その口から次の言葉が出る前に「待って」とストップをかける。
「今、答えが出たってことだよね」
「出たっていうか……まあ」
「じゃあ、その答えは、明日聞かせてほしい」
理来をじっと見つめたまま私はゆっくりと「漣も、いるところで」と言う。
もうその顔には影が落ちていて理来がどんな表情をしているのか、はっきりとは分からなかったけど、戸惑っているのだけは伝わってくる。
「……なんで」
「理来にちゃんと向き合ってほしいから。漣にも、私にも」
理来は私の顔から目を外し、うつむいた。
自分が身勝手なことを言っているのは分かっている。わざわざ漣の前で告白の返事をするなんて、そんなこと理来がしたいわけがない。
それでも、理来は私の言うことを聞いてくれるはずだ。昔から、なんだかんだ言いながらも私の幼馴染たちは、私の希望やわがままを優先してくれるから。
「分かった」
数秒の沈黙のあと、理来は再び私に目を向け、思ったとおりそう答えてくれた。
「で、漣には? 鈴音から連絡すんの?」
「あ、うん」
「なんて言うの」
「理来に告白して返事をもらうけど、一人だと勇気が出ないから漣にも一緒にきてほしいって言う」
「あいつが来ないって言ったら?」
「それはないと思う。私が来てって言ったら、漣は来てくれるから」
「まあ……そうだな」
理来が小さくため息をついたあと「何時くらいにする? 場所は?」と聞いてくる。
こんなときでも冷静なのさすがだわ、と感心しつつ「夜のほうがいいかな。場所は、二丁目の公園で」と答えると、理来が苦笑する。
「あそこか」
理来と漣が一生一緒にいることを誓いあったあの場所を選ぶ私を悪趣味だと思っただろうか。それでも受け入れてくれたことに、私は心の中で安堵のため息をつく。
これで、舞台は整った、と言えるだろう。あとは私がうまく立ち回れるかどうかにかかっている。
「じゃあ、それでお願いします」
頭をぺこっと下げ、ようやく止めていた足を動かして理来のもとへといく。
私が追いつくと、理来もまた歩き出した。
「やっぱ、寒くなってきたよね。すっごい手が冷えてる」
胸の前で両手の指先を擦り合わせながら言うと、理来が「鈴音は冬は手袋必須だもんな」と答える。
普通に返してもらえたことに安心して、これまでも寒いときによくやっていたように、その首元へ「おりゃ」と冷えた手を当てる。
「ばか、つめてーよ」
理来もいつものようにしかめ面で首をすくめ、私の手首をつかんで引き離す。
その顔を見て、笑いながら手をひっこめようとした私は、次の瞬間固まった。
理来が私の右手を握って、理来のジャケットのポケットに自分の手と一緒に突っ込んだからだ。
「そっちの手は自分のポケットにでも入れとけ」
ぶっきらぼうに言われ、私は大人しくコートのポケットに左手を入れる。
理来に握られたままの右手がじわじわと温かくなっていき、それとともにようやく何が起きているのかを理解した私は静かにパニックに陥った。
今まで、こういう対応をされたことはない。なんなんだろう。私が告白したから気を遣ってくれているんだろうか。
ちらっと理来の横顔を見上げるが、静かに前を見ているだけで、何を考えているのかまったく読み取ることはできず、無言で手をつないで歩いている状況に次第に耐えられなくなった私は「ねえ」と声をかける。
「漣ともこうやって手をつないだりしたの」
「……ここでそういうことを聞くのが鈴音だよな」
「あ、ごめん、なんか気になって」
理来はちょっとだけ口元に笑みを浮かべ、前を向いたまま答える。
「ないよ。人目がなかったとしても、そういうの外では絶対許してくんなかったから、あいつ。せいぜい偶然に見える程度に指をあてるくらいかな。それもわりとすぐに離されることが多かったし」
夏、遊園地のベンチでひっそりと指を重ねていた二人を思い出す。
あの、ほんの一センチほどの触れ合いが、理来にとっても漣にとっても外でできる最大限の恋人らしい行動だったということだ。
ーーあのときの二人の指先の熱は、私たちが今つないでいる手の熱と比べてどうだったんだろう
