波待ち────ボードの上に座って浮いてる状態のことで、サーファーにとっては最も疲労を回復できるリラックスした体制なのだとか。
「おお〜。上手い上手いひまりん!」
夏樹君と飯岡さんのいるブレイクポイントに無事合流した私と央君。そこでサーファー必須スキルであるという波待ちの練習を始めたのだが、飯岡さんが陽気に手を叩く横で、私は苦笑いを浮かべた。何故ならボードから落ちない様に両腿には力が入ってしまってプルプルしているし、リラックスとはほど遠い気がする。
「そ、そうでしょうか・・」
「上手いよ、これ結構最初出来ない奴多いから。ねぇ?」
「俺すげー苦手だったわぁ〜。夏樹と芽留がなんで普通に座ってられるか意味分からんかった記憶ある」
「ああ。俺も何で落ちるのか意味が分からなかった」
「あー、なんか思い出したわ。あの時のお前の冷たい視線な・・」
皆がやいのやいのと話している横で、私は早速バランスを崩してドボンと海に落っこちてしまった。
「あははっ。ひまりん大丈夫〜?」
「は、はい。やってしまいました・・」
無様にボードの上へと這い上がろうとすると、不意にそこへ冷たい一言が投げられた。
「波待ちも出来ない初心者がこんな所来るなよ。邪魔くさいな」
(え・・?)
顔をあげるとそこには、成人男性と思しき二人組のサーファー二人の冷ややかな視線がこちらへと向けられていた。
「す、すみませ・・」
「はぁ? どこでやろうがウチらの勝手じゃん」
咄嗟に口をついて出た謝罪の言葉に被せられたのは飯岡さんの喧嘩越しの一言だった。振り向くとあの三人の目が、明らかに臨戦体制に入っている。
「ここは上級者向けのポイントなんだよ。女連れは向こうでやれ」
「そんな決まりないでしょ。海は誰のものでもないし」
「BBMのサーフガイドくらい見ないのかよ。どの雑誌でも上級者向けって認識だぞ」
「それは上級者が多いって意味で、初心者が来ちゃダメって意味じゃないでしょ。誰が決めんだよそんなの」
こ、これはなにやら、私のせいでまずい流れなのでは────。
「や、やめて央君。もういいから・・」
私のせいで空気が悪くなるのはもちろん、これ以上揉めて、海の上で掴み合いの喧嘩になったりしたらどう詫びたらいいのか分からない。しかし止めに入った私の言葉は、またも別の声に掻き消された。
「央。波きた」
それは波の到来を知らせる夏樹君の声だった。振り返ると、沖の方から迫り来る、割とサイズの大きな波が見えた。
「オッケー夏樹。俺が貰うね」
央君がパドルを始めると、先程のサーファー二人もパドルを始めた。その二人の行手を遮るように並行して、飯岡さんもパドルを始める。
「邪魔だっつの女!」
「女にブロックされてんじゃねーよ、パドル遅いんじゃないのぉ? オッサン!」
飯岡さん・・そんな喧嘩腰で大丈夫なの? 後で嫌がらせされたりしない? ヒヤヒヤしながら眺めていると、隣で動かずにそれを見ていた夏樹君の静かな声がした。
「よく見ときなひまりサン。一つの波に乗れるのは一人だけ。ピークと呼ばれる波が割れ始める点に最も近い位置から波に乗った人間に優先権がある。その他の人間は波を譲らなきゃいけないのがサーフィンのルール。
だから良い波が来るとああして、サーファー達は一斉にピークを目指してパドルするんだ。たった一つの優先権を勝ち取るために」
私と夏樹君の下を波が通り過ぎて行く。ふわりとした浮遊感の後、波はパドルするサーファー達の背を追って走って行く。
「あれは央の波」
波が央君の姿を覆い隠して、波の向こう側がどうなっているのかは見えなかった。しかし一時の間を置いた瞬間────波の向こうから突如姿を現したそれは、美しい弧を描き波の上を舞った。
波の最高点で180度回転するオフ・ザ・リップ。
波の崩れる場所にボードを当てて、その反動で回転する高難易度の技・・らしい。
高速で回転するボードのフィンに巻き上げられた水飛沫が飛散して、その残像の後にキラキラと光が舞い降りてくる。
美しかった。自由で、すごい迫力で・・素直に感動した。
まるで────跳ねるイルカみたいだった。
舞い散る光の粒の中でこう思ったんだ。私もいつかあんな風に、自由に海を走る事が出来るのだろうかって────。
「うっま・・」
その華麗なパフォーマンスに目を奪われたのは私だけではなかった。思わず呟いてしまった。そんな様子の、先程の騒動の相手であったサーファー二人組に向けて、夏樹君はダメ押しの冷たい苦言を送った。
「言っとくけど俺達三人ともあのレベルだから、場所変えた方がいいんじゃない。ここは上級者向けのポイントなんでしょ? ルールに厳しいお兄さん」
夏樹君に睨まれて、彼等二人が無言で去って行ったのは言うまでもない。その背中を見送ったあと、私は夏樹君へ謝辞を述べた。
「あ、あの・・庇ってくれてありがとうございます。迷惑をかけてしまって、すみません・・」
「別に気にしなくていいよ。たまに居るんだ、ああいう変な奴。それにお陰で俺も、久しぶりに皆で海入れて楽しいし」
「え・・? いつも三人で海に入ってるんじゃないんですか?」
「・・前は、ね」
そして夏樹君は海を見つめながら、私にこんな事を言った。その横顔が何だか寂し気に見えたのは、どうしてなんだろう。
「ひまりサン。央にサーフィンやらせてよ」
その言葉の本当の意味を────私はここから長らく、理解する事が出来ていなかったわけで・・
「おお〜。上手い上手いひまりん!」
夏樹君と飯岡さんのいるブレイクポイントに無事合流した私と央君。そこでサーファー必須スキルであるという波待ちの練習を始めたのだが、飯岡さんが陽気に手を叩く横で、私は苦笑いを浮かべた。何故ならボードから落ちない様に両腿には力が入ってしまってプルプルしているし、リラックスとはほど遠い気がする。
「そ、そうでしょうか・・」
「上手いよ、これ結構最初出来ない奴多いから。ねぇ?」
「俺すげー苦手だったわぁ〜。夏樹と芽留がなんで普通に座ってられるか意味分からんかった記憶ある」
「ああ。俺も何で落ちるのか意味が分からなかった」
「あー、なんか思い出したわ。あの時のお前の冷たい視線な・・」
皆がやいのやいのと話している横で、私は早速バランスを崩してドボンと海に落っこちてしまった。
「あははっ。ひまりん大丈夫〜?」
「は、はい。やってしまいました・・」
無様にボードの上へと這い上がろうとすると、不意にそこへ冷たい一言が投げられた。
「波待ちも出来ない初心者がこんな所来るなよ。邪魔くさいな」
(え・・?)
