「なんだよ」


次の日朝、教室に着いた途端、珍しくおれより先に着いていたウツミに突然手を引かれて音楽室へ連れてこられた。昨日、結局おれはウツミにもウミネコにも連絡せずに、課題を写させるという約束も破って眠りについてしまった。正直今日はウツミと顔を合わせるのも嫌だったんだけど。

ウミネコにバレたらどうしよう、という自分が情けなくて、呆れた。同時に、何も考えずに思ったことを口にするウツミに腹が立った。おれだけならともかく、この奇妙な関係値がバレれば、ウツミまで変に思われるかもしれないのに。ウツミはそういうところが本当に疎い。


「なんだよって、こっちのセリフなんだけど。昨日はメッセ送っても返ってこないし、部屋ノックしても無視するし」
「……早めに寝落ちしたんだよ。ごめんって。もーいいだろ」
「なんなわけ、なんでイチがそんな不機嫌なの。不機嫌になりたいのはこっちなんだけど」
「別に不機嫌とかじゃない」


ただ、この感情をどうやって言葉にすればいいのか考えあぐねている。ウツミには何を言っても伝わらなさそうだし。

多分、ウツミはおれたちが男同士だからとか、そういうことを全く気にしていない。おれとウツミはそういうところは正反対で、おれは石橋を叩きに叩いて渡るタイプだけれど、ウツミは怖いものなしに綱をひとりで渡っていくような危うさがある。怖いものなしとでも言うのかな。それはあまりに無防備だ。


「なんで昨日みたいに嘘ついて笑うわけ、気にくわない」
「嘘ついてって、どの辺が?」
「ウミネコが付き合ってるかって聞いた時、そんなわけない、って」


ウツミの答えに目を丸くする。

はあ? 『ついに付き合った?』と聞かれて、『はいそうです』なんて言えるわけないだろ。第一おれとウツミはちゃんと付き合ってるわけでもない。おれの好意にウツミが応えようとしてくれてるだけ。おれのことが『好きかどうか確かめたい』と言ったのはそもそもウツミの方で、おれたちは両思いでもなんでもないだろ。

ただでさえ男同士なのに、自分のことを好きなわけじゃないのに、それ以外なんて答えがあったんだよ。ふざけんな。


「あたりまえだろ、付き合ってるとか、言えるわけない。ていうか、公式に付き合ってないし」
「公式ってなんなわけ。イチは俺が好きなんでしょ。だったら、『付き合ってる』でいいでしょ、何がそんなに隠すことがあんの」
「は? おまえ本当なにも考えてないのな。仮に付き合ってるとしても、おれたち男同士で、なんでそんな普通でいられると思ってんだよ」
「普通でしょ、隠すことなんてひとつもないけど。イチはいつも何がそんなに気になるわけ。俺の前でも不安そうな顔ばっかするし」


おれが気にしすぎなんじゃなくて、おまえが気にしなさすぎなんだよ、なんでわかんねーの。


「……いい、もうおまえと離しても拉致あかないし。てかやっぱ普通に、付き合ってるわけじゃないしな、おれら」
「付き合ってるわけじゃないならこの関係は何なわけ? なんでイチは俺が頼めば一緒に寝てくれんの」
「そんなの、おれはおまえに好意があるからだろーが!」


思わず声を張り上げたせいで、ウツミがびくりと肩を震わせて固まった。その目は珍しく丸く見開かれて、じっとおれを見ている。こんな風に感情的に声を荒げること、人生で数えても殆どない。

でも、無性に腹が立った。何もわかってないウツミに。おれの好意に真正面から応えているわけじゃないくせに、ていうか応えられないくせに、そうやって安易に踏み込んでこようとするウツミの鈍感さに。それから、それを拒めない、自分の愚かさに。


「……イチのことが好きかどうか確かめたいって、ずっと言ってんじゃん」
「だから、それもういいから。おれの好きとウツミの好きは違うよ。おまえは何もわかってねーよ」
「そうやって俺の気持ち否定してんのはいつもイチの方でしょ。歩み寄ろうとしても自分から壁作ってんじゃん。なら俺は、どうやってイチに好意を信じて貰えばいいわけ?」


どうやってって。そんなのおれが聞きたい。入学して、ウツミの隣の席になって、気づけば目で追うようになって、初めてピアノを聴いたあの日からずっと─────ずっと、触れたいと思っている。ずっと、どうしようもなくウツミが欲しい。わかんないだろ、こんな気持ち、おまえには絶対わかんねーよ。


「おれのこと好きじゃないくせにわかったような口聞くなよ」
「好きじゃないって決めつけてんのはそっちでしょ」
「……じゃあ何、おまえおれと恋愛できるわけ?」
「はあ?」


ウツミに近づく。背の高いウツミのカーディガンを引っ張って、前屈みになったウツミの顔面に自分のそれを近づける。こんな時までひどく綺麗な顔をしているおまえが、心底嫌になるよ。


「本当におれとキスできんの。それ以上のことだって。言っとくけど、本当に付き合うんならおれはするよ、おまえが嫌がっても泣いても喚いてもやめない。好きって、お前が想像してるようなかわいいもんじゃねえよ。リアルに考えろよ、わかんねーだろ、欲だらけなんだよ、知らなかっただろ」


至近距離で、ウツミの目が見開いたのがわかった。驚いただろうな。おれは今まで、ウツミにこんな感情ひとつだって見せたことがなかったから。いつだってセーブして、一定の距離を保って、近づきすぎないように、いつでも手放せるように、何ひとつ欲望なんて見せてこなかったから。

ウツミにはわかんないだろ。おれのこんな邪な気持ち。触れたいなんて、欲望だけはいつも正直で、おまえのこといつだって恋愛対象に見てるんだよ。それをずっとバレないように蓋をしてるおれの気持ちが、おまえにわかるわけない。簡単におれの好意に応えようとすんなよ。おまえはわかんないよ。


こんなに苦しいからこそ、ウツミには同じ気持ちになんてなって欲しくない。好きな人に幸せでいて欲しいと思う、それってそんなに悪いことなわけ?