「そうですか。もしだめだったら、近くのホテルで待機するって手もありますね」
「そうですね……」
 映画が終わり、食後のコーヒーを飲んでいる時だった。
 典十さんが私の顔を覗き込みながら訊ねた。
「なんか今日、ちょっと変ですね。なにかありました?」
 私はちょうど、母に見せられた絵を思い出していた。私が襲われている瞬間の絵。
「いえ……ちょっと疲れてるだけです」
「もしかして、予知に関係することですか?」
 聞き間違いかと思って、典十さんの顔を見た。
 彼は落ち着いた表情で言葉を続ける。
「笹村さんから賛歌のことを聞かされたんです。賛歌さんの母親が(自分と娘には予知能力がある)と周囲に話していたって」
 藍さんは私に恨みでもあるんだろうか。もしかして、典十さんのことが好きとか?
 私の噂話をひかるちゃんに話すのは仕方ない。でも、典十さんにはしないで欲しかった。こんな形で知られたくなかった。
「それで僕、はっとしたんです。真琴さんの件は脅迫じゃなくて、予知で見たことなんじゃないかって。賛歌さん、こう言ったんですよ。『一人であんな怖い目にはあわせたくない』って。まるで見てきたかのように話すんだなぁって、不思議だったんです。でも予知で見たのなら、しっくりくるなと思って」
 彼はずいぶん記憶力がいいようだ。そんなこと言ったなんて、私も忘れていた。
「予知とか、信じるんですか?」
 私の慎重な問いかけに、彼は頷いた。
「この世界には解明されてない謎がいくつもありますよね。人間みんなに備わっている能力の延長線上に、そういう不思議な力があってもおかしくないと思うんです」
「私だったら信じられません。予知できるって言われて、そうなんですか、とはならないでしょう」
「僕だって、知らないどこかのおじさんに(俺は予知できるんだ)って言われても、信じられません。でも、賛歌さんに言われたら、信じられます」
 私はなんと言ったらいいかわからなかった。
 素直に嬉しい気持ちと、やっぱり変人扱いされるのではないかという恐怖心がまだあった。
「僕、小さい頃、親を驚かせたことがあるんです。いわゆる虫の知らせってやつです。まだ連絡が来る前に、祖父の死を言い当てたことがありました。もし僕がそのときに、まわりから変だって責められたら、すごく悲しかったと思うんです。僕は自分のことを普通だと思っているから」
 私たちはじっと見つめ合った。
「虫の知らせはまだあるんですか?」
「もうないです」
「それならよかった。あったらきっと大変でしたよ。私みたいに」
 典十さんはわずかに目を見開いた。
「予知、できるんですか?」
「できます」
「どうやって?」
「青空に未来が映るんです」
 私は予知について詳しく彼に説明した。母や(予知会)、玉乃のこともすべて話した。
 とても長い話を彼は黙って聞いてくれた。
「それでこの前、母が、私の予知を見たんです。私が誰かに襲われる予知です」
「襲われる?」
 彼は大きな声をあげ、表情をこわばらせた。
 私は母が描いた予知の絵を見せた。情報を書き留めたメモ用紙も。
 彼は食い入るようにそれらを見てから、私にいろいろ質問をした。
「服装って、この絵の通りなんですか? コートを着てませんね」
 グレーのパーカーにデニムパンツという、私の定番の恰好だ。
「見たままを描いたそうですよ」
 彼は犯人を指差す。
「犯人も軽装ですね。これもパーカーかな。軽い上着一枚で過ごせる季節ってことですかね」
「でも、ここは建物の中ですよね。コートをロッカーに預けているということはないですか?」
「ありえますね。でも、ここにリュックサックがあるでしょ。もしコートをロッカーに預けるなら、大きなリュックも一緒に預けると思うんです。貴重品はパーカーのポケットに入れればいい。でもリュックがあるということは、コートも預けてないんじゃないかな。このリュックって、賛歌さんのですか?」
「いえ、私はグレーのリュックは持ってません」
「犯人のだとしたら、やっぱりロッカーは使ってないですよ。突発的な犯行なら別ですけど、計画的な犯行ならば、犯行後にすぐ逃げられるようにロッカーなんて使わないでしょうから」
 となるとやっぱり、冬物のコートは着ていないのだろうか。
「じゃあ、これが起きるのは春頃……」
 あるいはもっと先の秋。
 ほんの少しだけほっとした。今日か明日にでも襲われるのではないかという不安が、常につきまとっていたから。
 春はすぐそこまで来ているけれど、まだ猶予はある。
 それに春か秋に事件が起きるなら、私の命は保証される。次のクリスマスを、私は典十さんと迎えることができるのだから。
「典十さん、クリスマス前にこの事件が起きるなら、少なくとも私が死ぬことはないと思います。クリスマスに私が生きている予知を見たので」
「えっ、そうなんですか? どういう予知ですか?」
 彼は驚きながらも安堵の表情を浮かべた。
「えっと……クリスマスのお祝いをしている予知です」
「よかった。じゃあ、大怪我とかもしなさそうですね?」
「たぶん」
「それならほんとによかった。でも、油断せずに用心しないとだめですよ」
「はい、それはもちろん……」
 ほっとしている典十さんを見て、私も嬉しかった。
 でもなんでだろう?
 気づくと、涙がこぼれていた。
 成り行きとはいえ、典十さんに予知のことを打ち明けることができた。
 彼は私を受け入れてくれ、心配までしてくれている。
 そのことが信じられないほど嬉しくて、ありがたかった。
 私はたぶん、ずっと心のどこかで不安だったんだ。
 たとえ彼と付き合うことになっても、予知のことは隠し続けなければいけないんじゃないかと。本当のことを話したら、彼は私の元から去っていくんじゃないかと。
 私の異変に気づいた典十さんは慌てて駆け寄ってきた。
「賛歌さん、大丈夫ですよ」
 慰めるように私の背中をさする。
 背中に感じる手はとても温かくてやさしかった。
 私は腕をのばして彼の体をぎゅっと抱きしめた。
 典十さんが驚いたのが感じられたけれど、すぐに長い両腕がしっかりと私を抱きしめ返してくれた。ふわっと体が軽くなる感覚がした。
「絶対に大丈夫です。僕が守りますから」



 鎌倉で母と会ってから毎日、朝と夜にメールで安否確認が届く。
 私は(おはよう)(おやすみなさい)と一言だけ返していた。少しでも返信が遅れると電話までかかってくるが、私も母の安否確認ができていると思えば我慢もできた。
 週末が近づくと、また(アマンテ)に行こうよと真琴から誘われた。
 今週はずっと気持ちが落ち着かなかったので、お酒を飲みに行きたい気分ではなかった。ちょっと疲れているからと断ると、真琴はあっさりと「じゃあ一人で行ってくるね」と言って寄越した。
 私は自分が襲われる予知の話を、真琴に知らせないことにした。
 万が一、真琴の事件と結びつけられてしまったら困るからだ。巻き込みたくない、と私を家に泊める約束を撤回されたらまずい。
 日曜には、また玉乃からの手紙が郵便受けに入っていた。消印はやはりない。
 今度は便箋が一枚だけしか入っていなかった。