そんなことを考えながら、冗談っぽくぎゅっと理来の手を力を入れて握ると、理来も軽く握り返してきて、また小さく笑った。
「鈴音の手って、ちっちゃいのな」
「可愛いってこと?」
「ちっちゃいと可愛いは別にイコールじゃねーよ」
「普通はイコールなのよ」
きっと理来にとっては違うんだろうけどね、という言葉はあえて言わない。
マンションが近づき、理来のポケットからそっと手を出す。
理来も引き止めることはなく、私たちは何もなかったかのように並んでマンションのエントランスへと入った。
「……じゃあ明日は、夕飯食べ終わって、八時くらいにまたここで待ち合わせでもいい? もし漣に聞いて都合が悪いって言われたら、すぐ連絡する。連絡なかったらその予定のままって思っといて」
「分かった」
頷いた理来は私と一緒にエレベーターで七階まで行き、家の前まで送り届けてくれたあと、外階段を下りて帰っていった。
その後ろ姿を見送った私は、理来の足音が聞こえなくなるまで廊下の手すりに寄りかかって右手を眺め続け、それから、携帯を取り出して漣へと電話をかけた。
*
漣の家の前で待っていると、三十秒もしないうちに漣が上着を着ながら出てきた。
「よ」
「良かった、いてくれて」
「まあ電話でも言ったとおり暇人ですし」
にこっとした漣の顔が少し強張っているように感じるのは気のせいじゃないだろうな、と考えながら私は漣と一緒にエレベーターホールへ向かう。
「で、なんのアイス買うの?」
漣の質問に「バニラの気分かも」と答える。
「バニラかーうまいよな」
なんでこの寒いのにアイスなんて食べるんだよ、なんてことを言わず、そのまま受け入れてくれる漣は、やっぱり優しい。
さっき理来と手をつないで歩いた道を、漣と並んでコンビニに向かって歩く。もうすっかり外は暗くなっていた。
「今日はどっか出かけてたの?」
漣に聞かれ、どきりとしながら「なんで?」と聞き返す。
「や、なんかいつもよりおしゃれしてるし」
「え、えー? そうかなぁ」
首を傾げて答えると「理来と?」とさらっと聞かれる。
「……うん、そう」
素直に認めると、漣がわざとらしいほど楽しそうな声を出す。
「聞いたよ、理来と付き合いだしたって。もしかしてアイスを買いたいって言うのは口実で、その報告しようと思ってる?」
「ううん、違う」
私が首をふって否定しても、漣は笑顔を貼り付けたまま「え、俺はそれが一番聞きたかったんだけど! マジで違うの?」とからかうような明るい口調で続けた。
いつも穏やかでおっとりしているだけに、そのやけに高いテンションに無理をしているのが透けてみえて、なんだか泣きたくなるのと同時に、漣もまだ理来が好きなのだと確信する。
理来と別れたあとも、漣はずっと普通に過ごしているように見えていた。だけど、野球部の最後の試合で負けたあとだって、漣はチームメイトにも私にも笑顔しか見せていなくて、唯一、そのつらさや口惜しさを引き出してあげられたのは理来だった。
じゃあその理来と別れることになった辛さは、どこに出せたって言うんだろう。普通に振舞う以外に、漣に何ができたって言うんだろう。
漣が理来を好きなことは、その表情や些細な仕草からも分かりすぎるほど分かっていたのに。
それなのに理来ばかり気にしていたことに懺悔したくなりながら、私は感情を抑え込んで本題を切り出す。
「ねえ、漣。漣の言うとおり、アイスを買いに行きたいって言うのは口実なんだけど、報告じゃなくて、お願いしたいことがあるの」
「お願い?」
「明日の夜、一緒に二丁目の公園に行ってほしくて」
「公園?」
「うん」
「なんで?」
「理来に告白の返事をもらいにいく予定だから」
漣の笑顔が戸惑いに塗り潰されていくのを見ながら私は続ける。
「理来も別に付き合ってるとは言ってなかったんじゃない? 私たちまだ付き合ってないよ」
「そう……だったかな」
「でも、今日告白して、明日その告白の返事を公園でもらうことになってるから、そこに漣も一緒に行ってほしくて」
「え、待って。意味わかんないんだけど。なんで……なんで俺が一緒に」
