◇
言われた通り、おれは急いで風呂に入ってパジャマに着替えてウツミの部屋を訪れた。23時10分。ウミネコたちはまだ帰ってきていないらしい。門限破るつもりかな。怒られればいーのに。
コンコン、寒さで凍える廊下でウツミの部屋をノックしてやる。柄にもなく緊張している。いつもより入念に身体も髪も洗った。何かあるわけじゃないのにな、自分の邪念を落とすみたいな感覚。
「あ、本当に来てくれた」
ノックを3回した後、扉を開けたウツミが、くあっとゆるい欠伸をしながらそうわらった。その表情がうれしそうで面食らう。なんなんだよ、本当に、勘弁してくれ。気が抜けたら負けなんだって、こっちは。
「……欠伸してんじゃん」
「うん?」
「寝れないんじゃないわけ」
「寝れないんだよ、眠いんだけどね」
意味わかんねーよ。ウツミはおれを部屋に招き入れて扉を閉める。ウツミの部屋に来るのが初めてなわけじゃない。部屋の仕様は同じだし、ウツミは必要最低限の物しか置かないからサッパリしている。見渡してもそれは変わらないし、おれたちの関係が変わるようなこともない。だから、別に、緊張するようなことじゃない。ウミネコたちともよくオールしてるんだし、そう、こんなの普通だって。
自分に言い聞かせる。何度も。
「昼間いつも寝てるから夜寝れねーんじゃないの」
「夜寝れないから昼に寝てるんだよ」
なんだその、鶏が先か卵が先かみたいな理論。
ウツミがチラリと部屋の時計を確認して、それからふらふらとベットへと腰を下ろした。そして、右側をとんとん、と叩く。そこへ来い、ということだろう。
「……もー寝んの?」
「寝れる時に寝たいんだよね」
「ゲームとかしない?」
「んーでも今寝れそうだから」
「なんだよそれ、やっぱひとりで寝れるんじゃん」
「んー、そういうわけでもないんだよなあ」
じゃあどういうわけなんだよ。おれが怪訝そうな顔をしたからか、「そんな怒んないでよ、横で寝てくれればいいだけだから」とウツミがおれを招く。別に怒ってるわけじゃないんだけど、ごめん、うまくできなくて。
ウツミの申し訳なさそうな顔に負けて、おれは渋々ウツミの横へと潜り込んだ。セミダブルかな。シングルではないとはいえ、男2人じゃやっぱり少し狭い。ウツミは無駄に背が高いし。
おれが布団に潜ったのを確認してから、ウツミがぱちりと電気を消した。急に暗くなって、余計に緊張する。なんだよ、ウツミはまるで普通みたいな顔をしていて、嫌になる。
ていうか、男同士で同じ布団に入って、これって普通? 意識しすぎてわからなくなってきた、こんなもんだっけ、いままで友達とどう接していたっけ。
「……眠いのに、いざ布団に入ると、ふよふよ空に浮いてるみたいでさ」
もう寝る体制に入ったのかと思ったのに。ウツミが急に口を開く。暗いから、表情はよくわからない。
「なにそれ、どういうこと」
「んー、なんか、寝てるようで寝てない、みたいな」
「昼は起こしても起きないくらい寝てんのにな」
「そう、だからさ、イチが横にいたら寝れるのかなって」
「……なるほどね」
昼休み、授業中、放課後。おれの横でウツミはよく寝ている。すやすやと寝息を立てて、それこそおれが声をかけても起きないくらい。ウツミってどこでも寝れる奴だと思っていたけれど、夜寝れていない分を、昼に消化しているだけだったのか。ずっと気づかなかったな。そういう悩みがあるなら、おれと一緒に寝たいだなんていうのも納得がいく。
かさりとウツミが寝返りをうつ。お互い仰向け。でも、ウツミがいる右側だけ熱を帯びていく。触れそうで触れない肩に、全神経が集中していくみたいに。バレたくない。もうずっと前から、ウツミに対して、友情だけではない何か別の感情を抱いていること。
