二年前の夏から、俺は青を避けるようになった。
明らかに青に好意を持つ女子を見て、またその女子の前で俺の手を振りほどかれたことで、心が折れてしまった。どうせこのまま青を想い続けても、報われることは決してない。他人でも男同士はむずかしいのに、兄弟なんて有り得ないだろ?青は兄貴想いだから俺に優しかっただけだ。それを良いように勘違いしていた。バカだな俺。


青も俺を避けると思い、先に俺から避けたのに、なんでか俺と同じ高校に入学した。
勉強を頑張っていたのは知ってたけど、まさか同じ学校に来るとは思わなかった。驚いたけど、内心は嬉しかった。もしかして俺を追いかけて来たのかと淡い期待をした。だけど颯人も同じだと聞いて、期待は消え失せる。そうか、仲の良い颯人がいたからか。いつまで経っても諦められなくて、青の行動一つで一喜一憂してしまう自分に笑ってしまう。
青への気持ちを無くそうと避けていたのに、学校に行けば離れていられたのに、同じ学校になったことで、次第に困惑してきた。校内や運動場、食堂や図書館、いろんな場所で青の姿を探してしまう。想いを消そうとしているのに、姿を目にするだけで逆に想いが膨らんでしまう。
その上面倒なことに、二年前から俺に執着する柊木と同じクラスになってしまった。また運の悪いことに席も隣。休み時間ごとに柊木に絡まれ、放課後も行動を共にすることが多くなった。柊木は面倒くさい奴だけど、柊木と過ごす時間は青への気持ちを誤魔化すにはちょうどいい。俺が喋らなくても柊木がずっと喋っているから、楽でいいとも思い始めていた。

青は高校では部活に入らないのか、まっすぐに家に帰ってくる。でも俺は、ほぼ毎日塾に行くから帰りが遅い。塾が休みの日は柊木といるから、相変わらず青と話していない。

青が入学してきて三ヶ月経った今、あることに気づいた。数学担当の大神先生が、青にばかり話しかけている。最初は気のせいだと思っていた。あの先生は生徒に人気があるから誰とでも気さくに話す。青も仲の良い生徒の一人だと思っていた。だけどよく観察して違うと気づく。まず他の生徒のように、青からは話しかけていない。話しかけるのはいつも先生からだ。そしてよく青を準備室に呼びつけている。中で何をしているのかまではわからないけど、嫌な気分だ。だけど、青が嫌がっていないなら仕方がない。俺は止めろと言う立場にない。そう自分に言い聞かせていたけど、胸の中のモヤモヤは消えない。
そんなふうに思っていたから、塾が休みの今日、家でのんびりしていたけど、支払いがあったことを思い出してコンビニに行こうと扉を開けて、目の前で親密そうな青と先生の姿を見てしまった瞬間、腹が立った。そして石を飲み込んだように腹の中が重たくなり、その場から逃げた。
二人の姿が見えなくなる場所まで来ると、走るのをやめて歩き出した。そして一番近いコンビニに行き、支払いを済ませる。ついでにチョコを買い、コンビニを出て重い足取りで家の方へ歩いていると、すごい勢いで走ってくる青とすれ違った。俺は驚いて振り返った。素通りしたので青じゃなかったのかと思ったけど、後ろ姿といい走り方といい、青だ。制服も同じ。俺に気づかず何をあんなに慌てているのか。でもすぐにピンときた。青はまっすぐにコンビニに向かっている。なぜか?俺がコンビニに行くと言ったから。だから俺を追いかけてきた?すれ違った俺に気づかないくらい、必死になって?

「マジか…」

じわじわと嬉しさが込み上げてきて、手で口を押さえた。そうでもしないと、笑ってしまいそうだったから。
俺は青を追いかけた。俺を追いかけている青を追いかけるなんて、おかしな話だ。
青はコンビニに入るとすぐに出てきて、家と違う方向へ走り出す。たぶん二番目に近いコンビニ向かっている。
俺は青を見失わないよう、走ったり歩いたりしながら後を追った。やはり青は、違うコンビニに入りすぐに出てきた。コンビニを見上げて前髪をかきあげていた青が、いきなり振り向いた。そして目が合う。
俺は無言で青に近づいた。青の前で止まり見上げる。久しぶりに正面から青を見た。やばい、高校生になった青は、中学生の頃と比べ物にならないくらい、かっこよくなってる。青への気持ちを無くそうとしていたけど、全然無くなっていない。むしろ以前より好きが増している。
俺は小さく深呼吸して、平静を装い口を開いた。

