「あっ、夏樹いた!」
「ん?なに」
「今日の部活のことで話があるんだけど、ちょっといい?」
「わかった。昊、青、悪いけど二人で適当に回っててくれ」
「おう、また後でな」
俺と青と夏樹で階段を降りている時に、下から登ってきたバスケ部のキャプテンに夏樹が声をかけられた。副キャプテンをしている夏樹を捜していたらしい。
俺と青に謝る夏樹に頷いて、俺は青を見た。
「だってさ。どうする?」
青は俺の目を見つめて、首を小さく傾ける。
「んー、特に見たい所ないんだよな。空き教室に行って休まない?」
「いいけど、あんまり時間ないぜ?」
「うん、だから少しだけ」
「そうだな」
俺は青の意見に賛同した。俺も特に見たい所はない。それに朝が早かったから疲れていたし。
俺と青は、自動販売機で飲み物を買い、図書室に向かった。当然ながら図書室には誰もいなかった。俺たちは一番奥にある机の所へ行き、並んで座る。
俺は両腕を伸ばして息を吐いた。
「はあ…文化祭ってダルいよなぁ。準備で疲れてる上に朝早くてさ、眠くて仕方ねぇ」
「昊、寝てていいよ。起こしてあげる」
「マジ?てか青だって眠いんじゃねぇの。俺より早く起きてたじゃんか」
「俺は体力あるから大丈夫」
「ふーん、じゃあ十五分くらいしたら起こしてくれ」
「わかった」
青が優しい目で俺を見ている。俺だけに向ける目だ。それはきっと、この世でたった一人の兄弟だから。だから大事に思ってくれてるんだ。俺とは違う想いだ。勘違いしてはいけない。
俺は紙パックのりんごジュースを一気に飲むと、机に突っ伏して目を閉じた。
スマホの振動で目を覚ました。本気で寝てしまっていたらしい。横を向くと、青まで腕に顔を乗せて眠っている。
「なんだよ…起こしてくれるんじゃなかったのかよ」
ブツブツと呟いてスマホを見る。部屋に入ってから二十分経っている。そろそろ戻らないとマズいと、俺は青に手を伸ばしかけて止めた。
こちらを向いた整った顔。伏せられた瞼の先の長いまつ毛。筋の通った高い鼻。薄い唇に目が止まる。
俺はダメだと思いながらも、無意識に顔を近づけ唇にキスをした。
あ…思ってたよりも柔らかい。
一度離れ、もう一度キスをする。
心臓がうるさい。顔が熱い。ダメだと思いながらも止められない。
三度キスをして離れた瞬間、いきなり声をかけられ飛び跳ねた。
「昊…?」
勢いよく振り返ると、後ろに篠山がいた。
「なに…してるんだ?」
俺は静かに席を立って、篠山の腕を掴む。そして青から離れた壁際までつれて行き、篠山の顔を見あげた。
「……うな」
「なに?」
「青には言うな」
「……」
篠山は無言で俺を見つめる。
俺は懇願するように、篠山のシャツを強く握りしめた。
篠山はなにも喋らない。時間にすると一分も経っていないと思う。でも俺には果てしなく長い時間に思えた。早く言質を取らなければ青が起きてしまう。青にはバレたくない。俺は必死だった。そのため、どんな顔をしていたのか知らない。
「そんな顔するなよ」と囁いて、篠山が俺を抱きしめた。
「な…っ、はなせよ」
「嫌だね。俺は、青にも誰にも話さないと約束する。でも俺だけ守るのって不公平じゃん?だから条件がある」
「なに…」
「俺とつき合って。俺は昊が好きだ」
「無理だ…」
「ふーん」
篠山の胸を押して身体を離す。
すると篠山は、青がいる方へと歩き出した。
「ちょっ…、どこ行くんだよ」
「青に話す」
「今話さないって…」
「条件があるって言ったじゃん?その条件を昊が飲まないんだから仕方ないよな」
「う…」
尚も進もうとする篠山のシャツを慌てて掴み、強く引いた。
