電話の向こう側は沈黙した。電話が切れたのかなと不安になるぐらい無音の状態が続いた。
「もしもし?」
『あ、ごめんなさい。でも、まどかさん元気そうで安心した。雰囲気もだいぶ変わって……孝彦さんも別人みたいだって驚いてた。旦那さんもとってもやさしそうで、なんだか羨ましくなっちゃった』
大きなため息が聞こえてくる。
『帰りの車で孝彦さん、ずっと不機嫌だったの。進さんのこと、信用できないって。(予知会)とまだつながってて、玉乃とも連絡とりあってるんじゃないかってね』
「父がそう思うのも無理はないと思います」
『でもあれは嫉妬だと思うのよ。まどかさんが進さんの隣で幸せそうにしてたから、悔しかったのね。孝彦さん、本当はまだまどかさんに未練があったんだわ』
未練は多少はあるだろう。
元々、父は母のことが大好きだった。母が(予知会)にはまらなければ、いまも仲良く暮らしていたはずだ。そんな母が(予知会)を辞め、再婚相手と仲睦まじく暮らしていると知ったら、父だって面白くはないだろう。
『私ね、孝彦さんとずっと一緒にいたいの。私の年だともう他の相手は見つけられないだろうし、彼と添い遂げたいと思ってる。できたら、きちんと再婚もしたいのよ。賛歌ちゃんは反対?』
「いえ……京子さんがいないともう父はやっていけないと思います。再婚に関して、私のことは気にしないでください。お二人の問題ですから」
『じゃあ、応援してくれる?』
「できることはないかもしれませんけど、うまくいくように願ってます」
『ありがとう。このこと、孝彦さんに話しても大丈夫?』
「もちろんです」
やっと明るい声になった京子さんと電話を切ると、どっと疲れが襲ってきてベッドに倒れ込んだ。
*
火曜日はまた典十さんとカフェ(波止場)で食事をする約束をしていた。
でも、その前にひかるちゃんともお茶の約束がある。
先週の土曜日、ひかるちゃんから明日会いたいと連絡があったのだ。日曜は予定があると言うと、じゃあ火曜日はと訊かれた。友達と夕飯の約束をしているけど、夕方までならいいよ、と会うことになった。
場所は以前、彼女と利用したことがある、駅前のチェーン店のカフェだ。
約束の三時少し前に店に入っていくと、既にひかるちゃんは待っていた。
前と同じ窓に面したカウンター席に、こちらに背を向けて座っている。学校帰りなので制服のままだ。
「ひかるちゃん」
声をかけて隣に座ると、彼女はいつになく固い表情で「こんにちは」と挨拶をした。
私は笑顔をひっこめて、手をつけられていない彼女のオレンジジュースをちらっと見た。
私のカフェオレが運ばれてくると、彼女はストローをグラスに挿して少し飲んだ。私も一口飲んで、窓の外を見る。
今日の天気予報は晴れなので、朝からずっと空を見ないようにしていた。もう予知は見たくない。
「賛歌さんて、予知できるんですか?」
心を覗かれたような気がしてドキッとした。
「……え?」
「予知、です。すみません……昔、そういう噂があったって人から聞いたんです。正確には藍ちゃんからなんですけど」
藍ちゃん。彼女の従姉妹の笹村藍さん。
「藍ちゃん、賛歌さんが通っていた中学の後輩なんです。同じ学校の生徒なら全員知っている噂があったって聞きました。(青柳賛歌と彼女の母親は予知ができる)っていう」
藍さんはここが地元だったのか。
「珍しい名前だから思い出したって、このまえ教えてくれたんです」
私はゆっくりとカフェオレを飲んだ。
誤魔化すことはいくらでもできる。予知なんてできるはずがない。嫌がらせで変な噂をたてられただけだと。
でも、ひかるちゃんは温泉で、霊感があると打ち明けてくれた。そんな彼女に嘘をつくのはなんだか心が痛む。
「私、そういう力がある人がいても不思議じゃないと思うんです。自分も霊感があるからかもしれないですけど」
ひかるちゃんは落ち着いた声で話し続ける。
「もしそういう力があって、まわりに知られて、変な目で見られたりしたら、すごく傷つきますよね。予知とか、気軽に人前で口にしたくないのもわかります。だから、これは仮定の話として訊くんですけど……もし賛歌さんが予知できるとしたら、それをどういうふうに使いますか?」
「どういうふうにって?」
「予知の力を積極的に使おうとするのか、それとも、特になにもしないのか」
彼女の意図がよくわからなくて、私は返答に困った。
「……なにもしないんじゃないかな」
「人から予知するように頼まれたら協力しますか?」
「え?」
「私の未来を予知して欲しいって頼んだら、叶えてくれますか?」
ひかるちゃんは私に予知してもらいたいのだろうか。
「予知ってそんな都合のいいものじゃない気がする。予知は見るものじゃなくて、受け取るものって感じがするんだ。だから無理じゃないかな」
