テーブルの上に並べられた色とりどりのアイシャドウに、リップにチーク。可愛らしい小さなケースに詰められた、キラキラとしたラメの光る化粧品達はまるで宝石のように見えた。



「私ね、化粧落とすとすごいブスなの」



 鈴木さんの突然の告白に、私が戸惑いを覚えないわけがない。


「そ、そんな風には、見えませんが・・」

「見たら驚くよ。別人だもん。もともと目も一重だし」

 鈴木さんは大中小の筆を操り、何度も私の顔に何かの粉を塗っていた。それが何なのかは最早私には分からないが、彼女は真剣にその行為を繰り返していた。

「中1のとき男子に『ブス』って罵られて、自分の顔が可愛くないんだって気がついた。それからしばらくは自分の顔が嫌で嫌で、下向く癖がついちゃって。
でもね、ある日SNSでメイク動画見つけて、これだ!って思ったんだよね。これなら私も元がブスでも、美人に変身出来るんだって。そっからは毎日メイクの研究して、上手くなったらどんどん楽しくなってきて、周りも可愛いって褒めてくれるし、気がついたらちゃんと前を向けるようになってた」


 鈴木さんの真剣な瞳────なんだか凄くカッコいい・・


「私ね、化粧って男の気を引く為じゃなくて、自分に自信つけるための道具だって思ってるんだ。整形とかも批判する人いるけど、私は興味ある。ブスに産まれたから一生ブスとして生きなきゃならないなんて、そんなの糞くらえだよ」


 そして彼女は私の手を引いた。お店の店舗ブースの方にある鏡の前へと。


「ほら見て。可愛くできた」


 鏡に映った私の姿────。

 薄く叩いたパウダーとパールのハイライトのせいなのか、顔が明るい印象に見えた。目元には赤みの強いブラウン系のシャドウと、控えめに引かれた赤いアイライン、目を引く艶のある赤いリップ。眉も目元に合わせてレッド系のブラウンを使っているのか、ふんわり優しく仕上がっている。全体を赤系統の色味で統一されたお化粧は、愛らしく今風の印象だ。


「す、すごい・・なんかすごく今っぽいです!」

「でしょ? 私ね、将来はメイクのインストラクターになりたいんだー」


 鈴木さんはにっこりと明るい笑顔でそう宣言した。その笑顔がとても眩しく映る。

 すごい。本当にすごいな鈴木さんは・・そんな逆境を自分の力で乗り越えて来たんだもの。
 思ったことをハッキリと口にする、少し気の強い印象の彼女。だけどそこには、努力によって自信を取り戻した経験から来る芯の強さを感じる。


「わー、ひまりん、可愛くできたね〜。さっすが紗奈!」

 飯岡さんが寄ってきて、テンション高く鈴木さんとハイタッチする。

「あ。せっかくだから、アクセサリーもしてみたら。これ貸したげるよ」

 飯岡さんは自分の耳につけられていたゴールドとターコイズで出来たイヤリングを外し、私の耳に付けてくれた。海の色の粒が、シャランと得意気に耳で揺れている。


「可愛いよひまりん! せっかくだし央にも見せにいこーっ」


 飯岡さんと鈴木さん、笑顔の二人に手を引かれ、私は驚くほど抵抗なくそれに従った。店の裏手の自宅の方で着替えている彼の所へ。
 なんだかとても足取りが軽い。まるで魔法でもかかったかの様に────。



「央ー! ついでに夏樹もー!」

 庭先で濡れたウェットスーツを干していた央君と夏樹君に向けて、飯岡さんがブンブンと手を振る。鈴木さんはサプライズとばかりに、その身体の後に私を隠す様に立っていた。二人が何事かと近寄ってきた足元が見えて、心臓が緊張を帯びてドキドキと高鳴り始める。

 どうしよう、今更なんか緊張してきた・・。

 央君・・可愛いって思ってくれるかな・・?

 
「じゃーん! ひまりんにオシャレさせてみました! かわちぃっしょ?」


 二人が身を避けさせ、私を押し出すように背中を押した。

 目が合った。私を見る央君と────。



「・・かっ・・」

「可愛い」



 ────ん?

 え?と思って央君から視線を外して隣を見た。声のした夏樹君の方へ。

 今、夏樹君・・「可愛い」と言ったか・・??

 私が唖然としている中、周りの三人も夏樹君に視線を集めている事に気がつく。だけど三人共、鬼の様な顔をしていて・・


「今はお前の番じゃねーんだよ夏樹ぃぃ!!」

「え? だって可愛くない?」

「うるさい! もう黙れ!」

 怒り心頭の飯岡さんと鈴木さんに夏樹君は両腕を捕らえられ、ズルズルと連行されていく。その様子を呆然と見守っていると、不意にトントンと肩を叩かれた。振り向くと、そこには思っていたより近くに、央君の顔があって。

 目が合って、どきっとした。すると彼は口元に手をやり、コソッと私にこう耳打ちした。



「すげーかわいい」



 胸が、きゅんとした。

 なんでだろう。飯岡さんと鈴木さんと夏樹君、皆が言ってくれたのも同じ「かわいい」なのに。

 央君の「かわいい」は・・なんか不思議。



「あ、ありがとう・・」


 どきどきとする胸の高鳴りを感じながら、彼の顔を見上げると、彼は照れたように少し頬を染めて、私から視線を逸らした。


 こんな風に顔を上げて彼の表情を見つめられるのは、多分鈴木さんがかけてくれた魔法のお陰なんだろう。





◇◆◇◆◇◆


「鈴木さんっ」

 帰り支度を整えて、店の外へ出てきた鈴木さんと飯岡さんを見つけて、私は慌てて声を張り上げた。二人は私の声に気がつくと、揃ってこちらを振り返った。

「あれ? 央とはもういいの?」
「どうだったひまりん? 央、ちゃんと褒めてくれた?」

「は、はいお陰様で・・あの、鈴木さんに、ちゃんとお礼が言いたくてっ」

「え?」


 鈴木さんのお陰でちゃんと央君と目が合わせられた。「可愛い」って言って貰いたいって思えた。
 どうして女の子達があんなにお洒落の話をしてるのか・・やっと分かった気がするんだよ。


「鈴木さんのお陰で、こんな私でも前向きな気持ちになれました。これからはお化粧のことも覚えたいなって思いました。私も鈴木さんみたいに、下を向くのをやめてもう一度前を向きたいって思うから」


 だからどうしても────彼女にこの気持ちを伝えたいって思ったんだ。今はまだ怖くて、ちゃんと目は合わせられないけれど。


「鈴木さんは凄いです。メイクのインストラクター、絶対向いてると思います!」


 一方的に思いの丈をぶつけたあと、彼女の反応を伺うために恐る恐る視線をあげた。すると彼女は、呆気にとられた様な表情をこちらへ向けていた。


「・・ああ・・なるほど。央の言ってたのって、こういう事か・・」

 何がなるほどなのか、彼女はそう呟いた。そして彼女は私にこう言ったのだ。


「もう帰るなら・・ひまりんも駅まで一緒に行く?」



 ────ひまりん────・・



「う、うん・・!」


 三人で並んで歩く帰り道はやっぱり緊張したけれど、でも前よりも確実に、足取りは軽くて。


「あ、あのっ・・芽留ちゃんも、イヤリング貸してくれてありがとう!」

「ううん、いーよそんなの〜。ひまりん可愛いかったよ〜。バイト代入ったら一緒に買いもの行こ〜」

「うん・・! 行ってみたい・・!」


 なんだか今日はとても、素敵な一日だったな・・。