「一人で行くの怖いんだもん。断られそうだし」
だめ?と首を傾げて漣の顔を見ると、瞬きとともに目をそらされる。
「いや、だめって言うか……、なんかそういうのって、他の人がいないほうがいいんじゃないかなって。それに、理来が断ることないと思うけどな。俺から見てても、二人はいい感じだと、思うし」
「でも、理来は他に好きな人がいるって言うから」
私の言葉に、漣がはっとしたように再びこちらを見る。
理来との関係がばれるかもしれないと思っているのか、理来が自分以外を好きになったのかもしれないとショックを受けているのか、どっちだろう。
「片思いみたいだけどね。しかも理来がその人を好きな限り、避けられそうなんだって。で、北海道に行くまであとちょっとだし、それまで友達としてでもいいから喋ったりしたいから、理来のことを好きな子ととりあえず付き合って、もうその人のことは好きじゃないふりをするつもりって言いだして」
「……」
「だから、それなら私と付き合ってって告白しちゃった。何も知らない子の気持ちを利用するくらいなら、そういう事情を知ってても付き合いたいっていう私の方がいいんじゃない、って」
「……そう」
「でも逆に、だからこそ振られるかもしれないとも思ってる。自分で言うのもなんだけど、理来は私のこと幼馴染として大事にしてくれてるし、利用することに罪悪感があるかもしんないしね」
苦笑して見せると、漣も曖昧に私に笑い返し、無言のまま足を前へと進めた。
きっと今の話で、理来がまだ漣のことを好きだということは伝わっただろう。でも、それを漣がどう思ったのかまでは分からない。
「あ、あと、理来にも漣を連れていくって話はしてるから、一緒に行っても大丈夫だよ」
「理来は、いいって?」
「うん。一人だと返事を聞く勇気が出ないかもって言ったらいいよって」
「そっか」
上を向いて、ふーっと夜空に向かって息を吐きだした漣は「分かった、一緒に行く」と言った。
「行くけど、俺は理来の決めたことには何も口を出せないから。ただ行くだけ」
「うん、一緒にいてくれればいい。じゃあ、明日の夜、八時にエントランス集合ね」
「分かった」
「ありがと。漣が一緒にいてくれるなら百人力だわ」
「それは大げさすぎる」
「あ、あともう一個だけ聞きたかったんだけど」
「なに?」
「漣は、理来の好きな人、知ってるの?」
私の問いに、漣は目を伏せながら、ふっと笑った。
「俺の知ってる人と同じかは分からないけど、もしその人だとしたら鈴音のほうがずっと理来には似合ってると思うよ」
「そうかな」
「そうだよ」
優しく言って目をあげた漣の瞳に、明るく輝くコンビニの看板が映った。
*
翌日の夜七時五十分。
理来と漣を二人きりにするのを避けるために、早めに家を出る。
昼間は、断られた場合とOKされた場合の両方のシミュレーションがぐるぐると頭の中を周り続けまったく勉強はできなかった。自分の受験のためにも、今日ではっきりさせておかないと、と考えつつエントランスに行く。
八時ちょうどに理来が、二分ほど遅れて漣もエレベーターから降りてきた。
ろくに挨拶もしない理来と漣の気まずい空気感に気付かないふりで「行こっか」と私は二人に声をかけて、歩き出す。
久しぶりに、両脇を理来と漣に挟まれて、マンションの裏の道を五分ほど歩いていくと、街灯の弱々しい光に照らされたドームが見えてくる。
二丁目の公園は、思ったとおり誰もいなかった。
ドームの横を通り過ぎ、風に吹かれてかすかに揺れるブランコに腰かけると、漣も隣のブランコに同じように座り、理来は私たちに向き合うように、ブランコを囲んで立つ柵に腰かける。
漣が足を地面につけたままブランコを前後に軽く揺らし、鎖のギッギッという音が、沈黙が続く中やけに大きく響いた。
「昨日の返事なんだけど」
しばらくして口火を切ったのは、理来だった。
私は理来のことを見上げ、漣は動きを止める。
理来は、真っすぐに私のことだけを見ていた。
「付き合ってほしい。俺と」
