暑い。照りつける太陽も、熱が溜まったアスファルトも暑い。暑いのは嫌いだ。なのになんで、俺は今、外を歩いてるんだ?冷房の効いた快適なリビングで好きな本を読んでいたのに。たまに本から顔を上げて、青とたわいのない会話をしていたのに。なのになんで、篠山の後ろを歩いてるんだ。
俺はだんだんと腹が立ってきた。というか、こいつが家に来た時から腹が立ってるんだけど。

「なぁ、どこに行くんだよ。帰りたいんだけど」

篠山が足を止めて振り返る。
日焼けした顔に、汗が浮き出ている。背が高くてスポーツ万能で、中学では女子に人気があったけど、俺は好きじゃない。青の方がかっこいい。去年の文化祭の日、仕方なくつき合うと言ったけど、終わりにしたい。こんな風に会いに来られるのも迷惑だ。決めた。もう俺に(かま)うなとはっきり言う。

「昊が好きそうなカフェを見つけたんだよ。高校になってから会えなかったし、久しぶりにゆっくり話そう」
「なんで」
「だって俺達、つき合ってるんだし」
「…もう別れる。つき合わない。俺は、おまえのこと好きじゃない」
「ふーん。じゃあ、あのこと青に話すよ?」
「…勝手にしろよ」

そう言い置いて、俺は家に戻ろうとした。
しかし腕を強く(つか)まれて、思わず「痛い」と声を上げた。

「なに?離せよっ」
「嫌だね。昊は俺の恋人なんだから、今からデートするんだよ。それにそろそろ、恋人らしいことしよう」
「は?恋人らしいことってなに」
「セックス」
「は?するかよボケ」
「昊は綺麗(きれい)な顔してるのに、口が悪いなぁ。ダメだぜ、恋人にそんな口聞いたら」
「誰が恋人だよっ。おまえとは友達でも何でもねぇ!帰るから離せっ」
「ちっ!」

いきなり篠山が俺を建物の壁に押し付けた。そして腕で俺の首を強く押す。

「やめっ…苦し…」
「その悪い口を(ふさ)いでやるよ」

不気味に笑って篠山が顔を近づけてくる。
俺は両手で篠山の肩を叩き必死で足を()った。だけどビクともしない。何とか顔をそらそうとするけど、首を押さえつけられているから、動かせないし息ができない。
もうダメだと固く目を閉じた瞬間、押さえつけられていた首が楽になり、息を吐き出して目を開けた。

「こらこら、暴力反対」
「いてぇ!なにすんだよっ」

怒鳴る篠山の腕を(ひね)りあげて、長身の男が俺を見て微笑んだ。

「大丈夫?怖かったよねぇ」
「ケホッ…、ありがとう…ございます」
「クソっ!離せっ」

「ちょっと待ってね」と笑って、長身の男が篠山を建物の向こうへ連れて行く。
俺が首をさすって待っていると、すぐに戻って来た。

「アイツ逃げていったよ。君の恋人だとか言ってたけどホント?」
「違う…」
「そう?なら良かった。痴話喧嘩(ちわげんか)の邪魔しちゃったのかなぁと思って」
「いえ、助かりました」
「そんな固くならないでよ、ねぇ森野くん」
「…え?なんで俺の名前…」
「あー、やっぱり俺のこと知らなかったんだ。同じ高校なんだ。隣のクラスの柊木(ひいらぎ)です。よろしく」
「隣の…。ごめん、クラスの人しか顔、覚えてない」
「いいよ。俺が森野くんを覚えてたのは、有名だからだよ」
「有名?」

俺は首から手を離して柊木の言葉を繰り返した。
柊木が長めの前髪をかきあげる。整った顔立ちに思わず見とれてしまう。アーモンド型で色素の薄い瞳。まるで宝石みたいだなと考えていると、手が伸びてきて俺の首に触れた。

「ここ、赤くなっちゃったね」
「え…跡ついてる?」
「うん。結構な力で押さえられたんだね。あんなの、傷害事件じゃん」
「俺が油断してたから。あー…跡ついてるのか…」
「なんかまずいの?」
「まあ…。ところで有名ってなんだよ」