「なに?シャツがシワになる」
「……う」
「ん?」
「つき合う…から、言うな」
「わかった。じゃあ今日から昊は俺のものな。いい?」
「…うん」
篠山が俺を抱き寄せ顔を近づけてくる。
俺は咄嗟に手を出して顔を背けた。
「手、邪魔なんだけど」
「やめろ。無理、できない」
「なんで?つき合ってるのに?」
「でも無理…。しないって約束できないなら…もういい。青にバレても…いい」
篠山はしばらく考えて、俺の額にキスをした。
「やめっ」
「口じゃなければいいだろ。わかったよ、約束する。俺は昊の傍にいたいから」
「…絶対に守れよ」
「うん。っていうか、俺の方が弱み握ってるはずなのになぁ。まあ惚れた弱みだから仕方ないか」
「もういいだろ。夏樹から連絡来てるし、そろそろ教室に戻るから」
「あ、待って。連絡先交換して…っと。じゃあな昊。また連絡する」
篠山が笑顔で去って行く。その後ろ姿を見て、俺は気持ち悪くなり吐きそうになった。
これでいいのか?俺は青が好きなのに、好きでもないヤツとつき合う?間違ってないか?だけど…青とは結ばれることは、決してない。俺の気持ちを知られてもいけない。だから、よかったのかもしれない。
ふらふらと青の所へ戻る。青はよほど疲れていたのか、俺と篠山の話し声にも気づかずによく眠っている。
俺は自分の唇に触れて思った。青とキスをした唇だけは、誰にも触れさせない。唇だけは、青のものだ。
「青、好きだ」と声にならない声で囁いた後に、「起きろ」と青の鼻を思いっきり摘んだ。
「いたっ…!あれ?」
青が鼻をこすりながら俺を見て首を傾ける。
「昊…起きたの?ていうか今何時?」
「おまえが寝てどうすんだよ。もうとっくに時間過ぎてんぞ」
「うそっ、ごめん!」
「早く戻るぞ」
「わかった」
入口へと急ぐ俺の後ろを青がついてくる。
足が長いからか青がすぐに隣に並ぶ。
「ところで昊はいつ起きたの?」
「…おまえが起きるちょっと前だよ。夏樹からのメールで起きた」
「そっか…ごめん」
「いいよ。おまえも疲れてたんだろ」
「あーあ、せっかく…」
「なんだ?」
「別に」
青がフイと横を向く。
途中で止められたら気になるんだけど。
俺は青が何を言いかけたのか追求しようと口を開いたけど、逆に俺のことを聞かれたら困ると口を閉じた。篠山とのことは、まだ青に知られたくない。でも篠山がすぐにバラすんだろうな。
しばらく無言で歩いていると、廊下の先から夏樹が走ってきた。
「いた!昊、早く戻るぞ!青も颯人が捜してたぞっ」
「夏樹悪い。ちょっと寝るつもりが爆睡してた」
「二人とも?」
チラリと横目で青を見る。
青は夏樹に照れ笑いをしながら謝った。
「うんそう。昊に起こしてくれって頼まれてたのに、俺も寝ちゃった」
「えー?おまえら仲いいなぁ。俺も早く帰って寝たい…」
「あと少しじゃん。がんばれ夏樹」
「おまえは寝たから元気だな!じゃあな青」
「あ…うん」
夏樹が青に手をあげる。
俺も青に声をかけようとしたけど、勝手に青に触れたこと、それを見られて篠山とつき合うことになってしまったことが気まずくて、結局青の方を見ることなく夏樹と教室に向かった。
でも家に帰れば青と会う。俺は普通に接することができるだろうか。青に触れたことで、今までのように青への気持ちが上手く隠せないかもしれない。今度青に触れたら、俺は気持ちを止められない。だからもう、一緒に寝るのは止める。そして青から離れる努力をしよう。気持ちが溢れ出ないよう、青に嫌われる努力をしよう。
夏樹の背中を見て歩きながら、俺はそんなことを考えていた。
