「それなら――」
そう言いかけると「俺もしたくない」と理来が漣を見たまま遮った。
「なんで?」
訊ねる私にようやく理来が視線を向けてくる。
「鈴音にとっては遊びだったかもしれないけど、少なくとも俺にとっては、あの結婚式は遊びじゃなかったからだよ」
淡々とした言葉とこちらを見る目の真剣さに私はいったん黙る。
「確かにまだ、恋愛とかそんなものは何も分かってなかったけど、それでも漣とずっと一緒にいて、泣かせないようにしていきたいって子どもなりにあのとき真剣に思ってたよ、俺」
漣がその言葉を聞きながらゆっくりとうつむく。
「……その真剣な結婚式を、私なんかで上書きはしたくないってこと?」
「したくないっていうか……、乗り気じゃない漣に無理やり協力させたって、それがいい思い出になるわけないだろ」
「なんか、私の気持ちよりも漣の気持ちを優先されてるみたいで、ムカつく」
「そういうわけじゃないって。冷静に考えろよ。嫌がってる相手を自分の思い通りにさせて、それで満足できんのか?」
「満足できるよ」
もう一息だ、と私はみぞおちに力をこめて、柵に腰かける理来と突っ立ったままの漣を順に見る。
理来には、こんな面倒くさい女とは付き合いたくないって思われるように。漣には、こんな嫌な女には理来を渡したくないって思われるように、さらに無神経に振舞わねば。
「理来はもう私のものなんだって、漣に分かって――」
「鈴音」
理来が私の言葉に被せるように低い声で名前を呼び、こちらをじっと見据える。
それ以上余計なことを言うな、ということだろう。理来と付き合っていたことを知られたくない漣を傷つけないために。
それを理解しながら、私は理来からの圧を無視して再び言葉を重ねる。
「――私のものだって漣に分かってほしいから。それに、理来も漣もそのほうが気持ちの整理がつくでしょ」
理来の目に戸惑いとともに怒りが浮かんでくるのをじっと見ていると「……鈴音、それは、どういう」とぎこちない声がした。
ブランコに座ったまま漣を見上げると、不安げな瞳と目があった。
ごめんね、と心の中で謝りながら、私は真顔で答える。
「理来から聞いたんだけどー」
「俺が、漣を好きだったって話だよ」
理来が再び語気強く私の発言を遮って、ちらっと漣を見る。
「俺がずっと漣に片思いをしてたって話を鈴音にしただけ。そうだよな、鈴音」
「え、でも……」
「そうだろ。実際そうなんだって。俺が勝手に好きだっただけ。だから鈴音が漣にそんなことを言うのは的外れだし、それこそ漣には迷惑でしかないって」
「理来だけが好きだったってわけ? そうとは思えないけど」
「そうだって言ってるだろ。漣を巻き込むな。マジで」
「ねぇ、漣。理来はこう言ってるけど、ほんと? ほんとに理来のことなんとも思ってないの?」
「鈴音!」
理来がついに柵から立ち上がって大きな声を出す。
「漣を巻き込むなって言ってるだろ! 漣は俺のことなんとも思ってないんだって! 何度も言わせるなよ!」
「でも、付き合うならそこははっきりさせたいし」
「だから! 俺が、一方的に好きだっただけで、漣は関係ないって言ってるだろ! これ以上何をはっきりさせる必要があるんだよ!」
「理来」
そこまでやりとりを黙って聞いていた漣が静かに名前を口にして、理来のほうに一歩足を踏み出す。
理来がはっとしたように漣を見て、私も祈るように漣へと目を向ける。
必死に漣をかばう理来を見て、心を動かされてくれていたらいい。
お前だけじゃない。俺だって好きだった。そんなふうに言ってくれたらいい。
こんな鈴音には理来は任せられないって、そう――。
「ふざけんなよ」
しかし、漣はぐいっと手を伸ばしたかと思うと理来のジャケットの胸ぐらをつかんで、どすの効いた低い声で怒りを顕わにした。
「鈴音の気持ちを考えろよ。理来のことが好きで、だから不安なんだろうが。それなのに無神経なことばっか言いやがって」
「いや……だって」
「だってじゃねーよ。俺が理来をどう思ってるのかなんて関係ねーんだよ。理来が鈴音をどう思ってるのかが大事なんだろ。付き合うって言うなら、今は鈴音が大事だって、そう鈴音に思わせてやるのが理来の役目だろうが」
睨みつける漣の前で、理来が無言のままうなだれ、私はそんな二人を見ながら、おや?となる。
こんなはずじゃなかった。
告白を受け入れてもらったにせよ、断られたにせよ、最終的に嫉妬深くてめんどくさくて空気の読めない私を演じれば、理来と漣はきっと不安になったり怒ったりしてくるだろうと思っていた。
そこに乗じて本音を引き出したところで最後は『結局お互いに好きなんじゃん』とでも言って、二人がそこまで真剣なら私は身を引きますよ、と応援する側に回るという感じでシミュレーションしていたのだ。
それなのにまさか、漣が私の味方になるとは。
この展開は考えておらず、次にどうすればいいのか分からないで立ちすくむだけの私の前で、漣がつかんだ胸ぐらを揺する。
「鈴音がどれだけ長い間、理来のこと好きだったと思ってんだよ!」
――ん?