俺は少し横に移動して、柊木の手から逃れた。
柊木は自身の手と俺を交互に見て笑う。

「知らない?森野くん、綺麗(きれい)でモデルみたいだって女子の間で(うわさ)になってる」
「モデル?おまえの方がモデルみたいじゃん。背が高いしかっこいい」

でも青の方がかっこいいけど…とは声に出しては言わないけど。
柊木は、なぜかテンション高く喜んだ。男の俺に()められて嬉しいのか?変なやつだ。

「えー、森野くんにそう言われるなんて光栄だなぁ。ね、携帯番号教えて?これから仲良くしよう」
「まあいいけど。助けてもらった借りを返さないとだし」
「困ってる人を助けるのは当たり前のことだから、別にいいよ。でも…んー、じゃあさ、夏休み入ったら、俺の行きたい所に一緒に行ってほしいな」
「わかった。予定が合う日に行こう」
「ありがとう。俺、森野くんと話してみたいと思ってたから、今日会えてよかったよ」
「俺と話しても楽しくはないと思うけど。あと、昊でいいよ」
「いいの?じゃあ昊、俺のことは(つなぐ)って呼んで」
「つなぐ…」
「そう!繋げるって書いてつなぐ。じゃあまた連絡するなっ、バイバイ」
「うん」

柊木が大きく手を振りながら建物の角を曲がる。
長身の姿が見えなくなると、俺は忘れていた暑さを感じて一気に疲れてしまった。そしてなるべく日陰を選びながら来た道を戻り始めた。

早く涼しい部屋で冷たいものを飲みたいと玄関を開けると、目の前に夏樹がいて驚いた。
夏樹も一瞬驚いた顔をした後すぐに「よお」と笑う。

「なんで夏樹が家にいんの?」
「今日、塾が終わったら行くっつってただろ?昊こそ、なんで家にいないんだよ。とりあえずおまえが帰って来るまで青と颯人と(しゃべ)ってたんだよ」
「え?颯人もいんの?」

下を見ると、確かに見覚えのない靴がある。
そうか、俺のいない間に青は、颯人と夏樹と過ごしてたのか。じゃあ、篠山のことを突っ込んで聞かれないで済むかも。
そう都合のいいように解釈して、靴を脱ぎ玄関を上がる。

「夏樹はここで何してたんだ?もう帰るのか?」
「トイレだよ。ところでさ、篠山が来たんだって?」
「…来た。呼んでもないのに家まで来るか?すげー腹立つんだけど」
「まあな。で、どうなったんだ?帰ってくるの、早いじゃん」

俺は夏樹をつれてリビングに入り、ソファーに座るように言う。そして流し台で手を洗うと、冷蔵庫から冷えた紅茶のペットボトルとグラスを二つ持ってソファーに行く。

「外歩いて喉が(かわ)いてさ。暑い日は外に出たくないのに最悪だ」
「おつかれ、昊」

夏樹が笑って、グラスに紅茶を注いでくれた。冷えた紅茶を一気に飲んで、大きく息を吐く。
夏樹もグラスの半分まで飲んで、「それで?」と首を傾けた。

「あー…篠山?あいつヤバイよな。俺が別れるって言ったら、腕で首を押さえつけてきた…てか、そもそも俺はつき合ってるつもりもなかったんだけどな」
「は?首を押さえつけてきたって…あっ、もしかして赤くなってるの、そういうことっ?汗が(かゆ)くてかいたのかと思ってた…」
「…夏樹、青が聞いてきたら痒くてかいたってことにしといて。青には知られたくない」
「知られてもいいんじゃね?青は、おまえのために怒ってくれるよ」
「そうかもしんねぇけど…俺が嫌なんだよ」
「そっか…わかった、言わない」
「ん、さんきゅ」
「それで?他にも何かされた?」
「あー、キスされそうになって、吐きそうなくらい気持ち悪かった」
「ちっ、あいつ最低だなっ」
「だろ?でもたまたま通りがかった隣のクラスの奴が助けてくれたんだ。夏樹知ってる?柊木ってやつ」

夏樹が腕を組んで目線を上に向ける。そしてすぐに「あっ」と叫んで俺を見た。

「青と同じくらい背が高いやつ! クラスの女子がよく話してるやつ!」
「有名なのか?」
「女子の間ではそうなのかも。モテるみたいだよ?」
「ふーん。でも夏樹もモテるじゃん」
「まあな、俺はいい男だから」
「自分で言う?」
「言う。昊も人気あるだろ」
「俺には誰も寄ってこねぇよ」
「それは昊が仲良い人以外どうでもいいって態度してるから」
「実際どうでもいい」
「あはは!俺はそーゆー昊が大好きだぜ」
「俺も。友達は夏樹だけでいい」
「でも、本当に傍にいてほしいのは青なんだろ」

