「いいなぁ。僕もできたら毎日ここのパンを食べたいです。同僚にお昼を誘われることもあるので、毎日買いにはこれないんです」
 同僚という言葉を聞いて、ひかるちゃんの従姉妹の藍さんの顔が浮かんだ。
「笹村藍さんて、ご存じですか?」
「知ってますよ。彼女と知り合いなんですか?」
「藍さんの従姉妹と友達なんです」
「そうだったんですか。笹村さんは大学生のアルバイトさんなんですよ。まだ働きはじめて数ヶ月ってところじゃないかな。だからあんまり彼女のこと知らないんですけどね」
 彼はお腹が空いていたのか、すぐにカレーパンを食べ終えると、照り焼きチキンのバゲットにかぶりつく。私は冷たい指先をコーヒーで温めた。私の指が冷たいということは、彼も冷たいはずだ。
 私は売れ残りのパンを入れた袋からスコーンを取り出した。
「すみません、寒いですよね」
「いえ、僕、寒いの平気ですから。暑いのは苦手だけど」
 私は食パンを入れた袋を彼に差し出した。
「これ、よかったら食べてください。私が作った食パンなんです」
「え、いいんですか?」
「生クリーム入りで、人気があるんです。このまえのチョコレートのお礼です」
 あぁ、と彼は思い出したように表情を曇らせた。
「怖い映画が苦手だって知らないで、ヴァインパイア映画なんておすすめして、すみませんでした」
「いえ、ヴァンパイアとか本当は好きなんです。ただあの日はちょっと、体調が悪かったみたいで」
「そうでしたか……そういえば、さっき泣いてた方は大丈夫でしたか?」
「ええ。息子さんのことでちょっと」
 私は真衣さんから聞いた話を彼にした。
「息子さんて、一人っ子ですか?」
「妹さんが一人います。中学一年生の」
「その子はスマホを持ってるんですか?」
 私は首をひねった。
「おそらくまだ持ってないと思います」
「妹さんはどんな子なんですか? お兄さんと仲はいい?」
「兄妹仲はいいって聞いてます。一緒に遊びに出かけるぐらい。お兄さんは活発だけど、妹さんはちょっとおとなしいみたいですね。漫画が好きで、絵が上手だって聞いたことがあります」
 典十さんはドーナツを齧って飲み込んだ。
「そんなに仲がいい兄妹なら、お兄さんはスマホを妹さんに触らせてあげたでしょうね」
「あぁ、そうかもしれません」
「僕は一人っ子なんでそういう経験はないけど、父親が新しいスマホやパソコンを買った時は、すぐに触らせてもらってましたから」
「じゃあ、妹さんがお兄さんのスマホを借りているうちに、なくしてしまったとか?」
「仮に妹さんがなくしたり壊したりしたのなら、お兄さんは正直に話すと思うんです。話せないということは、そこに複雑な事情がからんでいるのかも」
 複雑な事情?
「なんで妹さんが関係してると思うんですか?」
「お兄さんはサッカー部の部長をしてたんですよね。リーダーを務められるような人は、割と正攻法で問題に対処すると思うんです。解決にむけて行動して、問題を放置して黙り込むことはない。仮にお兄さんがスマホをとられるようないじめを受けているとしたら、周囲に相談したり、学校に行くのやめたりと、なんらかの行動に出ると思うんです」
 私が頷くと彼は話を続けた。
「でも彼は普通に生活を続けている。ただ、お母さんが気にするぐらいのちょっとした変化はある。口数が少なくなってあまり笑わなくなった。それは、身近にいる大切な人を心配をしているからかもしれない」
「それが妹さん」
「ええ。でもこれは僕の勝手な憶測です。彼はただ川にスマホを落としてへこんでるだけかもしれない」
 今度、真衣さんに里那ちゃんの様子を聞いてみよう。
 彼女はよく満君の話はするけれど、あまり里那ちゃんの話はしない。女親は息子を可愛がると聞いたことがあるけれど、真衣さんもそうなのかもしれない。
 私はティッシュペーパーを取り出して、彼に渡した。唇の端にドーナツのチョコレートがついている。彼は恥ずかしそうに唇を拭った。
「典十さんて、もしかして謎解きとか好きなんですか?」
「そうかもしれないです。映画でもサスペンスやミステリー系を好んで見るので。人と話してても、これはこういうことな、とか無意識にいろいろ想像しちゃうんです。相手からしたらちょっと嫌ですよね」
「そんなことないですよ。いろいろ相談したくなります」
「なにか悩みごとでもあるんですか?」
「そりゃありますよ。典十さんはないんですか?」
 彼はコーヒーを飲み干した。
「僕、あんまり考えこまないようにしてるんです。基本的に、好きな仕事ができておいしいものが食べられてれば幸せなんで」
 そういう考え方はいいと思う。私もできたらそうしたい。
 予知に煩わされずに生きていけたらどんなにいいか。
 でも、真琴のことだけは見て見ぬふりはできない。
 私は寒そうに手をこすり合わせている典十さんをそっと見つめた。
 彼に相談してみようか。
「あの、典十さん。よかったら、場所をうつして温かいものでも飲みませんか? ちょっと相談したいこともあるので」
 典十さんは私を見ると、笑顔で頷いた。
「行きましょうか」
 近づいてきた鳩たちに膝のパンくずをはらってやると、彼は腰をあげた。



 近くのファミレスに入って、私たちは温かい飲み物をまず一杯ずつ飲んだ。
 私はココア、典十さんはカプチーノを。
「ドリンクバーっていろんな飲み物があるけど、実際飲むのって数種類じゃないですか?」
 そう言う彼は二杯目はコーヒーを選んだ。私は彼をまねてカプチーノ。牛乳の泡がふわふわしていておいしい。
「言われてみれば。頑張っても四種類ぐらいかも」
 隣のテーブルには白髪交じりの夫婦らしき客が座っている。さっきからずっと入院した親戚の話をしていた。
「それで相談てなんですか?」
 典十さんに訊かれて、私は椅子に座りなおした。
 さすがに予知云々の話はできない。そこの部分は誤魔化すしかなかった。
「友人に脚本を書く子がいて、内容の相談を受けたんです。ミステリー系なので、典十さんならいいアイデアをくれるんじゃないかと思って」
 彼はほっとしたように笑った。
「なんだ、そういう相談ですか。設定とかは決まってるんですか?」
「主人公は予知ができるんです。ある日、友達が自宅で覆面の人物に襲われる予知を見ます」
 事細かに予知した内容をそのまま説明した。
「友達を無事に救い出す展開にしたいそうなんですが、どうすればいいと思いますか?」
 予知したことは必ず現実になることも教える。
 典十さんはコーヒーをすすりながら、しばらく考えこんだ。
「その状況だと、確実に殴られてしまいますよね。一撃で致命傷を負う可能性もある」
「典十さんが主人公ならどう助けますか?」
「僕だったら……そうですね、ずっとそばにいるようにします。事件現場に自分もいれば、救えるチャンスがありますから」
「その友達は自宅に人を入れない主義の設定なんです。どうしますか?」
 うーんと彼はまた考え込む。
「とにかく説得します。命と主義を天秤にかければ、どちらが重いかは明らかでしょう?」
 あの真琴を説得できるだろうか?
 これは保留にしておこう。