その真剣な眼差しとストレートな言葉に撃たれたかのように胸が大きくドクンとなる。
もちろん、こうなる可能性もあると思っていたけれど、実際に言われると思ったよりも破壊力があるもんだなと、私はいったん深呼吸をして心臓を落ち着かせる。
よし、最後の当て馬ガールとしてのミッション開始だ。
二人から本当の気持ちを引き出す。失敗は許されない。
「ほんと? うれしい。ありがと」
取り合えず理来に笑顔で答えると、隣で漣がブランコから立ち上がる。
「じゃあ、俺はもう用済みだな。良かったな」
理来と私の間の何もない場所を見てそう言った漣が踵を返して立ち去ろうとするのを「待って」と引き留める。
「せっかくだから、今度は漣に見届けてほしいな」
「……何を?」
私に背を向けた漣ではなく、理来が聞いてくる。
「覚えてる? 昔、そこのドームで漣と理来の結婚式を三人だけであげたの。あれ、私の中で、小さい時の素敵な思い出として残ってるから、今度は青春の思い出として、同じ場所で私と理来の結婚式を三人でやりたくて。もともと告白をOKしてもらえたらそうしたいと思って、この公園を選んだんだ」
私が口を閉じると、また公園の中には沈黙が広がった。
漣の背中は微動だにせず、理来は気まずそうにポケットに手をつっこんだまま足元の砂に目を落とす。
「ね、いいでしょ?」
私がもう一度二人に念を押すように言うと「いや、ごめん。きついわ」と漣が低い声で答えた。
「目の前で幼馴染たちがいちゃいちゃしてるの見るのも、神父役やるのも気恥ずかしくてやってらんないって」
「えー、漣、ノリ悪くない? ちょっとしたお遊びじゃん。昔、漣と理来がやってたのと同じ。ただの遊び」
漣の手がぎゅっと握られるのを見つめながら、私は「それとも」と声をかける。
「理来と私がお似合いだって言ってくれたのは嘘だった?」
「それは本当」
慌てたように振り返った漣とぱっと顔をあげた理来の視線が私の前で絡み合う。
「……本当に、思ってる」
漣は理来を見つめたまま、苦しそうに呟き、理来はそんな漣をじっと見つめ返していた。
「今、答えが出たってことだよね」
「出たっていうか……まあ」
「じゃあ、その答えは、明日聞かせてほしい」
理来をじっと見つめたまま私はゆっくりと「漣も、いるところで」と言う。
もうその顔には影が落ちていて理来がどんな表情をしているのか、はっきりとは分からなかったけど、戸惑っているのだけは伝わってくる。
「……なんで」
「理来にちゃんと向き合ってほしいから。漣にも、私にも」
理来は私の顔から目を外し、うつむいた。
自分が身勝手なことを言っているのは分かっている。わざわざ漣の前で告白の返事をするなんて、そんなこと理来がしたいわけがない。
それでも、理来は私の言うことを聞いてくれるはずだ。昔から、なんだかんだ言いながらも私の幼馴染たちは、私の希望やわがままを優先してくれるから。
「分かった」
数秒の沈黙のあと、理来は再び私に目を向け、思ったとおりそう答えてくれた。
「で、漣には? 鈴音から連絡すんの?」
「あ、うん」
「なんて言うの」
「理来に告白して返事をもらうけど、一人だと勇気が出ないから漣にも一緒にきてほしいって言う」
「あいつが来ないって言ったら?」
「それはないと思う。私が来てって言ったら、漣は来てくれるから」
「まあ……そうだな」
理来が小さくため息をついたあと「何時くらいにする? 場所は?」と聞いてくる。
こんなときでも冷静なのさすがだわ、と感心しつつ「夜のほうがいいかな。場所は、二丁目の公園で」と答えると、理来が苦笑する。
「あそこか」
理来と漣が一生一緒にいることを誓いあったあの場所を選ぶ私を悪趣味だと思っただろうか。それでも受け入れてくれたことに、私は心の中で安堵のため息をつく。
これで、舞台は整った、と言えるだろう。あとは私がうまく立ち回れるかどうかにかかっている。
「じゃあ、それでお願いします」
頭をぺこっと下げ、ようやく止めていた足を動かして理来のもとへといく。
私が追いつくと、理来もまた歩き出した。