俺は夏樹を見つめ、微かに笑った。

夏樹と二階にあがり、青の部屋の前で足を止め声をかけようと口を開いた。その瞬間、扉が勢いよく向こう側へと引かれる。
驚く俺の前に慌てた青が顔を出した。

「昊っ!大丈夫だった?」
「…おまえ、よく俺だとわかったな」
「足音が二つ聞こえたから。篠山は?」
「あー、なんか知らないけどすぐに帰ってったぞ。暑い中、歩かされて疲れた」
「そう…」

明らかに青がホッとした顔をする。
そんなに心配させてたのかと少し心が痛んで、俺は青の頭に手を乗せた。

「心配したのか?大丈夫、そう簡単に倒れたりしねーよ」
「なんのこと?」
「俺が暑さで倒れないか心配してくれたんだろ?昔に倒れたことあるからさ」

青の目が大きく開かれ、後ろの夏樹を見て俺を見る。しばらく俺を見て困ったように目を細めた。

「そういえば倒れたことあったね。あの時は心臓が止まるかと思ったよ。今は?大丈夫?」
「ああ。背中に汗かいて気持ち悪ぃけど。じゃあ俺は夏樹と部屋に行くから。颯人、またな」
「うん、今度勉強教えて」
「わかった」

俺は颯人に手を上げ青から目を()らした。
青は、まだ何か言いたそうにしていたけど、さっさと隣の部屋に入る。夏樹も入ってきて扉が閉まると、ようやく全身から力が抜けた。

「あっちぃ。ごめん、すぐ冷房つける」
「俺は大丈夫だよ。昊は外に出てたから暑いよな。青の部屋にいれば涼しいのに」

エアコンのスイッチを入れベッドにもたれて床に座りながら、夏樹を睨む。
夏樹も隣に座って、穏やかに微笑んで俺と目を合わせる。

「嫌だね。篠山のこと聞かれたくねぇし」
「そう?青、すごく心配してたぞ。篠山がおまえに何かしたらどうしようって」
「青が?熱中症の心配じゃなくて?」
「それもあるけど、一番は篠山のことだな」
「ふーん」

俺はベッドに頭を乗せて天井を見つめた。
青は篠山と俺のことを気にかけてたのか。兄弟としてだろうけど、俺が篠山とつき合ってたと知って嫌だったのかな。だったらいいな。

「ところで柊木は?その後どうなった?」

夏樹の声に、視線を下ろして隣を向く。夏樹も柊木に負けないくらいかっこいいよなと心の中で呟く。

「なんか俺と仲良くなりたいってさ。だから連絡先交換した」
「昊と仲良く?ふーん、なんでだろ。篠山みたいじゃなければいいけどな」
「まさか。俺に執着してくんの、篠山くらいだろ」
「そんなことないと思うけど」

夏樹が小さな声で言い、壁を見つめる。壁の向こうは青の部屋だ。
俺は壁に虫でもついてるのかと思い、白い壁を凝視(ぎょうし)した。



「昊、どこに行くの?塾じゃないよね?」
「…友達と会うんだよ。おまえは部活だろ?暑いから気をつけろよな」
「友達って誰?篠山じゃないよね?」

俺はため息をついて靴をはこうとした足を止める。足音を立てないよう、静かに階段を降りてきたのに、青が気づいた。気づいて追いかけてきた。
先週、篠山が家に来てつき合ってたことをバラした。その時から青が俺にベッタリだ。俺は青が好きだから気にかけてくれることは嬉しい。だけど青のそれは、典型的なブラコンだから。俺の好きとは違う。だから(から)まれると少し、めんどくさく思う。

「隣のクラスのやつ。夏樹の次にいいやつだよ。青に話してなかったけど、先週篠山が来たじゃん」
「うん…」

青の顔が明らかに不機嫌になる。かなり篠山が嫌いなんだろう。俺も嫌いだけど。今からする話で、更に篠山に対して嫌悪感を持つことになるけど、まあいいか。

「あの時さ、篠山が俺の首を押さえてキスしようとしやがった」
「は?なにそれっ」

青が声を上げると同時に、俺の横を走り抜けて玄関を飛び出そうした。
俺は慌てて青の腰にしがみつく。

「ちょっ…、どこ行くんだよっ!」
「篠山を殴ってくる!」
「最後まで聞けって!何もされてないからっ」
「…ほんとに?」
「ほんとに」

青の身体から力が抜ける。そして安心した様子で、俺の肩に頭を乗せた。

「だから…首が赤くなってたんだ?昊は(かゆ)くてかいたからって言ってたのに…嘘つき」
「ごめんな?おまえを心配させると思ってさ…嘘言って悪かった」
「うん…それでどうしたの?」

