店内のクーラーは効き過ぎ。
 窓際の席は壁一面の窓のせいで、太陽の日差しを浴びまくり。
 俺の目の前には、何の飾りっけもない最低価格のハンバーガーと、LサイズのポテトとこれまたLサイズのコーラと(りつ)先輩。

 単純に暑いせいか、ここに入る前に炎天下の中結構な距離歩いたせいで熱中症にでもなりかけているのか、体温調節が上手くいかなくてちょっと気分が悪い。部活もせずに、放課後はダラダラと同じく帰宅部の連中とだらけていたツケが一気に来たって感じ。大体、近場の店にしてくれたら良かったのに(俺は普段、学校から5分のマ〇クをたまり場にしている)、先輩は学校の人に見られるのがイヤだと言って、わざわざ電車で3駅行った先――更に駅近くではなく、もっと離れた先の住宅街寄りのとこまで連れて来られたものだから、俺のなけなしの体力はすっかり底をついてしまった。

 いつも友達と来る時は、喋りながら気づいたら3個くらいは食ってるバーガーの一つも喉を通らない始末だ。仕方がないので、脂ぎったポテトを定期的に口の中に放り込みながら、たまにコーラを吸い上げる。ズズっと、騒がしい店内にしては俺の吸い上げる音が気まずく耳に響いた。
 
 先輩とは、この店に入ってから一切口をきいていない。
 注文をする時ですら、先輩は俺の意思なんて訊こうともしなかった。俺が今日は何にしようかと、見慣れたメニューの中から気分に合わせたチョイスを考えている間に、さっさと俺の分まで勝手に決めて席についてしまった。
 まあ、おごってもらったから文句は言えないけど。

(何か怒らせるようなことしちまったかなー)

 律先輩の不可解な行動に、一通り自分の言動を振り返ってみるが、思い当たる節がない。いや、むしろあり過ぎると言うべきか。 
 そもそもこの先輩は、元々極端に口数が少なく、その上俺といる時は大体不機嫌なのだ。
 いかにも生真面目そうな、キリっと引き結んだ唇。
 眼鏡の奥の綺麗に整った涼やかな目元。
 基本無表情な先輩がその表情を変える時は、大体が俺の騒がしさに鬱陶しいなと眉を顰めている時くらいのものだ。
 
 なんでそんな先輩を好きなのかって?
 そりゃあ、圧倒的に顔が好みだから。
 知的な黒髪清楚系美人。俺の好みのドストライク。
 俺自身が高校入学を機にオシャレに目覚めて、髪を派手に染めてふわふわのパーマかけて、ピアス空けてって、結構チャラい感じに仕上げちまったもんだから、寄って来る女子も大体そんな感じ。気軽に遊ぶ分には良かったけど、俺のタイプとは真逆だった。
 そんな中で出会っちまった、俺の理想そのものが律先輩だったってワケ。
 廊下で佇む、儚げで美しいその姿に一目ぼれしてからというもの、男同士だなんてこと頭の片隅に放ったらかして、俺は押して押して押しまくった。

 先輩が図書委員だと知れば、読書なんて小学校の夏休みの宿題の読書感想文の時くらいしかしたことのなかった俺が、毎日通いつめ、本の貸し借りを通じて顔と名前を見知ってもらうことから始まり、先輩の委員会が終わるのを待って告白してみたり、下手くそな字で手紙書いたり、連絡先ゲットしてからは毎日どんなくだらないことでも、スタンプ一つでも先輩とのやり取りを重ねて、半年ぐらい経ったところで、やっとのことでお付き合いをOKして貰ったのだった。
 はじめは顔だけ見た目だけって感じだったけど、それだけ追いかけ回してれば、先輩の外側だけじゃなくて中身にだって好きなとこをいっぱい見つけて、今の俺はもうすっかり先輩のまるごと好きだって言えるようになったけど、正直先輩が同じくらい俺のこと好きになってくれたかって言うと、俺にはちっともその自信はない。
 先輩が俺と付き合ってくれた理由で思いつくことと言えば、うるさいから根負けした、程度のことしかない。
 
(ああまた凹んで来た)

