学校の夏期講習も終わり、夏休みを謳歌していると気づけば折り返し地点。お盆休みを利用して、久遠と共にショッピングモールで買い物に来ていた。
隣を歩く久遠は白いシャツに身を包み、青色のオーバーオールで夏らしさを全面に押し出している。
「栞ちゃんから『雪村くんから名前呼びしてもらいましたっ!』ってメールきたんだけどいつから?」
「この前だよ」
なぜか口調が荒く、ご機嫌斜めな久遠。どこかで喜ばせておかないと爆発しちゃう。久遠は鼻を鳴らしながら少し先を歩いてゆく。
「私は十年かかったのに栞ちゃんは十日でいいんだ。ふーん」
「別に早いのがいいってわけでもないでしょ」
それに、栞と呼んだ経緯も経緯。距離が近づいたから呼び方を変えたんじゃなくて、そういう形をとっただけ。ただそれだけのはず。
「呼ばれる側は早い方が嬉しいって気づかなきゃ」
まあ、確かに。下呼びは信頼の証ともとれるだろう。
「ぐうの音も出ないぐう」
「出てる出てる」
軽く笑いながらモールの中を進んでいく。
「で、蓮は栞ちゃんに何をプレゼントしたいの?」
「うーん……何がいいかな?」
「そっから丸投げ!? もう私からのプレゼントじゃん」
「ぐうの音も出ないべにょ」
「変なの出てるし、気持ち悪い……」
二人で笑いながら歩いているとイチゴのような、酸っぱくて甘い匂いが嗅覚を優しく撫でた。
匂いに視線を動かすと、夏の花が色鮮やかに彩る花屋があった。花とはまたお洒落じゃなかろうか。
「花とかどう?」
「臭い、臭い、臭い。蓮って時々馬鹿だよね」
「言い過ぎ、言い過ぎ」
食い気味に否定され、ダメージを受ける。続けて「蓮が読んでる小説で花渡して成功した主人公いないでしょ?」と追い討ちが続く。
「ぐうの音も……」
「もうそれいいから」
いい案だと思ったのに。擦り散らかしたネタも瞬時に牽制されて反撃の手を失う。そんな俺に助太刀してくれたのは若い声。
「気になるのでしたら見ていくだけでもどうですか?」
振り向くと二十代後半の女性が花束を持って微笑んでいた。白い制服に緑のエプロン。胸元には楠木と名前が書かれている。
抱えている小さな花たちからは甘い香りが漂ってくる。まさに花屋の店員さんと言った感じ。俺の視線を感じ取ったのか、花の説明をしてくれる。
「この花はスターチスと言って、春に咲く花なのに夏まで長持ちする力強い花なんです」
「小さいのに強いんですね」
美人店員さんの笑顔に負け、こちらも笑顔で返事をする。花屋に似合う華やかな笑顔。笑顔が咲くと表現するに相応しい。ポンっと肩を叩かれ振り返ると、久遠がやれやれと言わん顔でこちらを見ている。
「ちょっと見る?」
「ありがとう」
久遠にお礼をしてから店に入ると、一層花の匂いが強くなった。でもそれはキツイ匂いじゃなくて、お花畑のような甘くて包み込むような優しい香り。
「友人の誕生日プレゼント買いに来たんですけどいいのってありますかね?」
「誕生日プレゼントでしたらその人の誕生花を買うのはいかがですか? ロマンチックで重すぎない一品です」
「ほら、重すぎないって」
勝ち誇った顔で久遠を見るが、彼女は納得していないようだ。
「いや、あっちも商売だから。実際、花を渡されてもちょっと困るし」
「華がないね。二つの意味で」
「ドヤ顔出来るほど上手くないよ」
呆れ顔で言う久遠に笑いかけながらもう一度辺りを見回してみる。
向日葵や人工的に作られた感満載の紫陽花、真っ赤に染まるハイビスカスにオシャレな匂いのラベンダー。花にあまり詳しくない俺でも知っているものから見たことない花まで多種多様だ。
「お相手の誕生日を教えてもらっても大丈夫ですか?」
「八月二十三日ですね」
俺が答えると、店員さんは顎に手を置いて首を傾げる。
「そうですね……月下美人とかどうでしょう。一年に一晩しか咲かないと言われているほど稀少な花で、花言葉は『艶やかな美人』ですよ」
