芽留が俺のクラスに特攻してきたのは、新しい年が明け、新学期始まってすぐの事だ。


「はいコレ! 必勝祈願の御守り!」


 芽留が差し出したのは青い色の御守り袋。初詣で購入したのだろう。あいつはニコッと、いつもの通り明るい笑顔で俺に笑いかけた。


「うちら三人、お揃いだよぉ?」

「別にいいのに。俺、神様の類って信じてないし」

「アンタね…心配してアンタの分まで祈ってきてやってんのに、なんだよその態度。前はもっと可愛いかったのに」

 芽留の苦言を無視して俺は歩きだした。芽留が慌てた様子でそれに続く。

「どうしちゃったんだよ夏樹! いい加減、央と仲直りしろってぇ。また三人で一緒に海入ろ?」

「嫌だ」

「何でだよ!? 嫌なんだよこういうの、なんか板挟みみたいでさぁ!」

 俺が無視して歩みを進めていると、芽留はなんとその俺の背中に飛びついてきた。両手を首に、両足を腰に巻き付けられて、俺はさすがに足を止めた。

「まてって言ってんだよ! 今日こそきっちり話つけてやる!」


 ────なんて言うんだっけ。こういう妖怪いたよな・・。おぶさってくるやつ。



「・・あいつは俺と当たったら、多分俺に勝ち譲るだろ」


 ────競技サーフィンはライディングに付される評点を競う競技。2〜5名程度の組に別れてヒート(試合)を行い、ベスト2ウェイブの合計点が高い者から、次のラウンドへ駒を進める事が出来る勝ち上がり戦。トライアルの最終ラウンドを勝ち上がった上位数名に対してはプロ本戦への参加権が与えられ、プロ資格を得る為にはこのプロ本戦で2ラウンドまで勝ち上がる必要がある。例外として、1ウェイブで7点以上、もしくは2ウェイブの合計点が11点以上というプロ並の高得点を叩き出した者については、勝ち進み関係なくプロ資格が与えられるのだが、どちらにせよその合格率は2%と言われている難関・・

 今年中に開催される二回のトライアルのうちどちらかで合格しなければ、俺のスポンサー契約は無くなる。

 央はそれを知ってる。あいつの性格上、途中のラウンドで俺とあたったら、自分のことは後回しにしてまずは俺を勝ち上がらせようと考えるはず。央はそういう奴だ。

 あいつが自分の意思でトライアルを受けようと決めたのならば、そういう情は早い段階で捨ててもらわなければならない。競技である以上勝敗を決するのが当然なのだから、勝ちを躊躇するようではプロとしてやってなどいけないだろう。ましてや俺があの家の『本当の子供』だから俺に全てを譲るなんて事があるなら・・そんな関係は『家族』と呼べはしない。

 あいつがどこかでそんな考えを払拭出来ない限り────俺達は本当の家族になんか戻れない。


「もう俺に世話を焼く必要なんか無いんだってあいつが理解するまで、俺は馴れ合うつもりはない。央はそろそろ自分の事を一番に考えられるようにならないとダメなんだよ」

「は? でもあんた、スポンサーの話無くなったら困るんじゃ・・」

「別に。どうだっていいしそんなの」


 芽留は唖然と俺の顔を覗きこんだあと・・呆れた様に苦笑いをした。

「あー・・なんか、うん。疑ったアタシが悪かった。アンタの央大好きがそう簡単に変わるはずないわな・・」

「央には言うなよ」

「わぁーかったよ。ったく・・面倒くさいなぁもう。てゆうかさぁ、夏樹はどぉ? 上達した? ウチらは今サーフスケートでの練習メインでやってるけど、イマイチまだプロみたいに深いボトムターンっての、コツが掴めないっつーか・・。だいぶ良くはなって来てはいるけど、あと三ヶ月足らずだし・・」

「・・ミッドレングス」

「え?」

「草加部さんに言われて、ミッドレングスの板で練習してる。正しいやり方じゃないとターン出来ないから、矯正になるって。草加部さん板いっぱい持ってるから、一枚貸して貰えるか聞いてみる」

「ええ〜ホント!? やったぁ! じゃあそれを、央にも貸せばいんだね?」

「お前に貸すんだ。・・お前がその後誰に貸すかは、いちいち聞かないけどな」

「わぁかってるってぇ! マジ面倒くさ!」

「つーかもう降りて。重すぎ」

「ねぇ夏樹」

「ん?」

「早くまた三人で海入れるとイイねぇ・・」

「・・・・まーね。・・」


 俺は溜息をついた。結局全部吐かされてしまった気がする。昔からこいつには敵わない。俺にとって芽留は央よりも長い付き合いだし、家族を除けば一番の大事な人間。


 それと、最近ではもう一人────。



「そうだ! もう一つアンタに言わなきゃいけない事があったんだった!」

「?」

「多分まだ央から聞いてないよね・・。実は央とひまりん、別れちゃったらしいんだよね・・」


 
 俺は驚いて思わず背中の芽留を振り返った。


 それがあまりにも、予想外の事だったから。



「────は?」








◆◇◆◇◆◇


 いつもと同じ、人気の無い渡り廊下で私は一人、お弁当を食べる。

 誰も来ないこの場所は驚くほど静か。

 前はこの日常が、私の全てだったのに。この静寂を淋しいと思っている自分がいて。まるであの出来事は儚い幻であったかの様に、私の恋は突然消え失せてしまった。


 しかしその日は、その静寂を破る訪問者が廊下出入り口のドアを開けた────。


「────夏樹君」


 まともに顔を合わせるのは随分久しぶりだった。相変わらず目を引く整った美貌。走って来たのか、彼は何故か肩で息を切らせながら、私の隣りへと腰を降ろした。


「央と別れたって・・なんで?」

「え・・?」


 夏樹君・・もしかしてそれを知って、走って来てくれたのかな・・?


「それは・・」


 私は概ねの事情を夏樹君に話した。私が小説を書いていることも、私が彼にした許されない行為も、隠さずに全部。
 しかし彼は事情を聞くなり、顔を顰めてこんな事を言った。


「は・・? そんなこと?」


 そんなことって・・


「で、でも、私が央君に酷いことをしたのも、嘘をついていたっていうのも間違いない事で・・」

「でも今は違うでしょ。過去のこと今更詰めても、なんか意味あるの?」


 この人の言う事は・・度々真理を突いているのかもしれない。でも────人の感情はそういった理屈だけでは説明しきれない事もある。


「央君にとっては重要なことだったんだと思います。ずっと嘘をつかれていたことが。どれが本当でどれが嘘か、分からなくなったって言ってましたから・・」


 そうだよね・・

 自分のことを好きだと思っていた人間が、まさか自分を呪っていただなんて・・どこからが本当の気持ちだったのかなんて、彼には判別はつかないのだもの。

 これは私への罰。私が受けるべき代償。

 最初から間違いだったのに・・どうして本物になれるなんて思っていたんだろう。


 
 ぽろりと涙が溢れ落ちた。
 出来る事なら全てを最初からやり直せたら・・


「すみません」


 涙を隠そうと下を向いた。だけど夏樹君の手が伸びてきて、その涙の雫を彼の手が拭った。



「じゃあ、俺にする?」



 驚いて思わず彼の方を見ると、彼は真面目な目の色を私に向けていた。



「今度は本当」