 ここんとこ、ずっとそんな感じ。
 付き合ってもらって浮かれてた時期は、俺の矢印が一方通行でも全然気にならなかった。でも今は、付き合ってからもう三か月は経ったんだし、ほんのちょっとくらい先輩に変化があってもいいと思う。一般的なカップルなら、三か月記念でもやってる時期に、俺たちは気まずい空気の中ファーストフード店で沈黙している。
 こうなるのが嫌で、最近は前ほど先輩のところに押しかけてはいない。学年も違って、三年で委員会もやめてしまった先輩とは、わざわざ会いに行かない限り、滅多に学校で顔をあわせることはない。特に、付き合っていることを学校では隠したいという先輩は、偶然学内で会えた時だって、俺を無視する徹底ぶりだ。一応LI〇Eとかで毎日声をかけてはいるけど、先輩は受験生だしバイトもしてるから、なかなか予定が合わないし、昔は断れられても無視して突撃したりしてたけど、付き合ってからもそれは流石に迷惑だろうと思ってやってない。先輩の邪魔にならないように、嫌われないようにって。気を遣えば遣うほど、俺たちの距離は遠くなってしまった気がする。

(今日は珍しく先輩から誘ってくれたから、浮かれてたのになあ、俺)

 残念なのと、ちょっとイラついたのとでトレイを指先で軽く弾くと、その音に反応した先輩がつまらなさそうに窓の外にやっていた視線を俺に戻す。不快そうに眉根を寄せた穿破にビクついた俺は、なんとなくヘラっと意味もなく笑ってしまった。
 目が合ったついでに、何か喋ろうと思う。
 学校のこと、友達のこと、家のこと。
 どれから喋ろうか、どれが一番先輩の気を引けるんだろうかと迷っている間に、先輩がまたふいっと俺から目を逸らす。
 俺に向けられるのは、無表情――ならまだいい。むしろ、退屈そうな横顔ばかりになってしまった。

(嫌ならこんなとこ連れてくんなよな)

 大体何で久々のデートがこんな場所なんだって思う。
 学校帰りのファーストフードなんて、先輩と会わない日はそれこそ毎日レベルで通っているような場所で、恋人と来るような場所じゃない。先輩とはもっと、ちゃんとした場所に行くもんだと思ってた。数日前から予定を組んで、待ち合わせして、気取ったレストランとまでは言わなくても、最近動画でバズってたデートに人気の店とかさ。
 そこになんの差があるんだって訊かれたら、うまく答えられないんだけど、先輩はファーストフードなんて嫌いなはずだし(先輩のもってきているお弁当はいつもお母さんの手作りだ)、落ち着かない店内の騒々しさは、先輩の苦手な雰囲気に違いない。その証拠に、店内に入ってからは、益々不機嫌そうな顔をしている。なんだってんだ、全く。

「あの……」
 おずおずと声をかけてみると、「なに」と間髪入れず、厳しい口調で返して来る。
「どっか別んとこ行きます?」
「なぜ?」
「だって先輩、嫌そうにしてるから」
 先輩は心底嫌だと言う顔をして、
「勿論、嫌だよ」
 と言った。
 だから、意味わかんねえって。

 嫌なら来なけりゃいいだけだろ。
 俺はどうせアンタの言うことには逆らわないんだから。その証拠に、今日はフィッシュサンド食べたい気分だったけど、大人しくハンバーガーもらってやってんじゃん。まだ食ってないけど。食うよ、これから。
「それ、食べないの?」
 そろそろ食おうかな、って手を伸ばしかけたところで、タイミングが良いのか悪いのか先輩が問いかける。視線が、俺の手元に集中している。
「もしかして欲しいんっすか?」
「……別に」
「あっそ」
 先輩がまた顔を窓へ逸らしたので、その隙に薄い紙を捲って安いバーガーにかぶりつく。
 マズくはないんだけど、そんなに美味しいって程でもない。好きかって言われたら、そこそこ好きな食べ物。そういう味のそれを、そこそこの満足感と共に咀嚼する。