「ぴったりですね」
まさに栞を表す花言葉。花言葉や誕生花は知っていたが、それらを組み合わせて想いを届けるものなのか。花一つ買うってのも難しい。
「すみません! 八月十八日はなんですか?」
何を思ったのか久遠も自身の誕生日を口にする。
「エーデルワイスとかでしょうか。有名な花言葉だと『大胆不敵』とかですかね」
「ぴったりですよ。くくっ……大胆不敵」
「笑うなっ!」
久遠がツッコミながら横腹をつついてくる。大胆不敵とは恐れず動じないことを指す。花言葉は意外と的を射ているのかもしれない。
「四月十八日も聞いていいですか?」
話を逸らすためか、久遠が俺の誕生日をあげる。
「先ほどのスターチスですね。他には……アルストロメリアとかでしょうか」
「アルミストローって花だったんだ」
「何だよアルミストローって」
文字数ぐらい合わせて欲しいものだ。久遠のボケに店員さんは苦笑いしながら続ける。
「花言葉は『持続』、『未来への憧れ』ですね」
そう言ってニコッと笑う。失礼なので言わないが面白くない。その面白くなさが一周回って俺を体現してると言えるほどに。まあ、言わぬが花というやつか。
「面白くないね」
よく店員の前で言えたな。流石は大胆不敵。と、そんな会話をしていると優しい声色で助言をくれる。
「日常でよく使う物や印象に残る物だと素敵だと思いますよ。例えば向日葵を貰うと、夏が来るたび相手のことを思い出したりするんです。ロマンチックでしょ?」
綺麗な瞳で眉を下げて笑う。そう言われるとそうかもしれない。父さんから貰った本を読み返したりすると、その日のこと思い出したりするし。
「難しいですね……」
何を送っても喜んではくれそうなのだが大喜びしてる姿が思い浮かばない。それでもいいがどうせ贈るなら大切に欲しい。
「悩んで出した答えなら、相手もきっと分かってくれるはずです。相手を思う気持ちが一番大切なんですから」
薄い化粧の奥に見えるこの店員さんの純粋な心が俺を照らす。
「なんか掴めた気がします。あっ、その花だけ買っていいですか?」
近くにあったよく分からない花を買う。助言を貰った分の対価は払わないと。これは栞に渡すプレゼントじゃない。
店を出るとその花を久遠に渡す。久遠もそろそろ誕生日だしくれてやろう。
「これあげる。臭いって思うなら食べてくれていいよ」
「食べないよ、私を何だと思ってるの。ありがとう。これで私にも《《華》》があるでしょ?」
赤い花を口元まで持っていって上目遣いでキメ顔を作る。
「フッ」
「《《鼻》》で笑わないで!」
笑い笑われながら俺は目的の店に向かう。彼女の助言で浮き足だったのか、歩くのが早くなっていて、少し立ち止まる。
「歩くの早いって、どうして急に火が付いたの? 恋なら辞めといた方がいいよ」
見当違いもいいとこだが否定したらさらに機嫌が悪くなるのでここは久遠の話に合わせる。そうしないと爆発しちゃう。
「どうして?」
「蓮に火が付いても悲恋だもん」
「蓮に火が付いたら可憐だけどね」
我ながらナイスなカウンターだと思う。
「ぷっ、蓮が可憐……くっ、いーっひっひっひっ」
「おい、笑うな笑うな」
腹を抱えて笑う彼女につい頬が緩む。久遠には似合わない言葉遊び。それは、嫌でも半年前のあの日を思い出させた––––。
今から約半年前の高校一年生、二学期。梅雨ぶりの夕立からか、いつもより早歩きで家に帰ってるときだった。公園で傘も刺さずに座っている女の子を発見したのだ。
それが久遠だと気づいた俺は放っておくこともできず、後ろに立って傘を差し出した。久遠は一度振り返って俺だと確認するとまた元の体制に戻る。
「蓮、久しぶり……」
「久しぶり。こんな所で何してたの? 風邪ひくよ」
「ちょっと悩み事」
俯いたまま顔を上げない久遠にかける言葉を失う。どんよりとした黒い海雲が、空を覆いつくす。
