「お久しぶりです。あの、このまえのことなら、ほんとに気にしないでください」
『ううん、本当にごめんなさい。会って直接謝りたくて。お願い』
お願いされてしまうと断ることはできなかった。
十五分ほどして二人はやって来た。
並んでソファに座った父と京子さんは、少し緊張したようにちらちら部屋を見ている。
「おいしそうですね。食べましょうか」
私はフルーツタルト、父はチョコレートケーキを選んだ。
京子さんはモンブランを見つめたままじっとしている。見ると目に涙を浮かべていた。
「賛歌さん、本当にごめんなさいね。玉乃さんのこと、孝彦さんから聞いてたのに、簡単に住所を教えてしまって……。疑うべきだったわよね。玉乃さんが急来て怖かったでしょう。あなたになにかあったら、私……」
京子さんは両手で顔を覆って泣きはじめた。ほぼ嗚咽に近い。父は唖然としたように彼女を見つめ、私も呆然とした。
慌ててティッシュペーパーの箱を彼女に差し出し、父に目くばせする。父は慌てたように京子さんの背中をさすった。
「おい、泣くなって。賛歌もびっくりしてるだろ。気にしてないって本人が言ってるんだから、もう気にするな」
京子さんは涙でぐしゃぐしゃになった顔で私を見つめた。
「玉乃さんはなにしに来たの? 賛歌さんに用があるから来たんでしょう? (予知会)に入って、お母さんと一緒に予知をしてくれって頼まれたの?」
私が言葉を探していると、父は怪訝そうな顔を私に向けた。
「俺もそれは気になってたんだ。もしかして、まどかが玉乃を寄越したんじゃないのか?」
「正直に言って、賛歌さん。私たちはあなたの味方よ。お母さんから連絡があったの?」
「どうなんだ?」
二人から問い詰められて、さすがに私も動揺してしまった。
「お母さんは関係ないよ」
「関係ないって、なんでわかるんだ?」
「お母さんと連絡取り合ってるから」
二人は顔を見合わせ、不安そうな表情を浮かべた。
「賛歌から連絡したのか?」
「うん」
「なんで?」
「仲直りしたかったから」
京子さんは口を手で押さえた。
「仲直り? まさか賛歌さん……(予知会)で活動するつもりなの?」
「そんなことしません。だいたい母はもう(予知会)を辞めたんです。いまは再婚して、鎌倉で豆腐屋をやってます」
二人は言葉を失い、口を開いたまま私をじっと見つめた。
「……再婚て、いつの話だよ」
動揺している父を、ちらりと京子さんが横目で見る。
「二年前だって。相手は(予知会)で知り合った人だけど、そのひとももう辞めてるらしいよ」
「まどか、本当に辞めたのか?」
「お母さんが(予知会)を辞めたから、玉乃は私を迎えに来たんだよ」
父は激しく瞬きをしたあと、ごくんと唾を飲み込んだ。
「本当なのか……」
「玉乃さんが賛歌さんに会いに来たこと、まどかさんはなんて言ってるの?」
京子さんの質問に、私は首を横に振る。
「母には知らせてません。また玉乃と連絡をとって欲しくないので」
「そう……でも玉乃さん、また来るんじゃないの? あれから連絡はあった?」
「手紙が来ました」
「なんて?」
「予知をして欲しいという内容でした」
父も京子さんも難しい表情を浮かべて黙り込む。
「まずいことになったな」
無言でケーキを食べる時間がしばらく続き、やがて父はトイレに立った。
京子さんはハンカチを取り出して顔を拭きはじめる。顔が真っ青で汗をだらだらかいていた。
「大丈夫ですか?」
驚いて訊ねると、彼女は小さく頷いた。ハンカチを持つ手が小刻みに震えている。
「大丈夫……低血糖だと思う。お昼あんまり食べなかったから」
映画館で手の震えが止まらなかった時、典十さんが同じことを言っていたことを思い出した。
彼女は紅茶ばかり飲んでいて、ケーキに手をつけていない。
「ケーキ食べてください」
「えぇ……いただきます」
彼女は機械的にフォークを口に運び、また額の汗を拭う。ケーキを半分ほど食べると、少し落ち着いてきたようだった。
「孝彦さん、まだまどかさんのことが気になってるみたいね」
「再婚に驚いただけですよ」
「まだ未練があるのかな」
「それはないですよ」
父と京子さんはもう長いこと付き合っている。一緒に暮らしはじめた頃、すぐに再婚するのだろうと思った。こうして母に先を越されるとは思いもしなかった。
京子さんも離婚を経験している。
二十代後半で結婚して、数年で別れたらしい。原因は夫の浮気だ。相手は以前付き合っていた女性で、離婚するとすぐにその相手と再婚したと聞いている。
京子さんがどんなに傷ついたかは容易に想像できる。
父は顔も普通だし、もてるほうではない。でも、「孝彦さんはとてもやさしくて誠実だから、安心して一緒にいられる」と以前、京子さんは私に話してくれた。