教室に戻り遅くなったことを謝って、自分のやるべきことをやっていたけど、ずっと頭の中では青のことでいっぱいだった。だから夏樹に話しかけられても上の空だったらしく、文化祭が終わった後に、心配した夏樹に家につれて来られた。
夏樹の部屋は広くて、机とベッドの他にソファーもある。部屋に入るなりソファーに座らされ、冷たいペットボトルの紅茶を渡された。
「今日はお疲れ。はいこれ。昊の好きなミルクティー」
「…ありがとう」
「で?なにがあった?」
「え?」
「だってさ、おまえ休憩の後からずっと変じゃん」
「そんなに変だった?」
「おう」
俺はペットボトルの蓋を開けてひと口飲むと、隣に座った夏樹と目を合わせた。
「あのさ…夏樹は俺の気持ち、知ってるだろ」
「知ってる。それに無責任かもだけど、俺は昊の気持ちを応援してる」
「うん…ありがとな。そう言ってくれる夏樹に、俺は救われてる…」
「青と何かあったのか?でも青はいつもと変わんなかったけど」
俺はもう一口飲んでペットボトルを机に置き、両手で顔を覆った。
「はあ…、早く大人になりたい」
「なんでだよ」
「家を出たい…青から離れたい」
「なんで」
「傍にいるのが辛いんだよ」
「昊…」
以前に夏樹が、たとえ報われなくても、好きな人の傍にいられるなんて幸せじゃんって話してた。でも俺はそうは思わない。報われないのなら、傍にいるのは辛いだけだ。確かに毎日顔を見て声を聞けることは嬉しい。でもその内に、青が俺以外の誰かの傍にいる姿を見る日が来るかもしれない。そんなのは嫌だ。見たくない。そうなる前に離れたいんだ。
俺はゆっくりと手を離して、ペットボトルについた水滴を見つめた。
「今日の休憩中、青に起こしてくれるよう頼んで、図書室で寝てたんだ。俺が起きたら青も隣で寝てた」
「うん」
「無防備な青の顔を見て、キスした」
「うん…ていうか、今までしてなかったの?」
「してねぇよ。できるかよ」
「そっか。昊は純粋だな」
「純粋じゃねぇ。青の許可なくキスした。それを篠山に見られた」
「はあっ?」
夏樹が大きな声を出す。
俺は夏樹を見て苦笑する。
「最悪だよな。でも篠山は誰にも話さないと思う」
「なんで」
「口外しないと約束する代わりに…つき合うことになったから…」
「誰とっ」
「俺と篠山」
「はあっ?ダメだろ!」
「いいんだよ、これで」
思いの外、夏樹が怒ってる。それが何だか嬉しくて、俺は笑ってしまう。
「昊っ、篠山のこと好きじゃねぇだろ?」
「好きになるよう、努力する」
「努力してどうにかなるもんじゃねぇからな!それに好きな人がいるくせにっ」
「青への気持ちは間違ってるんだ。だから俺は、篠山を好きになる努力をするよ」
「そんなの…っ、納得できない!」
「なんで夏樹がそんなに怒るの。ほんと…おまえは優しいな」
「昊には…幸せになってほしいんだよ。俺の一番の友達だから…」
「うん、ありがと。俺も夏樹は一番の友達だよ」
夏樹が顔を真っ赤にして涙ぐんでいる。自分のことじゃないのに本気で心配してくれる。いつもそうだ。夏樹にはずいぶんと助けられている。だから俺も、夏樹が困った時は助けてあげたい。
俺はもう一度「ありがとな」と言って、残りのミルクティーを飲み干した。
篠山と付き合うことになったけど、他の友達との関係と何ら変わることはなかった。
休みの日に買い物や映画に行くだけ。あとはたまにメールでやり取りしたり。家に来られることも行くことも俺が拒否をしていたから、二人きりになることもない。
そして特に恋人らしいことは何もなく月日が過ぎ、俺は高校生になった。