思わぬ台詞に、私は漣を見つめる。
「理来は鈍感だから気付かなかっただけで、ずっと、ずっと鈴音は」
言いながら泣きそうになる漣の言葉に、理来がゆっくりと顔をあげ、申し訳なさげに私を見る。
「ずっとって……いつから?」
「何年も前からだよ!」
漣が私の代わりに怒鳴るように答える。
「だって、そんな……そんな素振りなかった……」
「だから、ちゃんと鈴音と向き合えって言ってんだよ。俺がどうこうとか、そういう話じゃない。今大事なのは鈴音と理来の話だろ」
理来は視線を戻して真剣な瞳で漣と見つめ合い、そして「ごめん」とぽつりとつぶやいた。
「そうだな。鈴音の気持ちをちゃんと聞くべきだった―――」
「ちょっと!! なんでそうなんの!?」
どうにも我慢できなくなった私は、ブランコから勢いよく立ち上がり、計画などその辺に放り投げて割り込んだ。
*
「違うでしょ? そこで、でも俺はやっぱり漣が大事だからって言わないと!」
理来と漣が見合わせていた顔を、私のほうへ怪訝そうに向ける。
「もうちょっと頑張んなよ!! なんで丸め込まれてんの? だいたいさ、漣だってこの流れで私の味方をするのはおかしいじゃん? 理来がさ、あんだけ好きだったのは自分だけだって、漣のことを巻き込まないように頑張ってんのに、それを無視して私のこと考えろとか、マジ空気読めなさすぎなんだけど!?」
漣が理来のジャケットからゆっくり手を離す。
「しかも優しすぎんのよ! どう見ても、私、嫌なやつだったでしょ? 漣にマウント取ろうとして、嫌なことさせようとして。なのに、なんでそんな私のことかばうの!?」
言っている間に、なぜか涙がこみあげてくる。
「私は二人に!! 幸せになってほしいの!! 私じゃないの!! 理来と漣に幸せになってほしいの!!」
理来も漣も呆然と、仁王立ちのままボロボロと涙を流す私を見ていた。
「理来は漣を好きで、漣は理来を好きで、なんでそれなのに、なんでそんなよく分かんないことになっちゃうのよ!!」
「だって……だって」
私を見ていた漣の目が揺れる。
「鈴音は理来のこと好きだっただろ。ずっと。だから俺、鈴音と理来がうまくいくなら、それが一番、いいって」
「好きじゃないもん!!」
「でも、最近態度にも出てたし……」
「理来と漣にくっついてほしかったけど、私が何を言ったって、二人とも否定するばかりだったから、じゃあ、当て馬になろうって、だから、わざと理来のこと好きなふりして、漣が嫉妬して、それで、気持ちが抑えられなくなるようにって、そうやって、ずっと」
「当て馬?」
「当て馬ですけど、何か!?」
話しているうちにすべてぶち壊しにした自分への情けなさとか、二人を傷つけてしまったかもという罪悪感だとかで、ついに逆切れしながら号泣してしまう。
漣が焦ったように「泣くなよー」と私の涙をジャケットの袖で不器用に拭ってくれる。正直痛い。
理来はそんな漣と私を困り顔で見ていたが、少し経ってからおそるおそる「鈴音」と声をかけてきた。
「鈴音が、俺を好きだって言ったのは、俺と漣の仲を取り持つための嘘だったってことか」
「そうですー!」
「でも、さっき……漣が何年も前からって」
「知らないよ。なんか勘違いしてんでしょ」
「勘違いじゃない。中三のバレンタインのとき」
漣がようやく涙を拭くのをやめてくれる。
「理来宛てのチョコを渡してってお願いした子に、いやだって断ってるところ、たまたま見ちゃって」
「……」
「で、その相手の子に、自分が理来を好きだから渡さないんでしょって言われて、そうだけどって、鈴音が言ってたから」
よりによって漣にそんなところを見られてしまっていたのかと、心の中でため息をつく。
「それ、漣に渡してって言われたときにも、同じように断ってたし、漣のこと好きなんでしょって言われたら、やっぱり肯定してたけどね。否定したって嘘だって言われるだけだし二人のこと好きなのは本当だもん。幼馴染として」
「え」
そうなんだ、と呟く漣に、聞いてみる。
「もしかして、私が理来を好きだと思ってたから、私に譲るために理来と別れようと思ったってこと?」
口にしてから、はっとして慌てて付け足す。
「あ、黙ってて悪かったけど、私、二人の別れ話をたまたま立ち聞きしちゃって、二人が付き合ってたことも知ってるんだ。でも、漣は知られたがってないからって、理来に口止めされてて、それで、でも、えーと……ごめんね」
理来が心配そうに漣を見るが、漣は「そうだったんだ」と、ふっと笑った。
「だから理来のフォローしてくれてたんだな。ずっと」
「そういうこと」
「あーでも、俺、別に鈴音のために身を引いたっていうのは、正直なところなくて。もし鈴音のためって言うなら理来ととっくに別れてたはずだけど、ごめん。そこは譲れなくて」
「さりげなく惚気るじゃん」
「いや、まあ……でも、とにかく、鈴音のためでもないし、鈴音のせいでもない。なんていうか、俺の問題で」
そこで言葉を途切れさせた漣が、ゆっくりとまたブランコのところに戻って腰かける。それを見た私と理来も、それぞれブランコと柵に座り直す。
「……つまり、ただ、俺と続けたくなくなったってことだよな」
理来が静かに訊ねるのに、漣は首を横に振った。
「俺、離れて自分たちの関係を見直したいとは言ったけど、別れたいとは言わなかったよ」
「でも、恋愛感情かどうか見極めたいとか、結局俺らの関係に納得がいってなかったからってことなんじゃねーの」
「納得は確かにいってなかった」
「男同士だから不安があったとか?」
私の問いにも、漣は首を振る。
「そこについては今さら悩んだりしない。小さい頃から理来のことを好きだったから、俺にとって自然なことだったし」
「好きだったなら、じゃあなんで?」
漣は少し黙ったあと、ゆっくりと語り出した。
「最初にちょっと引っかかったのは、高校受験のとき。理来が、俺と一緒の高校に行くためにわざわざランクを二つくらい落としてさ。通いやすいからとか指定校推薦狙うためとか言ってたけど、理来ならもっと上の学校でも十分狙えたはずだし、なんか、そこで。俺の存在って、理来にマイナスじゃんって思っちゃって」
「そんなことねーよ」
理来が否定するのに「まあ理来がそう言うことは分かってたし、だから言ってもしょうがないって思ってた」と漣がちょっと笑う。
「で、俺のほうは理来に勉強教えてもらって、実力より上の高校に入って、憧れてた野球チームでプレイできて。嬉しかったよ。嬉しかったけどさ、なんつーのかな。自分が何も返せないっていうのが、なんか、ずっと辛かったし、あと、理来は高校でもやっぱすごくて、一目置かれててさ。なのに、万が一にでも俺と付き合ってるなんて思われたら、そんな理来の評判を下げるんじゃないかって、それも怖かった」
だから、必要以上に理来とは距離をとっていたのかと納得する。
「それで、指定校推薦の話があったときに、理来がまた俺に聞いてきて俺の進路に合わせて選ぼうとしてるのを見てこれじゃだめだって」