「なに?おまえも買い物?」

次の瞬間、青の顔がくしゃりと歪んだ。
驚いていると、腕を掴まれ抱き寄せられてしまう。

「え…?ちょっ…!青っ、何してんだよっ」
「昊…っ」

心臓が跳ねる。青がどういう意図でこういうことをしてるのかわからないけど、嬉しい。触れられて嬉しい。結局二年間の俺の努力は、一瞬で消え去った。
でも、ずっとこうしていたいけど、ここは近所のコンビニだ。誰に見られるかわからない。俺は何を言われてもいいけど、青が言われるのは嫌だ。だから強く抱きしめてくる青の胸を、力いっぱい押して離れた。
青は泣きそうな顔をしていた。その顔を見て、幼い頃の青を思い出して、懐かしさが込み上げてきた。
俺は尚も掴もうと伸ばしてきた青の手を素早く握って、家の方角へと歩き出す。ぐいぐいと引っ張って歩いていると、後ろから青の声がしたけど、それを遮るように声を出した。

「おまえさぁ、近所のコンビニの前であんなことするなよ。誰かに見られたらどうすんだよ」
「どうもしない…」

後ろから青の小さな声が聞こえる。
あんな大胆なことしておいて、なんだよその声は…と思わず笑いそうになる。
俺はチラリと青を振り返ると、「とりあえず家に帰るぞ」と握る手に力を込めた。
家に着くまでの間、色々と聞かれた。

「買い物は?いいの?」
「もう用事は済んだ。家に帰ろうと思ったら、おまえがすごい顔で走ってったからさ、気になって後を追いかけた」
「え?すれ違ってた?どこで?」
「手前のコンビニの近く。ただごとじゃない様子にビビったっつーの」
「なんだ…いたんだ」
「…俺を探してたのか?」
「そうだよ…」
「ふーん」

やっぱり探してたんだ。やばい、顔がにやける。今喋ると声に嬉しさがにじみ出そうだ。
しかしその後は青が黙ったので、無言のまま家に着いた。手を繋いだまま玄関を上がりリビングに入る。誰もいなくて静かだ。
俺はリビングの扉を閉めると、ようやく繋いだ手を離し、青の正面に立った。青の顔を見上げたけど、なんて話していいのかわからなくて口を開けない。すると青がいきなり俺を抱きしめた。青の唇が耳に触れ、「昊」と囁く。熱い息に身体が熱くなる。
どうして俺を抱きしめるのか、どうしてそんな切ない声を出すのか、わかってしまった。本当に?青…おまえも、俺と同じ気持ちなのか?
そう思った瞬間、鼻の奥がツンと痛くなり涙が溢れた。俺も青の腰に手を回すと、涙を隠すように青の肩に顔を押しつける。その直後、青が吐き出した息が首にかかり、小さく震えてしまった。

「なぁ」
「…ん」
「先生に送ってもらったのか?」
「違うよ…。俺が課題を忘れたから、取りに来たんだ」
「そっか」
「うん」

俺は、光景を目にしてから気になっていたことを聞いた。聞いてみれば、なんでもないことだった。一人で悪い方へ考えないで、すぐに聞けばよかった。勝手に拗ねて逃げて、バカみたいだ。
俺が安堵の息を吐いていると、更に強く抱きしめられる。

「昊」
「なに」
「俺の話…聞いてくれる?」
「ああ」
「ちゃんと最後まで、聞いてくれる?」
「聞くよ」
「約束だよ」
「わかった」

俺の心臓が高鳴る。青が言おうとしてること、もうわかっている。

「俺は、昊が好き」
「うん」
「兄弟の好きじゃない。恋人としての好きだよ。それに昊のこと、性的に見てる」
「……」
「ごめん…昊に気持ち悪いと思われても、俺は昊が好きだよ」
「青…」

嬉しい。すごく嬉しい。ようやく止まっていた涙が、また止めどなく溢れ出す。
青の顔が見たい。今どんな顔をしてる?俺の心の声が聞こえたかのように、青が顔を上げる。青も泣いていた。青の泣き顔なんて小学生の時以来だ。俺は幼い頃の、涙でぐしゃぐしゃにした顔の青を思い出して、泣きながら笑った。

