書店のBLコーナーには、さっきから次から次に女子たちが訪れている。
BL漫画の新刊が何冊かまとめて発売されたそうなので、そのうちのどれかが目当てなのだろう。どの人も手にするのは一冊か二冊で、ちょっと恥ずかしそうに、さっと漫画を取って去っていく人も多い。
そんな中、ギャルな腐女子である哉子だけは、アイスブルーのグラデーションが施された夏ネイルを見せびらかすかのように、BL漫画を二冊ずつガバリとつかみ、足元のかごの中にどんどんと重ねていく。
哉子の買い物に初めてついてきたときは、その買いっぷりとレジで見た合計金額に衝撃を受けた。お嬢様なのか、もしくは違法な高額バイトでも……?とビビりつつ、なんで二冊ずつ買うのかとおそるおそる聞いたら、哉子だけでなく、お母さんも二人いるお姉さんたちも腐女子なので、一冊だと奪い合いになるから、と哉子は笑って教えてくれた。お金は、お母さんが半分、社会人と大学生のお姉さんたちが残りの半分を払ってくれていて、哉子はお金を出さない代わりに買い出しを請け負っているのだそうだ。
『ま、これは神、と思った漫画は、自分用兼布教用に小遣いで買い足すけどね」
『なんで布教って言うの?』
『考えたこともなかったけど、神なんだから布教って言うしかないよね』
私の疑問に真顔で答えた哉子の言葉をあの頃は冗談だと思っていたけど、百パーセント本気だったということが、哉子をよく知った今では分かる。
もちろん、私も布教用の漫画をこれまで何冊か借りて読んでいる。ただ、好奇心旺盛な小学生の妹を持つ姉として、キス以上のことをする漫画は万が一目に触れることを考えて借りないと宣言していて、それだと一番のおすすめ漫画が布教できないと哉子は不満そうだ。
――それにしても
事前に買うことを決めていたらしい漫画を一通りかごに入れ終えたあと、他の漫画を手に取って吟味している哉子の隣で、私は改めて、BLの表紙が平積みされた棚を眺める。当たり前だけど、女の子が全然いない。女の子っぽく見えたとしても、それもほぼ間違いなく男の子なはずである。なぜならBLだから。
男同士の恋愛に、女子が入る隙間なんてないってことだよなぁと改めて思う。
私が、理来と漣の間に入れないのと同じだ。
十日前、へらっとした口調で、北海道にある大学に行くことにしたと言った理来の顔が浮かんでくる。
応募していた指定校推薦で校内選考を通ったから、まあほぼ決まりだと思うという言葉に驚いている私の隣で、漣は『そっか。北海道か。良かったな』とほっとしたような口調で言った。
そんな漣の様子も、漣の言葉を聞いて一瞬真顔になった理来の様子も、なんだかちぐはぐで、思わず『え、二人ともそれでいいわけ?』と聞いたら、その場がしーんとしてしまった。
『いや……理来が決めたことに俺がどうこういう権利なんてないだろ』
十秒ほど経ったところでようやく口を開いた漣が困ったように答え、続けて理来が『ま、ただの幼馴染にそんな権利ないよな』と明るく、でも突き放すように言って、私は自分がまた余計なことを言ってしまったことに気が付いた。
思ったことをすぐ口にしてしまうのは小さい頃からだ。鈴音は頭は決して悪くないけど考えなしである、と理来には昔から評されているし、自分でも否定できない。
中学のときも、理来と漣に『お互い好きなんでしょ?』と言って真っ赤な顔をした二人に全力の否定をされ、あわや幼馴染の絆もここまでか、と思うくらいとんでもなく気まずい空気を作り出した実績があるし、今回も『それでいいわけ?』と聞かれて『よくない』なんてあの二人が答えるはずがないって分かっているのに、うっかり口走ったばかりに、ただでさえ意地っ張りな二人がさらに意地を上乗せしてしまった気がするし。
私としては大好きな幼馴染たちに幸せになってほしいだけなのだが、二人の間に口を出そうとするとマイナスの結果しか生み出さないので、結局は何もしないのがベストなのだろう。難しいものである。