「こんな雨の中?」
絞り出した言葉に踏み込む力は露もない。
「涙を誤魔化せるから」
顔は見えないけれど、涙を流しているのは声でわかった。何かあったんのか。彼女は一息だけ吸って、声をあげる。
「相談……乗ってくれない?」
「俺で良ければ」
彼女の隣に腰掛けると、濡れたベンチがペチャっと音を鳴らした。
「私、高校でもバスケやってるんだけどさ……もう、辞めたいなって」
口から漏れ出るのは重々しい声。ビニール傘に雨粒が当たる音ですらかき消されそうな声で、尚も続ける。
「先輩達のこと嫌いなの。試合でミスしたら怒るのに、練習じゃ邪魔ばっかり。メンバーに選ばれたら難癖つけてくるし……訳分かんないよ」
鼻水をすすって、濡れた袖で濡れた目尻を拭う。俺ができるのは、彼女の言葉を聞き逃さないようにすることだけ。
「三年生が引退してさ、新しくなったチームで挑む大会があるんだ。それに一年で私だけが選ばれたの。何人か二年生で補欠にも入らなかった人もいるから反感買っちゃった。でもそんなのおかしいよね……。練習せずに喋ってばっかり、自業自得だよ」
自然と傘を握る力が強くなった。久遠は何も悪くないだろ。ふざけるなよ、滅茶苦茶じゃないか。
久遠は思い出したのか、思い詰めたのか、涙を堪えて鼻声で本音を溢す。
「それなのに私……ボールに落書きされるし、変な噂流されるし、やだよ。もう、辞めたい…………」
いつもの明るい久遠の面影は微塵も無くて、弱々しい子猫のように丸くなる。
当事者である久遠の悩みやストレスは計り知れたものじゃない。俺は言葉を選んで恐る恐る繋いだ。
「俺、高校入って陸上辞めたんだ。中学では県大会まで行ったし勿体無いって思ったけど、後悔はしてない。だから、しんどいなら、辛いなら逃げていいと思う」
俺はいろんなことから逃げてきた。人間関係も、部活も、家庭環境からも。読書が好きなのだって、もしかしたら現実逃避してるだけなのかもしれない。
逃げてきたから分かる。どう考えたって、逃げた方が立ち向かうより何倍も楽。傷つく必要なんて、何一つない。
「そうだよね……逃げてもいいんだよね。でも、これで終わりにしていいのかな? 私が辞めてもアイツらはバスケ続けるわけじゃん。私許せないかも、どうしたらいいかわかんない……教えてよ、蓮……」
赤くなった目尻を隠すこともせずこちらを向いた。溢れんばかりの涙が苦労と我慢の証に見えて、胸の奥が痛む。涙を誤魔化したくなるほど悩む彼女に、諦める道しか示せないのは正解ではあっても理想じゃない。
「明日まで待ってくれない? 寺内さんができるだけ後悔しないように頑張ってみるから」
「何するの?」
久遠が俺に縋り付く。傘が揺れ、雨粒が地面に落ちた。彼女の手に残るアザが、俺の心に火を付ける。
「内緒」
俺はそっと、口の前で人差し指を立てた。
翌日、久遠の先輩達と大喧嘩をして、数時間の格闘のうち、大泣きするまで滅多刺しにした。何を言ったかは覚えていない。汚い言葉を言われた気もするし、それなりの言葉を吐いた気もする。
前日に悩んだ挙句、父方のお婆ちゃんに助言を貰ったのは俺だけの秘密。
結局、俺に何かできた訳でもなかった。先輩たちが久遠に謝ることも、久遠をいじめてた奴らが部活を辞めることもなかった。
けれど、あの日からイタズラは無くなったらしいので、行動した意味は少なからずあったんだと思う。
「本当にありがと。私、バスケ続けるよ。好きなことからは逃げない」
帰り道、近くの公園でお礼をもらい、覚悟を受け取った。続けるも逃げるも選択肢にあったはず。俺が道を作ったわけじゃない。彼女の意思は、きっと元から固かった。
「恋愛からも逃げないよ。蓮のハートをロックオン。なんてね」
「上手いじゃん」
褒めると、少し驚いて頬を赤く染める。もう、彼女の顔に悲しさの色はない。
「じゃあ、またね。久遠」