青が顔をあげない。仕方なく俺は、青の柔らかい髪の毛を撫でた。

「その時に助けてくれたのが今日会う友達だ。篠山を追い払ってくれたんだよ。悔しいけど俺は力で(かな)わなかったからさ…」
「そいつ…昊のこと好きなの?」
「はあ?んなわけねーだろ。女子にモテまくりのやつだぜ?彼女がいるんじゃねぇの」
「そう。いつ帰ってくる?」
「…おまえが部活から帰ってくる頃には、帰ってるよ」
「じゃあさ、夜に祭り行こ」
「祭り?ああ、今夜だっけ?」
「そう。颯人も来るし。夏樹にも声かけとく」
「わかった」
「約束だよ」
「ははっ、青はしつけぇな。約束したから安心しろ」
「じゃあ夜を楽しみに部活行ってくる」
「なんだそれ。あんまり無理すんなよ」
「大丈夫だよ。でも気をつける。昊も熱中症に気をつけて。行ってらっしゃい」
「ああ」

ようやく機嫌が直った青に向かって笑う。
青はかっこいいけどかわいい。俺の大切な弟で、愛する人だ。


待ち合わせの駅に着くと、すでに柊木がいた。長身に色素の薄い髪と瞳と肌。すごく目立っている。今声かけたら俺まで目立つんじゃね?と躊躇(ちゅうちょ)していると、柊木が気づいて走って来た。

「昊!早いねっ」
「早くはねぇよ。柊木が早すぎんだろ」

ああ…人に見られて落ち着かない。やっぱりこいつのせいで目立ってるじゃん。
俺は早くこの場から立ち去ろうと早足で改札に向かう。

「あっ、待って」

柊木がすぐに追いついて、隣から顔を(のぞ)き込んできた。
俺は目を合わせずに肩にかけた鞄からスマホを出す。

「なに見てんだよ」
「だってさ、繋って呼んでって言ったのに柊木って…俺たち友達なのに」
「そのうちな。ほら、早くしねぇと電車来るぞ」
「え?まだ大丈夫だよ」
「この時間だと一本前のに乗れる。行くぞ」
「えー?そんなに急がなくても…」

ブツブツと言いながらも、柊木がピッタリと俺の後をついてくる。
悪いな柊木。俺は少しでも早く帰りたいんだ。青と祭りに行くって約束したからな。
階段を降りている途中で電車が入ってきた。降りた場所の扉から乗り、奥の扉に移動して外を見る。
「どこも空いてないねぇ」と電車内を見て、柊木が身体が触れそうなほどの距離に立った。

「おい、暑いから離れろよ」
「冷房効いてるから大丈夫だよ。それにさ、結構混んでるから無理なんだよなぁ。汗臭いおっさんにくっつかれるより俺の方がマシでしょ?あ、きれいな女の人の隣がよかった?」
「……ちっ」

聞こえるか聞こえないかくらいの舌打ちをして、俺はなるべく身体を小さくした。
正直、人に触れられるのは嫌いだ。嫌悪感でいっぱいになる。夏樹や颯人には触れられても何とも思わない。青は…青には触れられたいし触れたいと、ずっと望んでいる。

「俺、水族館すごく久しぶりなんだよ。楽しみだなぁ。昊は?」
「…俺も小学生の時以来だな」
「そっか。イルカショーも見ようね」
「はあ?おまえと?」
「水族館に行ってイルカショー見ないで帰るってありえないじゃん?」
「…まあいいけど。あ、でも水族館見終わったらすぐに帰るからな」
「ええっ!ご飯食べようと思ってたのに…。なんで?」

チラリと柊木を見上げると、まるで怒られた犬がしょげたような顔をしていて、思わず吹き出してしまう。

「ふっ!なんだその顔」
「すごーく残念っていう顔」
「イケメンが台無しだぞ。まあ飯はまた別の日に行けばいいじゃん。とにかく今日は早く帰る。邪魔すんならもう会わねぇ」
「…わかった。水族館見たらすぐに帰ろう。その代わり、また遊んでよ」
「また…な」