「鈴音、おまたせー。何じっと見てんの? なんか読みたいやつでもあった?」
BL漫画山盛りのかごを持った哉子に声をかけられ、いつの間にか凝視していたちょっとだけ理来と漣に似た二人が表紙になっている漫画から慌てて目をそらす。
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
理来と漣のことを考えてた、と答えるわけにもいかず、代わりに「当たり前だけど、女の子が全然表紙にいないなって思ってた」と哉子に言う。
「まあ、そりゃBLコーナーだからね」
「だよね。女の子が入る隙間なんてBLにはないよね」
頷きながら、歩き出した哉子と一緒にレジへと向かう。
「えー? 確かに表紙はそうだけど、ストーリーではそんなこともないよ。女の子が活躍するBLもけっこうあるし」
「でも、大抵は見守り要員でしょ。二人の間にガッツリとは入りこんでないじゃん」
「いやいや。当て馬として二人の間に入りまくる女の子キャラだっているって。鈴音が読んだことないだけ」
「当て馬……」
「そうよ。お互い一歩が踏み出せない二人の間にその子が当て馬として入り込むことで、やっぱりこいつを取られたくない! って思わせるという、重大な責務が――」
「それだわ」
「それだわ?」
聞き返してきた哉子に、私は「ね、当て馬が出てくるBL漫画でいいのある?」と意気込んで訊ねた。
*
「大事な勉強があって集中したいから、夕飯前まで一人で部屋使ってもいい?」
真剣な顔で頼んだ私を疑り深い目で見ながらも、妹の音羽は部屋を明け渡してくれた。あのお姉ちゃんが勉強をしたいなんて、とでも思っているのだろう。
不自然なのは分かってるけど、まさかBL漫画を読みたいから何て言えないしな、と思いつつ、エコバッグを勉強机の下から取り出す。
エコバッグの中には「キス以上をしててもいいけど、あまり過激じゃないやつで、いい当て馬が出てくるBL漫画」という私の注文にのっとって、哉子が厳選して持ってきてくれた漫画が十冊入っている。四冊が読み切りで、残りの六冊がシリーズものだと言っていた。
こんなに女の子の当て馬が出てくる話があるのか、と思ったら、どうやら「当て馬」というところしか重要視されていなかったらしく、パラパラと見た限り男の子の当て馬しか出てこないようではあるが、当て馬には変わりない。
ありがたく勉強させていただきます、と一番上の漫画を手に取る。
真正面から二人の関係に口を出せないなら、当て馬という形で二人の間に入って気持ちを盛り上げてあげようという、我ながら天才的なアイディアを成功させるため、受験勉強を休んでまで当て馬とはなんたるかを学ぼうとしている私は、なんていい幼馴染なんだろうか。
そう自画自賛しつつ漫画を開き、一コマ目で裸で絡み合う男子たちを見た私は、それをいったんぱたりと閉じた。
――これであまり過激じゃないだと……?
だとすれば、哉子が思う過激な漫画ではいったいどんなことをやらかしているんだ、と恐ろしくなりつつ、もう一度気合いを入れて開き、今度は大人なシーンも薄目で、でもしっかりと読み進めていく。
まあ、本来、私の今日のミッションは、BL漫画を楽しむことではない。
理来と漣がうまくいくために、当て馬として自分がどういう行動を取ったらよいかを学ぶことが目的なんだから、大人なシーンは、無理そうなら飛ばしたっていい。うん、いいんだけど、いや、でも、これはちょっとドキドキするな……っていうか、ほら、やっぱそういうシーンを飛ばすと話の流れが分からなくなって結果的に当て馬がなんでそんな行動を取っているかも分からなくなるしやっぱりちゃんとここも読むべ……ぎゃーーー!!待ってー!!ここでそれはエッチすぎるのでは!!??