漣がうつむき加減になりながら続ける。
「これ以上理来の人生を俺が邪魔するようなことしちゃいけないって思ったから、理来が行きたいところに行ってほしいって言って。あと、離れたところを選んだのは、俺も、理来と離れてもちゃんとやっていけるって、そういうところを見せたいっていうのがあったからでさ。なんていうのかな。俺、ちゃんと理来と対等でいられる男になりたかったんだよ」
周りから見ている分にはちゃんと対等に見えていたけど、漣はずっとコンプレックスを抱えていたってことなのか、と涙が乾いたところが北風にさらされてピリピリするのを感じながら私は思う。
こればっかりは本人の意識の問題だし、他人から何か言われたからといって、すぐに納得できるものでもないだろう。
理来も何を言えばいいのか分からないようで、首を少し傾げたまま漣を見ていた。
「でも、離れるって決めてたのに、鈴音が急に理来のことを好きだって態度を分かりやすく見せ始めたから、正直かなり揺れた。北海道行こうかな、とか言うしさ。そんなことになったら、理来も鈴音のこと好きになるかもって思ったし。ただ、その分、これまでにないぐらい真剣に自分はどうするべきなのかって考えられたから、だから、鈴音が当て馬のふりをしてくれて、すごく良かったんだと思う」
「そっか。なんか、当て馬の頑張りが報われた気分。理来は全然気づいてないっぽかったけど」
私の言葉に、漣が笑い、理来がちょっと情けない顔になる。まあ、しょうがないだろう。理来は漣のことしか見えていなかったんだから。
「で、やっぱり離れようって決めたわけだけど、ちゃんと理来に説明できなくて。あのときはこんな情けないことを言うのも嫌だったし、別れるって話になったときも、もともと理来のためにはそのほうがいいのかもって気持ちがどっかにあったから、しょうがないよなって感じで」
「……それで、今は?」
理来が問いかける。
「そういう話をしてくれてんのは、俺と別れてもう気持ちも整理できたからってことか?」
「いや、鈴音がここまでやってくれたのに、いらない意地を張るべきじゃないって思ったから」
「つまり―――!?」
身を乗り出して訊ねると、漣がくくっと笑う。
「理来のことがやっぱ好きってことです」
理来がほっとしたように目を閉じて、大きく息を吐く。
「良かった。俺も同じ」
二人の告白を聞いて、あぁ、頑張ったかいがあったと思わず頷きながら拍手してしまう。
そして、じゃああとは若いお二人で、と立ち上がろうとしたところで、そういや理来がめっちゃ気にしてたことがあったなと思い出す。
たぶん、理来は漣が大事であるがゆえに、気になっていてもこれからも聞けないだろうと思った私は、頭は悪くないけど考えなしな鈴音として、口を開く。
「そういえばさ、理来は漣のほうから触ったりしてきてくれないことも悩んでたよ。なんか理来ばっかりエロいことしたがってるみたいって」
「鈴音! 俺、そこまでは言ってないだろ!!」
理来がはじかれたように柵から立ち上がる。暗くて分からないけど、きっと真っ赤になっていることだろう。
一方、漣は神妙な顔で額をぽりぽりとかきながら「いや、あの」と言う。
「まあ、あの、それも、理来には得になんないって思ってたことの一つ、で」
「なんで?」
無邪気に聞き返すと、理来が「聞くなよ!!」と珍しく焦った様子を見せる。
しかし漣は「いや、でもこれも大事なことだと思うし、逆に今を逃したら話しにくくなりそうだから」と真面目な顔になった。
「鈴音もBL読むって言ってたし、分かると思うけど、男同士だとまあどっちがどっちをするかみたいなことがあるわけじゃん」
「タチとかウケとかってこと?」
「うん。で、俺らの場合でいくとさ。鈴音から見てどっちがどっちだと思う?」
「お前、何聞いてんの!?」
あわあわしている理来はとりあえず無視して、私も真面目に答える。
「そうだなぁ、やっぱり理来がタチで漣がウケっていうのが自然な気が」
「だよね」
はぁっとため息をついた漣が「でも俺さ」と続ける。
「理来のこと抱きたいわけ」
北風の吹く音が聞こえそうなほどの静けさが公園に訪れる。
なるほど。そういうことか。理来の驚愕の表情を見る限り、たぶん理来も自分が抱く側だと信じて疑っていなかったのだろう。
「それが、理来とそういう関係になることを避けてた理由?」
「うん……いや、別にウケのほうでもいいかなとは思ってたけど、いざってときにさ。絶対俺のほうが力強いし、なんか、理性なくして襲ったりしたら絶対嫌われるよなとか、すげー不安で……」
「嫌わねーし!!」
理来もようやく声を出す。
「別に、そんなの、それこそ別に、言ってくれればよかっただろ」
「言えないよ。なんか理来を相手に俺なんかが図々しいこと思ってるみたいな引け目もあったし。それも実は対等になりたかった理由の一つだったりもする」
「意味分かんねえ……」
これ以上はさすがに首を突っ込むべきではないと判断した私は、今度こそ立ち上がる。
「じゃ、その続きはお二人でお話しください。もう寒いし、私帰るから。とりあえず、ここまできて別れる方向にだけはいかないでよね。私のためにも」
漣がこくりと頷くのを見てようやく安心し、じゃあね、と二人に手を振ると「あ、鈴音」と理来に呼び止められる。
「これさ、なんかこんな感じになると思ってなかったし、今となっては感謝のプレゼントみたいになっちゃうけど」
理来がそう言ってポケットから小さなラッピングされた袋を出す。
「鈴音が本気で告白してくれたって思ってたからさ。俺も、俺なりに本気で付き合うつもりだってことを伝えようと思ってこれ、用意してて」
「え、逆に気を遣わせちゃってごめん。もらっていいの?」
「むしろもらってほしい」
「開けていい?」
「いいよ」
私が袋を開ける手元を漣ものぞきこむ。
可愛いクリスマスカラーの袋から出てきたのは、あのシロツメクサのようなピアスだった。
「これ……」
「昨日、気になってるって言ってたから、今日買いに行ってきた。高校卒業してピアス開けたら使って」
「えー、すっごい嬉しい。絶対つけるー」
「シロツメクサみたいなピアスだな」
漣の言葉にふふっと笑ってしまう。
「だよね。なんか懐かしくない? 二人の結婚式の冠とか思い出しちゃう」
私の言葉に、理来と漣が目を合わせて少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ、今度こそ帰るけど、最後に一言」
こほん、とわざとらしく咳をした私は、二人をじっと見る。
「病めるときも健やかなるときも、えーっと、楽しいときも悲しいときも、あとー、一緒にいるときも離れているときもお互いを愛し、助け合うことを誓いますか?」
「絶対台詞違うだろ」
「いいの。だいたいのニュアンスがあってれば。それで? 誓いますか?」