「……指綺麗だったね、あの子」
「え?」
暗闇の中、また、ふいにウツミが言う。声は少し霞んでいて、あ、そろそろ眠るときの声だ、と思う。いつも横にいるから、なんとなくわかる。昼間のウツミは寝つきがいい。話している途中で寝ていることもある。
そんな、睡眠ばかりしているウツミから、女の子の話題が出るなんて思わなかった。どくりと心臓がなる。これは嫌な音だ。
「ああ、石川ミカちゃんね」
「名前そんなだっけ」
「おまえなあ、名前くらい覚えとけよ」
「ごめん」
「別に俺に謝ることじゃないけど」
ウツミが女の子を気にするなんて初めてのことだ。
正直に言えば、石川さんはかなり整った容姿をしていた。黒髪ロングのストレートで、肌は雪のように白く、まつ毛が長くて目がクリッとしている。体格もすらっとしていて、それこそウツミの横にいてもおかしくないレベル。容姿で決めつけるのはおかしな話かもしれないけれど、純粋に、絵になるな、と思った。ウツミにはああいう子が似合うと思う。
だから、もしウツミが石川さんのことを好きになっても仕方がない。自然なこと。何も言う権利なんてない。むしろ応援するべきだ。
「……どっちが綺麗だった?」
「は?」
「あの子と、俺の手」
あー、ウツミにも恋愛感情とかあったのか、最悪だな、おれもうおわりじゃん、どうやって応援しよう。とひとりで勝手に病むところだったのに。拍子抜けな言葉が落ちてきて面食らう。また、こいつは何を言い出すんだ。
「……何言ってんの」
「いや? イチが珍しく褒めてたから」
「そりゃあの状況じゃ、褒めるだろ」
「結構本心なのかなって思ったけど」
なに、おまえ、なんでそんなこと聞くの。やめろよ。揺さぶるようなことすんな。
「……ピアニストの手好きなんだよ」
「ふうん、フェチってやつ?」
「しらねーけど」
なんでもいい、誤魔化せるなら、手フェチでもなんでも。ピアニストの手が好きとか、焦ってまずいことを言ったな、とも思う。やばい、思考がうまく回ってない。
「……ピアニスト全般、ね」
「何?」
「さっきの話、続きしていい?」
「うん?」
さっきの話? なんだっけ。この部屋に来る前の話?
「俺の好きなタイプ」
「ああ、うん」
「好きなタイプとか、よくわかんない、けど……」
あ、これ、ウツミがそろそろ寝る時の声だ。ウツミは寝る前に限ってやたらと話したがる。けれどその声は掠れていて、多分もう寝落ちする寸前なんだろう。
「……人たらしは、嫌いかも」
「は?」
ガバ、と。思わず起き上がって仰向けのウツミを見ると、タイミング悪く寝落ちた後だった。すーすーと寝息まで立てている始末。こいつ、本当にいつも突然寝るんだよな。
ていうか、いやいや、この状況で寝るとかありえないだろ。しかもウツミは、一度寝るとひどく眠りが深い。満足するまで起きないタイプだ。
「……どこが夜寝れないんだよ、めちゃくちゃ寝てんじゃねーか……」
俺の気も知らないで、ばかやろう。しかも、嫌いなタイプってなんだよ、聞いてないっつうの。
暗闇の中、まじまじと寝息を立てて寝ているウツミの顔を見る。改めて、ひどく整った顔だなと思う。どうしてこんなにまつ毛が長いんだろう。
触りたい、とか、思うなよ。おれも大概ばかやろうだ。
あー、と。頭を掻いてからバフっとウツミの横に再び仰向けになる。苛つくけれど、このタイミングでウツミが寝てくれて逆に良かったかもしれない。だってこれ以上こんな会話を続けていたら、おれはきっと、余白を埋めることができなかった。
