「────陽葵?」
集合のアナウンスに従い、本部のテントでエントリーを済ませ、指定された色のゼッケンをつける。その時にあいつの声が聞こえた気がして、俺は思わず後ろを振り返った。
まさかな。さすがにこんなとこまで来てないだろ。配信で見てるって可能性はあるけど。
"良い結果残した方がひまりサンを貰う。どう?"
「・・・・」
────余計なことを考えるな。今は集中しろ。
答えはもう出てる。
『絶対に負けられない』そう思うのだから・・自分の中であいつへの気持ちが終わっていないことくらい。
その気持ちをどうするかは、試合が終わった後の事。今は集中しろ。なんとしても勝ち上がるんだ────。
【それでは、第8ヒート、これよりスタートです】
◆◇◆◇◆◇
ヒート開始のブザー音が鳴り響くと、一斉に四名の選手が海へと入水し、パドリングを開始する。沖へ出ると浜からは誰が誰だか判別出来なくなるので、選手はそれぞれ四色のゼッケンをつけて入水する。央君のゼッケンは赤。私は小さくなっていく彼の姿を固唾を呑んで見守った。
央君────頑張って・・!
「・・央はインサイドの波を狙うみたいだね」
聞き覚えのある声がして、私はそちらを振り返った。
「夏樹君!」
そこにいたのは夏樹君だった。先程一試合終えていた彼は当然ウェットスーツ姿で、髪もまだ濡れている。
「来てたんだ。遠かったでしょ」
「う、うん。渚さんが大洗駅まで迎えに来てくれて。夏樹君、一位通過おめでとう」
彼は先程の第2ヒートで安定したライディングを見せ、ベスト2ウェイブ4.20と3.85の合計、8.05のスコアで一位通過を決めている。スコアの高い低いという基準が分からなかったが、ここまで見てきた感じでは2〜3点代のスコアが付されることが多いようで、4点代が出れば高スコアと言ったところだろうか。渚さんが小波のコンディションの日に7点以上を出すのは難しいとした話は本当なのだろう。
彼は私の賞賛を受けて、微笑を見せただけだった。すぐに視線を海の方へ戻す。
「あそこは下がリーフになってるから、波が割れるポイントなんだ」
見ると央君の波待ちするすぐ左側には、黒い岩礁の頭が顔を出している。
「決まった位置で割れるから波を掴まえやすい反面、その先が深くなってるから波は長く続かない。その上、グーフィーの波って決まってるからね」
グーフィースタンス────横乗り系スポーツではよく使われる用語で、利き足ではない足を前にして滑るスタンスの事だ。ピークから右方向へ割れていく波はレギュラースタンス、左方向へ割れていく波はグーフィスタンスで滑ることになる。決まったブレイクポイントでは、地形の関係で同方向にしか割れない波というのは珍しくないらしい。
「あそこにポジショニングするってことはグーフィー対策はしてきてるんだろうけどね。高得点は捨てて、まずは2本乗っておこうってところかな」
15分という限られた時間の中では、波を選びすぎると2本乗れないということもある。当然ではあるけど、5点のスコアを出しても1本しか乗れなければ、3点を2本乗った人の方が合計点は高くなる。競技においてはそのあたりの見極めも重要となってくるのだ。
央君は開始五分のうちに2本の波に乗った。鮮やかなトップターンを決めるも、夏樹君の話したとおり波はすぐに消えてしまい、連続して技を決めるには至らない。スコアはやはり2.2と1.9と伸びなかったが、ひとまずは4.1分のポイントを確保したという事になる。
「多分次はアウトに行くよ」
夏樹君の言ったとおり、赤いゼッケンは先程のポイントではなく、他の三選手のいる沖へと向かっていった。
【先程のゼッケン緑の2本目は3.23。現在トップは緑、続いて二位は赤。プライオリティは白】
「夏樹君。プライオリティって・・どういう事なんですか?」
アナウンスを聞いていてずっと感じていた疑問を私は夏樹君に尋ねた。
「プライオリティってのは優先権の事だね。一度波に乗ろうとパドリングした時点で、プライオリティは失われて次の選手に移る」
「でも見てると・・必ずしもプライオリティの順で波に乗ってる訳ではないですよね?」
「妨害にならなければ問題ないからね。つまり優先権が生じるのは、同じ波を狙った場合のみって事。プライオリティを持ってる選手のライディングを妨害した場合、ペナルティがつくからね」
「なるほど、そういうことなんですね・・」
その時、入ってきたアナウンスに私はどきりと心臓を震わせた。
【先程の白の2本目は2.6ポイント、合計5.2ポイントで二位に浮上】
ということは央君は三位に・・次のラウンドへ駒を進めるのは上位二名。残り時間は6分。その間に巻き返さないと敗退に・・
「・・次は央にプライオリティがくるよ」
【プライオリティは赤。三位の赤、四位の青の必要ポイントはそれぞれ、3.0と4.1ポイントが必要です】
慌ただしくアナウンスが現在の状況を伝える中、私達は無言で央君の姿を見つめていた。時間的にも次の波が最後になるかもしれない。そして次の波が来た時、央君はパドルを開始し、波に乗った────。
【赤の汐見選手の3本目】
波の上部が崩れるリップと呼ばれる部分にタイミングよくボードを当てて回転するトップターン・オフザリップ。そのスピードやパワー、そしてスプレーと呼ばれる水飛沫の大きさなどもジャッジの判断基準となるという。一発目のオフザリップからカットバックというターンで反転し波のパワーゾーンに戻った央君は、再び加速し二度目のオフザリップを決めた。明らかに先程のグーフィースタンスの波より良いライディング。ついつい握った手に力が入る。
「さ、3点以上いくかな!?」
思わず夏樹君の方を振り向くと、彼はその美貌に美しい微笑を浮かべた。
「多分大丈夫じゃない?」
【・・赤の汐見選手の3本目のスコアが出ました。3.92────惜しくも一位には届かないか、合計6.12で再び二位に浮上】
────やった!!