勉強中のふりをしている手前、不審に思われないように静かに読んではいるが、脳内は誰に対してか分からない言い訳と興奮とで大騒ぎである。
一つの話にいたっては、あ、あぁ、あぁ、この流れはまさか……!と思っているうちに、主人公の一人が当て馬とベッドへ入ってしまって、私は天を仰いだ。なんてことだ。
これはもう参考にはできない。できないけどこんな中途半端なところでは終われない、と再び視線を戻して読んでいったら、当て馬だと思っていた男の子が最終的には本命になるというまさかの展開となり、告白シーンに感動して泣いた私は、思わず最初からもう一度読み返してしまった。本来の目的からブレまくりである。
当然のことながら、夕飯前にすべて読み終わることなんてできるわけもなく、哉子にあと数日貸しといてくれとピンスタのDMで頼んだら、ゆっくり楽しんで、とハート付きで返事が来た。
それを受けて、誰にも見つからないうちにと自分のタンスの服の下に漫画を隠した私は、音羽がいない隙や音羽が寝たあとの時間を使って三日かかってようやくすべて読み終え、寝不足と引き換えに大量の萌えを摂取すると同時に当て馬とはなんぞやということを大まかに把握した。
行動としては、とにかくどちらか一人にちょっかいをかけたり、わざとベタベタしたりしているところを、もう片方に見せるということにつきる。できれば偶然に街中とかで見られるという状況が望ましい。なかなか難しそうではあるけど。
そして、当て馬として大事な要素の一つが、引き際の良さだということも理解した。できるだけ二人の気持ちが最大限に盛り上がったところで引くというタイミングの良さも必須だ。さらに、最後は二人を応援する立場へシフトすると、主人公たちも罪悪感にかられることなく素直に幸せになれるので、なおよし。
ちなみに中にはキスしたりだとかHしたりだとかする当て馬もいたけど、今回、当て馬を演ずる私の一存で、それらの行動は先に除外させていただくことにする。
――よし、明日から当て馬としてがんばるか!
まだ最後に読んだ漫画の興奮が抜けず、なかなか眠くならない私は布団の中でこっそりとこぶしを握る。
ちょっかいを出すのは理来のほうと決めた。とりあえず、今までよりもちょっとベタベタする感じでいけばいいのだろう。急にどうしたって思われるかもしれないけど、北海道に行くって聞いて寂しくなったとでも言えばそこまで不自然でもない。
――見てろよ、私の当て馬としての演技力!
そう再び気合いを入れたところで、なんで当て馬って当て馬って言うんだろうとふと疑問に思う。
枕の横に置いておいたスマホを探り、手に取って「当て馬」と検索してみると、【種付けの成功率を上げる目的で、メス馬を発情させるために本命の代わりに用いられるオス馬】と出てきて、オスだけなんかい、と思わず心の中でツッコんでしまう。
そういえば、BLだけでなく、少女漫画でも当て馬の立場になるのって男の子が断然多い気がする。つまり私が女だという時点で当て馬と自称するというのはなんか違う……?
うーむ、とさらに調べていくが、当て馬なんて恋愛漫画や恋愛ドラマとかでしか聞かない言葉だと思っていたのに、そういった意味が全然出てこない。スポーツや仕事の企画などで当て馬を使うなんてあんまり聞いたことがないけど、そっちのほうが本来はメジャーらしかった。
そんな中、ようやく恋愛においての当て馬の記述を見つける。
【恋愛漫画などで、カップルを盛り上げるためだけの振られ役に選ばれるキャラの例え】
身も蓋もない、あまりにストレートな表現に声を出して笑ってしまい、二段ベッドの上で音羽が寝ていることを思い出して慌てて口を押さえる。
さらに記述は続いていた。
【※主人公がこのポジションの場合は、バウムクーヘンエンドと呼ばれる。一度も恋愛関係になったことがないキャラ、片思いの設定がないキャラに使うのは誤用】
こんな決まりもあるんだなぁと、私はその文をもう一度読み返す。
でもとりあえず、ここには男限定とは書いていないから、まあ自分自身を当て馬と呼んでも構わないのかもしれないけど、知ってしまった「当て馬=オス馬」という図式がどうも引っかかる。
