十月に入ると、ぐっと水温が下がった気がする。それに何と言っても辛いのは風。濡れた状態で風に吹かれると、すぐ近くの汐見家までの距離でも震えるほど冷え切ってしまう。
「さ、寒い・・」
ガタガタと体を震わせる私を見て、央君はこう言った。
「そのウェットスーツ、夏用の薄いやつだからなぁ。この先の海に入るにはセミドライとかドライスーツっていう、冬用のものが必要なんだ。今期はそろそろ海仕舞いかもね」
「そっか・・皆さんは持ってるんですか?」
「まぁ、ガチのサーファーは必須アイテムだからね。でも結構金額もするから、冬も本気で練習したいって人だけね。セミドライは安くても五万くらいするし、ドライスーツに至っては十万近くするからさ」
「わ・・高いですね」
「ま、それだけ需要が少ないって事。冬に海入ろうなんて普通の人は思わないからな」
サーフィン道具って高いんだなぁと改めて痛感する。いつもタダで道具をお借りしてる私、なんてラッキーなやつなんだろう。
だけどそれは着替えを終えて、央君と夏樹君とカフェへ入ったときだった。亮司さんのこんな一言から、汐見家を揺るがす大事へと発展していくなんて・・
「今ならドライスーツのオーダー料無料だから、後で採寸するぞ。発注するだろ?」
ドライスーツとは身体が濡れない完全防水のスーツの事で、手足や首からの水の侵入を防ぐ為か、基本採寸してのオーダーで作成するのだという。
夏樹君は普通に「分かった」と答えた。だけど央君は・・
「あー・・俺は今年はいいかなぁ」
「え? でもお前、今のドライスーツ一昨年頼んだやつだろ。もう無理じゃない。冬の間全然入らないの?」
「まー・・バイトもあるし、陽葵も冬海になんか入らんだろうし・・。俺も無理して入らなくてもい・・」
ガタンッと大きな音がした。見るとそれは、テーブルに手をついて下を向く夏樹君が、椅子から立ち上がった音だった。
「・・なんでそこまで気をつかうんだよ・・」
夏樹君が顔を上げた。
その表情は・・燻っていたものがはじけたように、怒りの色を露わにしていて────。
「俺達ってもう、家族じゃなくなったの?」
彼はそう言って央君を睨んだ後、ガタンと音を立てて席を後にした。
「・・夏樹!」
央君の静止の呼びかけを振り切り、彼は抑えきれない怒りを纏ったままカフェのドアを出て行ってしまって。それを見たとき・・何も考えないまま足が動いた。出て行ってしまった彼の背中を追って────。
「・・夏樹君っ・・」
彼はしばらく私の声を無視して歩き続けた。
「待って・・夏樹君・・!」
私がそれでも追って来ている事に気がついたのか・・彼はやっと足を止めた。私の方を振り返って・・
「・・血の繋がりなんか無くても、俺はあいつと一緒にサーフィンやって、この店経営して・・ずっとそうしていければそれが一番だけどさ」
彼の美しい瞳と目が合った。
澄んでいるけれど・・どこか悲しげな瞳。
「だけどそしたら、あいつは一生俺に遠慮しながら生きていくんだって思ったら・・それはどうなのかなって」
「え・・?」
「だからもう、ひまりサンにあげるね」
────夏樹君・・?
「・・欲しいとか・・思ってません! 央君だって・・お二人はあんなにお互い大事に思ってるじゃないですかっ・・!」
だからそんなに悲しい事言わないで・・
だってただのボタンの掛け違いでしょう。
側から見たら誰の目からも、二人が本当の兄弟よりもお互いを大事にしてるって明らかなのに・・
だけど夏樹君は、私の言葉にはそれ以上耳を傾ける事なく、自宅の玄関の中へと消えて行った。
「夏樹君・・」
◇◆◇◆◇◆
駅までの帰り道、空気は重かった。それでも央君は私に笑顔を向けてきた。
「なんかごめんな陽葵。びっくりしたでしょ」
「・・・・」
「小学校の頃は俺ら、ほんと毎日海入ってて。将来プロになるぞーなんて言っててさ。あいつは未だにそのテンションだから、なんか俺や芽留の付き合いが悪いのが気に入らないみたいでさ。ま、明日の朝には機嫌治ってるよ多分」
「・・そうかな・・」
"だからもう、ひまりサンにあげるね"
本当はもっと・・根深いんじゃないかな。今顔を背けたら、もう本当に取り返しがつかないくらいに・・
「私・・二人が本当の兄弟じゃないこと知ってますよ」
私は足を止めた。央君がそれに気づいてこちらを振り返る。
「お母さんが央君を置いて、突然居なくなってしまった事も。もう知ってます。私なんかに話したところで何の解決にもならないと思うけど・・でも知りたいの。央君が本当はどう思ってるのか。今何を考えてるのか・・」
亮司さん。
私で力になれるのかは分からないけれど・・
でもこんなに誰かの為に何かをしたいと思うのは、初めてだったから。