ひかるちゃんは頷くと、窓の外の通りを見た。スーツ姿の男性や学校帰りの学生たちが通り過ぎて行く。
「変なこと訊いてごめんなさい。藍ちゃんから(予知会)というものの存在も聞かされたんです。賛歌さんも関係してるのかなって、気になってしまって」
怪しげな団体と私が関わりがあるのかと心配してたのか。
「私とは無関係だよ。うちの母親は(予知会)の一員だったけど、もう辞めたみたい。私、(予知会)が嫌いなの。母がそこに入ったせいで、家族がバラバラになったから」
「そうだったんですか。じゃあ、賛歌さんが関わることは今後も絶対にないんですね?」
「絶対に絶対にない」
ひかるちゃんはほっとしたよう笑った。
「安心しました。……あ、このあとの予定って、もしかしてデートですか?」
「え、なんで?」
だって、と彼女は笑いをこらえながら、私の服を指差す。
「おしゃれしてるから。今日、すごく可愛いですよ」
今日は真琴にもらったラベンダー色のニットに、ベージュのプリーツスカートを着てきた。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「楽しんできてくださいね。あとでリップ塗りなおしたほうがいいですよ。じゃ」
ひかるちゃんが帰ると、私はすぐにトイレに駆けこんだ。
鏡を覗くと確かにリップがちょっと剥げていた。
*
それから数時間後、私は(波止場)にいた。
今夜の映画はよりによって超能力者ものだった。
舞台は全寮制の学園。冒頭で教師が殺され、生徒たちによる犯人捜しがはじまる。主人公には人の心が読める超能力が備わっている。
「今日はなにして過ごしてたんですか?」
典十さんは訊ねてから、キーマカレーをぱくりと食べた。今日も眼鏡がよく似合っている。
「友達と会ってお茶してました」
「真琴さん?」
「いえ、女子高生のひかるちゃんて子です。前に話しましたよね? ここに勤めてる笹村藍さんの従姉妹が私の友達だって。それがひかるちゃんです」
「あぁ、笹村さんの」
温野菜サラダには茹でたジャガイモも入っていておいしい。ほくほくだ。
「真琴さんとあれから話しました?」
「話しました。なんとかひな祭りの前後三日間、家に泊まらせてもらえることになりました」
「それはよかった」
「でも、典十さんたちも一緒に、とはまだ言えてません」
「もしもし?」
『あ、ごめんなさい。でも、まどかさん元気そうで安心した。雰囲気もだいぶ変わって……孝彦さんも別人みたいだって驚いてた。旦那さんもとってもやさしそうで、なんだか羨ましくなっちゃった』
大きなため息が聞こえてくる。
『帰りの車で孝彦さん、ずっと不機嫌だったの。進さんのこと、信用できないって。(予知会)とまだつながってて、玉乃とも連絡とりあってるんじゃないかってね』
「父がそう思うのも無理はないと思います」
『でもあれは嫉妬だと思うのよ。まどかさんが進さんの隣で幸せそうにしてたから、悔しかったのね。孝彦さん、本当はまだまどかさんに未練があったんだわ』
未練は多少はあるだろう。
元々、父は母のことが大好きだった。母が(予知会)にはまらなければ、いまも仲良く暮らしていたはずだ。そんな母が(予知会)を辞め、再婚相手と仲睦まじく暮らしていると知ったら、父だって面白くはないだろう。
『私ね、孝彦さんとずっと一緒にいたいの。私の年だともう他の相手は見つけられないだろうし、彼と添い遂げたいと思ってる。できたら、きちんと再婚もしたいのよ。賛歌ちゃんは反対?』
「いえ……京子さんがいないともう父はやっていけないと思います。再婚に関して、私のことは気にしないでください。お二人の問題ですから」
『じゃあ、応援してくれる?』
「できることはないかもしれませんけど、うまくいくように願ってます」
『ありがとう。このこと、孝彦さんに話しても大丈夫?』
「もちろんです」
やっと明るい声になった京子さんと電話を切ると、どっと疲れが襲ってきてベッドに倒れ込んだ。
*
火曜日はまた典十さんとカフェ(波止場)で食事をする約束をしていた。
でも、その前にひかるちゃんともお茶の約束がある。
先週の土曜日、ひかるちゃんから明日会いたいと連絡があったのだ。日曜は予定があると言うと、じゃあ火曜日はと訊かれた。友達と夕飯の約束をしているけど、夕方までならいいよ、と会うことになった。
場所は以前、彼女と利用したことがある、駅前のチェーン店のカフェだ。
約束の三時少し前に店に入っていくと、既にひかるちゃんは待っていた。
前と同じ窓に面したカウンター席に、こちらに背を向けて座っている。学校帰りなので制服のままだ。
「ひかるちゃん」