理来が最初に手を挙げて真面目な顔で「誓います」と言う。
「誓います」
漣もはにかんだように笑って答え、そんな二人に対し、私はにやっとして「じゃあ、誓いのキスを」と続ける。
「しねーし」
「さすがにない」
即効断られ「残念」と笑って肩をすくめた私は、「じゃね」と背を向けて公園の出口に向かって歩き出す。
――これにて、当て馬ガールのミッション終了。
当て馬をやってたことがばれちゃったけど、終わりよければすべてよし。きっとあの二人はもう大丈夫だ。
公園から出て、二十メートルほど歩いたところで、私はポケットからスマホを取り出し、発信履歴から目的の番号を見つけてタップし、耳に当てる。
『もしもーし』
「もしもーし! 何してた?」
『息抜きにBLアニメ見てた。鈴音は何してたー?』
哉子の声に、ふいに涙腺が緩む。
「私は気分転換に散歩中」
『え、この寒いのに? 強者すぎるわ』
「でしょー」
さっきみたいにボロボロと出てくるのではなく、うっすらとにじんでくる涙を指でぬぐいながら、私は明るい声を保ったままスマホに話しかける。
「ねえ、受験が終わったらさ、またなんかBL漫画貸してよ」
『もっちろんです! どう、そろそろアダルトなのいく?』
「それもいいけど、読みたいのがあって」
『お、なになに?』
「なんかさ、当て馬が幸せになる話が読みたい」
『あー、スピンオフでよくあるね! オケオケ』
よくあるのか、と励まされる気分になりながら、私は訊ねる。
「ね、哉子はさ、当て馬の定義って知ってる?」
『定義なんてあんの?』
「うん。前に見たことあって、まあ、そのまんまなんだけどさ。カップルを盛り上げるためだけに振られるキャラで」
『身も蓋もないやつ』
「それで、片思いとかの恋愛感情がない場合に使うのは間違いなんだって」
『そっかー、まあ主人公の片方を好きじゃなければ当て馬になんないもんね』
屈託なく答える哉子の声を聞きながら私は夜空を見上げる。
そういう意味でも、私は、完璧な当て馬だった。
だからいつか、私にもスピンオフのような素敵な恋愛が訪れるはずだ。そうして、理来と手をつないだことも、理来が真剣な顔で告白してくれたことも、理来が可愛いピアスをプレゼントしてくれたことも、こうして泣きながら夜空を見上げて歩いていることも、そのすべてが素敵な青春の思い出となる日がきっと来る。
「あとさ。私冬休み中にピアスあけようと思って」
『え、そうなの?』
「哉子が前に、ピアスの穴が安定するまで三カ月くらいかかったって言ってたでしょ。だから、今開けたら春には可愛いピアスできるかなって」
『確かに、せっかく大学からはおしゃれできるんだし、可愛いピアスしていきたいよね』
「ね」
話しているうちに涙も少しずつ乾いていく。
この恋で泣くのは今日で終わり。
そして春には、シロツメクサのようなこのピアスをつけて、とびきりの笑顔で理来を送り出すのだ。
*
スマホからLIMEの着信音が鳴った。
BL漫画を読んでいた手を止めて、スマホをテーブルから取り上げる。
それは漣からで、部屋の真ん中に重ねられた段ボールに腰かけてピースしている理来の写真が届いていた。
昨日、理来と漣は一緒に北海道に向かった。引っ越しを手伝うという名目で、漣も二週間ほど過ごしてから帰ってくるらしい。
聞いたときに『やらしー』と言ったら『やらしいっていうやつがやらしいんですー』と小学生のような返しを理来にされたが、いろんな意味で仲を深める二週間になることは間違いないのだろう。
あのあとどのような話し合いがされたのかは分からないけど、またちゃんと付き合うことになったという報告だけは二人から受けた。タチとウケの問題はどうなったのかが一番気になるところではあったけど、さすがに聞くことを我慢した私は、少しは成長したと言えるかもしれない。
【部屋の中見たい!】
そう返信すると、すぐにLIME電話がかかってきた。ビデオ通話にすると、画面にぱっと漣のドアップが映る。
「やほー」
『どもー。まだ全然片付いてないけど、とりあえず案内するわ』
漣の後ろで、ここ俺ん家なんだけど?と理来が言っているのが聞こえる。
『狭いから一分で終わるなー』
そう言いつつ、漣がカメラを切り替えて『まず玄関』と見せてくれる。
「ほうほう。靴箱ちゃんとあるんだね」
『そうそう、意外にいっぱい入る。んで、廊下の右側にトイレとか風呂とか』
白のシンプルなユニットバスがうつる。
『で、ここが台所で……すごい狭いけど、まあ理来がそんなに自炊するとも思えないしな。で、リビングっていうか寝室っていうか、とにかく部屋』
段ボールを開けていた理来がこちらに向かってピースをし、ははっと漣が柔らかい声で笑う。
「ベッド置くの?」
『置く予定だって。下に収納ついてるやつ。でも配達が来週だからとりあえず今日は布団』
「布団はおひとつ……?」
『親が二つ持たせてくれたよ』
「一つの布団で一緒に寝たほうがあったかいんじゃない? まだ北海道寒そうだし?」
『うるせーぞ、鈴音』
理来が段ボールから雑貨などを出しながら言ってくる。こっちを見ないのは照れているからだろうか。
『ま、こんな感じ。また片付いたらどんな感じか見せるから』
漣がまたインカメラに切り替えて、自分の顔を映す。
「楽しみにしてるー。お手伝い頑張ってね。おーい、理来も頑張ってね」
『おー。またな』
「じゃねー」
手を振り、そのまま切ろうとすると、漣が『あ、鈴音』と声をかけてきた。
「なに?」
『昨日、空港で言いそびれたんだけどさ』
「うん」
『そのピアス、似合ってる』
漣がにこっとして耳を指をさし『理来もそう言ってたよ』と教えてくれる。
私は、昨日初めてつけたピアスがよく見えるように斜め横を向いて笑顔になる。
「でしょー? 男子受けするなら大学にもつけていかないとだな」
『おい鈴音、男子受けはいいけどさ、マジで大学で彼氏作るってなったら、まず漣に見てもらえよ。ほんと鈴音って男見る目なさそうで不安だわ。すぐ騙されそう』
言いながら理来が画面に割り込んできた。
理来がそれを言うか、と笑ってしまう。
「そんなことないって。男見る目あると思うけどな、私」
『いや、不安しかない』
「だってさ、ずーっと理来と漣と一緒にいたのよ?」
画面の二人を見て首を傾げると耳元でピアスのビーズがシャラッと音をたてた。
「二人以上の男じゃないと付き合おうと思えないもん、私」
『あーそりゃごめん。もう鈴音は彼氏できないわ』
『できないな』
「それは俺以上の男がいないっていうナルシスト発言なのか、俺の彼氏以上の男がいないっていう惚気発言なのか、どっちよ」
私の問いに、漣が笑いながら「どっちも」と答え、理来がニヤニヤとする。
幸せそうな様子を見せつけられた私は「見てろよー!」とさっきまで読んでいたスピンオフのBL漫画を手に取って胸に抱える。
「当て馬こそ、最後に最高の相手と結ばれるのがお決まりなんだからね!」
Fin.