「やっぱ、寒くなってきたよね。すっごい手が冷えてる」
胸の前で両手の指先を擦り合わせながら言うと、理来が「鈴音は冬は手袋必須だもんな」と答える。
普通に返してもらえたことに安心して、これまでも寒いときによくやっていたように、その首元へ「おりゃ」と冷えた手を当てる。
「ばか、つめてーよ」
理来もいつものようにしかめ面で首をすくめ、私の手首をつかんで引き離す。
その顔を見て、笑いながら手をひっこめようとした私は、次の瞬間固まった。
理来が私の右手を握って、理来のジャケットのポケットに自分の手と一緒に突っ込んだからだ。
「そっちの手は自分のポケットにでも入れとけ」
ぶっきらぼうに言われ、私は大人しくコートのポケットに左手を入れる。
理来に握られたままの右手がじわじわと温かくなっていき、それとともにようやく何が起きているのかを理解した私は静かにパニックに陥った。
今まで、こういう対応をされたことはない。なんなんだろう。私が告白したから気を遣ってくれているんだろうか。
ちらっと理来の横顔を見上げるが、静かに前を見ているだけで、何を考えているのかまったく読み取ることはできず、無言で手をつないで歩いている状況に次第に耐えられなくなった私は「ねえ」と声をかける。
「漣ともこうやって手をつないだりしたの」
「……ここでそういうことを聞くのが鈴音だよな」
「あ、ごめん、なんか気になって」
理来はちょっとだけ口元に笑みを浮かべ、前を向いたまま答える。
「ないよ。人目がなかったとしても、そういうの外では絶対許してくんなかったから、あいつ。せいぜい偶然に見える程度に指をあてるくらいかな。それもわりとすぐに離されることが多かったし」
夏、遊園地のベンチでひっそりと指を重ねていた二人を思い出す。
あの、ほんの一センチほどの触れ合いが、理来にとっても漣にとっても外でできる最大限の恋人らしい行動だったということだ。
ーーあのときの二人の指先の熱は、私たちが今つないでいる手の熱と比べてどうだったんだろう
そんなことを考えながら、冗談っぽくぎゅっと理来の手を力を入れて握ると、理来も軽く握り返してきて、また小さく笑った。
「鈴音の手って、ちっちゃいのな」
「可愛いってこと?」
「ちっちゃいと可愛いは別にイコールじゃねーよ」
「普通はイコールなのよ」
きっと理来にとっては違うんだろうけどね、という言葉はあえて言わない。
マンションが近づき、理来のポケットからそっと手を出す。
理来も引き止めることはなく、私たちは何もなかったかのように並んでマンションのエントランスへと入った。
「……じゃあ明日は、夕飯食べ終わって、八時くらいにまたここで待ち合わせでもいい? もし漣に聞いて都合が悪いって言われたら、すぐ連絡する。連絡なかったらその予定のままって思っといて」
「分かった」
頷いた理来は私と一緒にエレベーターで七階まで行き、家の前まで送り届けてくれたあと、外階段を下りて帰っていった。
その後ろ姿を見送った私は、理来の足音が聞こえなくなるまで廊下の手すりに寄りかかって右手を眺め続け、それから、携帯を取り出して漣へと電話をかけた。
*
漣の家の前で待っていると、三十秒もしないうちに漣が上着を着ながら出てきた。
「よ」
「良かった、いてくれて」
「まあ電話でも言ったとおり暇人ですし」
にこっとした漣の顔が少し強張っているように感じるのは気のせいじゃないだろうな、と考えながら私は漣と一緒にエレベーターホールへ向かう。
「で、なんのアイス買うの?」
漣の質問に「バニラの気分かも」と答える。
「バニラかーうまいよな」
なんでこの寒いのにアイスなんて食べるんだよ、なんてことを言わず、そのまま受け入れてくれる漣は、やっぱり優しい。
さっき理来と手をつないで歩いた道を、漣と並んでコンビニに向かって歩く。もうすっかり外は暗くなっていた。
「今日はどっか出かけてたの?」
漣に聞かれ、どきりとしながら「なんで?」と聞き返す。
「や、なんかいつもよりおしゃれしてるし」
「え、えー? そうかなぁ」
首を傾げて答えると「理来と?」とさらっと聞かれる。