そこで試しに「当て馬 女子」と調べると、「当て馬女」という言葉が出てきた。なんかちょっとだけ嫌な印象を受ける言葉だ。
せめて「当て馬女子」とか、もしくは「当て馬ガール」とか。
うん、「当て馬ガール」なら、ちょっと可愛い感じもするしいいかも、と自分の中で落としどころを見つけた私は、小さい声で「明日から私は当て馬ガール!」と呟いて、あ、違う、と思う。
スマホに示されている時間は、1:04AM。つまりもう今日ってことだ。
スマホの画面を消して枕の横に戻した私は、目を閉じて自分に言い聞かせるようにもう一度呟いた。
「今日から私は当て馬ガール!」
BL漫画の新刊が何冊かまとめて発売されたそうなので、そのうちのどれかが目当てなのだろう。どの人も手にするのは一冊か二冊で、ちょっと恥ずかしそうに、さっと漫画を取って去っていく人も多い。
そんな中、ギャルな腐女子である哉子だけは、アイスブルーのグラデーションが施された夏ネイルを見せびらかすかのように、BL漫画を二冊ずつガバリとつかみ、足元のかごの中にどんどんと重ねていく。
哉子の買い物に初めてついてきたときは、その買いっぷりとレジで見た合計金額に衝撃を受けた。お嬢様なのか、もしくは違法な高額バイトでも……?とビビりつつ、なんで二冊ずつ買うのかとおそるおそる聞いたら、哉子だけでなく、お母さんも二人いるお姉さんたちも腐女子なので、一冊だと奪い合いになるから、と哉子は笑って教えてくれた。お金は、お母さんが半分、社会人と大学生のお姉さんたちが残りの半分を払ってくれていて、哉子はお金を出さない代わりに買い出しを請け負っているのだそうだ。
『ま、これは神、と思った漫画は、自分用兼布教用に小遣いで買い足すけどね」
『なんで布教って言うの?』
『考えたこともなかったけど、神なんだから布教って言うしかないよね』
私の疑問に真顔で答えた哉子の言葉をあの頃は冗談だと思っていたけど、百パーセント本気だったということが、哉子をよく知った今では分かる。
もちろん、私も布教用の漫画をこれまで何冊か借りて読んでいる。ただ、好奇心旺盛な小学生の妹を持つ姉として、キス以上のことをする漫画は万が一目に触れることを考えて借りないと宣言していて、それだと一番のおすすめ漫画が布教できないと哉子は不満そうだ。
――それにしても
事前に買うことを決めていたらしい漫画を一通りかごに入れ終えたあと、他の漫画を手に取って吟味している哉子の隣で、私は改めて、BLの表紙が平積みされた棚を眺める。当たり前だけど、女の子が全然いない。女の子っぽく見えたとしても、それもほぼ間違いなく男の子なはずである。なぜならBLだから。
男同士の恋愛に、女子が入る隙間なんてないってことだよなぁと改めて思う。
私が、理来と漣の間に入れないのと同じだ。
十日前、へらっとした口調で、北海道にある大学に行くことにしたと言った理来の顔が浮かんでくる。
応募していた指定校推薦で校内選考を通ったから、まあほぼ決まりだと思うという言葉に驚いている私の隣で、漣は『そっか。北海道か。良かったな』とほっとしたような口調で言った。
そんな漣の様子も、漣の言葉を聞いて一瞬真顔になった理来の様子も、なんだかちぐはぐで、思わず『え、二人ともそれでいいわけ?』と聞いたら、その場がしーんとしてしまった。
『いや……理来が決めたことに俺がどうこういう権利なんてないだろ』
十秒ほど経ったところでようやく口を開いた漣が困ったように答え、続けて理来が『ま、ただの幼馴染にそんな権利ないよな』と明るく、でも突き放すように言って、私は自分がまた余計なことを言ってしまったことに気が付いた。
思ったことをすぐ口にしてしまうのは小さい頃からだ。鈴音は頭は決して悪くないけど考えなしである、と理来には昔から評されているし、自分でも否定できない。
中学のときも、理来と漣に『お互い好きなんでしょ?』と言って真っ赤な顔をした二人に全力の否定をされ、あわや幼馴染の絆もここまでか、と思うくらいとんでもなく気まずい空気を作り出した実績があるし、今回も『それでいいわけ?』と聞かれて『よくない』なんてあの二人が答えるはずがないって分かっているのに、うっかり口走ったばかりに、ただでさえ意地っ張りな二人がさらに意地を上乗せしてしまった気がするし。