俺は篠山と同じ高校にならないよう、勉強を頑張った。頑張った甲斐あって、篠山とは違う高校に合格した。ちなみに夏樹も同じ高校だ。
篠山と離れたことで、自然と会う回数も減るだろうと甘く考えていた。俺はこの先ずっと青が好きだ。誰と付き合おうと気持ちは変わらない。青と結ばれることは無いけど、篠山との関係が切れたら、好きでもないやつと付き合うのは、もうやめようと思っていた。
しかし人生とは思う通りにはいかないものだ。離れても篠山からは毎日連絡がきた。篠山は、高校に入ってからもサッカーを続けていたから、会う時間もなくなってラッキーだと考えていたのに、ゆるい部活らしく水曜と日曜は休みだから会おうとしつこい。
用事があると全て断り避けていたら、ついに家に来た。たまたま青がいて、玄関先に立つ篠山を見て驚いていた。当然青は、部活の後輩である自分に用があるのかと思い「何か?」と聞いた。
篠山は青じゃなく俺を見ている。
「俺は昊に会いに来たんだ。森野に用はない」
「は?昊に何の用だよ」
明らかにムッとした青が、冷たく言う。
篠山は、青の後ろにいる俺に向けてニヤリと笑った。
「あれ?聞いてない?俺と昊は、去年から付き合ってるんだぜ」
「はあっ?」
青が大きな声を出す。
俺などすっぽりと隠れてしまいそうな高い身長。広い肩幅。細身に見えるのに鍛えられた筋肉があることを知っている。
俺だって鍛えてるけど、きっと力では敵わないだろうな。その大きな肩が震えている。確か青は篠山を好ましく思っていない。というか嫌いなんだろう。仕方なくだけど篠山と付き合った俺も、同じように嫌われるのだろうか。
「…そんなの…いやだ」
俺は思わず口の中で小さく呟いた。
なんと言ったか聞こえなかったらしい青が、後ろを向く。
弁明しようと顔を上げた俺は、初めて見る青の怖い顔に、何も言えなくなった。
「ん?なに」
「今日の部活のことで話があるんだけど、ちょっといい?」
「わかった。昊、青、悪いけど二人で適当に回っててくれ」
「おう、また後でな」
俺と青と夏樹で階段を降りている時に、下から登ってきたバスケ部のキャプテンに夏樹が声をかけられた。副キャプテンをしている夏樹を捜していたらしい。
俺と青に謝る夏樹に頷いて、俺は青を見た。
「だってさ。どうする?」
青は俺の目を見つめて、首を小さく傾ける。
「んー、特に見たい所ないんだよな。空き教室に行って休まない?」
「いいけど、あんまり時間ないぜ?」
「うん、だから少しだけ」
「そうだな」
俺は青の意見に賛同した。俺も特に見たい所はない。それに朝が早かったから疲れていたし。
俺と青は、自動販売機で飲み物を買い、図書室に向かった。当然ながら図書室には誰もいなかった。俺たちは一番奥にある机の所へ行き、並んで座る。
俺は両腕を伸ばして息を吐いた。
「はあ…文化祭ってダルいよなぁ。準備で疲れてる上に朝早くてさ、眠くて仕方ねぇ」
「昊、寝てていいよ。起こしてあげる」
「マジ?てか青だって眠いんじゃねぇの。俺より早く起きてたじゃんか」
「俺は体力あるから大丈夫」
「ふーん、じゃあ十五分くらいしたら起こしてくれ」
「わかった」
青が優しい目で俺を見ている。俺だけに向ける目だ。それはきっと、この世でたった一人の兄弟だから。だから大事に思ってくれてるんだ。俺とは違う想いだ。勘違いしてはいけない。
俺は紙パックのりんごジュースを一気に飲むと、机に突っ伏して目を閉じた。
スマホの振動で目を覚ました。本気で寝てしまっていたらしい。横を向くと、青まで腕に顔を乗せて眠っている。
「なんだよ…起こしてくれるんじゃなかったのかよ」