顔をあげるとそこには、成人男性と思しき二人組のサーファー二人の冷ややかな視線がこちらへと向けられていた。
「す、すみませ・・」
「はぁ? どこでやろうがウチらの勝手じゃん」
咄嗟に口をついて出た謝罪の言葉に被せられたのは飯岡さんの喧嘩越しの一言だった。振り向くとあの三人の目が、明らかに臨戦体制に入っている。
「ここは上級者向けのポイントなんだよ。女連れは向こうでやれ」
「そんな決まりないでしょ。海は誰のものでもないし」
「BBMのサーフガイドくらい見ないのかよ。どの雑誌でも上級者向けって認識だぞ」
「それは上級者が多いって意味で、初心者が来ちゃダメって意味じゃないでしょ。誰が決めんだよそんなの」
こ、これはなにやら、私のせいでまずい流れなのでは────。
「や、やめて央君。もういいから・・」
私のせいで空気が悪くなるのはもちろん、これ以上揉めて、海の上で掴み合いの喧嘩になったりしたらどう詫びたらいいのか分からない。しかし止めに入った私の言葉は、またも別の声に掻き消された。
「央。波きた」
それは波の到来を知らせる夏樹君の声だった。振り返ると、沖の方から迫り来る、割とサイズの大きな波が見えた。
「オッケー夏樹。俺が貰うね」
央君がパドルを始めると、先程のサーファー二人もパドルを始めた。その二人の行手を遮るように並行して、飯岡さんもパドルを始める。
「邪魔だっつの女!」
「女にブロックされてんじゃねーよ、パドル遅いんじゃないのぉ? オッサン!」
飯岡さん・・そんな喧嘩腰で大丈夫なの? 後で嫌がらせされたりしない? ヒヤヒヤしながら眺めていると、隣で動かずにそれを見ていた夏樹君の静かな声がした。
「よく見ときなひまりサン。一つの波に乗れるのは一人だけ。ピークと呼ばれる波が割れ始める点に最も近い位置から波に乗った人間に優先権がある。その他の人間は波を譲らなきゃいけないのがサーフィンのルール。
だから良い波が来るとああして、サーファー達は一斉にピークを目指してパドルするんだ。たった一つの優先権を勝ち取るために」
私と夏樹君の下を波が通り過ぎて行く。ふわりとした浮遊感の後、波はパドルするサーファー達の背を追って走って行く。
「あれは央の波」
波が央君の姿を覆い隠して、波の向こう側がどうなっているのかは見えなかった。しかし一時の間を置いた瞬間────波の向こうから突如姿を現したそれは、美しい弧を描き波の上を舞った。
波の最高点で180度回転するオフ・ザ・リップ。
波の崩れる場所にボードを当てて、その反動で回転する高難易度の技・・らしい。
高速で回転するボードのフィンに巻き上げられた水飛沫が飛散して、その残像の後にキラキラと光が舞い降りてくる。
美しかった。自由で、すごい迫力で・・素直に感動した。
まるで────跳ねるイルカみたいだった。
舞い散る光の粒の中でこう思ったんだ。私もいつかあんな風に、自由に海を走る事が出来るのだろうかって────。
「うっま・・」
その華麗なパフォーマンスに目を奪われたのは私だけではなかった。思わず呟いてしまった。そんな様子の、先程の騒動の相手であったサーファー二人組に向けて、夏樹君はダメ押しの冷たい苦言を送った。
「言っとくけど俺達三人ともあのレベルだから、場所変えた方がいいんじゃない。ここは上級者向けのポイントなんでしょ? ルールに厳しいお兄さん」
夏樹君に睨まれて、彼等二人が無言で去って行ったのは言うまでもない。その背中を見送ったあと、私は夏樹君へ謝辞を述べた。
「あ、あの・・庇ってくれてありがとうございます。迷惑をかけてしまって、すみません・・」
「別に気にしなくていいよ。たまに居るんだ、ああいう変な奴。それにお陰で俺も、久しぶりに皆で海入れて楽しいし」
「え・・? いつも三人で海に入ってるんじゃないんですか?」
「・・前は、ね」
そして夏樹君は海を見つめながら、私にこんな事を言った。その横顔が何だか寂し気に見えたのは、どうしてなんだろう。
「ひまりサン。央にサーフィンやらせてよ」
その言葉の本当の意味を────私はここから長らく、理解する事が出来ていなかったわけで・・