私としては大好きな幼馴染たちに幸せになってほしいだけなのだが、二人の間に口を出そうとするとマイナスの結果しか生み出さないので、結局は何もしないのがベストなのだろう。難しいものである。
「鈴音、おまたせー。何じっと見てんの? なんか読みたいやつでもあった?」
BL漫画山盛りのかごを持った哉子に声をかけられ、いつの間にか凝視していたちょっとだけ理来と漣に似た二人が表紙になっている漫画から慌てて目をそらす。
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
理来と漣のことを考えてた、と答えるわけにもいかず、代わりに「当たり前だけど、女の子が全然表紙にいないなって思ってた」と哉子に言う。
「まあ、そりゃBLコーナーだからね」
「だよね。女の子が入る隙間なんてBLにはないよね」
頷きながら、歩き出した哉子と一緒にレジへと向かう。
「えー? 確かに表紙はそうだけど、ストーリーではそんなこともないよ。女の子が活躍するBLもけっこうあるし」
「でも、大抵は見守り要員でしょ。二人の間にガッツリとは入りこんでないじゃん」
「いやいや。当て馬として二人の間に入りまくる女の子キャラだっているって。鈴音が読んだことないだけ」
「当て馬……」
「そうよ。お互い一歩が踏み出せない二人の間にその子が当て馬として入り込むことで、やっぱりこいつを取られたくない! って思わせるという、重大な責務が――」
「それだわ」
「それだわ?」
聞き返してきた哉子に、私は「ね、当て馬が出てくるBL漫画でいいのある?」と意気込んで訊ねた。
*
「大事な勉強があって集中したいから、夕飯前まで一人で部屋使ってもいい?」
真剣な顔で頼んだ私を疑り深い目で見ながらも、妹の音羽は部屋を明け渡してくれた。あのお姉ちゃんが勉強をしたいなんて、とでも思っているのだろう。
不自然なのは分かってるけど、まさかBL漫画を読みたいから何て言えないしな、と思いつつ、エコバッグを勉強机の下から取り出す。
エコバッグの中には「キス以上をしててもいいけど、あまり過激じゃないやつで、いい当て馬が出てくるBL漫画」という私の注文にのっとって、哉子が厳選して持ってきてくれた漫画が十冊入っている。四冊が読み切りで、残りの六冊がシリーズものだと言っていた。
こんなに女の子の当て馬が出てくる話があるのか、と思ったら、どうやら「当て馬」というところしか重要視されていなかったらしく、パラパラと見た限り男の子の当て馬しか出てこないようではあるが、当て馬には変わりない。
ありがたく勉強させていただきます、と一番上の漫画を手に取る。
真正面から二人の関係に口を出せないなら、当て馬という形で二人の間に入って気持ちを盛り上げてあげようという、我ながら天才的なアイディアを成功させるため、受験勉強を休んでまで当て馬とはなんたるかを学ぼうとしている私は、なんていい幼馴染なんだろうか。
そう自画自賛しつつ漫画を開き、一コマ目で裸で絡み合う男子たちを見た私は、それをいったんぱたりと閉じた。
――これであまり過激じゃないだと……?
だとすれば、哉子が思う過激な漫画ではいったいどんなことをやらかしているんだ、と恐ろしくなりつつ、もう一度気合いを入れて開き、今度は大人なシーンも薄目で、でもしっかりと読み進めていく。
まあ、本来、私の今日のミッションは、BL漫画を楽しむことではない。
理来と漣がうまくいくために、当て馬として自分がどういう行動を取ったらよいかを学ぶことが目的なんだから、大人なシーンは、無理そうなら飛ばしたっていい。うん、いいんだけど、いや、でも、これはちょっとドキドキするな……っていうか、ほら、やっぱそういうシーンを飛ばすと話の流れが分からなくなって結果的に当て馬がなんでそんな行動を取っているかも分からなくなるしやっぱりちゃんとここも読むべ……ぎゃーーー!!待ってー!!ここでそれはエッチすぎるのでは!!??