京子さんは美大出身で、デザイン会社に長く勤めていた。四十歳を過ぎた頃に退職し、いまは近所の雑貨店でパートで働いている。
父の世話も含め、家のことは全部彼女がしてくれている。もし彼女がいなかったら、私がその役目を負っていたかもしれない。
だから京子さんには感謝しているし、二人が望むなら再婚すればいいのに、と思っている。
でも父はいっこうに再婚に踏み切らない。結婚しなくても夫婦のように暮らせているから、焦る必要がないのかもしれない。
京子さんはどう感じているんだろう? 再婚しなくても、ずっと父のそばにいてくれるんだろうか。
父がトイレから戻ってくると、二人は帰っていった。父は最後まで不機嫌で京子さんも顔色が悪いまま。
二人を送り出すと、私は大きくため息をついた。
*
月曜日、お昼休憩から戻ってきて真衣さんと二人きりになると、「この間はごめんね」と照れたように彼女が話しかけてきた。
「急に泣いたりして驚かせちゃったよね」
真衣さんの表情はやけに明るい。
「それで週末にね、息子とちゃんと話してみたんだ」
「どうでした?」
「満は最初、自分が落としたって言い張ってたの。そしたら、里那が部屋に入ってきて、『私がなくしたの。ごめんなさい』って頭を下げてきたから、びっくりしちゃった」
里那ちゃんはやはり満君にスマホを貸してもらったそうだ。そのまま仲のいい四人グループでゲームセンターに行き、スマホを見せびらかした。
その中の一人がスマホをちょっと貸して欲しい、と頼んできたので貸してあげたら、なくされてしまったらしい。
「でもね、本当はなくしたんじゃなくて、返してくれなかったみたいなのよ」
「そうなんですか?」
「どうやら前にもその子に、文房具とかヘアアクセサリーとか、ちょこちょこ盗られてたみたいなのよ。でも、盗んだ瞬間を見てないから返してとも言えないみたいで……。他の友達もそういうことされてるみたいなのよ。どうしたもんかしら」
真衣さんは苦々し気にため息を吐く。
「子供同士のトラブルって難しいわね。変に親が介入して、子供が仲間外れにされても困るし。それで、里那にどうしたいかって訊いたの。そうしたら、なにもしないで欲しいって言うから、今回のことは目をつぶることにしたんだ。そもそも証拠がないから、どうしようもないんだけど」
『ううん、本当にごめんなさい。会って直接謝りたくて。お願い』
お願いされてしまうと断ることはできなかった。
十五分ほどして二人はやって来た。
並んでソファに座った父と京子さんは、少し緊張したようにちらちら部屋を見ている。
「おいしそうですね。食べましょうか」
私はフルーツタルト、父はチョコレートケーキを選んだ。
京子さんはモンブランを見つめたままじっとしている。見ると目に涙を浮かべていた。
「賛歌さん、本当にごめんなさいね。玉乃さんのこと、孝彦さんから聞いてたのに、簡単に住所を教えてしまって……。疑うべきだったわよね。玉乃さんが急来て怖かったでしょう。あなたになにかあったら、私……」
京子さんは両手で顔を覆って泣きはじめた。ほぼ嗚咽に近い。父は唖然としたように彼女を見つめ、私も呆然とした。
慌ててティッシュペーパーの箱を彼女に差し出し、父に目くばせする。父は慌てたように京子さんの背中をさすった。
「おい、泣くなって。賛歌もびっくりしてるだろ。気にしてないって本人が言ってるんだから、もう気にするな」
京子さんは涙でぐしゃぐしゃになった顔で私を見つめた。
「玉乃さんはなにしに来たの? 賛歌さんに用があるから来たんでしょう? (予知会)に入って、お母さんと一緒に予知をしてくれって頼まれたの?」
私が言葉を探していると、父は怪訝そうな顔を私に向けた。
「俺もそれは気になってたんだ。もしかして、まどかが玉乃を寄越したんじゃないのか?」
「正直に言って、賛歌さん。私たちはあなたの味方よ。お母さんから連絡があったの?」
「どうなんだ?」
二人から問い詰められて、さすがに私も動揺してしまった。
「お母さんは関係ないよ」
「関係ないって、なんでわかるんだ?」
「お母さんと連絡取り合ってるから」
二人は顔を見合わせ、不安そうな表情を浮かべた。
「賛歌から連絡したのか?」
「うん」
「なんで?」
「仲直りしたかったから」
京子さんは口を手で押さえた。
「仲直り? まさか賛歌さん……(予知会)で活動するつもりなの?」
「そんなことしません。だいたい母はもう(予知会)を辞めたんです。いまは再婚して、鎌倉で豆腐屋をやってます」
二人は言葉を失い、口を開いたまま私をじっと見つめた。
「……再婚て、いつの話だよ」
