ということは、玉乃がこのチラシを毎回入れていたのだ。自作だとしたらよくできている。まったく疑いを持てなかったレベルだ。
 玉乃はチラシを繰り返し私に見せることで、そこに写っている仲間たちの顔を認識させようとした。私に予知をさせるために。
 玉乃は知らないのだろうか。
 顔だけ見ても予知ができないことを。
 もしそんなことができるなら、テレビやインターネットで見る有名人や、すれ違っただけの人たちの予知もできることになってしまう。でもそんなことはない。
 単なる顔見知り程度の人の予知を、私はしたことがない。
 これまでの経験上、私が予知できるのは、自分自身や家族、友人など、自分と関係性の近い人達に限られている。
 だから当然、この写真に写っている玉乃のお仲間の予知はできない。
 そのことを彼女は母親から聞いていないのだろうか。それとも母は、会ったこともない他人の写真だけを見て予知をしていたのだろうか? 
 おそらくそれはない。
 ただ、母は玉乃に求められれば誰にでも会ったはずだ。そして予知をした。それで玉乃は、相手の顔を見るだけで予知できると勘違いしたのかもしれない。
 本当ならこんな手紙は無視したいところだけれど、連絡がないようならまた訪ねていくと書いている。これは脅しだ。
 電話やメールは番号とアドレスを知られるのが嫌だったので、手紙で返事をすることにした。住所は既に玉乃が知っているであろう私の実家のものにしておく。
 内容は簡潔なものにした。
 あなたの要求には応じられません。今後このような手紙を含む連絡や、自宅などへの訪問は固くお断りします。そういう手紙を書いた。
 玉乃は諦めてくれるだろうか?
 警察に相談するにしても、どう説明すればいいかわからない。玉乃につきまとわれている理由を訊かれたら、どうしても予知に触れなければならなくなる。そうなれば私まで変人に思われかねない。まともに受け取ってくれない可能性が高い。
 玉乃は自分が正しくて、私が間違っていると考えている。いつまでも彼女の要求に応じない私に、やがて彼女はしびれを切らすのではないだろうか。
 彼女は普通ではない。そういう人間がどんな行動に出るのか、想像するのも怖かった。



 真琴は七時を少し過ぎた頃にやって来た。
「カレーの匂いやばいね」
 玄関のドアを開けると、顔がほんのり赤い真琴が立っていた。
 どうやらお酒を飲んできたようだ。でも酔っているわけではない。たぶん、緊張をやわらげるためにどこかで一杯やってきたんだろう。
「作っといたの。食べる?」
 脱いだコートを受け取る。玄関に上がる彼女の足取りは確かだった。
「食べる。私のために作ってくれたんでしょ? 私も仕事で行ってきたお店の焼きそば持ってきたよ」
「やった。どこの?」
「上野にできた新しいお店。おいしくて感じもよかったから、あとで場所教えるね」
「さんきゅ。カレーはご飯にかける? それとも、うちのパンと食べる?」
「せっかくだから賛歌のパンいただこうかな」
「おっけー。手洗って座ってて。飲み物は?」
「なんでもいいよ。お酒も買ってきたし」
 底が深めの器にカレーをよそい、バゲットとロールパンを少しトースターで温めて出す。
 真琴はラグの上に座って、紙パックのワインを飲んでいた。他にはカクテルやビール、ハイボールなど、いろんな種類のお酒がテーブルの上に並べてある。テレビは子供向けのアニメが流れていた。
 ソファに座って真琴とカレーを食べる。
 そうだそうだと彼女は思い出したように、焼きそばの入った袋をテーブルに置いた。
「カレー、焼きそばにかけてもおいしいかもよ」
「焼きそば作ったお店の人に悪くない?」
「知られなければ悪くない」
 私は焼きそばを食べてみた。太麺でこってりしてておいしい。
「そういえば、二日前に(ラ・ピッコロ)に行ってきたよ」
 真琴の言葉に私は驚いた。
「また行ったの?」
「財布がくたびれてたから、買い替えようと思って。セール中だからいま行った方がお得でしょ」
「どんなの買ったの? 見せて」
 真琴はバッグを引き寄せると、中から鮮やかなグリーンの長財布を取り出した。
「賛歌のグリーンのバッグが可愛かったから色をマネちゃった」
「いいの買ったね」
「中も見て」
 財布の内側はピンクや黄色など、カラフルな色が使われている。あの店らしい、おしゃれな商品だった。
「他人の見ると欲しくなっちゃうね」
 ふふんと真琴は笑うと、財布をバッグにしまう。その黒のトートバッグも(ラ・ピッコロ)で買ったものだ。
「傘にバッグに財布。あの店のものがどんどん増えてくね」
「それ、兎南子さんにも言われた。そうそう、お店に行った時、兎南子さんの弟さんがいたよ」
「弟?」
「旦那さんの弟だって紹介された。康彦(やすひこ)さんて言ったかな。近くでバーやってるらしくて」
「じゃあ銀座で?」
「そうだと思うよ。今度飲みにおいでって名刺もらった」
「へえ。どんな感じのひと?」
「兎南子さんより少し年下で、背が高くてしゅっとしてて素敵な人だったよ。ネクタイがよく似合ってたな」
 初めて(ラ・ピッコロ)に行った時、一瞬だけ店に現れた白髪の男性が頭に浮かんだ。確か彼は兎南子さんのことを「姉さん」と呼んでいた。もしかして彼が康彦さんだろうか。
「じゃあ兎南子さんの旦那さんもかっこいいんだろうね」
「たぶんね。旦那さんは主彦(かずひこ)さんていって、イタリアで革製品を作る職人してるんだって。だからお店の商品も、主彦さんが勤めてる会社のものみたい。兎南子さんとはイタリアで出会って、あっちで結婚したらしいよ」
「そうだったんだ。なんで兎南子さんは日本に一人で暮らしてるんだろうね?」
「(ラ・ピッコロ)は元々彼女のお父さんがやってたんだけど、亡くなってしまったんで、跡を継ぐために戻ってきたんだって。もう子供たちも独立してたから、旦那さんとは遠距離夫婦をすることにしたって言ってた」
 私は焼きそばをずるずるすすりながら頷いた。冷えていてもおいしい。
「兎南子さん、イタリアで仕事してたの?」
「ファッション雑誌の仕事してたらしいよ。少しイタリアの血が入ってるらしくて、言葉もペラペラなんだって」
「へえ。若い時の兎南子さん、相当綺麗だったろうね。いまも美人だけど」
 だよねとぺろりとカレーをたいらげた真琴はワインの残りを一気に飲み干す。
「でも日本とイタリアじゃちょっと遠くない? 寂しくないのかな」
「連絡は頻繁にとってるみたいだし、数ヶ月に一度は兎南子さんがイタリアに行ってるらしいよ」
「仲がいいんだね」
「弟さんも近くにいるし、不安なことはないって言ってた」
 カレーと焼きそばを食べ終えると、私は冷凍庫からアイスを取り出した。
 テーブルに戻ると、皿を片付けたところに真琴がノートを開いていた。
 真新しいノートのページには、複数の黄色いメモ用紙が貼り付けられている。その一枚一枚に数行の文章が書きこまれていた。
 私が隣に座ると、真琴はノートの表紙をちらっと見せてくれた。〈ひな祭り対策〉とマジックで書かれている。
「思いつく限りの犯人候補をあげてみたんだけど、見てくれる?」