ブツブツと呟いてスマホを見る。部屋に入ってから二十分経っている。そろそろ戻らないとマズいと、俺は青に手を伸ばしかけて止めた。
こちらを向いた整った顔。伏せられた瞼の先の長いまつ毛。筋の通った高い鼻。薄い唇に目が止まる。
俺はダメだと思いながらも、無意識に顔を近づけ唇にキスをした。
あ…思ってたよりも柔らかい。
一度離れ、もう一度キスをする。
心臓がうるさい。顔が熱い。ダメだと思いながらも止められない。
三度キスをして離れた瞬間、いきなり声をかけられ飛び跳ねた。
「昊…?」
勢いよく振り返ると、後ろに篠山がいた。
「なに…してるんだ?」
俺は静かに席を立って、篠山の腕を掴む。そして青から離れた壁際までつれて行き、篠山の顔を見あげた。
「……うな」
「なに?」
「青には言うな」
「……」
篠山は無言で俺を見つめる。
俺は懇願するように、篠山のシャツを強く握りしめた。
篠山はなにも喋らない。時間にすると一分も経っていないと思う。でも俺には果てしなく長い時間に思えた。早く言質を取らなければ青が起きてしまう。青にはバレたくない。俺は必死だった。そのため、どんな顔をしていたのか知らない。
「そんな顔するなよ」と囁いて、篠山が俺を抱きしめた。
「な…っ、はなせよ」
「嫌だね。俺は、青にも誰にも話さないと約束する。でも俺だけ守るのって不公平じゃん?だから条件がある」
「なに…」
「俺とつき合って。俺は昊が好きだ」
「無理だ…」
「ふーん」
篠山の胸を押して身体を離す。
すると篠山は、青がいる方へと歩き出した。
「ちょっ…、どこ行くんだよ」
「青に話す」
「今話さないって…」
「条件があるって言ったじゃん?その条件を昊が飲まないんだから仕方ないよな」
「う…」
尚も進もうとする篠山のシャツを慌てて掴み、強く引いた。
「なに?シャツがシワになる」
「……う」
「ん?」
「つき合う…から、言うな」
「わかった。じゃあ今日から昊は俺のものな。いい?」
「…うん」
篠山が俺を抱き寄せ顔を近づけてくる。
俺は咄嗟に手を出して顔を背けた。
「手、邪魔なんだけど」
「やめろ。無理、できない」
「なんで?つき合ってるのに?」
「でも無理…。しないって約束できないなら…もういい。青にバレても…いい」
篠山はしばらく考えて、俺の額にキスをした。
「やめっ」
「口じゃなければいいだろ。わかったよ、約束する。俺は昊の傍にいたいから」
「…絶対に守れよ」
「うん。っていうか、俺の方が弱み握ってるはずなのになぁ。まあ惚れた弱みだから仕方ないか」
「もういいだろ。夏樹から連絡来てるし、そろそろ教室に戻るから」
「あ、待って。連絡先交換して…っと。じゃあな昊。また連絡する」
篠山が笑顔で去って行く。その後ろ姿を見て、俺は気持ち悪くなり吐きそうになった。
これでいいのか?俺は青が好きなのに、好きでもないヤツとつき合う?間違ってないか?だけど…青とは結ばれることは、決してない。俺の気持ちを知られてもいけない。だから、よかったのかもしれない。
ふらふらと青の所へ戻る。青はよほど疲れていたのか、俺と篠山の話し声にも気づかずによく眠っている。
俺は自分の唇に触れて思った。青とキスをした唇だけは、誰にも触れさせない。唇だけは、青のものだ。
「青、好きだ」と声にならない声で囁いた後に、「起きろ」と青の鼻を思いっきり摘んだ。
「いたっ…!あれ?」
青が鼻をこすりながら俺を見て首を傾ける。
「昊…起きたの?ていうか今何時?」
「おまえが寝てどうすんだよ。もうとっくに時間過ぎてんぞ」
「うそっ、ごめん!」
「早く戻るぞ」
「わかった」
入口へと急ぐ俺の後ろを青がついてくる。