しかし次のアナウンスは高揚した気持ちに冷静さを取り戻させるものだった。
【白の必要ポイントは3.52、そして青は5.02以上が必要です。残り時間は四分】
そうだった・・まだ終わってないんだもんね。
「もう一本乗りたいところだけど、プライオリティが回ってこないかもね。四人とも同じ様な位置にポジションとってるし」
まだ真剣な表情で海を見つめる夏樹君を見て、私は手に汗を滲ませる。これは白と青の選手が高得点を出さない事を祈るしか・・。しかし無情にも、ヒート終了時間間際、三位につける白の選手が波を掴んだ。彼のライディングの終了と共にブザー音が鳴り、終了を告げるアナウンスが流れる。白の選手の最後のライディングのスコアが発表されるまでの間、正直生きた心地がしなかった。
【白の佐藤選手の3本目のスコアは────3.12。合計5.72で順位は変わらず】
心底、ほっとした。
心音はまだドキドキと大きな音を鳴らしている。これ・・ほんとに心臓に悪い。
隣の夏樹君もほっとした表情で頭を掻きながら、こう漏らした。
「なんか自分のときより緊張するなぁ・・」
集合のアナウンスに従い、本部のテントでエントリーを済ませ、指定された色のゼッケンをつける。その時にあいつの声が聞こえた気がして、俺は思わず後ろを振り返った。
まさかな。さすがにこんなとこまで来てないだろ。配信で見てるって可能性はあるけど。
"良い結果残した方がひまりサンを貰う。どう?"
「・・・・」
────余計なことを考えるな。今は集中しろ。
答えはもう出てる。
『絶対に負けられない』そう思うのだから・・自分の中であいつへの気持ちが終わっていないことくらい。
その気持ちをどうするかは、試合が終わった後の事。今は集中しろ。なんとしても勝ち上がるんだ────。
【それでは、第8ヒート、これよりスタートです】
◆◇◆◇◆◇
ヒート開始のブザー音が鳴り響くと、一斉に四名の選手が海へと入水し、パドリングを開始する。沖へ出ると浜からは誰が誰だか判別出来なくなるので、選手はそれぞれ四色のゼッケンをつけて入水する。央君のゼッケンは赤。私は小さくなっていく彼の姿を固唾を呑んで見守った。
央君────頑張って・・!
