◇
俺の腕を掴んで離さないイチは何も言わずにずかずかと歩いて、俺はにやにやとその後ろ姿を眺めていた。そのまま辿り着いたのは音楽室。そういえばここで喧嘩してからまともに口を聞いてなかったな。
着いた途端、入り口の扉を閉めて、ぱっと掴んでいた腕を離してから、ぐるりと俺のほうを振り返った。
その顔がほんのり赤くなっているのを見て、胸の奥がじわりと疼く。自分でどんな顔してるのかわかってる? イチって本当、かわいーな。好きだとこんな気持ちになるんだ、自分の新しい感情に思わず胸を抑えてみたり。
「ウツミお前、なんで新学期早々呼び出されてんだよ!」
「いや、それは不可抗力でしょ。俺のせいじゃない」
「いーや、お前がカッコよすぎるせいだろ! その色気振りまくな!」
「全然振り撒いてないし、あの子、別に告白しに来たわけじゃないよ」
「はあ? 告白じゃなかったらなんで朝からあんなとこに……」
「あれ岸田さんだよ、石川さんの友達でしょ。イチと石川さんが上手くいくように協力してくれないかって頼まれたんだけど。むしろ俺のが被害者じゃない?」
「え」
目を丸くしたイチが、それからゆっくり視線を逸らして、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。やっぱ俺が告白されてると勘違いしたわけね。かわいー奴。
「くそ、ウミネコの奴騙したな……」
「あー、ウミネコに言われて来たんだ」
「最悪、てか岸田さんに悪いことした」
「まあいいじゃん、結果俺は結構グッときたし」
「はあ? なんだよそれ……」
しゃがみ込んで顔を隠すように項垂れるイチと、同じようにしゃがんで目線を合わせてやる。ウミネコって時々鋭いことを言うと思ってたけど、案外全部わかってんだなーって、ちょっと感心したりして。だって多分、嘘ついたのわざとでしょ。
「ね、それ嫉妬?」
「……」
「黙んないでよ、久々に話せてんのに」
「うるせー、おれはいま恥ずかしくて死にそうなの」
「はは、あんなに人にバレるの嫌がってたもんね」
「最悪、こんなつもりじゃなかったのに」
「こんなつもりって?」
「もっとこう、カッコよく言うつもりだったんだけど」
「言うって何を?」
あー、もう、かわいいな、本当に。
わかってるのに聞き返す俺も性格悪いね。てか、顔あげてくんないかな。イチの顔が見たいのに。俺は頬杖をつきながら項垂れるイチの姿を目に焼き付ける。
「……昨日、ピアノよかった」
「ああそうだ、来てくれてありがとね」
「お前、舞台から出てく時笑ってたろ」
「だってイチがぼろぼろ泣いてんだもん」
「うるせー、仕方ないだろ」
まあ俺も泣きそうだったんだけど。それは別に言わなくてもいっか。イチの心に少しでも刺さったのならそれでいい。
「イチ、俺さ、イチが好きだよ」
「え」
ガバッと。ずっとしゃがんで顔を見えないよう蹲っていたイチが勢いよく顔を上げた。その顔は驚きと高揚に満ちていてなんだか笑える。でも、いつものような不安そうな顔はもうしない。
あーあ、やっと言えた。遅くなってごめんね。
「俺さ、自分の気持ちに疎くて、気づくのが遅くなってゴメン」
「……」
「好きかどうか確かめるなんて言ってごめん。そんなのもうどうでもいいくらい、俺はイチのこと好きだなって思ってるんだけど、イチはどう?」
口をあんぐりと開けたイチが一瞬固まって、それから効果音がついたかのようにみるみる頬を赤くして目を逸らす。そう、こういう、俺しか見れないイチの表情が堪らない。優越感っていうのかな、こういうの。今すぐキスしてやりたいくらい。
「お前さ、なんでそうすんなり言うんだよ、」
「全然すんなりじゃないよ? てか昨日すぐ会いたかったのにイチ寮に帰ってこないし、メッセも返ってこないし」
「それはだから……色々言いたいことあったけど、気持ちの整理したかったし、直接言いたかったし……」
「だとしても結構ショックだったんだけど。まだ避けられてんの? って思ったし」
「う、それはゴメン……」
俺から顔を背けていたイチが、視線だけちらりとこちらを向いた。なにそれかわいい。なんか全部いとしいな、なんだこれ。
「……触っていい?」
「え? うん」
イチの手が、恐る恐る伸びてきて、俺の指先にそっと触れた。そしてゆるりとそれが絡む。どくりと心臓の音が早くなるのを感じた。手が触れただけなのに、なんだこれ、やばいかも。
急に緊張してきた。イチの顔がうまく見れない。
「ずっと、ウツミの指に触れたいと思ってた」
「……指だけ?」
「それは、今後追々……」
「はは、たのしみ」
「もーちゃかすなって、聞けよ」
「聞いてるよ、俺も緊張してんの、わかってよ」