足が長いからか青がすぐに隣に並ぶ。
「ところで昊はいつ起きたの?」
「…おまえが起きるちょっと前だよ。夏樹からのメールで起きた」
「そっか…ごめん」
「いいよ。おまえも疲れてたんだろ」
「あーあ、せっかく…」
「なんだ?」
「別に」
青がフイと横を向く。
途中で止められたら気になるんだけど。
俺は青が何を言いかけたのか追求しようと口を開いたけど、逆に俺のことを聞かれたら困ると口を閉じた。篠山とのことは、まだ青に知られたくない。でも篠山がすぐにバラすんだろうな。
しばらく無言で歩いていると、廊下の先から夏樹が走ってきた。
「いた!昊、早く戻るぞ!青も颯人が捜してたぞっ」
「夏樹悪い。ちょっと寝るつもりが爆睡してた」
「二人とも?」
チラリと横目で青を見る。
青は夏樹に照れ笑いをしながら謝った。
「うんそう。昊に起こしてくれって頼まれてたのに、俺も寝ちゃった」
「えー?おまえら仲いいなぁ。俺も早く帰って寝たい…」
「あと少しじゃん。がんばれ夏樹」
「おまえは寝たから元気だな!じゃあな青」
「あ…うん」
夏樹が青に手をあげる。
俺も青に声をかけようとしたけど、勝手に青に触れたこと、それを見られて篠山とつき合うことになってしまったことが気まずくて、結局青の方を見ることなく夏樹と教室に向かった。
でも家に帰れば青と会う。俺は普通に接することができるだろうか。青に触れたことで、今までのように青への気持ちが上手く隠せないかもしれない。今度青に触れたら、俺は気持ちを止められない。だからもう、一緒に寝るのは止める。そして青から離れる努力をしよう。気持ちが溢れ出ないよう、青に嫌われる努力をしよう。
夏樹の背中を見て歩きながら、俺はそんなことを考えていた。
教室に戻り遅くなったことを謝って、自分のやるべきことをやっていたけど、ずっと頭の中では青のことでいっぱいだった。だから夏樹に話しかけられても上の空だったらしく、文化祭が終わった後に、心配した夏樹に家につれて来られた。
夏樹の部屋は広くて、机とベッドの他にソファーもある。部屋に入るなりソファーに座らされ、冷たいペットボトルの紅茶を渡された。
「今日はお疲れ。はいこれ。昊の好きなミルクティー」
「…ありがとう」
「で?なにがあった?」
「え?」
「だってさ、おまえ休憩の後からずっと変じゃん」
「そんなに変だった?」
「おう」
俺はペットボトルの蓋を開けてひと口飲むと、隣に座った夏樹と目を合わせた。
「あのさ…夏樹は俺の気持ち、知ってるだろ」
「知ってる。それに無責任かもだけど、俺は昊の気持ちを応援してる」
「うん…ありがとな。そう言ってくれる夏樹に、俺は救われてる…」
「青と何かあったのか?でも青はいつもと変わんなかったけど」
俺はもう一口飲んでペットボトルを机に置き、両手で顔を覆った。
「はあ…、早く大人になりたい」
「なんでだよ」
「家を出たい…青から離れたい」
「なんで」
「傍にいるのが辛いんだよ」
「昊…」
以前に夏樹が、たとえ報われなくても、好きな人の傍にいられるなんて幸せじゃんって話してた。でも俺はそうは思わない。報われないのなら、傍にいるのは辛いだけだ。確かに毎日顔を見て声を聞けることは嬉しい。でもその内に、青が俺以外の誰かの傍にいる姿を見る日が来るかもしれない。そんなのは嫌だ。見たくない。そうなる前に離れたいんだ。
俺はゆっくりと手を離して、ペットボトルについた水滴を見つめた。
「今日の休憩中、青に起こしてくれるよう頼んで、図書室で寝てたんだ。俺が起きたら青も隣で寝てた」
「うん」
「無防備な青の顔を見て、キスした」