言われた通り、おれは急いで風呂に入ってパジャマに着替えてウツミの部屋を訪れた。23時10分。ウミネコたちはまだ帰ってきていないらしい。門限破るつもりかな。怒られればいーのに。
コンコン、寒さで凍える廊下でウツミの部屋をノックしてやる。柄にもなく緊張している。いつもより入念に身体も髪も洗った。何かあるわけじゃないのにな、自分の邪念を落とすみたいな感覚。
「あ、本当に来てくれた」
ノックを3回した後、扉を開けたウツミが、くあっとゆるい欠伸をしながらそうわらった。その表情がうれしそうで面食らう。なんなんだよ、本当に、勘弁してくれ。気が抜けたら負けなんだって、こっちは。
「……欠伸してんじゃん」
「うん?」
「寝れないんじゃないわけ」
「寝れないんだよ、眠いんだけどね」
意味わかんねーよ。ウツミはおれを部屋に招き入れて扉を閉める。ウツミの部屋に来るのが初めてなわけじゃない。部屋の仕様は同じだし、ウツミは必要最低限の物しか置かないからサッパリしている。見渡してもそれは変わらないし、おれたちの関係が変わるようなこともない。だから、別に、緊張するようなことじゃない。ウミネコたちともよくオールしてるんだし、そう、こんなの普通だって。
自分に言い聞かせる。何度も。
「昼間いつも寝てるから夜寝れねーんじゃないの」
「夜寝れないから昼に寝てるんだよ」
なんだその、鶏が先か卵が先かみたいな理論。
ウツミがチラリと部屋の時計を確認して、それからふらふらとベットへと腰を下ろした。そして、右側をとんとん、と叩く。そこへ来い、ということだろう。
「……もー寝んの?」
「寝れる時に寝たいんだよね」
「ゲームとかしない?」
「んーでも今寝れそうだから」
「なんだよそれ、やっぱひとりで寝れるんじゃん」
「んー、そういうわけでもないんだよなあ」
じゃあどういうわけなんだよ。おれが怪訝そうな顔をしたからか、「そんな怒んないでよ、横で寝てくれればいいだけだから」とウツミがおれを招く。別に怒ってるわけじゃないんだけど、ごめん、うまくできなくて。
ウツミの申し訳なさそうな顔に負けて、おれは渋々ウツミの横へと潜り込んだ。セミダブルかな。シングルではないとはいえ、男2人じゃやっぱり少し狭い。ウツミは無駄に背が高いし。
おれが布団に潜ったのを確認してから、ウツミがぱちりと電気を消した。急に暗くなって、余計に緊張する。なんだよ、ウツミはまるで普通みたいな顔をしていて、嫌になる。
ていうか、男同士で同じ布団に入って、これって普通? 意識しすぎてわからなくなってきた、こんなもんだっけ、いままで友達とどう接していたっけ。
「……眠いのに、いざ布団に入ると、ふよふよ空に浮いてるみたいでさ」
もう寝る体制に入ったのかと思ったのに。ウツミが急に口を開く。暗いから、表情はよくわからない。
「なにそれ、どういうこと」
「んー、なんか、寝てるようで寝てない、みたいな」
「昼は起こしても起きないくらい寝てんのにな」
「そう、だからさ、イチが横にいたら寝れるのかなって」
「……なるほどね」
昼休み、授業中、放課後。おれの横でウツミはよく寝ている。すやすやと寝息を立てて、それこそおれが声をかけても起きないくらい。ウツミってどこでも寝れる奴だと思っていたけれど、夜寝れていない分を、昼に消化しているだけだったのか。ずっと気づかなかったな。そういう悩みがあるなら、おれと一緒に寝たいだなんていうのも納得がいく。
かさりとウツミが寝返りをうつ。お互い仰向け。でも、ウツミがいる右側だけ熱を帯びていく。触れそうで触れない肩に、全神経が集中していくみたいに。バレたくない。もうずっと前から、ウツミに対して、友情だけではない何か別の感情を抱いていること。
