温かな日差しの差し込む緑地に、小さな池がある。
 この穏やかな緑地で一人静かに過ごすことが、桜が唯一安らげるひと時だった。
 桜はようやくほっと息をついた。

 大切だったはずの家族がいない時だけが、今の桜に唯一安らげる時間になっていた。

 とととと、と幼子が桜の前を走り抜ける。その後を慌てたように駆けてくる母親らしき女性。

(そういえば私も、幼い頃によくここに来ていた。弥生とお母様と日が暮れるまで遊んで…)

 年を重ねるにつれ、陰陽師の修行が忙しくなってしまい、以来家族で来ることはなくなっていた。
 楽しそうに駆け回る親子を見て、桜はまた堂々巡りに陥った。

(どうして…どうしてこうなっちゃったのかな……)

 修業は大変だったけれど、忙(せわ)しなくも楽しい日々だった。努力すればするほどお父様もお母様も褒めてくださった。妹の弥生と一緒にあれができるようになったとか、これができるようになったとか、そんな他愛もない時間が、桜には幸せだったのだ。

(もう、あの頃には戻れないの…?)

 桜は楽しかった日々を思い返して、ゆっくりと目を伏せる。

 すると。

『こ…さま~……みこさま~』

「え?」
 突然はっきりと声が聴こえて、桜ははっとした。

(聴力が、戻った?)

 いや、そうではない。
 鳥の羽ばたきの音や、駆け回る少年少女の声は、桜の耳には入って来ない。

(では、この声は一体なに?)

 桜はきょろきょろと辺りを見回す。
 すると足元に大きな毛玉のようなものがぴょんぴょんと跳ねているではないか。

(この気配…あやかし…?)

 桜は足元の毛玉に目を落とす。
 耳は相変わらず聴こえないようだが、あやかしの声は変わらずはっきりと聴くことができた。

 幼少の頃から低級のあやかしとお喋りをしていた桜。
 この二年間、あやかしと接する機会がまるでなくなり、あやかしと遭遇することすら久々のことであった。

 どうやら聴力は失われたままだが、あやかしの声は変わらず聴くことができるようだ。

『みこさま~おたすけください~』

(巫女さま?私は、巫女ではないわ。それに今は陰陽師の力も使えない。私、あなたの力にはなれないわ)

 そう心の中で話し掛けながら、毛玉のようなあやかしを優しく撫でる。
 小さなあやかしは嬉しそうにくすぐったそうにふわふわと飛んで行った。

(あやかしとお喋りするのなんて、いつぶりかしら…)

 術を使おうとしてそれが出来なくて絶望したあの日、それ以来だった。

 また沈んでしまいそうになる気持ちをぐっと堪えて、桜は顔を上げた。

(だめよ。気持ちに負のエネルギーを与えてしまってはだめ。それこそあやかしの思う壺になってしまうわ…)

 古来から住むあやかし達は、近年人々の負の感情を餌に力を得ている。

 あの人が妬ましい、あいつなんか消えてしまえばいい、殺してやる。
 そんな憎悪に満ちた人々の感情は、また新たなあやかしを生み出す元ともなり得る。

 当然桜はそのことを重々承知していたし、実際に憎悪が姿を変え、あやかしとなったところも見たことがあった。
 自分がそうなってはいけない。
 桜だって、陰陽師の端くれなのだから。

 頭で分かってはいても、やはり悲しみや後悔の念が心から消えてくれることはなかった。