「なんで笑うの」

青が拗ねた口調で言う。
俺は腕を伸ばして、目の前の尖った唇を摘んでやる。そうすると青も目を細めて笑い出した。

「いひゃい…」
「おまえ、昔も拗ねるとよく口を突き出してたよな」
「そうかな」
「そうだよ。…なあ」
「うん?」
「返事…聞かねぇの?」
「返事くれるの?」

俺は青の口から指を離すと、一旦身体を離す。
でも青は、俺の肩を掴んで離さない。青の気持ちの強さを感じて嬉しい。

「青、好きだ」
「それは…」
「おまえと同じ意味の好き、だ」
「昊っ」

また抱きしめられた。今度は息もできないくらい強く。身体がデカいだけあって力も強いな。昔は俺の方が力があったのに。今じゃ腕相撲しても負けるかもな。
俺は青の腰に手を回し、ゆっくりと顔を上げた。
身じろぐ俺に青が腕の力を緩め、俺の肩に埋めていた顔を上げる。目が合う。

「おまえ力強いって。息ができねぇよ」
「なんか…信じられなくて。夢じゃないかなって。嬉しくて加減ができないよ」
「夢じゃねぇよ。それに加減してくれよ。俺が潰れるわ」
「うん…ごめん」

話してる間に青の顔が近づいて、鼻先が触れる。自然と目を細めると、キスをされた。その瞬間、足から頭を突き抜けるように電気が走り、全身が痺れた。

「ん…」
「昊…」

チュ…と軽いキスを繰り返しながら、青が俺の名を囁く。眠ってる青じゃなく、ちゃんと起きて意識のある青とキスしてる。マジか…。青じゃないけど夢じゃないかなって思ってしまう。でもこれは現実。すげー嬉しい。でも足りない。もっと深いキスが欲しい。
俺は青の首に腕を絡めて引き寄せ、唇を強く押し当てた。
青も俺の腰を強く抱き寄せ、舌で唇をこじ開ける。
歯列をなぞられ、口を開けると、熱い舌が入ってきた。舌に舌が触れて、頭の中が熱く蕩けて何も考えられなくなる。ただもっと触れてほしい触れたいとしか考えられなくなる。

「んぅ…ふっ」

鼻から抜ける声に少し驚く。
この甘い声は…俺の?こんな声出るの?
少し息が苦しくなって、顔を離そうとするけど、後頭部を青の手にしっかりと押さえつけられているから離せない。どちらの舌なのかわからないくらいに舌を絡め合わせているからか、下半身に熱がたまる。
このままじゃ…ヤバい。

「青…っ」

一旦離してほしくて、キスの合間に呼ぶけど、青は止まらない。
口内に溜まった俺と青の唾液を飲み込み、青の制服を強く掴んだその時、「なに…してるの」と声がした。

弾かれるように青から離れて、声が聞こえた後ろを向く。「あ…」と声が出たけど言葉が続かない。頭の中が真っ白になる。
ドアの前に、母さんがいた。
いつ、帰って来た?いつ、入って来た?玄関が開く音も、廊下を歩く足音も、リビングのドアを開ける音にも、全く気づかなかった。青とのキスに夢中で、気づけなかった。見られた…どうする?ふざけてたって言う?…無理だ、あんなに激しいキス、ふざけてはしない。でも俺は後ろ姿だったし、なんとかごまかせないだろうか…。
俺が黙って固まっていると、青が先に口を開いた。しかも俺を庇うように前に出て。

「おかえり。早かったんだね」
「青…あなた…たち…今、なにしてたの…」

母さんの声が震えている。ああダメだ。やっぱりごまかせない。母さん、ショックだろうな。そりゃあそうだろう。自分の息子達がキスしてたんだから。
なのに逆に青はとても落ち着いている。なぜ…と思ったけど、すぐにわかった。そうか、青は覚悟ができてるんだ。誰にバレて何を言われても、自分の気持ちに嘘をつかない覚悟が。
青が静かに、はっきりと言う。

「見た通りだよ。キスをしてた」
「な…なんで。ふ、ふざけて…」
「ふざけてなんかない。俺がしたかったからしたんだ」
「どういうことっ?」

母さんの声が、だんだんと荒くなる。比例するように、俺の手が震え出す。俺の不安な様子に気づいたのか、まるで大丈夫だというように、青が後ろに回した手で俺の手に触れた。それだけで、俺の震えが少しおさまる。
好きな人の力って偉大だ。青の大きな背中を見ていると、だんだんと落ち着いてきた。なんだか上手くいくような気がしてきた。でも現実では、俺と青が恋人同士になるなんてことは、決してない。兄弟で、男同士で恋愛なんてタブーもいいところだからだ。その証拠に、ほら、いつも優しい母さんが、今までに見たことないくらい怖い顔をしている。
でも青は、母さんの様子に怯むことなく、正直に話し続ける。