俺はベンチから立ち上がる。
「えっ!? 今私のことなんて呼んだ!? もう一回! もう一回!」
「はいはい」
これが、久遠と呼び始めたきっかけで、二人の仲が深まったきっかけだ。
「ねぇってば!」
久遠の声でショッピングモールに引き戻される。知恵の輪みたいなイヤリングを見ながら久遠に返事をする。
「どうかした?」
「もう……全然話聞いてないじゃん。私が女の子っぽいの選ぶから蓮は栞ちゃんに似合うの選んであげてって言ったの」
彼女は半分ぐらい呆れながらため息をつく。女の子っぽいものと栞に似合うものは違うのか。
「どうして?」
「だって蓮のセンスおかしいもん。ほら、この二つどこが違うかわかる?」
そう言って二つのイヤリングを差し出してくる。左の方が少し丸っこいような……。
「右はちょっと大人っぽい感じ」
「ほらね、この二つ同じやつだから」
「けっ!」
まんまと騙された俺はわざとらしく後ろを向く。ファッションセンスの有無以前の問題な気もするが。
「蓮に任せたらハート型とか選ぶでしょ」
「いいじゃんハート。やっぱり、俺からもらっても嬉しくない?」
目の前にあったハートのネックレスを取って久遠に見せる。
「嬉しくないわけじゃ……ないけど……」
ごもりながら目を逸らす。ほら、嬉しいんじゃん。俺はこの歳になってハートが嫌いな女の子なんていないと信じてる。
「でもでも! そういうのは私が買うから、蓮は栞ちゃんに贈りたいの買ってあげて」
久遠にそこまで言われ、栞が好きそうなものを考える。父さんのサインとかあげたら大喜びするだろけど、なんか違う気がする。
栞の好きなもの……栞……栞……、あっ。俺は彼女のブックカバーが破けていたことを思い出した。
俺が導き出せる最適解を頭に、雑貨屋に向かった。その後は誕生日プレゼントをねだる久遠にパフェを奢って解散した。
荷物は増えているはずなのに、心はずっと弾んでる。彼女の誕生日が楽しみだ。伸びた影。見据える瞳は、夕焼け小焼けに照らされる。
隣を歩く久遠は白いシャツに身を包み、青色のオーバーオールで夏らしさを全面に押し出している。
「栞ちゃんから『雪村くんから名前呼びしてもらいましたっ!』ってメールきたんだけどいつから?」
「この前だよ」
なぜか口調が荒く、ご機嫌斜めな久遠。どこかで喜ばせておかないと爆発しちゃう。久遠は鼻を鳴らしながら少し先を歩いてゆく。
「私は十年かかったのに栞ちゃんは十日でいいんだ。ふーん」
「別に早いのがいいってわけでもないでしょ」
それに、栞と呼んだ経緯も経緯。距離が近づいたから呼び方を変えたんじゃなくて、そういう形をとっただけ。ただそれだけのはず。
「呼ばれる側は早い方が嬉しいって気づかなきゃ」
まあ、確かに。下呼びは信頼の証ともとれるだろう。
「ぐうの音も出ないぐう」
「出てる出てる」
軽く笑いながらモールの中を進んでいく。
「で、蓮は栞ちゃんに何をプレゼントしたいの?」
「うーん……何がいいかな?」
「そっから丸投げ!? もう私からのプレゼントじゃん」
「ぐうの音も出ないべにょ」
「変なの出てるし、気持ち悪い……」
二人で笑いながら歩いているとイチゴのような、酸っぱくて甘い匂いが嗅覚を優しく撫でた。
匂いに視線を動かすと、夏の花が色鮮やかに彩る花屋があった。花とはまたお洒落じゃなかろうか。
「花とかどう?」
「臭い、臭い、臭い。蓮って時々馬鹿だよね」
「言い過ぎ、言い過ぎ」
食い気味に否定され、ダメージを受ける。続けて「蓮が読んでる小説で花渡して成功した主人公いないでしょ?」と追い討ちが続く。
「ぐうの音も……」
「もうそれいいから」
いい案だと思ったのに。擦り散らかしたネタも瞬時に牽制されて反撃の手を失う。そんな俺に助太刀してくれたのは若い声。
「気になるのでしたら見ていくだけでもどうですか?」