「教えて・・央君・・」
お願いだから私の前でまで、そんな風に無理して笑わないで────。
「さ、寒い・・」
ガタガタと体を震わせる私を見て、央君はこう言った。
「そのウェットスーツ、夏用の薄いやつだからなぁ。この先の海に入るにはセミドライとかドライスーツっていう、冬用のものが必要なんだ。今期はそろそろ海仕舞いかもね」
「そっか・・皆さんは持ってるんですか?」
「まぁ、ガチのサーファーは必須アイテムだからね。でも結構金額もするから、冬も本気で練習したいって人だけね。セミドライは安くても五万くらいするし、ドライスーツに至っては十万近くするからさ」
「わ・・高いですね」
「ま、それだけ需要が少ないって事。冬に海入ろうなんて普通の人は思わないからな」
サーフィン道具って高いんだなぁと改めて痛感する。いつもタダで道具をお借りしてる私、なんてラッキーなやつなんだろう。
だけどそれは着替えを終えて、央君と夏樹君とカフェへ入ったときだった。亮司さんのこんな一言から、汐見家を揺るがす大事へと発展していくなんて・・
「今ならドライスーツのオーダー料無料だから、後で採寸するぞ。発注するだろ?」
ドライスーツとは身体が濡れない完全防水のスーツの事で、手足や首からの水の侵入を防ぐ為か、基本採寸してのオーダーで作成するのだという。
夏樹君は普通に「分かった」と答えた。だけど央君は・・
「あー・・俺は今年はいいかなぁ」
「え? でもお前、今のドライスーツ一昨年頼んだやつだろ。もう無理じゃない。冬の間全然入らないの?」
「まー・・バイトもあるし、陽葵も冬海になんか入らんだろうし・・。俺も無理して入らなくてもい・・」
ガタンッと大きな音がした。見るとそれは、テーブルに手をついて下を向く夏樹君が、椅子から立ち上がった音だった。
「・・なんでそこまで気をつかうんだよ・・」
夏樹君が顔を上げた。
その表情は・・燻っていたものがはじけたように、怒りの色を露わにしていて────。
「俺達ってもう、家族じゃなくなったの?」
彼はそう言って央君を睨んだ後、ガタンと音を立てて席を後にした。
「・・夏樹!」
央君の静止の呼びかけを振り切り、彼は抑えきれない怒りを纏ったままカフェのドアを出て行ってしまって。それを見たとき・・何も考えないまま足が動いた。出て行ってしまった彼の背中を追って────。
「・・夏樹君っ・・」
彼はしばらく私の声を無視して歩き続けた。
「待って・・夏樹君・・!」
私がそれでも追って来ている事に気がついたのか・・彼はやっと足を止めた。私の方を振り返って・・
「・・血の繋がりなんか無くても、俺はあいつと一緒にサーフィンやって、この店経営して・・ずっとそうしていければそれが一番だけどさ」
彼の美しい瞳と目が合った。
澄んでいるけれど・・どこか悲しげな瞳。
「だけどそしたら、あいつは一生俺に遠慮しながら生きていくんだって思ったら・・それはどうなのかなって」
「え・・?」
「だからもう、ひまりサンにあげるね」
────夏樹君・・?
「・・欲しいとか・・思ってません! 央君だって・・お二人はあんなにお互い大事に思ってるじゃないですかっ・・!」
だからそんなに悲しい事言わないで・・
だってただのボタンの掛け違いでしょう。
側から見たら誰の目からも、二人が本当の兄弟よりもお互いを大事にしてるって明らかなのに・・
だけど夏樹君は、私の言葉にはそれ以上耳を傾ける事なく、自宅の玄関の中へと消えて行った。
「夏樹君・・」
◇◆◇◆◇◆
駅までの帰り道、空気は重かった。それでも央君は私に笑顔を向けてきた。
「なんかごめんな陽葵。びっくりしたでしょ」
「・・・・」
「小学校の頃は俺ら、ほんと毎日海入ってて。将来プロになるぞーなんて言っててさ。あいつは未だにそのテンションだから、なんか俺や芽留の付き合いが悪いのが気に入らないみたいでさ。ま、明日の朝には機嫌治ってるよ多分」
「・・そうかな・・」
"だからもう、ひまりサンにあげるね"
本当はもっと・・根深いんじゃないかな。今顔を背けたら、もう本当に取り返しがつかないくらいに・・
「私・・二人が本当の兄弟じゃないこと知ってますよ」
私は足を止めた。央君がそれに気づいてこちらを振り返る。
「お母さんが央君を置いて、突然居なくなってしまった事も。もう知ってます。私なんかに話したところで何の解決にもならないと思うけど・・でも知りたいの。央君が本当はどう思ってるのか。今何を考えてるのか・・」
亮司さん。
私で力になれるのかは分からないけれど・・
でもこんなに誰かの為に何かをしたいと思うのは、初めてだったから。
「教えて・・央君・・」
お願いだから私の前でまで、そんな風に無理して笑わないで────。