「俺は、昊が好きなんだ。家族に対する好きじゃない。恋人として、触れたり触れられたりしたいと思ってる」
「青っ!それは勘違いよ。兄弟として好きなことを、勘違いしてるのよ!あなた小さい頃から昊にべったりだったからっ」
「勘違いじゃない。悩んだり考えたりもしたけど、俺の中ではっきりしている。俺は、昊が好きだ」
「青…っ!昊は?昊もそうなのっ?」

急に問われて言葉に詰まる。でも俺も青が好きだ。ずっと好きだった。だからそう言おうとしたのに、青に遮られた。

「俺も青が」
「母さん、俺が強引に昊にキスした。気持ちを抑えきれなくて。俺の方が力が強いからさ、昊は逃げれなかったんだ」
「は?なに言っ…」

痛い。青が俺の手を強く握る。何も喋るなというように。なんでだよ。俺も青が好きだ。隠したくない。だから青の前に出ようとしたのに、青に押し戻された。

「ねぇ母さん。俺、高校を出たら家を出る。働いて昊と二人で暮らしたい」
「そんなことっ、許さないわよ!」
「ダメって言われても俺の気持ちは変わらない」
「青っ!」

バシン!と鋭い音がして、掴まれた手を離そうと下を向いてた俺は、驚いて顔を上げた。
青が母さんに叩かれた。
母さんが真っ赤な顔で怒っている。

「青っ」

俺は、赤くなった青の頬に手を伸ばした。
青も驚いた顔をしていたけど、すぐに俺を見て微笑んだ。まるで俺を安心させるように。
俺は泣きそうになった。なんで自分だけ悪者になろうとすんだよ。本当なら、兄の俺がおまえを守らなきゃダメなのに。
俺は振り返って母さんを睨む。
母さんは青を叩いた自分の手を見ていたけど、俺の視線に気づいて顔を歪めた。

「昊…どうしてそんな怖い顔するの?あなたは青に無理矢理キ…キス…されたのよね?」
「違う。同意の上だ」
「昊っ、俺が勝手に…っ」
「青は黙って。静かにしてて」
「でもっ」
「いいから」

焦った顔で俺を止めようとする青の目を見て、少しだけ笑う。青だけに非難を浴びさせない。俺も一緒に。
俺は再び母さんを見て口を開く。

「気に入らないなら俺を殴れよ。俺は青を拒否しなかった。受け入れた。青が好きだ。誰に何を言われようとも、俺は青から離れないからな」
「あなたたちっ…なんてことっ」

ついに母さんは泣き始めた。両手で顔を覆って座り込み、嗚咽をもらす。
母さんを悲しませて悪いと思う。でも、青が好きで仕方がないんだ。どうしても諦められなかった。他の人を好きになろうと、柊木といる時間を増やしたりしたけどダメだった。青じゃなきゃ、嫌だ。でも、気持ちを正直に話したことで、この家にはいられなくなるかもしれない。母さんはきっと、父さんに話す。父さんも激怒するだろう。俺と青を離すだろう。せっかく想いが通じたのに、離れることは辛い。絶対に離れたくない。まあいざとなれば、高校を辞めて働くか。青には高校を卒業して大学にも行って欲しいから、働くのは俺だけでいい。
そこまで考えて、俺はうずくまる母さんの背中を撫でた。

「母さん、泣かせてごめん。でも仕方がないんだ…ごめん」

震える母さんの背中を見ていると悲しくなって、俺も涙を流した。

母さんをリビングに残し、俺と青はそれぞれの部屋に入った。青は俺と一緒にいたいと言ったけど、一人で考えたいからとドアを閉めた。
勢いで正直に母さんに話してしまったけど、早まったかもしれない。ちゃんと高校大学を出て、就職して自分の力で生活できるようになってから、話すべきだったかもしれない。高校生の俺たちには、何の力もない。引き離される未来しか見えない。
俺はスマホを手に取ると、夏樹にメールを送った。一分も待たずに返信が来た。クローゼットの中からリュックを出し荷物を適当に入れると、部屋を出て青の部屋へ行く。

「青」

声をかけると、すぐにドアが開く。
俺のリュックを見て、「どこに行くの」と青が焦った声を出した。

「夏樹の家。今夜は泊めてもらう。おまえは?颯人のところにでも行く?いづらいだろ?」
「俺は…ここにいるよ。本心は昊といたいけど、一緒に行くと母さんがまた怒りそうだし」
「そうだな。大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
「何かあれば連絡くれ。すぐに戻ってくる」
「うん」

