見かけたんです。あとをつけたら、裏口で二人が賛歌さんを拉致する話をしはじめたんです。びっくりしました」
それで、ひかるちゃんは私にすぐ電話した。気を付けるようにと。
でも、電話が通じないまま、玉乃たちに気づかれて連れ去られてしまった。
実際に彼女を拉致したのはサノという(予知会)の一員の男だった。私を襲ってきた男と同一人物で、藍さんの恋人でもあるらしい。
ひかるちゃんが監禁されていたのは、隣県にある玉乃夫婦の別荘だった。人里離れた場所にあり、人目につく恐れはまずない。
玉乃は私もそこに連れて行って、考えが変わるまで閉じ込めておくつもりだったらしい。
でも私は助かった。
防犯ブザーの音に気づいた典十さんと瀬野さんが駆けつけてくれたからだ。
あの夜、典十さんたちは藍さんの嘘で裏の倉庫にいた。一緒に備品を運んで欲しいと頼まれ、倉庫に入った途端に、外から鍵をかけられてしまったのだ。
閉じ込められたと気づいて、彼らはすぐに同僚に電話で助けを求めた。倉庫から出て藍さんを捜している時に、けたたましい防犯ブザーの音が聞こえてきた。駆けつけると私が襲われていた、というわけだ。
藍さんはすぐに取り押さえられて、警察に引き渡された。サノは車で逃走したが、数時間後には玉乃夫婦の自宅にいるところを発見され、夫婦もろとも逮捕された。別荘に監禁されていたひかるちゃんも、無事に助け出された。
「怪我、大丈夫ですか?」
ひかるちゃんに訊かれて、私は頷いた。
倒れた時に顔や手に擦り傷を負ったけれど、それはすぐに治った。
「ひかるちゃんは?」
「私も大丈夫です」
私たちはほとんど花をつけていない梅の木を見ながら、ゆっくりと境内を一周した。
鳥居をくぐって外に出ると、ひかるちゃんは丁寧に頭を下げた。