そう言うと、イチが少し目を丸くして笑った。俺たちおんなじ立場でしょ。好きな子の前では緊張するよ、俺だってね。
「……ウツミのことが好きだ」
「うん」
「入学して、ピアノを初めて聴いた時から、いや、本当はもっと前からずっと、ウツミのこと好きだった」
「うん、ありがとう」
「……付き合って欲しい、今度はちゃんと」
イチの言葉を聞き切る前に、ぐいっと触れた手をひっぱると、バランスを崩したイチがそのまま俺の胸に飛び込んできた。「うわっ」と変な声をあげたイチをぎゅっと強く抱きしめる。
あー、やっと、正面から抱きしめられた。イチが自分より背が低くてよかった。逃がさない。
抱きしめた直後は固まったように動かなかったイチが、しばらくして力が抜けて、そのままゆっくりと、俺の背中に手を回した。ぎゅっと抱きしめられて、どうしようもなく離したくない。あーもう、かわいい、絶対他の人に見せたくない。
「うん、付き合おう。俺多分結構重いけど許してね」
「……なんかそんな気はしてた」
「人前でちゅーとかしたらゴメン」
「なっ、バカか!」
「えーでも抑えられないかも」
「お前、ほんっとそういうとこ気にしないよな……」
「イチは変なとこ真面目だからなー」
「ウツミが何も考えてなさすぎなんだよ」
「そんなことないよ? イチのことずっと考えてるよ」
「だから……なんでそうストレートなわけ……」
「別に、事実を述べてるだけだし」
「ああもうほんと、おまえには敵わないわ」
腕の中でやれやれと肩をすくめたイチが、急にもぞもぞと動いたので少し力をゆるめてやる。イチがそのまま顔を上げたので、至近距離で目が合った。どくりと心臓が鳴る。だってイチがあんまり嬉しそうに笑うから。
「────ありがとう、おれのこと好きになってくれて」
それはまるで昨日舞台から見えたイチの姿と重なって。あの時、湧き上がるような光の粒を見た。俺にとっての光はここにいたのか。やっと気づけた。ずるいな、俺の方が結局イチに惚れてる。
イチがはじめて「ごめん」じゃなくて「ありがとう」と言った。それに思わず泣きそうになったりして。俺はずっと、イチにこう言って欲しかった。やっと言った。もう「ごめん」なんて言うなよ。ていうかもう、俺が言わせないよ。
「─────どういたしまして。あと、これからよろしくね」
俺の腕を掴んで離さないイチは何も言わずにずかずかと歩いて、俺はにやにやとその後ろ姿を眺めていた。そのまま辿り着いたのは音楽室。そういえばここで喧嘩してからまともに口を聞いてなかったな。
着いた途端、入り口の扉を閉めて、ぱっと掴んでいた腕を離してから、ぐるりと俺のほうを振り返った。
その顔がほんのり赤くなっているのを見て、胸の奥がじわりと疼く。自分でどんな顔してるのかわかってる? イチって本当、かわいーな。好きだとこんな気持ちになるんだ、自分の新しい感情に思わず胸を抑えてみたり。
「ウツミお前、なんで新学期早々呼び出されてんだよ!」
「いや、それは不可抗力でしょ。俺のせいじゃない」
「いーや、お前がカッコよすぎるせいだろ! その色気振りまくな!」
「全然振り撒いてないし、あの子、別に告白しに来たわけじゃないよ」
「はあ? 告白じゃなかったらなんで朝からあんなとこに……」
「あれ岸田さんだよ、石川さんの友達でしょ。イチと石川さんが上手くいくように協力してくれないかって頼まれたんだけど。むしろ俺のが被害者じゃない?」
「え」
目を丸くしたイチが、それからゆっくり視線を逸らして、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。やっぱ俺が告白されてると勘違いしたわけね。かわいー奴。
「くそ、ウミネコの奴騙したな……」
「あー、ウミネコに言われて来たんだ」
「最悪、てか岸田さんに悪いことした」
「まあいいじゃん、結果俺は結構グッときたし」
「はあ? なんだよそれ……」
しゃがみ込んで顔を隠すように項垂れるイチと、同じようにしゃがんで目線を合わせてやる。ウミネコって時々鋭いことを言うと思ってたけど、案外全部わかってんだなーって、ちょっと感心したりして。だって多分、嘘ついたのわざとでしょ。
「ね、それ嫉妬?」
「……」
「黙んないでよ、久々に話せてんのに」
「うるせー、おれはいま恥ずかしくて死にそうなの」
「はは、あんなに人にバレるの嫌がってたもんね」
「最悪、こんなつもりじゃなかったのに」
「こんなつもりって?」
「もっとこう、カッコよく言うつもりだったんだけど」
「言うって何を?」
あー、もう、かわいいな、本当に。