声をかけて隣に座ると、彼女はいつになく固い表情で「こんにちは」と挨拶をした。
私は笑顔をひっこめて、手をつけられていない彼女のオレンジジュースをちらっと見た。
私のカフェオレが運ばれてくると、彼女はストローをグラスに挿して少し飲んだ。私も一口飲んで、窓の外を見る。
今日の天気予報は晴れなので、朝からずっと空を見ないようにしていた。もう予知は見たくない。
「賛歌さんて、予知できるんですか?」
心を覗かれたような気がしてドキッとした。
「……え?」
「予知、です。すみません……昔、そういう噂があったって人から聞いたんです。正確には藍ちゃんからなんですけど」
藍ちゃん。彼女の従姉妹の笹村藍さん。
「藍ちゃん、賛歌さんが通っていた中学の後輩なんです。同じ学校の生徒なら全員知っている噂があったって聞きました。(青柳賛歌と彼女の母親は予知ができる)っていう」
藍さんはここが地元だったのか。
「珍しい名前だから思い出したって、このまえ教えてくれたんです」
私はゆっくりとカフェオレを飲んだ。
誤魔化すことはいくらでもできる。予知なんてできるはずがない。嫌がらせで変な噂をたてられただけだと。
でも、ひかるちゃんは温泉で、霊感があると打ち明けてくれた。そんな彼女に嘘をつくのはなんだか心が痛む。
「私、そういう力がある人がいても不思議じゃないと思うんです。自分も霊感があるからかもしれないですけど」
ひかるちゃんは落ち着いた声で話し続ける。
「もしそういう力があって、まわりに知られて、変な目で見られたりしたら、すごく傷つきますよね。予知とか、気軽に人前で口にしたくないのもわかります。だから、これは仮定の話として訊くんですけど……もし賛歌さんが予知できるとしたら、それをどういうふうに使いますか?」
「どういうふうにって?」
「予知の力を積極的に使おうとするのか、それとも、特になにもしないのか」
彼女の意図がよくわからなくて、私は返答に困った。
「……なにもしないんじゃないかな」
「人から予知するように頼まれたら協力しますか?」
「え?」
「私の未来を予知して欲しいって頼んだら、叶えてくれますか?」
ひかるちゃんは私に予知してもらいたいのだろうか。
「予知ってそんな都合のいいものじゃない気がする。予知は見るものじゃなくて、受け取るものって感じがするんだ。だから無理じゃないかな」
ひかるちゃんは頷くと、窓の外の通りを見た。スーツ姿の男性や学校帰りの学生たちが通り過ぎて行く。
「変なこと訊いてごめんなさい。藍ちゃんから(予知会)というものの存在も聞かされたんです。賛歌さんも関係してるのかなって、気になってしまって」
怪しげな団体と私が関わりがあるのかと心配してたのか。
「私とは無関係だよ。うちの母親は(予知会)の一員だったけど、もう辞めたみたい。私、(予知会)が嫌いなの。母がそこに入ったせいで、家族がバラバラになったから」
「そうだったんですか。じゃあ、賛歌さんが関わることは今後も絶対にないんですね?」
「絶対に絶対にない」
ひかるちゃんはほっとしたよう笑った。
「安心しました。……あ、このあとの予定って、もしかしてデートですか?」
「え、なんで?」
だって、と彼女は笑いをこらえながら、私の服を指差す。
「おしゃれしてるから。今日、すごく可愛いですよ」
今日は真琴にもらったラベンダー色のニットに、ベージュのプリーツスカートを着てきた。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「楽しんできてくださいね。あとでリップ塗りなおしたほうがいいですよ。じゃ」
ひかるちゃんが帰ると、私はすぐにトイレに駆けこんだ。
鏡を覗くと確かにリップがちょっと剥げていた。
*
それから数時間後、私は(波止場)にいた。
今夜の映画はよりによって超能力者ものだった。
舞台は全寮制の学園。冒頭で教師が殺され、生徒たちによる犯人捜しがはじまる。主人公には人の心が読める超能力が備わっている。
「今日はなにして過ごしてたんですか?」
典十さんは訊ねてから、キーマカレーをぱくりと食べた。今日も眼鏡がよく似合っている。
「友達と会ってお茶してました」
「真琴さん?」
「いえ、女子高生のひかるちゃんて子です。前に話しましたよね? ここに勤めてる笹村藍さんの従姉妹が私の友達だって。それがひかるちゃんです」
「あぁ、笹村さんの」
温野菜サラダには茹でたジャガイモも入っていておいしい。ほくほくだ。
「真琴さんとあれから話しました?」
「話しました。なんとかひな祭りの前後三日間、家に泊まらせてもらえることになりました」
「それはよかった」
「でも、典十さんたちも一緒に、とはまだ言えてません」