動揺している父を、ちらりと京子さんが横目で見る。
「二年前だって。相手は(予知会)で知り合った人だけど、そのひとももう辞めてるらしいよ」
「まどか、本当に辞めたのか?」
「お母さんが(予知会)を辞めたから、玉乃は私を迎えに来たんだよ」
父は激しく瞬きをしたあと、ごくんと唾を飲み込んだ。
「本当なのか……」
「玉乃さんが賛歌さんに会いに来たこと、まどかさんはなんて言ってるの?」
京子さんの質問に、私は首を横に振る。
「母には知らせてません。また玉乃と連絡をとって欲しくないので」
「そう……でも玉乃さん、また来るんじゃないの? あれから連絡はあった?」
「手紙が来ました」
「なんて?」
「予知をして欲しいという内容でした」
父も京子さんも難しい表情を浮かべて黙り込む。
「まずいことになったな」
無言でケーキを食べる時間がしばらく続き、やがて父はトイレに立った。
京子さんはハンカチを取り出して顔を拭きはじめる。顔が真っ青で汗をだらだらかいていた。
「大丈夫ですか?」
驚いて訊ねると、彼女は小さく頷いた。ハンカチを持つ手が小刻みに震えている。
「大丈夫……低血糖だと思う。お昼あんまり食べなかったから」
映画館で手の震えが止まらなかった時、典十さんが同じことを言っていたことを思い出した。
彼女は紅茶ばかり飲んでいて、ケーキに手をつけていない。
「ケーキ食べてください」
「えぇ……いただきます」
彼女は機械的にフォークを口に運び、また額の汗を拭う。ケーキを半分ほど食べると、少し落ち着いてきたようだった。
「孝彦さん、まだまどかさんのことが気になってるみたいね」
「再婚に驚いただけですよ」
「まだ未練があるのかな」
「それはないですよ」
父と京子さんはもう長いこと付き合っている。一緒に暮らしはじめた頃、すぐに再婚するのだろうと思った。こうして母に先を越されるとは思いもしなかった。
京子さんも離婚を経験している。
二十代後半で結婚して、数年で別れたらしい。原因は夫の浮気だ。相手は以前付き合っていた女性で、離婚するとすぐにその相手と再婚したと聞いている。
京子さんがどんなに傷ついたかは容易に想像できる。
父は顔も普通だし、もてるほうではない。でも、「孝彦さんはとてもやさしくて誠実だから、安心して一緒にいられる」と以前、京子さんは私に話してくれた。
京子さんは美大出身で、デザイン会社に長く勤めていた。四十歳を過ぎた頃に退職し、いまは近所の雑貨店でパートで働いている。
父の世話も含め、家のことは全部彼女がしてくれている。もし彼女がいなかったら、私がその役目を負っていたかもしれない。
だから京子さんには感謝しているし、二人が望むなら再婚すればいいのに、と思っている。
でも父はいっこうに再婚に踏み切らない。結婚しなくても夫婦のように暮らせているから、焦る必要がないのかもしれない。
京子さんはどう感じているんだろう? 再婚しなくても、ずっと父のそばにいてくれるんだろうか。
父がトイレから戻ってくると、二人は帰っていった。父は最後まで不機嫌で京子さんも顔色が悪いまま。
二人を送り出すと、私は大きくため息をついた。
*
月曜日、お昼休憩から戻ってきて真衣さんと二人きりになると、「この間はごめんね」と照れたように彼女が話しかけてきた。
「急に泣いたりして驚かせちゃったよね」
真衣さんの表情はやけに明るい。
「それで週末にね、息子とちゃんと話してみたんだ」
「どうでした?」
「満は最初、自分が落としたって言い張ってたの。そしたら、里那が部屋に入ってきて、『私がなくしたの。ごめんなさい』って頭を下げてきたから、びっくりしちゃった」
里那ちゃんはやはり満君にスマホを貸してもらったそうだ。そのまま仲のいい四人グループでゲームセンターに行き、スマホを見せびらかした。
その中の一人がスマホをちょっと貸して欲しい、と頼んできたので貸してあげたら、なくされてしまったらしい。
「でもね、本当はなくしたんじゃなくて、返してくれなかったみたいなのよ」
「そうなんですか?」
「どうやら前にもその子に、文房具とかヘアアクセサリーとか、ちょこちょこ盗られてたみたいなのよ。でも、盗んだ瞬間を見てないから返してとも言えないみたいで……。他の友達もそういうことされてるみたいなのよ。どうしたもんかしら」
真衣さんは苦々し気にため息を吐く。
「子供同士のトラブルって難しいわね。変に親が介入して、子供が仲間外れにされても困るし。それで、里那にどうしたいかって訊いたの。そうしたら、なにもしないで欲しいって言うから、今回のことは目をつぶることにしたんだ。そもそも証拠がないから、どうしようもないんだけど」