振り向くと二十代後半の女性が花束を持って微笑んでいた。白い制服に緑のエプロン。胸元には楠木と名前が書かれている。
抱えている小さな花たちからは甘い香りが漂ってくる。まさに花屋の店員さんと言った感じ。俺の視線を感じ取ったのか、花の説明をしてくれる。
「この花はスターチスと言って、春に咲く花なのに夏まで長持ちする力強い花なんです」
「小さいのに強いんですね」
美人店員さんの笑顔に負け、こちらも笑顔で返事をする。花屋に似合う華やかな笑顔。笑顔が咲くと表現するに相応しい。ポンっと肩を叩かれ振り返ると、久遠がやれやれと言わん顔でこちらを見ている。
「ちょっと見る?」
「ありがとう」
久遠にお礼をしてから店に入ると、一層花の匂いが強くなった。でもそれはキツイ匂いじゃなくて、お花畑のような甘くて包み込むような優しい香り。
「友人の誕生日プレゼント買いに来たんですけどいいのってありますかね?」
「誕生日プレゼントでしたらその人の誕生花を買うのはいかがですか? ロマンチックで重すぎない一品です」
「ほら、重すぎないって」
勝ち誇った顔で久遠を見るが、彼女は納得していないようだ。
「いや、あっちも商売だから。実際、花を渡されてもちょっと困るし」
「華がないね。二つの意味で」
「ドヤ顔出来るほど上手くないよ」
呆れ顔で言う久遠に笑いかけながらもう一度辺りを見回してみる。
向日葵や人工的に作られた感満載の紫陽花、真っ赤に染まるハイビスカスにオシャレな匂いのラベンダー。花にあまり詳しくない俺でも知っているものから見たことない花まで多種多様だ。
「お相手の誕生日を教えてもらっても大丈夫ですか?」
「八月二十三日ですね」
俺が答えると、店員さんは顎に手を置いて首を傾げる。
「そうですね……月下美人とかどうでしょう。一年に一晩しか咲かないと言われているほど稀少な花で、花言葉は『艶やかな美人』ですよ」
「ぴったりですね」
まさに栞を表す花言葉。花言葉や誕生花は知っていたが、それらを組み合わせて想いを届けるものなのか。花一つ買うってのも難しい。
「すみません! 八月十八日はなんですか?」
何を思ったのか久遠も自身の誕生日を口にする。
「エーデルワイスとかでしょうか。有名な花言葉だと『大胆不敵』とかですかね」
「ぴったりですよ。くくっ……大胆不敵」
「笑うなっ!」
久遠がツッコミながら横腹をつついてくる。大胆不敵とは恐れず動じないことを指す。花言葉は意外と的を射ているのかもしれない。
「四月十八日も聞いていいですか?」
話を逸らすためか、久遠が俺の誕生日をあげる。
「先ほどのスターチスですね。他には……アルストロメリアとかでしょうか」
「アルミストローって花だったんだ」
「何だよアルミストローって」
文字数ぐらい合わせて欲しいものだ。久遠のボケに店員さんは苦笑いしながら続ける。
「花言葉は『持続』、『未来への憧れ』ですね」
そう言ってニコッと笑う。失礼なので言わないが面白くない。その面白くなさが一周回って俺を体現してると言えるほどに。まあ、言わぬが花というやつか。
「面白くないね」
よく店員の前で言えたな。流石は大胆不敵。と、そんな会話をしていると優しい声色で助言をくれる。
「日常でよく使う物や印象に残る物だと素敵だと思いますよ。例えば向日葵を貰うと、夏が来るたび相手のことを思い出したりするんです。ロマンチックでしょ?」
綺麗な瞳で眉を下げて笑う。そう言われるとそうかもしれない。父さんから貰った本を読み返したりすると、その日のこと思い出したりするし。
「難しいですね……」
何を送っても喜んではくれそうなのだが大喜びしてる姿が思い浮かばない。それでもいいがどうせ贈るなら大切に欲しい。
「悩んで出した答えなら、相手もきっと分かってくれるはずです。相手を思う気持ちが一番大切なんですから」
薄い化粧の奥に見えるこの店員さんの純粋な心が俺を照らす。