「・・央はインサイドの波を狙うみたいだね」
聞き覚えのある声がして、私はそちらを振り返った。
「夏樹君!」
そこにいたのは夏樹君だった。先程一試合終えていた彼は当然ウェットスーツ姿で、髪もまだ濡れている。
「来てたんだ。遠かったでしょ」
「う、うん。渚さんが大洗駅まで迎えに来てくれて。夏樹君、一位通過おめでとう」
彼は先程の第2ヒートで安定したライディングを見せ、ベスト2ウェイブ4.20と3.85の合計、8.05のスコアで一位通過を決めている。スコアの高い低いという基準が分からなかったが、ここまで見てきた感じでは2〜3点代のスコアが付されることが多いようで、4点代が出れば高スコアと言ったところだろうか。渚さんが小波のコンディションの日に7点以上を出すのは難しいとした話は本当なのだろう。
彼は私の賞賛を受けて、微笑を見せただけだった。すぐに視線を海の方へ戻す。
「あそこは下がリーフになってるから、波が割れるポイントなんだ」
見ると央君の波待ちするすぐ左側には、黒い岩礁の頭が顔を出している。
「決まった位置で割れるから波を掴まえやすい反面、その先が深くなってるから波は長く続かない。その上、グーフィーの波って決まってるからね」
グーフィースタンス────横乗り系スポーツではよく使われる用語で、利き足ではない足を前にして滑るスタンスの事だ。ピークから右方向へ割れていく波はレギュラースタンス、左方向へ割れていく波はグーフィスタンスで滑ることになる。決まったブレイクポイントでは、地形の関係で同方向にしか割れない波というのは珍しくないらしい。
「あそこにポジショニングするってことはグーフィー対策はしてきてるんだろうけどね。高得点は捨てて、まずは2本乗っておこうってところかな」
15分という限られた時間の中では、波を選びすぎると2本乗れないということもある。当然ではあるけど、5点のスコアを出しても1本しか乗れなければ、3点を2本乗った人の方が合計点は高くなる。競技においてはそのあたりの見極めも重要となってくるのだ。
央君は開始五分のうちに2本の波に乗った。鮮やかなトップターンを決めるも、夏樹君の話したとおり波はすぐに消えてしまい、連続して技を決めるには至らない。スコアはやはり2.2と1.9と伸びなかったが、ひとまずは4.1分のポイントを確保したという事になる。
「多分次はアウトに行くよ」
夏樹君の言ったとおり、赤いゼッケンは先程のポイントではなく、他の三選手のいる沖へと向かっていった。
【先程のゼッケン緑の2本目は3.23。現在トップは緑、続いて二位は赤。プライオリティは白】
「夏樹君。プライオリティって・・どういう事なんですか?」
アナウンスを聞いていてずっと感じていた疑問を私は夏樹君に尋ねた。
「プライオリティってのは優先権の事だね。一度波に乗ろうとパドリングした時点で、プライオリティは失われて次の選手に移る」
「でも見てると・・必ずしもプライオリティの順で波に乗ってる訳ではないですよね?」
「妨害にならなければ問題ないからね。つまり優先権が生じるのは、同じ波を狙った場合のみって事。プライオリティを持ってる選手のライディングを妨害した場合、ペナルティがつくからね」
「なるほど、そういうことなんですね・・」
その時、入ってきたアナウンスに私はどきりと心臓を震わせた。
【先程の白の2本目は2.6ポイント、合計5.2ポイントで二位に浮上】
ということは央君は三位に・・次のラウンドへ駒を進めるのは上位二名。残り時間は6分。その間に巻き返さないと敗退に・・
「・・次は央にプライオリティがくるよ」
【プライオリティは赤。三位の赤、四位の青の必要ポイントはそれぞれ、3.0と4.1ポイントが必要です】
慌ただしくアナウンスが現在の状況を伝える中、私達は無言で央君の姿を見つめていた。時間的にも次の波が最後になるかもしれない。そして次の波が来た時、央君はパドルを開始し、波に乗った────。
【赤の汐見選手の3本目】
波の上部が崩れるリップと呼ばれる部分にタイミングよくボードを当てて回転するトップターン・オフザリップ。そのスピードやパワー、そしてスプレーと呼ばれる水飛沫の大きさなどもジャッジの判断基準となるという。一発目のオフザリップからカットバックというターンで反転し波のパワーゾーンに戻った央君は、再び加速し二度目のオフザリップを決めた。明らかに先程のグーフィースタンスの波より良いライディング。ついつい握った手に力が入る。
「さ、3点以上いくかな!?」
思わず夏樹君の方を振り向くと、彼はその美貌に美しい微笑を浮かべた。
「多分大丈夫じゃない?」
【・・赤の汐見選手の3本目のスコアが出ました。3.92────惜しくも一位には届かないか、合計6.12で再び二位に浮上】
────やった!!
しかし次のアナウンスは高揚した気持ちに冷静さを取り戻させるものだった。
【白の必要ポイントは3.52、そして青は5.02以上が必要です。残り時間は四分】
そうだった・・まだ終わってないんだもんね。
「もう一本乗りたいところだけど、プライオリティが回ってこないかもね。四人とも同じ様な位置にポジションとってるし」
まだ真剣な表情で海を見つめる夏樹君を見て、私は手に汗を滲ませる。これは白と青の選手が高得点を出さない事を祈るしか・・。しかし無情にも、ヒート終了時間間際、三位につける白の選手が波を掴んだ。彼のライディングの終了と共にブザー音が鳴り、終了を告げるアナウンスが流れる。白の選手の最後のライディングのスコアが発表されるまでの間、正直生きた心地がしなかった。
【白の佐藤選手の3本目のスコアは────3.12。合計5.72で順位は変わらず】
心底、ほっとした。
心音はまだドキドキと大きな音を鳴らしている。これ・・ほんとに心臓に悪い。
隣の夏樹君もほっとした表情で頭を掻きながら、こう漏らした。
「なんか自分のときより緊張するなぁ・・」