そう言いかけると「俺もしたくない」と理来が漣を見たまま遮った。
「なんで?」
訊ねる私にようやく理来が視線を向けてくる。
「鈴音にとっては遊びだったかもしれないけど、少なくとも俺にとっては、あの結婚式は遊びじゃなかったからだよ」
淡々とした言葉とこちらを見る目の真剣さに私はいったん黙る。
「確かにまだ、恋愛とかそんなものは何も分かってなかったけど、それでも漣とずっと一緒にいて、泣かせないようにしていきたいって子どもなりにあのとき真剣に思ってたよ、俺」
漣がその言葉を聞きながらゆっくりとうつむく。
「……その真剣な結婚式を、私なんかで上書きはしたくないってこと?」
「したくないっていうか……、乗り気じゃない漣に無理やり協力させたって、それがいい思い出になるわけないだろ」
「なんか、私の気持ちよりも漣の気持ちを優先されてるみたいで、ムカつく」
「そういうわけじゃないって。冷静に考えろよ。嫌がってる相手を自分の思い通りにさせて、それで満足できんのか?」
「満足できるよ」
もう一息だ、と私はみぞおちに力をこめて、柵に腰かける理来と突っ立ったままの漣を順に見る。
理来には、こんな面倒くさい女とは付き合いたくないって思われるように。漣には、こんな嫌な女には理来を渡したくないって思われるように、さらに無神経に振舞わねば。
「理来はもう私のものなんだって、漣に分かって――」
「鈴音」
理来が私の言葉に被せるように低い声で名前を呼び、こちらをじっと見据える。
それ以上余計なことを言うな、ということだろう。理来と付き合っていたことを知られたくない漣を傷つけないために。
それを理解しながら、私は理来からの圧を無視して再び言葉を重ねる。
「――私のものだって漣に分かってほしいから。それに、理来も漣もそのほうが気持ちの整理がつくでしょ」
理来の目に戸惑いとともに怒りが浮かんでくるのをじっと見ていると「……鈴音、それは、どういう」とぎこちない声がした。
ブランコに座ったまま漣を見上げると、不安げな瞳と目があった。
ごめんね、と心の中で謝りながら、私は真顔で答える。
「理来から聞いたんだけどー」
「俺が、漣を好きだったって話だよ」
理来が再び語気強く私の発言を遮って、ちらっと漣を見る。
「俺がずっと漣に片思いをしてたって話を鈴音にしただけ。そうだよな、鈴音」
「え、でも……」
「そうだろ。実際そうなんだって。俺が勝手に好きだっただけ。だから鈴音が漣にそんなことを言うのは的外れだし、それこそ漣には迷惑でしかないって」
「理来だけが好きだったってわけ? そうとは思えないけど」
「そうだって言ってるだろ。漣を巻き込むな。マジで」
「ねぇ、漣。理来はこう言ってるけど、ほんと? ほんとに理来のことなんとも思ってないの?」
「鈴音!」
理来がついに柵から立ち上がって大きな声を出す。
「漣を巻き込むなって言ってるだろ! 漣は俺のことなんとも思ってないんだって! 何度も言わせるなよ!」
「でも、付き合うならそこははっきりさせたいし」
「だから! 俺が、一方的に好きだっただけで、漣は関係ないって言ってるだろ! これ以上何をはっきりさせる必要があるんだよ!」
「理来」
そこまでやりとりを黙って聞いていた漣が静かに名前を口にして、理来のほうに一歩足を踏み出す。
理来がはっとしたように漣を見て、私も祈るように漣へと目を向ける。
必死に漣をかばう理来を見て、心を動かされてくれていたらいい。
お前だけじゃない。俺だって好きだった。そんなふうに言ってくれたらいい。
こんな鈴音には理来は任せられないって、そう――。
「ふざけんなよ」
しかし、漣はぐいっと手を伸ばしたかと思うと理来のジャケットの胸ぐらをつかんで、どすの効いた低い声で怒りを顕わにした。
「鈴音の気持ちを考えろよ。理来のことが好きで、だから不安なんだろうが。それなのに無神経なことばっか言いやがって」
「いや……だって」
「だってじゃねーよ。俺が理来をどう思ってるのかなんて関係ねーんだよ。理来が鈴音をどう思ってるのかが大事なんだろ。付き合うって言うなら、今は鈴音が大事だって、そう鈴音に思わせてやるのが理来の役目だろうが」
睨みつける漣の前で、理来が無言のままうなだれ、私はそんな二人を見ながら、おや?となる。
こんなはずじゃなかった。
告白を受け入れてもらったにせよ、断られたにせよ、最終的に嫉妬深くてめんどくさくて空気の読めない私を演じれば、理来と漣はきっと不安になったり怒ったりしてくるだろうと思っていた。
そこに乗じて本音を引き出したところで最後は『結局お互いに好きなんじゃん』とでも言って、二人がそこまで真剣なら私は身を引きますよ、と応援する側に回るという感じでシミュレーションしていたのだ。
それなのにまさか、漣が私の味方になるとは。
この展開は考えておらず、次にどうすればいいのか分からないで立ちすくむだけの私の前で、漣がつかんだ胸ぐらを揺する。
「鈴音がどれだけ長い間、理来のこと好きだったと思ってんだよ!」
――ん?