「なんか掴めた気がします。あっ、その花だけ買っていいですか?」
近くにあったよく分からない花を買う。助言を貰った分の対価は払わないと。これは栞に渡すプレゼントじゃない。
店を出るとその花を久遠に渡す。久遠もそろそろ誕生日だしくれてやろう。
「これあげる。臭いって思うなら食べてくれていいよ」
「食べないよ、私を何だと思ってるの。ありがとう。これで私にも《《華》》があるでしょ?」
赤い花を口元まで持っていって上目遣いでキメ顔を作る。
「フッ」
「《《鼻》》で笑わないで!」
笑い笑われながら俺は目的の店に向かう。彼女の助言で浮き足だったのか、歩くのが早くなっていて、少し立ち止まる。
「歩くの早いって、どうして急に火が付いたの? 恋なら辞めといた方がいいよ」
見当違いもいいとこだが否定したらさらに機嫌が悪くなるのでここは久遠の話に合わせる。そうしないと爆発しちゃう。
「どうして?」
「蓮に火が付いても悲恋だもん」
「蓮に火が付いたら可憐だけどね」
我ながらナイスなカウンターだと思う。
「ぷっ、蓮が可憐……くっ、いーっひっひっひっ」
「おい、笑うな笑うな」
腹を抱えて笑う彼女につい頬が緩む。久遠には似合わない言葉遊び。それは、嫌でも半年前のあの日を思い出させた––––。
今から約半年前の高校一年生、二学期。梅雨ぶりの夕立からか、いつもより早歩きで家に帰ってるときだった。公園で傘も刺さずに座っている女の子を発見したのだ。
それが久遠だと気づいた俺は放っておくこともできず、後ろに立って傘を差し出した。久遠は一度振り返って俺だと確認するとまた元の体制に戻る。
「蓮、久しぶり……」
「久しぶり。こんな所で何してたの? 風邪ひくよ」
「ちょっと悩み事」
俯いたまま顔を上げない久遠にかける言葉を失う。どんよりとした黒い海雲が、空を覆いつくす。
「こんな雨の中?」
絞り出した言葉に踏み込む力は露もない。
「涙を誤魔化せるから」
顔は見えないけれど、涙を流しているのは声でわかった。何かあったんのか。彼女は一息だけ吸って、声をあげる。
「相談……乗ってくれない?」
「俺で良ければ」
彼女の隣に腰掛けると、濡れたベンチがペチャっと音を鳴らした。
「私、高校でもバスケやってるんだけどさ……もう、辞めたいなって」
口から漏れ出るのは重々しい声。ビニール傘に雨粒が当たる音ですらかき消されそうな声で、尚も続ける。
「先輩達のこと嫌いなの。試合でミスしたら怒るのに、練習じゃ邪魔ばっかり。メンバーに選ばれたら難癖つけてくるし……訳分かんないよ」
鼻水をすすって、濡れた袖で濡れた目尻を拭う。俺ができるのは、彼女の言葉を聞き逃さないようにすることだけ。
「三年生が引退してさ、新しくなったチームで挑む大会があるんだ。それに一年で私だけが選ばれたの。何人か二年生で補欠にも入らなかった人もいるから反感買っちゃった。でもそんなのおかしいよね……。練習せずに喋ってばっかり、自業自得だよ」
自然と傘を握る力が強くなった。久遠は何も悪くないだろ。ふざけるなよ、滅茶苦茶じゃないか。
久遠は思い出したのか、思い詰めたのか、涙を堪えて鼻声で本音を溢す。
「それなのに私……ボールに落書きされるし、変な噂流されるし、やだよ。もう、辞めたい…………」
いつもの明るい久遠の面影は微塵も無くて、弱々しい子猫のように丸くなる。
当事者である久遠の悩みやストレスは計り知れたものじゃない。俺は言葉を選んで恐る恐る繋いだ。
「俺、高校入って陸上辞めたんだ。中学では県大会まで行ったし勿体無いって思ったけど、後悔はしてない。だから、しんどいなら、辛いなら逃げていいと思う」
俺はいろんなことから逃げてきた。人間関係も、部活も、家庭環境からも。読書が好きなのだって、もしかしたら現実逃避してるだけなのかもしれない。