俺はまだ何か言いたそうな柊木から顔をそむけて、窓の外を流れる景色に目を向けた。

「服、乾いてきた?」
「まあ乾いたんじゃねぇの?暑いから濡れたままでもいいけど」

水族館からの帰りの電車の中で、柊木が自身のシャツを(つま)んで笑う。
俺も湿った服に触れて、早く着替えたいと心の中で呟いた。
久しぶりの水族館は楽しかった。青と一緒だともっと楽しめた。でもまあ、涼しい建物の中でいろんな魚を見て(いや)された。そして柊木と見るのは乗り気じゃなかったけど、イルカショーも楽しかった。調子に乗って前列に座ったために、かなりの水をかぶったけど。水族館から駅までを歩く間に、髪も服もかなり乾いたけど、まだ湿ってはいる。だから早く家に着いてシャワーを浴びて、さっぱりして着替えて青の帰りを待ちたい。
ふいに柊木の手が伸びてきて髪の毛を触られた。
俺は驚いて肩を揺らして「なに?」と聞く。

「昊の髪、きれいだね」
「そう?普通の黒髪だけど。おまえのその茶髪、染めてるのか?」
「染めてない。自毛だよ」
「へぇ、染めなくてその色って、いいな」
「わあ、昊に褒められた。嬉しいな。俺さ、クォーターなんだよ。ばあちゃんがイギリス人」
「ああ、だから肌も白いのか」
「色白は昊もだろ?ほら、俺よりも白くない?透き通るようできれいだよね」

柊木が俺の腕に腕を並べて、肌色を見比べている。電車の冷房で冷えた肌に、柊木の体温を感じてゾッとする。
俺は「やめろ」と慌てて腕を離した。

「おまえさ、男にきれいとか言って、気持ち悪くねぇの?」
「なんで?きれいなものはきれいだろ?」
「…あと、あんまり俺に触るな。そういうの、嫌いなんだよ」
「あーごめん。俺、無意識なんだけどスキンシップが激しいみたい。ばあちゃんがそうだったからさ」
「まあ、それが悪いとは思ってねぇよ。ただ、俺は嫌だから」
「わかった。昊の嫌がることはしない」
「なあ、俺と友達になっても、めんどくさいだろ?嫌だと思ったら離れてくれていいから」
「思わないよ。めんどくさくもない。昊と、もっと仲良くなりたい」

いつもどことなくヘラヘラしてる柊木が、真剣な顔で俺を見ている。優しい印象しかなかったけど、こういう顔をしていると怖く感じる。
俺は返事に困って曖昧(あいまい)に頷くと、駅に着くまで行きと同じように扉にもたれて外の景色を眺めていた。



「なんか疲れた」

首にかけていたタオルを机に置いて、ソファーにダイブした。
駅で柊木と別れて急いで家に帰った。滝のように流れる汗が気持ち悪くてイライラする。俺はリビングの冷房を強めにして風呂場に向かった。水に近い温度でシャワーを浴び、適当に身体を拭いて裸のままリビングに戻る。かなり冷えた室温が火照った身体に気持ちいい。丁寧に身体と髪を拭きパンツを()くと、力尽きてソファーに倒れ込んだのだ。

「あー快適…。やっぱ祭りまで家でゆっくりしとけば良かったなぁ」

横目で壁にかけてある時計を見る。青が帰ってくるまであと一時間。服を着て髪をセットして…と考えてるうちにまぶたが重くなり眠ってしまった。

「…う、こう、起きて…風邪ひくよ」
「ん…」

青の声だ…頭を撫でられている。大きな手だな…気持ちいい。でもまだ眠い…もう少しだけ…。
俺が夢うつつでモゾモゾと動いていると、頬に柔らかい感触がした。なんだと目を開けると、青が驚いた顔で俺から離れた。俺は欠伸(あくび)をしながら起き上がる。そして青を見て首を傾けた。

「…おかえり。わり…寝るつもりなかったんだけど。もう時間?」
「まだ…大丈夫。俺もシャワー浴びてくるから、昊は早く服着ろよ。部屋めちゃ冷えてるし風邪ひくよ」
「わかった…てか青、さっき俺になんかした?」
「…よく眠ってたから頬をつっついた」
「おま…幼稚なことしてんなよな。俺の寝顔で遊んでたのかよ」
「無防備に寝てる昊が悪い」
「くそっ、今度し返してやる」
「いつでもどうぞ」
「生意気、早く行けよ」
「昊も早く服着て」