思わぬ台詞に、私は漣を見つめる。
「理来は鈍感だから気付かなかっただけで、ずっと、ずっと鈴音は」
言いながら泣きそうになる漣の言葉に、理来がゆっくりと顔をあげ、申し訳なさげに私を見る。
「ずっとって……いつから?」
「何年も前からだよ!」
漣が私の代わりに怒鳴るように答える。
「だって、そんな……そんな素振りなかった……」
「だから、ちゃんと鈴音と向き合えって言ってんだよ。俺がどうこうとか、そういう話じゃない。今大事なのは鈴音と理来の話だろ」
理来は視線を戻して真剣な瞳で漣と見つめ合い、そして「ごめん」とぽつりとつぶやいた。
「そうだな。鈴音の気持ちをちゃんと聞くべきだった―――」
「ちょっと!! なんでそうなんの!?」
どうにも我慢できなくなった私は、ブランコから勢いよく立ち上がり、計画などその辺に放り投げて割り込んだ。
*
「違うでしょ? そこで、でも俺はやっぱり漣が大事だからって言わないと!」
理来と漣が見合わせていた顔を、私のほうへ怪訝そうに向ける。
「もうちょっと頑張んなよ!! なんで丸め込まれてんの? だいたいさ、漣だってこの流れで私の味方をするのはおかしいじゃん? 理来がさ、あんだけ好きだったのは自分だけだって、漣のことを巻き込まないように頑張ってんのに、それを無視して私のこと考えろとか、マジ空気読めなさすぎなんだけど!?」
漣が理来のジャケットからゆっくり手を離す。
「しかも優しすぎんのよ! どう見ても、私、嫌なやつだったでしょ? 漣にマウント取ろうとして、嫌なことさせようとして。なのに、なんでそんな私のことかばうの!?」
言っている間に、なぜか涙がこみあげてくる。
「私は二人に!! 幸せになってほしいの!! 私じゃないの!! 理来と漣に幸せになってほしいの!!」
理来も漣も呆然と、仁王立ちのままボロボロと涙を流す私を見ていた。
「理来は漣を好きで、漣は理来を好きで、なんでそれなのに、なんでそんなよく分かんないことになっちゃうのよ!!」
「だって……だって」
私を見ていた漣の目が揺れる。
「鈴音は理来のこと好きだっただろ。ずっと。だから俺、鈴音と理来がうまくいくなら、それが一番、いいって」
「好きじゃないもん!!」
「でも、最近態度にも出てたし……」
「理来と漣にくっついてほしかったけど、私が何を言ったって、二人とも否定するばかりだったから、じゃあ、当て馬になろうって、だから、わざと理来のこと好きなふりして、漣が嫉妬して、それで、気持ちが抑えられなくなるようにって、そうやって、ずっと」
「当て馬?」
「当て馬ですけど、何か!?」
話しているうちにすべてぶち壊しにした自分への情けなさとか、二人を傷つけてしまったかもという罪悪感だとかで、ついに逆切れしながら号泣してしまう。
漣が焦ったように「泣くなよー」と私の涙をジャケットの袖で不器用に拭ってくれる。正直痛い。
理来はそんな漣と私を困り顔で見ていたが、少し経ってからおそるおそる「鈴音」と声をかけてきた。
「鈴音が、俺を好きだって言ったのは、俺と漣の仲を取り持つための嘘だったってことか」
「そうですー!」
「でも、さっき……漣が何年も前からって」
「知らないよ。なんか勘違いしてんでしょ」
「勘違いじゃない。中三のバレンタインのとき」
漣がようやく涙を拭くのをやめてくれる。
「理来宛てのチョコを渡してってお願いした子に、いやだって断ってるところ、たまたま見ちゃって」
「……」
「で、その相手の子に、自分が理来を好きだから渡さないんでしょって言われて、そうだけどって、鈴音が言ってたから」
よりによって漣にそんなところを見られてしまっていたのかと、心の中でため息をつく。
「それ、漣に渡してって言われたときにも、同じように断ってたし、漣のこと好きなんでしょって言われたら、やっぱり肯定してたけどね。否定したって嘘だって言われるだけだし二人のこと好きなのは本当だもん。幼馴染として」
「え」
そうなんだ、と呟く漣に、聞いてみる。
「もしかして、私が理来を好きだと思ってたから、私に譲るために理来と別れようと思ったってこと?」
口にしてから、はっとして慌てて付け足す。
「あ、黙ってて悪かったけど、私、二人の別れ話をたまたま立ち聞きしちゃって、二人が付き合ってたことも知ってるんだ。でも、漣は知られたがってないからって、理来に口止めされてて、それで、でも、えーと……ごめんね」
理来が心配そうに漣を見るが、漣は「そうだったんだ」と、ふっと笑った。
「だから理来のフォローしてくれてたんだな。ずっと」
「そういうこと」
「あーでも、俺、別に鈴音のために身を引いたっていうのは、正直なところなくて。もし鈴音のためって言うなら理来ととっくに別れてたはずだけど、ごめん。そこは譲れなくて」
「さりげなく惚気るじゃん」
「いや、まあ……でも、とにかく、鈴音のためでもないし、鈴音のせいでもない。なんていうか、俺の問題で」
そこで言葉を途切れさせた漣が、ゆっくりとまたブランコのところに戻って腰かける。それを見た私と理来も、それぞれブランコと柵に座り直す。
「……つまり、ただ、俺と続けたくなくなったってことだよな」
理来が静かに訊ねるのに、漣は首を横に振った。
「俺、離れて自分たちの関係を見直したいとは言ったけど、別れたいとは言わなかったよ」
「でも、恋愛感情かどうか見極めたいとか、結局俺らの関係に納得がいってなかったからってことなんじゃねーの」
「納得は確かにいってなかった」
「男同士だから不安があったとか?」
私の問いにも、漣は首を振る。
「そこについては今さら悩んだりしない。小さい頃から理来のことを好きだったから、俺にとって自然なことだったし」
「好きだったなら、じゃあなんで?」
漣は少し黙ったあと、ゆっくりと語り出した。
「最初にちょっと引っかかったのは、高校受験のとき。理来が、俺と一緒の高校に行くためにわざわざランクを二つくらい落としてさ。通いやすいからとか指定校推薦狙うためとか言ってたけど、理来ならもっと上の学校でも十分狙えたはずだし、なんか、そこで。俺の存在って、理来にマイナスじゃんって思っちゃって」
「そんなことねーよ」
理来が否定するのに「まあ理来がそう言うことは分かってたし、だから言ってもしょうがないって思ってた」と漣がちょっと笑う。
「で、俺のほうは理来に勉強教えてもらって、実力より上の高校に入って、憧れてた野球チームでプレイできて。嬉しかったよ。嬉しかったけどさ、なんつーのかな。自分が何も返せないっていうのが、なんか、ずっと辛かったし、あと、理来は高校でもやっぱすごくて、一目置かれててさ。なのに、万が一にでも俺と付き合ってるなんて思われたら、そんな理来の評判を下げるんじゃないかって、それも怖かった」
だから、必要以上に理来とは距離をとっていたのかと納得する。
「それで、指定校推薦の話があったときに、理来がまた俺に聞いてきて俺の進路に合わせて選ぼうとしてるのを見てこれじゃだめだって」