「……うん、そう」
素直に認めると、漣がわざとらしいほど楽しそうな声を出す。
「聞いたよ、理来と付き合いだしたって。もしかしてアイスを買いたいって言うのは口実で、その報告しようと思ってる?」
「ううん、違う」
私が首をふって否定しても、漣は笑顔を貼り付けたまま「え、俺はそれが一番聞きたかったんだけど! マジで違うの?」とからかうような明るい口調で続けた。
いつも穏やかでおっとりしているだけに、そのやけに高いテンションに無理をしているのが透けてみえて、なんだか泣きたくなるのと同時に、漣もまだ理来が好きなのだと確信する。
理来と別れたあとも、漣はずっと普通に過ごしているように見えていた。だけど、野球部の最後の試合で負けたあとだって、漣はチームメイトにも私にも笑顔しか見せていなくて、唯一、そのつらさや口惜しさを引き出してあげられたのは理来だった。
じゃあその理来と別れることになった辛さは、どこに出せたって言うんだろう。普通に振舞う以外に、漣に何ができたって言うんだろう。
漣が理来を好きなことは、その表情や些細な仕草からも分かりすぎるほど分かっていたのに。
それなのに理来ばかり気にしていたことに懺悔したくなりながら、私は感情を抑え込んで本題を切り出す。
「ねえ、漣。漣の言うとおり、アイスを買いに行きたいって言うのは口実なんだけど、報告じゃなくて、お願いしたいことがあるの」
「お願い?」
「明日の夜、一緒に二丁目の公園に行ってほしくて」
「公園?」
「うん」
「なんで?」
「理来に告白の返事をもらいにいく予定だから」
漣の笑顔が戸惑いに塗り潰されていくのを見ながら私は続ける。
「理来も別に付き合ってるとは言ってなかったんじゃない? 私たちまだ付き合ってないよ」
「そう……だったかな」
「でも、今日告白して、明日その告白の返事を公園でもらうことになってるから、そこに漣も一緒に行ってほしくて」
「え、待って。意味わかんないんだけど。なんで……なんで俺が一緒に」
「一人で行くの怖いんだもん。断られそうだし」
だめ?と首を傾げて漣の顔を見ると、瞬きとともに目をそらされる。
「いや、だめって言うか……、なんかそういうのって、他の人がいないほうがいいんじゃないかなって。それに、理来が断ることないと思うけどな。俺から見てても、二人はいい感じだと、思うし」
「でも、理来は他に好きな人がいるって言うから」
私の言葉に、漣がはっとしたように再びこちらを見る。
理来との関係がばれるかもしれないと思っているのか、理来が自分以外を好きになったのかもしれないとショックを受けているのか、どっちだろう。
「片思いみたいだけどね。しかも理来がその人を好きな限り、避けられそうなんだって。で、北海道に行くまであとちょっとだし、それまで友達としてでもいいから喋ったりしたいから、理来のことを好きな子ととりあえず付き合って、もうその人のことは好きじゃないふりをするつもりって言いだして」
「……」
「だから、それなら私と付き合ってって告白しちゃった。何も知らない子の気持ちを利用するくらいなら、そういう事情を知ってても付き合いたいっていう私の方がいいんじゃない、って」
「……そう」
「でも逆に、だからこそ振られるかもしれないとも思ってる。自分で言うのもなんだけど、理来は私のこと幼馴染として大事にしてくれてるし、利用することに罪悪感があるかもしんないしね」
苦笑して見せると、漣も曖昧に私に笑い返し、無言のまま足を前へと進めた。
きっと今の話で、理来がまだ漣のことを好きだということは伝わっただろう。でも、それを漣がどう思ったのかまでは分からない。
「あ、あと、理来にも漣を連れていくって話はしてるから、一緒に行っても大丈夫だよ」
「理来は、いいって?」
「うん。一人だと返事を聞く勇気が出ないかもって言ったらいいよって」
「そっか」
上を向いて、ふーっと夜空に向かって息を吐きだした漣は「分かった、一緒に行く」と言った。
「行くけど、俺は理来の決めたことには何も口を出せないから。ただ行くだけ」