「うん…ていうか、今までしてなかったの?」
「してねぇよ。できるかよ」
「そっか。昊は純粋だな」
「純粋じゃねぇ。青の許可なくキスした。それを篠山に見られた」
「はあっ?」
夏樹が大きな声を出す。
俺は夏樹を見て苦笑する。
「最悪だよな。でも篠山は誰にも話さないと思う」
「なんで」
「口外しないと約束する代わりに…つき合うことになったから…」
「誰とっ」
「俺と篠山」
「はあっ?ダメだろ!」
「いいんだよ、これで」
思いの外、夏樹が怒ってる。それが何だか嬉しくて、俺は笑ってしまう。
「昊っ、篠山のこと好きじゃねぇだろ?」
「好きになるよう、努力する」
「努力してどうにかなるもんじゃねぇからな!それに好きな人がいるくせにっ」
「青への気持ちは間違ってるんだ。だから俺は、篠山を好きになる努力をするよ」
「そんなの…っ、納得できない!」
「なんで夏樹がそんなに怒るの。ほんと…おまえは優しいな」
「昊には…幸せになってほしいんだよ。俺の一番の友達だから…」
「うん、ありがと。俺も夏樹は一番の友達だよ」
夏樹が顔を真っ赤にして涙ぐんでいる。自分のことじゃないのに本気で心配してくれる。いつもそうだ。夏樹にはずいぶんと助けられている。だから俺も、夏樹が困った時は助けてあげたい。
俺はもう一度「ありがとな」と言って、残りのミルクティーを飲み干した。
篠山と付き合うことになったけど、他の友達との関係と何ら変わることはなかった。
休みの日に買い物や映画に行くだけ。あとはたまにメールでやり取りしたり。家に来られることも行くことも俺が拒否をしていたから、二人きりになることもない。
そして特に恋人らしいことは何もなく月日が過ぎ、俺は高校生になった。
俺は篠山と同じ高校にならないよう、勉強を頑張った。頑張った甲斐あって、篠山とは違う高校に合格した。ちなみに夏樹も同じ高校だ。
篠山と離れたことで、自然と会う回数も減るだろうと甘く考えていた。俺はこの先ずっと青が好きだ。誰と付き合おうと気持ちは変わらない。青と結ばれることは無いけど、篠山との関係が切れたら、好きでもないやつと付き合うのは、もうやめようと思っていた。
しかし人生とは思う通りにはいかないものだ。離れても篠山からは毎日連絡がきた。篠山は、高校に入ってからもサッカーを続けていたから、会う時間もなくなってラッキーだと考えていたのに、ゆるい部活らしく水曜と日曜は休みだから会おうとしつこい。
用事があると全て断り避けていたら、ついに家に来た。たまたま青がいて、玄関先に立つ篠山を見て驚いていた。当然青は、部活の後輩である自分に用があるのかと思い「何か?」と聞いた。
篠山は青じゃなく俺を見ている。
「俺は昊に会いに来たんだ。森野に用はない」
「は?昊に何の用だよ」
明らかにムッとした青が、冷たく言う。
篠山は、青の後ろにいる俺に向けてニヤリと笑った。
「あれ?聞いてない?俺と昊は、去年から付き合ってるんだぜ」
「はあっ?」
青が大きな声を出す。
俺などすっぽりと隠れてしまいそうな高い身長。広い肩幅。細身に見えるのに鍛えられた筋肉があることを知っている。
俺だって鍛えてるけど、きっと力では敵わないだろうな。その大きな肩が震えている。確か青は篠山を好ましく思っていない。というか嫌いなんだろう。仕方なくだけど篠山と付き合った俺も、同じように嫌われるのだろうか。
「…そんなの…いやだ」
俺は思わず口の中で小さく呟いた。
なんと言ったか聞こえなかったらしい青が、後ろを向く。
弁明しようと顔を上げた俺は、初めて見る青の怖い顔に、何も言えなくなった。