漣がうつむき加減になりながら続ける。
「これ以上理来の人生を俺が邪魔するようなことしちゃいけないって思ったから、理来が行きたいところに行ってほしいって言って。あと、離れたところを選んだのは、俺も、理来と離れてもちゃんとやっていけるって、そういうところを見せたいっていうのがあったからでさ。なんていうのかな。俺、ちゃんと理来と対等でいられる男になりたかったんだよ」
周りから見ている分にはちゃんと対等に見えていたけど、漣はずっとコンプレックスを抱えていたってことなのか、と涙が乾いたところが北風にさらされてピリピリするのを感じながら私は思う。
こればっかりは本人の意識の問題だし、他人から何か言われたからといって、すぐに納得できるものでもないだろう。
理来も何を言えばいいのか分からないようで、首を少し傾げたまま漣を見ていた。
「でも、離れるって決めてたのに、鈴音が急に理来のことを好きだって態度を分かりやすく見せ始めたから、正直かなり揺れた。北海道行こうかな、とか言うしさ。そんなことになったら、理来も鈴音のこと好きになるかもって思ったし。ただ、その分、これまでにないぐらい真剣に自分はどうするべきなのかって考えられたから、だから、鈴音が当て馬のふりをしてくれて、すごく良かったんだと思う」
「そっか。なんか、当て馬の頑張りが報われた気分。理来は全然気づいてないっぽかったけど」
私の言葉に、漣が笑い、理来がちょっと情けない顔になる。まあ、しょうがないだろう。理来は漣のことしか見えていなかったんだから。
「で、やっぱり離れようって決めたわけだけど、ちゃんと理来に説明できなくて。あのときはこんな情けないことを言うのも嫌だったし、別れるって話になったときも、もともと理来のためにはそのほうがいいのかもって気持ちがどっかにあったから、しょうがないよなって感じで」
「……それで、今は?」
理来が問いかける。
「そういう話をしてくれてんのは、俺と別れてもう気持ちも整理できたからってことか?」
「いや、鈴音がここまでやってくれたのに、いらない意地を張るべきじゃないって思ったから」
「つまり―――!?」
身を乗り出して訊ねると、漣がくくっと笑う。
「理来のことがやっぱ好きってことです」
理来がほっとしたように目を閉じて、大きく息を吐く。
「良かった。俺も同じ」
二人の告白を聞いて、あぁ、頑張ったかいがあったと思わず頷きながら拍手してしまう。
そして、じゃああとは若いお二人で、と立ち上がろうとしたところで、そういや理来がめっちゃ気にしてたことがあったなと思い出す。
たぶん、理来は漣が大事であるがゆえに、気になっていてもこれからも聞けないだろうと思った私は、頭は悪くないけど考えなしな鈴音として、口を開く。
「そういえばさ、理来は漣のほうから触ったりしてきてくれないことも悩んでたよ。なんか理来ばっかりエロいことしたがってるみたいって」
「鈴音! 俺、そこまでは言ってないだろ!!」
理来がはじかれたように柵から立ち上がる。暗くて分からないけど、きっと真っ赤になっていることだろう。
一方、漣は神妙な顔で額をぽりぽりとかきながら「いや、あの」と言う。
「まあ、あの、それも、理来には得になんないって思ってたことの一つ、で」
「なんで?」
無邪気に聞き返すと、理来が「聞くなよ!!」と珍しく焦った様子を見せる。
しかし漣は「いや、でもこれも大事なことだと思うし、逆に今を逃したら話しにくくなりそうだから」と真面目な顔になった。
「鈴音もBL読むって言ってたし、分かると思うけど、男同士だとまあどっちがどっちをするかみたいなことがあるわけじゃん」
「タチとかウケとかってこと?」
「うん。で、俺らの場合でいくとさ。鈴音から見てどっちがどっちだと思う?」
「お前、何聞いてんの!?」
あわあわしている理来はとりあえず無視して、私も真面目に答える。
「そうだなぁ、やっぱり理来がタチで漣がウケっていうのが自然な気が」
「だよね」
はぁっとため息をついた漣が「でも俺さ」と続ける。
「理来のこと抱きたいわけ」
北風の吹く音が聞こえそうなほどの静けさが公園に訪れる。
なるほど。そういうことか。理来の驚愕の表情を見る限り、たぶん理来も自分が抱く側だと信じて疑っていなかったのだろう。
「それが、理来とそういう関係になることを避けてた理由?」
「うん……いや、別にウケのほうでもいいかなとは思ってたけど、いざってときにさ。絶対俺のほうが力強いし、なんか、理性なくして襲ったりしたら絶対嫌われるよなとか、すげー不安で……」
「嫌わねーし!!」
理来もようやく声を出す。
「別に、そんなの、それこそ別に、言ってくれればよかっただろ」
「言えないよ。なんか理来を相手に俺なんかが図々しいこと思ってるみたいな引け目もあったし。それも実は対等になりたかった理由の一つだったりもする」
「意味分かんねえ……」
これ以上はさすがに首を突っ込むべきではないと判断した私は、今度こそ立ち上がる。
「じゃ、その続きはお二人でお話しください。もう寒いし、私帰るから。とりあえず、ここまできて別れる方向にだけはいかないでよね。私のためにも」
漣がこくりと頷くのを見てようやく安心し、じゃあね、と二人に手を振ると「あ、鈴音」と理来に呼び止められる。
「これさ、なんかこんな感じになると思ってなかったし、今となっては感謝のプレゼントみたいになっちゃうけど」
理来がそう言ってポケットから小さなラッピングされた袋を出す。
「鈴音が本気で告白してくれたって思ってたからさ。俺も、俺なりに本気で付き合うつもりだってことを伝えようと思ってこれ、用意してて」
「え、逆に気を遣わせちゃってごめん。もらっていいの?」
「むしろもらってほしい」
「開けていい?」
「いいよ」
私が袋を開ける手元を漣ものぞきこむ。
可愛いクリスマスカラーの袋から出てきたのは、あのシロツメクサのようなピアスだった。
「これ……」
「昨日、気になってるって言ってたから、今日買いに行ってきた。高校卒業してピアス開けたら使って」
「えー、すっごい嬉しい。絶対つけるー」
「シロツメクサみたいなピアスだな」
漣の言葉にふふっと笑ってしまう。
「だよね。なんか懐かしくない? 二人の結婚式の冠とか思い出しちゃう」
私の言葉に、理来と漣が目を合わせて少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ、今度こそ帰るけど、最後に一言」
こほん、とわざとらしく咳をした私は、二人をじっと見る。
「病めるときも健やかなるときも、えーっと、楽しいときも悲しいときも、あとー、一緒にいるときも離れているときもお互いを愛し、助け合うことを誓いますか?」
「絶対台詞違うだろ」
「いいの。だいたいのニュアンスがあってれば。それで? 誓いますか?」