わかってるのに聞き返す俺も性格悪いね。てか、顔あげてくんないかな。イチの顔が見たいのに。俺は頬杖をつきながら項垂れるイチの姿を目に焼き付ける。
「……昨日、ピアノよかった」
「ああそうだ、来てくれてありがとね」
「お前、舞台から出てく時笑ってたろ」
「だってイチがぼろぼろ泣いてんだもん」
「うるせー、仕方ないだろ」
まあ俺も泣きそうだったんだけど。それは別に言わなくてもいっか。イチの心に少しでも刺さったのならそれでいい。
「イチ、俺さ、イチが好きだよ」
「え」
ガバッと。ずっとしゃがんで顔を見えないよう蹲っていたイチが勢いよく顔を上げた。その顔は驚きと高揚に満ちていてなんだか笑える。でも、いつものような不安そうな顔はもうしない。
あーあ、やっと言えた。遅くなってごめんね。
「俺さ、自分の気持ちに疎くて、気づくのが遅くなってゴメン」
「……」
「好きかどうか確かめるなんて言ってごめん。そんなのもうどうでもいいくらい、俺はイチのこと好きだなって思ってるんだけど、イチはどう?」
口をあんぐりと開けたイチが一瞬固まって、それから効果音がついたかのようにみるみる頬を赤くして目を逸らす。そう、こういう、俺しか見れないイチの表情が堪らない。優越感っていうのかな、こういうの。今すぐキスしてやりたいくらい。
「お前さ、なんでそうすんなり言うんだよ、」
「全然すんなりじゃないよ? てか昨日すぐ会いたかったのにイチ寮に帰ってこないし、メッセも返ってこないし」
「それはだから……色々言いたいことあったけど、気持ちの整理したかったし、直接言いたかったし……」
「だとしても結構ショックだったんだけど。まだ避けられてんの? って思ったし」
「う、それはゴメン……」
俺から顔を背けていたイチが、視線だけちらりとこちらを向いた。なにそれかわいい。なんか全部いとしいな、なんだこれ。
「……触っていい?」
「え? うん」
イチの手が、恐る恐る伸びてきて、俺の指先にそっと触れた。そしてゆるりとそれが絡む。どくりと心臓の音が早くなるのを感じた。手が触れただけなのに、なんだこれ、やばいかも。
急に緊張してきた。イチの顔がうまく見れない。
「ずっと、ウツミの指に触れたいと思ってた」
「……指だけ?」
「それは、今後追々……」
「はは、たのしみ」
「もーちゃかすなって、聞けよ」
「聞いてるよ、俺も緊張してんの、わかってよ」
そう言うと、イチが少し目を丸くして笑った。俺たちおんなじ立場でしょ。好きな子の前では緊張するよ、俺だってね。
「……ウツミのことが好きだ」
「うん」
「入学して、ピアノを初めて聴いた時から、いや、本当はもっと前からずっと、ウツミのこと好きだった」
「うん、ありがとう」
「……付き合って欲しい、今度はちゃんと」
イチの言葉を聞き切る前に、ぐいっと触れた手をひっぱると、バランスを崩したイチがそのまま俺の胸に飛び込んできた。「うわっ」と変な声をあげたイチをぎゅっと強く抱きしめる。
あー、やっと、正面から抱きしめられた。イチが自分より背が低くてよかった。逃がさない。
抱きしめた直後は固まったように動かなかったイチが、しばらくして力が抜けて、そのままゆっくりと、俺の背中に手を回した。ぎゅっと抱きしめられて、どうしようもなく離したくない。あーもう、かわいい、絶対他の人に見せたくない。
「うん、付き合おう。俺多分結構重いけど許してね」
「……なんかそんな気はしてた」
「人前でちゅーとかしたらゴメン」
「なっ、バカか!」
「えーでも抑えられないかも」
「お前、ほんっとそういうとこ気にしないよな……」
「イチは変なとこ真面目だからなー」
「ウツミが何も考えてなさすぎなんだよ」
「そんなことないよ? イチのことずっと考えてるよ」
「だから……なんでそうストレートなわけ……」
「別に、事実を述べてるだけだし」
「ああもうほんと、おまえには敵わないわ」
腕の中でやれやれと肩をすくめたイチが、急にもぞもぞと動いたので少し力をゆるめてやる。イチがそのまま顔を上げたので、至近距離で目が合った。どくりと心臓が鳴る。だってイチがあんまり嬉しそうに笑うから。
「────ありがとう、おれのこと好きになってくれて」
それはまるで昨日舞台から見えたイチの姿と重なって。あの時、湧き上がるような光の粒を見た。俺にとっての光はここにいたのか。やっと気づけた。ずるいな、俺の方が結局イチに惚れてる。
イチがはじめて「ごめん」じゃなくて「ありがとう」と言った。それに思わず泣きそうになったりして。俺はずっと、イチにこう言って欲しかった。やっと言った。もう「ごめん」なんて言うなよ。ていうかもう、俺が言わせないよ。
「─────どういたしまして。あと、これからよろしくね」