「美味しいの、それ」
「ん?」
 もしかして食ったことないんっすか? とか、やっぱ食いてーんじゃん! とか、余計なことを言うとへそを曲げられそうだったので、そのまま無言で食いかけのハンバーガーを差し出してみる。
 あー、食いかけとか潔癖っぽい先輩は嫌がるかな、って心配したのも束の間、先輩はなんの躊躇いもなく、全く当然のことみたいにパックリとそれにかぶりついた。
 こっちに身を乗り出してまで付けた歯形は、なかなか豪快だ。
 意外と一口デカイんだな、なんて、お上品な先輩らしからぬ行動に少しだけ面食らう。

「……どう?」
 いつもよりいっぱい口に入れてしまって、上手く飲み込めないのかもしれない。まだモグモグやってるせんぱいは、なんだか釈然としない表情で首を捻ったり上を見たりしている。やがて、ごっくん、と音がしそうなほど盛大に喉仏を揺らして、先輩はようやくそれを飲み込んだ。
 そうして、
「不味い……」
 って、その一言なら予想通りだったんだけど、
「って、ほどでもない」
 と、意外な感じで続いたものだから、俺はおかしくなって笑ってしまった。
 だってそれ、俺とほぼ同じ感想だし。
 付き合う前から計算したら、俺は随分と先輩を見て来たと思うけど、まだまだイメージに引っ張られて、知らないことがいっぱいあるみたいだ。
 
 もう一度、バーガーを口元に持って行ってやれば、あっさりと二口目を口にした。
 先輩曰く、家の人が極度の添加物嫌いで、この手の食べ物は小さい頃から口にしたことが無かったのだと言う。先輩自身も、こういった場所に連れだって行く友達がいる訳でもなく(先輩は大人しい人なので、友達と言えば同じ図書委員の人しか俺は知らない)、特別食べたいと思ったこともなかったから、そのまま味を知らずにこの年まで過ごしていたらしい。

「それも極端な話っすねぇ……」
「メニューもよく分からなかったから、ネットで予習したんだ」
「それなら俺に注文任せてくれたら良かったのに」
 少し恥ずかしそうに俯いた先輩に言ったら、それは先輩としてどうなんだ、とか言うから、本当に面倒くさいなこの人。
 だけど、そういう世間慣れしてないとことか、年上ってことに変な拘りもってるとことか、なんか可愛い。
 あげれば食べるのが面白くって、ハンバーガーはお互い齧って4口くらいでなくなったから、ポテトも自分が食べるついでに適当に先輩の口に放り込んでいたら、あっという間に全部無くなっていた。
 俺のトレイに残ったのはコーラだけで、先輩は元々ホットコーヒーのSしか頼んでなくて、それもとっくに空になっている。

「それで? 今日なんでここに誘ってくれたんすか?」
 メニューを調べていたくらいだから、店舗の位置も、学校から適度に離れた位置をわざわざ探して来たのだろう。そこまで手間をかけるなら、もうちょっといい場所があったんじゃないですか、先輩。
 じゅう、と。すっかり気の抜けたコーラを啜る。
 先輩は律義にまた眉間にしわを寄せて、定期で元の位置に戻す眼鏡をかけなおした。
「君が――いつもお友達と楽しそうにしていたから」
 抑揚なく、先輩が呟く。
 その視線は相変わらず窓の外を眺めているのに、まるでそこに俺がいつもの面子と騒がしくテーブルについているのを羨んでいるようで。なるだけ感情を抑えたつもりだったんだろうけど、それが逆に拗ねたみたいに聞こえる。
 隣のテーブルの赤ちゃんの泣き声と、流行歌が繰り返されている店内のBGMに、先輩のか細い声が混じる。 
祐介(ゆうすけ)はこういうとこ、好きなんだと思って」   
「かっ……!!」 
 可愛いかよ、って大絶叫しそうになったのを慌てて飲み込んで、コーラの残りを一気に飲み干す。
 水で汗かいたへにょへにょのコップを持つ手が、強すぎる空調で冷えていた指先の温度を急激にあげていく。
 ヤバイって、先輩もしかして俺がいつも友達と放課後遊びに行ってんの見てて、なんならヤキモチ妬いちゃったりしてたワケ?
 それはつまり、俺って結構先輩に愛されてるってことっスか?
(息、止まりそう)

 シャラン。
 最後の氷の解ける音が、聞こえた。