「うん、一緒にいてくれればいい。じゃあ、明日の夜、八時にエントランス集合ね」
「分かった」
「ありがと。漣が一緒にいてくれるなら百人力だわ」
「それは大げさすぎる」
「あ、あともう一個だけ聞きたかったんだけど」
「なに?」
「漣は、理来の好きな人、知ってるの?」
私の問いに、漣は目を伏せながら、ふっと笑った。
「俺の知ってる人と同じかは分からないけど、もしその人だとしたら鈴音のほうがずっと理来には似合ってると思うよ」
「そうかな」
「そうだよ」
優しく言って目をあげた漣の瞳に、明るく輝くコンビニの看板が映った。
*
翌日の夜七時五十分。
理来と漣を二人きりにするのを避けるために、早めに家を出る。
昼間は、断られた場合とOKされた場合の両方のシミュレーションがぐるぐると頭の中を周り続けまったく勉強はできなかった。自分の受験のためにも、今日ではっきりさせておかないと、と考えつつエントランスに行く。
八時ちょうどに理来が、二分ほど遅れて漣もエレベーターから降りてきた。
ろくに挨拶もしない理来と漣の気まずい空気感に気付かないふりで「行こっか」と私は二人に声をかけて、歩き出す。
久しぶりに、両脇を理来と漣に挟まれて、マンションの裏の道を五分ほど歩いていくと、街灯の弱々しい光に照らされたドームが見えてくる。
二丁目の公園は、思ったとおり誰もいなかった。
ドームの横を通り過ぎ、風に吹かれてかすかに揺れるブランコに腰かけると、漣も隣のブランコに同じように座り、理来は私たちに向き合うように、ブランコを囲んで立つ柵に腰かける。
漣が足を地面につけたままブランコを前後に軽く揺らし、鎖のギッギッという音が、沈黙が続く中やけに大きく響いた。
「昨日の返事なんだけど」
しばらくして口火を切ったのは、理来だった。
私は理来のことを見上げ、漣は動きを止める。
理来は、真っすぐに私のことだけを見ていた。
「付き合ってほしい。俺と」
その真剣な眼差しとストレートな言葉に撃たれたかのように胸が大きくドクンとなる。
もちろん、こうなる可能性もあると思っていたけれど、実際に言われると思ったよりも破壊力があるもんだなと、私はいったん深呼吸をして心臓を落ち着かせる。
よし、最後の当て馬ガールとしてのミッション開始だ。
二人から本当の気持ちを引き出す。失敗は許されない。
「ほんと? うれしい。ありがと」
取り合えず理来に笑顔で答えると、隣で漣がブランコから立ち上がる。
「じゃあ、俺はもう用済みだな。良かったな」
理来と私の間の何もない場所を見てそう言った漣が踵を返して立ち去ろうとするのを「待って」と引き留める。
「せっかくだから、今度は漣に見届けてほしいな」
「……何を?」
私に背を向けた漣ではなく、理来が聞いてくる。
「覚えてる? 昔、そこのドームで漣と理来の結婚式を三人だけであげたの。あれ、私の中で、小さい時の素敵な思い出として残ってるから、今度は青春の思い出として、同じ場所で私と理来の結婚式を三人でやりたくて。もともと告白をOKしてもらえたらそうしたいと思って、この公園を選んだんだ」
私が口を閉じると、また公園の中には沈黙が広がった。
漣の背中は微動だにせず、理来は気まずそうにポケットに手をつっこんだまま足元の砂に目を落とす。
「ね、いいでしょ?」
私がもう一度二人に念を押すように言うと「いや、ごめん。きついわ」と漣が低い声で答えた。
「目の前で幼馴染たちがいちゃいちゃしてるの見るのも、神父役やるのも気恥ずかしくてやってらんないって」
「えー、漣、ノリ悪くない? ちょっとしたお遊びじゃん。昔、漣と理来がやってたのと同じ。ただの遊び」
漣の手がぎゅっと握られるのを見つめながら、私は「それとも」と声をかける。
「理来と私がお似合いだって言ってくれたのは嘘だった?」
「それは本当」
慌てたように振り返った漣とぱっと顔をあげた理来の視線が私の前で絡み合う。
「……本当に、思ってる」
漣は理来を見つめたまま、苦しそうに呟き、理来はそんな漣をじっと見つめ返していた。