青の手が伸びてきて、背中のリュックごと俺を抱きしめた。
俺も抱きしめ返して、青の匂いを思いっきり吸い込む。大好きな匂いが胸の中に充満して、重苦しい気持ちが、少し楽になった気がした。
青から離れリビングに行きドアを開ける。
母さんは、キッチンに立って料理を作っている。

「母さん、今日、夏樹のところに泊まる」
「…そう」
「ごめん…母さんを悲しませたくはなかったのに…」
「…夏樹くんに…よろしく言っておいてね」
「うん…」

俺と青のことに一切触れない母さんの後ろ姿を見て、また泣きそうになる。俺は「行ってきます」と早口で言うと、リビングのドアを静かに閉めた。



「急に悪かったな。大丈夫?」
「全然いいよ。父さんは出張でいないし、母さんも実家に帰ってるし、一人で退屈だったんだ」
「そうなんだ」
「そ。だから気兼ねしなくていいし。飯は?食べた?」
「まだ。だから弁当買ってきた。夏樹の分もあるけど」
「マジで?助かるぅ。今から買いに行こうと思ってたんだよ」
「そっか。ならよかった」

夏樹の家の玄関を上がり、リビングに向かいながら持っていたビニール袋を掲げてみせる。
夏樹が袋を受け取りながら、怪訝な顔をした。

「なあ、何かあった?昊が話し出すの待ってようかと思ってたけど、そんな顔見たら気になって仕方ねぇわ」
「俺…どんな顔してんの」
「泣き出しそうな顔。ていうか泣いただろ」
「…うん」

夏樹の前で嘘はつかない。夏樹には何でも話せてしまう。俺は素直に頷いて、頷いた瞬間、母さんの姿を思い出してしまい、また目に涙を浮かべた。

「昊」
「悪い。今、情緒不安定なんだよ」
「泣きたい時は我慢せずに泣けよ?」
「ん…」

夏樹が俺の肩をポンと軽く叩いて、先にリビングへ消える。
俺は溢れ出そうになった涙を袖で拭うと、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
泣いたって何も変わらない。これからどうすべきか、夏樹に聞いてもらいながら考えるんだ。
もう一度深呼吸をしてリビングに入ると、夏樹がテーブルの上に水が入ったコップを並べていた。

「なあ、腹減ったから先に飯にしよう」
「ああ」

特に気を使った様子もなく言う夏樹に頷いて、いつも俺が座る椅子に腰を下ろす。
小学生の頃、俺の背中の傷跡のことで、夏樹の両親が家に怒鳴り込んで来たことがあった。だけど夏樹と仲良くなってから夏樹の家に遊びに行くと、とても失礼なことをしたとすごく謝ってくれた。夏樹の両親は、一人息子の夏樹がかわいくて仕方がなかっただけなんだ。
そんなことを思い出していたら、また母さんの姿が浮かんできて辛くなった。俺は小さく頭を振り手を合わせる。

「いただきます。ここの唐揚げ美味いよな」
「うまい。俺もよく買う」

いただきますと呟いて、夏樹が唐揚げを口に入れる。美味そうに目を細める夏樹に笑って、俺も唐揚げを口に入れる。
うん、うまい。美味しい物を食べると幸せな気持ちになるよな。青も、今頃は夕飯を食べてるかな…。でも、会話なんてなく、美味しく食べられないよな。それに父さんが帰ってきたら、絶対に怒られる。やっぱり俺も、家にいた方が。

「昊、箸が止まってる。後でゆっくり聞くから、弁当はちゃんと食べな」
「…夏樹、わかった」

すでに半分以上食べ終えている夏樹の弁当を見て、小さく頷く。そして止まりそうになる箸を何とか動かして、夏樹よりかなり遅れて食べ終えた。
食後に「デザートだ」と出されたアイスも食べ、ようやく夏樹が「話したいこと全部話せ」と俺を見た。
俺は、テーブルの上で組んだ自分の両手を見つめて、全て話した。
青に好きだと伝えたこと。青からも好きだと言われて嬉しかったこと。そしてキスをして…帰ってきた母さんに見られたこと。青が好きだと母さんに話したこと。母さんがひどく怒っていたことを。
夏樹は最後まで黙って聞いていた。
俺が口を閉じて俯くと、夏樹が席を立ち傍に来た。ふいに頭に大きな手が乗せられる。

「俺は昊の味方だよ」
「…うん」

夏樹の優しい声に、俺は涙声で頷いた。