勉強中のふりをしている手前、不審に思われないように静かに読んではいるが、脳内は誰に対してか分からない言い訳と興奮とで大騒ぎである。
一つの話にいたっては、あ、あぁ、あぁ、この流れはまさか……!と思っているうちに、主人公の一人が当て馬とベッドへ入ってしまって、私は天を仰いだ。なんてことだ。
これはもう参考にはできない。できないけどこんな中途半端なところでは終われない、と再び視線を戻して読んでいったら、当て馬だと思っていた男の子が最終的には本命になるというまさかの展開となり、告白シーンに感動して泣いた私は、思わず最初からもう一度読み返してしまった。本来の目的からブレまくりである。
当然のことながら、夕飯前にすべて読み終わることなんてできるわけもなく、哉子にあと数日貸しといてくれとピンスタのDMで頼んだら、ゆっくり楽しんで、とハート付きで返事が来た。
それを受けて、誰にも見つからないうちにと自分のタンスの服の下に漫画を隠した私は、音羽がいない隙や音羽が寝たあとの時間を使って三日かかってようやくすべて読み終え、寝不足と引き換えに大量の萌えを摂取すると同時に当て馬とはなんぞやということを大まかに把握した。
行動としては、とにかくどちらか一人にちょっかいをかけたり、わざとベタベタしたりしているところを、もう片方に見せるということにつきる。できれば偶然に街中とかで見られるという状況が望ましい。なかなか難しそうではあるけど。
そして、当て馬として大事な要素の一つが、引き際の良さだということも理解した。できるだけ二人の気持ちが最大限に盛り上がったところで引くというタイミングの良さも必須だ。さらに、最後は二人を応援する立場へシフトすると、主人公たちも罪悪感にかられることなく素直に幸せになれるので、なおよし。
ちなみに中にはキスしたりだとかHしたりだとかする当て馬もいたけど、今回、当て馬を演ずる私の一存で、それらの行動は先に除外させていただくことにする。
――よし、明日から当て馬としてがんばるか!
まだ最後に読んだ漫画の興奮が抜けず、なかなか眠くならない私は布団の中でこっそりとこぶしを握る。
ちょっかいを出すのは理来のほうと決めた。とりあえず、今までよりもちょっとベタベタする感じでいけばいいのだろう。急にどうしたって思われるかもしれないけど、北海道に行くって聞いて寂しくなったとでも言えばそこまで不自然でもない。
――見てろよ、私の当て馬としての演技力!
そう再び気合いを入れたところで、なんで当て馬って当て馬って言うんだろうとふと疑問に思う。
枕の横に置いておいたスマホを探り、手に取って「当て馬」と検索してみると、【種付けの成功率を上げる目的で、メス馬を発情させるために本命の代わりに用いられるオス馬】と出てきて、オスだけなんかい、と思わず心の中でツッコんでしまう。
そういえば、BLだけでなく、少女漫画でも当て馬の立場になるのって男の子が断然多い気がする。つまり私が女だという時点で当て馬と自称するというのはなんか違う……?
うーむ、とさらに調べていくが、当て馬なんて恋愛漫画や恋愛ドラマとかでしか聞かない言葉だと思っていたのに、そういった意味が全然出てこない。スポーツや仕事の企画などで当て馬を使うなんてあんまり聞いたことがないけど、そっちのほうが本来はメジャーらしかった。
そんな中、ようやく恋愛においての当て馬の記述を見つける。
【恋愛漫画などで、カップルを盛り上げるためだけの振られ役に選ばれるキャラの例え】
身も蓋もない、あまりにストレートな表現に声を出して笑ってしまい、二段ベッドの上で音羽が寝ていることを思い出して慌てて口を押さえる。
さらに記述は続いていた。
【※主人公がこのポジションの場合は、バウムクーヘンエンドと呼ばれる。一度も恋愛関係になったことがないキャラ、片思いの設定がないキャラに使うのは誤用】
こんな決まりもあるんだなぁと、私はその文をもう一度読み返す。
でもとりあえず、ここには男限定とは書いていないから、まあ自分自身を当て馬と呼んでも構わないのかもしれないけど、知ってしまった「当て馬=オス馬」という図式がどうも引っかかる。
そこで試しに「当て馬 女子」と調べると、「当て馬女」という言葉が出てきた。なんかちょっとだけ嫌な印象を受ける言葉だ。
せめて「当て馬女子」とか、もしくは「当て馬ガール」とか。
うん、「当て馬ガール」なら、ちょっと可愛い感じもするしいいかも、と自分の中で落としどころを見つけた私は、小さい声で「明日から私は当て馬ガール!」と呟いて、あ、違う、と思う。
スマホに示されている時間は、1:04AM。つまりもう今日ってことだ。
スマホの画面を消して枕の横に戻した私は、目を閉じて自分に言い聞かせるようにもう一度呟いた。
「今日から私は当て馬ガール!」