青が笑いながらリビングを出ていく。大きな背中を見て俺の胸がキュンとする。
というかキュンてなんだよ、乙女かよ。頬に感じたあの感触…一瞬キスされたのかと勘違いしたじゃねぇか…はず…。
俺は両手で顔を軽く叩くと、着替えを取りに二階へ上がった。
服を着て洗面所に行き髪を乾かしてセットする。ついでに歯を磨いていると、風呂場から青が出てきた。
久しぶりに見る青の裸。まだ中学生のくせに、腹筋が割れている。その下の黒い毛に(おお)われたモノが視界に入り、俺は慌てて目を逸らした。

「…悪ぃ、すぐに出るから」
「別にいいよ?ゆっくり磨いてくれて」
「いや、もう終わる。おまえも急がなくていいからな」
「うん。昊その服にしたんだ?俺も同じのにしよ」
「は?ペアルックかよ」
「双子コーデって言うんだって。いいじゃん、はぐれなくて済みそう。いや?」
「嫌…じゃないけど」
「やった!あ、昊、颯人と夏樹が来たら家に上げてて」
「わかった」

俺は口をすすいで洗面所を出た。俺はこんなにもドキドキしてるのに、青はなんにも感じてないんだな。照れる様子もなく堂々としている。まあそうか。普通兄弟に裸を見られても動揺しないか。俺は青を好きだから、こんなにも動揺する。青の身体…かっこいいな。触れて抱きしめたら、どんな気持ちになるんだろ。
胸を押さえてリビングのドアに手をかけたその時、インターフォンが鳴って飛び跳ねた。

モニターを見るのもめんどくさくて直接玄関に行き扉を開けると、夏樹が笑顔で立っていた。

「よう、おまえ不用心だな」
「おまえか颯人だと思ったから開けたんだよ。外暑かっただろ。青がまだだから入れよ」
「あー早く来すぎたかも。ごめん」
「大丈夫だって。あ?」
「こんにちはぁ」

夏樹の後ろから颯人が顔を出した。颯人は夏樹より背が低く細いから、すっぽりと隠れていたらしい。

「なんだ、おまえもいたのか。見えんかったわ」
「夏樹さんが背が高いからねっ、俺は小さくない!それよりもっ、驚かそうと思って隠れてたのに。相変わらず昊はクールビューティだな」
「何言ってんだおまえ。それにそんなことで驚くかよ。とりあえず二人とも入れ。ここは暑い」
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす」

夏樹と颯人が靴を揃えて玄関を上がる。
黒シャツにグレーのズボンの夏樹と白のTシャツに紺のズボンの颯人とジャガード織りの生成りTシャツに黒のズボンの俺と。俺達は服の好みも似ているから、四人でいると気楽で落ち着ける。
二人をリビングに通して喋っていると、着替えた青が降りてきた。
俺は青を見て露骨に顔を歪めた。

「おまえ…マジで同じ服着んの?」
「いいじゃん。このTシャツ気に入ってるし。それに昊、嫌じゃないって言ってたじゃん」
「夏樹に颯人、どう思う?」

本当は、青と同じであることが嬉しい。服でもペンでも同じ物を持ってると嬉しい。でも素直にそんなことは言えない。だからきっと、代わりに夏樹と颯人に「いいよ」と言って欲しかったんだ。
夏樹と颯人が、俺と青を交互に見て頷く。

「いいじゃん。二人とも、その服よく似合ってるよ」
「うんうん、その色いいね。どこで買ったの?俺も欲しい」
「は?颯人までお揃いにすんのかよ」
「あ、それいいね。俺も買おうかな。どうせなら四人で揃えて遊びに行こうぜ」
「夏樹まで。本気で言ってる?」
「本気で言ってる」

夏樹が笑って言う。笑ってるから冗談なのかと思うけど、こういう顔の時の夏樹は、逆に冗談を言わない。
俺はソファーの横に立つ青を見上げて、眉間に皺を寄せた。

「青、こいつらも買うってさ」
「いいね、皆でお揃い楽しそうじゃん。これ着てどこに行く?」
「なんだよ、青も賛成なのかよ」
「うん、だって絶対楽しいと思うよ」
「まあ…そうだろうけど」
「とりあえず考えるのは後にして、そろそろ祭りに行こう」

そう言って夏樹が立ち上がり、颯人と俺も続いて立った。