逃げてきたから分かる。どう考えたって、逃げた方が立ち向かうより何倍も楽。傷つく必要なんて、何一つない。
「そうだよね……逃げてもいいんだよね。でも、これで終わりにしていいのかな? 私が辞めてもアイツらはバスケ続けるわけじゃん。私許せないかも、どうしたらいいかわかんない……教えてよ、蓮……」
赤くなった目尻を隠すこともせずこちらを向いた。溢れんばかりの涙が苦労と我慢の証に見えて、胸の奥が痛む。涙を誤魔化したくなるほど悩む彼女に、諦める道しか示せないのは正解ではあっても理想じゃない。
「明日まで待ってくれない? 寺内さんができるだけ後悔しないように頑張ってみるから」
「何するの?」
久遠が俺に縋り付く。傘が揺れ、雨粒が地面に落ちた。彼女の手に残るアザが、俺の心に火を付ける。
「内緒」
俺はそっと、口の前で人差し指を立てた。
翌日、久遠の先輩達と大喧嘩をして、数時間の格闘のうち、大泣きするまで滅多刺しにした。何を言ったかは覚えていない。汚い言葉を言われた気もするし、それなりの言葉を吐いた気もする。
前日に悩んだ挙句、父方のお婆ちゃんに助言を貰ったのは俺だけの秘密。
結局、俺に何かできた訳でもなかった。先輩たちが久遠に謝ることも、久遠をいじめてた奴らが部活を辞めることもなかった。
けれど、あの日からイタズラは無くなったらしいので、行動した意味は少なからずあったんだと思う。
「本当にありがと。私、バスケ続けるよ。好きなことからは逃げない」
帰り道、近くの公園でお礼をもらい、覚悟を受け取った。続けるも逃げるも選択肢にあったはず。俺が道を作ったわけじゃない。彼女の意思は、きっと元から固かった。
「恋愛からも逃げないよ。蓮のハートをロックオン。なんてね」
「上手いじゃん」
褒めると、少し驚いて頬を赤く染める。もう、彼女の顔に悲しさの色はない。
「じゃあ、またね。久遠」
俺はベンチから立ち上がる。
「えっ!? 今私のことなんて呼んだ!? もう一回! もう一回!」
「はいはい」
これが、久遠と呼び始めたきっかけで、二人の仲が深まったきっかけだ。
「ねぇってば!」
久遠の声でショッピングモールに引き戻される。知恵の輪みたいなイヤリングを見ながら久遠に返事をする。
「どうかした?」
「もう……全然話聞いてないじゃん。私が女の子っぽいの選ぶから蓮は栞ちゃんに似合うの選んであげてって言ったの」
彼女は半分ぐらい呆れながらため息をつく。女の子っぽいものと栞に似合うものは違うのか。
「どうして?」
「だって蓮のセンスおかしいもん。ほら、この二つどこが違うかわかる?」
そう言って二つのイヤリングを差し出してくる。左の方が少し丸っこいような……。
「右はちょっと大人っぽい感じ」
「ほらね、この二つ同じやつだから」
「けっ!」
まんまと騙された俺はわざとらしく後ろを向く。ファッションセンスの有無以前の問題な気もするが。
「蓮に任せたらハート型とか選ぶでしょ」
「いいじゃんハート。やっぱり、俺からもらっても嬉しくない?」
目の前にあったハートのネックレスを取って久遠に見せる。
「嬉しくないわけじゃ……ないけど……」
ごもりながら目を逸らす。ほら、嬉しいんじゃん。俺はこの歳になってハートが嫌いな女の子なんていないと信じてる。
「でもでも! そういうのは私が買うから、蓮は栞ちゃんに贈りたいの買ってあげて」
久遠にそこまで言われ、栞が好きそうなものを考える。父さんのサインとかあげたら大喜びするだろけど、なんか違う気がする。
栞の好きなもの……栞……栞……、あっ。俺は彼女のブックカバーが破けていたことを思い出した。
俺が導き出せる最適解を頭に、雑貨屋に向かった。その後は誕生日プレゼントをねだる久遠にパフェを奢って解散した。
荷物は増えているはずなのに、心はずっと弾んでる。彼女の誕生日が楽しみだ。伸びた影。見据える瞳は、夕焼け小焼けに照らされる。