理来が最初に手を挙げて真面目な顔で「誓います」と言う。
「誓います」
漣もはにかんだように笑って答え、そんな二人に対し、私はにやっとして「じゃあ、誓いのキスを」と続ける。
「しねーし」
「さすがにない」
即効断られ「残念」と笑って肩をすくめた私は、「じゃね」と背を向けて公園の出口に向かって歩き出す。
――これにて、当て馬ガールのミッション終了。
当て馬をやってたことがばれちゃったけど、終わりよければすべてよし。きっとあの二人はもう大丈夫だ。
公園から出て、二十メートルほど歩いたところで、私はポケットからスマホを取り出し、発信履歴から目的の番号を見つけてタップし、耳に当てる。
『もしもーし』
「もしもーし! 何してた?」
『息抜きにBLアニメ見てた。鈴音は何してたー?』
哉子の声に、ふいに涙腺が緩む。
「私は気分転換に散歩中」
『え、この寒いのに? 強者すぎるわ』
「でしょー」
さっきみたいにボロボロと出てくるのではなく、うっすらとにじんでくる涙を指でぬぐいながら、私は明るい声を保ったままスマホに話しかける。
「ねえ、受験が終わったらさ、またなんかBL漫画貸してよ」
『もっちろんです! どう、そろそろアダルトなのいく?』
「それもいいけど、読みたいのがあって」
『お、なになに?』
「なんかさ、当て馬が幸せになる話が読みたい」
『あー、スピンオフでよくあるね! オケオケ』
よくあるのか、と励まされる気分になりながら、私は訊ねる。
「ね、哉子はさ、当て馬の定義って知ってる?」
『定義なんてあんの?』
「うん。前に見たことあって、まあ、そのまんまなんだけどさ。カップルを盛り上げるためだけに振られるキャラで」
『身も蓋もないやつ』
「それで、片思いとかの恋愛感情がない場合に使うのは間違いなんだって」
『そっかー、まあ主人公の片方を好きじゃなければ当て馬になんないもんね』
屈託なく答える哉子の声を聞きながら私は夜空を見上げる。
そういう意味でも、私は、完璧な当て馬だった。
だからいつか、私にもスピンオフのような素敵な恋愛が訪れるはずだ。そうして、理来と手をつないだことも、理来が真剣な顔で告白してくれたことも、理来が可愛いピアスをプレゼントしてくれたことも、こうして泣きながら夜空を見上げて歩いていることも、そのすべてが素敵な青春の思い出となる日がきっと来る。
「あとさ。私冬休み中にピアスあけようと思って」
『え、そうなの?』
「哉子が前に、ピアスの穴が安定するまで三カ月くらいかかったって言ってたでしょ。だから、今開けたら春には可愛いピアスできるかなって」
『確かに、せっかく大学からはおしゃれできるんだし、可愛いピアスしていきたいよね』
「ね」
話しているうちに涙も少しずつ乾いていく。
この恋で泣くのは今日で終わり。
そして春には、シロツメクサのようなこのピアスをつけて、とびきりの笑顔で理来を送り出すのだ。
*
スマホからLIMEの着信音が鳴った。
BL漫画を読んでいた手を止めて、スマホをテーブルから取り上げる。
それは漣からで、部屋の真ん中に重ねられた段ボールに腰かけてピースしている理来の写真が届いていた。
昨日、理来と漣は一緒に北海道に向かった。引っ越しを手伝うという名目で、漣も二週間ほど過ごしてから帰ってくるらしい。
聞いたときに『やらしー』と言ったら『やらしいっていうやつがやらしいんですー』と小学生のような返しを理来にされたが、いろんな意味で仲を深める二週間になることは間違いないのだろう。
あのあとどのような話し合いがされたのかは分からないけど、またちゃんと付き合うことになったという報告だけは二人から受けた。タチとウケの問題はどうなったのかが一番気になるところではあったけど、さすがに聞くことを我慢した私は、少しは成長したと言えるかもしれない。
【部屋の中見たい!】
そう返信すると、すぐにLIME電話がかかってきた。ビデオ通話にすると、画面にぱっと漣のドアップが映る。
「やほー」
『どもー。まだ全然片付いてないけど、とりあえず案内するわ』
漣の後ろで、ここ俺ん家なんだけど?と理来が言っているのが聞こえる。
『狭いから一分で終わるなー』
そう言いつつ、漣がカメラを切り替えて『まず玄関』と見せてくれる。
「ほうほう。靴箱ちゃんとあるんだね」
『そうそう、意外にいっぱい入る。んで、廊下の右側にトイレとか風呂とか』
白のシンプルなユニットバスがうつる。
『で、ここが台所で……すごい狭いけど、まあ理来がそんなに自炊するとも思えないしな。で、リビングっていうか寝室っていうか、とにかく部屋』
段ボールを開けていた理来がこちらに向かってピースをし、ははっと漣が柔らかい声で笑う。
「ベッド置くの?」
『置く予定だって。下に収納ついてるやつ。でも配達が来週だからとりあえず今日は布団』
「布団はおひとつ……?」
『親が二つ持たせてくれたよ』
「一つの布団で一緒に寝たほうがあったかいんじゃない? まだ北海道寒そうだし?」
『うるせーぞ、鈴音』
理来が段ボールから雑貨などを出しながら言ってくる。こっちを見ないのは照れているからだろうか。
『ま、こんな感じ。また片付いたらどんな感じか見せるから』
漣がまたインカメラに切り替えて、自分の顔を映す。
「楽しみにしてるー。お手伝い頑張ってね。おーい、理来も頑張ってね」
『おー。またな』
「じゃねー」
手を振り、そのまま切ろうとすると、漣が『あ、鈴音』と声をかけてきた。
「なに?」
『昨日、空港で言いそびれたんだけどさ』
「うん」
『そのピアス、似合ってる』
漣がにこっとして耳を指をさし『理来もそう言ってたよ』と教えてくれる。
私は、昨日初めてつけたピアスがよく見えるように斜め横を向いて笑顔になる。
「でしょー? 男子受けするなら大学にもつけていかないとだな」
『おい鈴音、男子受けはいいけどさ、マジで大学で彼氏作るってなったら、まず漣に見てもらえよ。ほんと鈴音って男見る目なさそうで不安だわ。すぐ騙されそう』
言いながら理来が画面に割り込んできた。
理来がそれを言うか、と笑ってしまう。
「そんなことないって。男見る目あると思うけどな、私」
『いや、不安しかない』
「だってさ、ずーっと理来と漣と一緒にいたのよ?」
画面の二人を見て首を傾げると耳元でピアスのビーズがシャラッと音をたてた。
「二人以上の男じゃないと付き合おうと思えないもん、私」
『あーそりゃごめん。もう鈴音は彼氏できないわ』
『できないな』
「それは俺以上の男がいないっていうナルシスト発言なのか、俺の彼氏以上の男がいないっていう惚気発言なのか、どっちよ」
私の問いに、漣が笑いながら「どっちも」と答え、理来がニヤニヤとする。
幸せそうな様子を見せつけられた私は「見てろよー!」とさっきまで読んでいたスピンオフのBL漫画を手に取って胸に抱える。
「当て馬こそ、最後に最高の相手と結ばれるのがお決まりなんだからね!」
Fin.