「……指綺麗だったね、あの子」
「え?」
暗闇の中、また、ふいにウツミが言う。声は少し霞んでいて、あ、そろそろ眠るときの声だ、と思う。いつも横にいるから、なんとなくわかる。昼間のウツミは寝つきがいい。話している途中で寝ていることもある。
そんな、睡眠ばかりしているウツミから、女の子の話題が出るなんて思わなかった。どくりと心臓がなる。これは嫌な音だ。
「ああ、石川ミカちゃんね」
「名前そんなだっけ」
「おまえなあ、名前くらい覚えとけよ」
「ごめん」
「別に俺に謝ることじゃないけど」
ウツミが女の子を気にするなんて初めてのことだ。
正直に言えば、石川さんはかなり整った容姿をしていた。黒髪ロングのストレートで、肌は雪のように白く、まつ毛が長くて目がクリッとしている。体格もすらっとしていて、それこそウツミの横にいてもおかしくないレベル。容姿で決めつけるのはおかしな話かもしれないけれど、純粋に、絵になるな、と思った。ウツミにはああいう子が似合うと思う。
だから、もしウツミが石川さんのことを好きになっても仕方がない。自然なこと。何も言う権利なんてない。むしろ応援するべきだ。
「……どっちが綺麗だった?」
「は?」
「あの子と、俺の手」
あー、ウツミにも恋愛感情とかあったのか、最悪だな、おれもうおわりじゃん、どうやって応援しよう。とひとりで勝手に病むところだったのに。拍子抜けな言葉が落ちてきて面食らう。また、こいつは何を言い出すんだ。
「……何言ってんの」
「いや? イチが珍しく褒めてたから」
「そりゃあの状況じゃ、褒めるだろ」
「結構本心なのかなって思ったけど」
なに、おまえ、なんでそんなこと聞くの。やめろよ。揺さぶるようなことすんな。
「……ピアニストの手好きなんだよ」
「ふうん、フェチってやつ?」
「しらねーけど」
なんでもいい、誤魔化せるなら、手フェチでもなんでも。ピアニストの手が好きとか、焦ってまずいことを言ったな、とも思う。やばい、思考がうまく回ってない。
「……ピアニスト全般、ね」
「何?」
「さっきの話、続きしていい?」
「うん?」
さっきの話? なんだっけ。この部屋に来る前の話?
「俺の好きなタイプ」
「ああ、うん」
「好きなタイプとか、よくわかんない、けど……」
あ、これ、ウツミがそろそろ寝る時の声だ。ウツミは寝る前に限ってやたらと話したがる。けれどその声は掠れていて、多分もう寝落ちする寸前なんだろう。
「……人たらしは、嫌いかも」
「は?」
ガバ、と。思わず起き上がって仰向けのウツミを見ると、タイミング悪く寝落ちた後だった。すーすーと寝息まで立てている始末。こいつ、本当にいつも突然寝るんだよな。
ていうか、いやいや、この状況で寝るとかありえないだろ。しかもウツミは、一度寝るとひどく眠りが深い。満足するまで起きないタイプだ。
「……どこが夜寝れないんだよ、めちゃくちゃ寝てんじゃねーか……」
俺の気も知らないで、ばかやろう。しかも、嫌いなタイプってなんだよ、聞いてないっつうの。
暗闇の中、まじまじと寝息を立てて寝ているウツミの顔を見る。改めて、ひどく整った顔だなと思う。どうしてこんなにまつ毛が長いんだろう。
触りたい、とか、思うなよ。おれも大概ばかやろうだ。
あー、と。頭を掻いてからバフっとウツミの横に再び仰向けになる。苛つくけれど、このタイミングでウツミが寝てくれて逆に良かったかもしれない。だってこれ以上こんな会話を続けていたら、おれはきっと、余白を埋めることができなかった。